6話 呪縛
漆黒の闇が広がる空、不気味気に出ている満月が、ざわつく森を照らしあげていた。
「シード、ダークエルフの少女は寝たの?」
「エリス、その呼び方やめろ」
自分の正体を告げられたアシューは、泣きつかれてすぐに、眠ってしまった。
シードに抱えられ、寝室に運ばれたアシューは、世界から憎まれているダークエルフの血を受け継ぐ少女とは思えないほどに幸せそうな寝顔だ。
そんな寝顔を眺めながら、シードは葉巻を吹かす。
「いつも、悪いな。 ちょうど、葉巻切れそうだったんだよ」
「いいのよ。 いつものことじゃない。 でも、吸いすぎはよくない」
エリスは、手入れが行き届いている茶髪を指に絡め、笑みをこぼす。
アシューがいた時とは、想像ができない笑みだ。
「でも、吸ってなくちゃやってられねーよ」
シードは、窓際へと移動をして窓を開けた。
肺にたまった空気と葉巻の煙を満月へと吹きかける。一瞬、月は、煙に飲み込まれ姿を隠すが、それは、一点からみた光景でしかない。
すぐに、煙は風に流され、元の月が姿を現す。
「葉巻だって体に悪いのよ? それに、髪も……」
「不死の加護があるだろ、死にはしない。 髪の色だって気に入ってるんだ」
エリスの角度から、窓の外を見つめるシードの顔を確認することはできない。
でも、エリスには微笑んでるように感じた。
シードが吸っている葉巻は、<薬草中毒>を緩和するもの。
シードが勇者として、旅しているとき、魔族に支配されている世界での敵は魔王だけではなかった。
最初は、傷も少なく戦えていたが、魔物たちも馬鹿ではない。時間経過とともに強敵との連戦、それに従い怪我の増加。
しかし、勇者たちが休むことは許されなかった――勇者は、世界を救う駒なのだから。
度重なる薬草の使用、大量摂取、乱用。
草を食うだけで傷が治る――そんな、うまい話があるわけがなかった。
傷を治す代わりに薬草は、シードの綺麗だった黒髪と精神を奪っていったのだ。
「不死の加護ね……私にとっては不死の呪縛」
エリスのつぶやきが、シードに聞こえることはなかった。
「何か言ったか?」
「ううん。 それより、聞いてくれる? 私、昨日で117歳になったのよ」
「ババアじゃねーか」
「うっさい」
シードは、茶化したような笑みを浮かべ、吸い終えた葉巻を外へ投げ捨て、エリスの前に酒を差し出す。
「せっかくだ。 付き合ってくれよ」
「……少しだけよ?」
イタズラな笑みで答えるエリスは、なんだか嬉しそうにも切なそうにも感じ取れた。
シードが、薬草によって精神を削られているなら、エリスは、不死の加護によって精神を削られている。
女神から選ばれし4人の少年少女――その2人が、シードとエリスなのだ。
女神から勇敢なる者として選ばれた彼らには、女神の恩恵が授けられる。
その中で共通して授けられたものが――<不死の加護>
魔族との戦闘で命を落としたとしても、不死の加護がある者は、無傷の状態で教会から目を覚ますことができる。
そして、それは今も続いている。
エリスは、目に見えない世界の苦痛から何度、自殺を試みたことだろうか。
しかし、快楽は死ぬ寸前の”痛覚”のみ――数分後、手首を切っても、首を切っても、崖から飛び降りても、何事もなかったかのように、廃れた教会で目を覚ますのだ。
傷だらけで王都に帰還した彼らに贈られるのは、称賛ではなく、罵倒と憎しみだ。
いくら時間が経過しようと、”竜のあざ”を持つ者達への憎しみは消えることなく増える一方――真実の過去知る者は誰一人としていなかった。
「ふぅ……酒はうまいな~」
魔王都で密かに入手した酒を1瓶飲み終え、そろそろ、眠気も訪れつつある深夜。
ウトウトと首を動かしているシードとは違い、エリスは、まだ、酒が半分ほど入ったグラスを傾け物思いにふけっていた。
「シード……あの少女、どうするつもり」
エリスの問いかけに、シードは呂律の回らない口で回答する。
「アシューが魔王都にいても殺されるだけだ。 俺が面倒みる」
シードの言葉のあと、2人の会話は途絶えた。
酔っぱらうシードと何か思いつめた表情でグラスの中の氷を眺めるエリス。
グラスの中の氷が溶け、透明感のある音が鳴ったと同時に、エリスは口を開いた。
「過去の罪滅ぼしならやめなさい。 あの子のためにはならない……なにより、あなた自身のためにも」
エリスは、冷静にそれだけを告げると、「お酒、ごちそうさま」とつぶやいて、暗闇の外へと出て行った。
扉が閉まる隙間、月明かりに照らされる、竜のあざを持つ魔法使いは哀れで救いようがないくらい――汚れてしまっていた。
「罪滅ぼし……か。 そんなんじゃねぇよ。 くそ」
エリスのつぶやきに、忘れ去ることができない記憶の呪縛が、強制的に思い出される。
シードは、苛立ちと記憶を薙ぎ払うため、幼い少女の寝息だけが響く部屋の中、壁を殴り葉巻を吹かした。
今夜は、記憶の呪縛の解放から遠ざけるよう、ゆっくり、ゆっくりと更けていった。
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