5話 虚実と真実

「おい、ダークエルフなんて簡単に口に出すもんじゃないぜ、エリス」

 シードから<エリス>と呼ばれる女性へ、怒りを込めた言葉が言い放たれる。

 この世界での<ダークエルフ>は、魔王の手先、という意味を持つ望まれない種族なのだ。

 古から伝わる書物によれば、とあるダークエルフの一族が100年前、魔王<デペルデウス>を呼び覚ましたと書かれている。

 そのダークエルフの容姿は、褐色の肌と尖った耳、憎悪を蓄えた魔。

「私は、見たものをそのまま言っただけ」

 シードに抱き着くアシューをエリスは強引に剥がし、耳にかかる髪をナイフでかきあげる。

「これが、見えないの?」

 ナイフの先がさす物、アシューの耳は尖っていた。

 シードは、目を見開き息を飲む。一度は、動揺を見せたものの、すぐに、冷静さを取り戻した。

「だが、魔は感じられない」

 本来なら、ダークエルフというのはこの世界に存在する種族の中で憎悪の魔を司る者とされている。

 だが、アシューからは憎悪はおろか、魔でさえ感じられない。

「だから? それだけじゃ理由にならない」

 エリスが持つナイフは、アシューの耳から首元へ向けられ、その刃を喉へ押し当てる。尖った耳に、褐色の肌、これだけの条件がそろえば、魔を感じられる、感じられないは全く、意味をなさない。

 それは、ダークエルフのみが扱えるという魔法”幻影”があるからだ。

 明確な理由の要求。真実を知るエリスだからこそ、この少女が安全だと証明できる理由が必要だった。

「勇者の俺が言うんだ。 それ以上、必要か?」

 シードから何かをためらうかのように出た言葉は、エリスが求める物ではないが、強制的に証明した。

 エリスは、ナイフをどけ、乱暴にシードへと戻す。

 アシューは、混乱を通り越して絶望した。

 そして、絶望は、無意識の言葉へと変換される。

「シードが、勇者ってどうゆうこと?」

 アシューの声は、震えた。これは、恐怖でも悲しみでもない――憎しみだ。

 100年前、平和だった世界に破滅をもたらした憎まれる魔族の王<デペルデウス>。

 人間が思い描くシナリオ通りに行っていれば、デペルデウスは、勇者によって殺される、はずだった。

 しかし、どうやら、世界は人間に優しくないらしい、デペルデウスは殺されなかった。

 その結果、アシューは、幼い心身では耐えきれないほどの苦痛を味わってきたのだ。

 人間として、魔物から否定され、ダークエルフとして、人間から否定される。

 勇者のせいで、勇者の裏切りで、アシューの居場所は奪われたのだ。

 アシューの問いに、シードは葉巻を吹かす。

「俺は、100年前、世界を救えなかった勇者。 <灰色の勇者>っていえばわかるか?」

 アシューは、何も答えない。

「俺が、憎いよな」

 シードは、葉巻を思い切り吸ってくうにそれを吐き出した。

 くうを漂う煙は、自然の秩序に従い、空気に流されるがまま消えてなくなっていく。

「シードは――」

 何も答えなかったアシューが口を開く。

「僕が、ダークエルフと人間のハーフでも一緒にいてくれる?」

 アシューの問いに、エリスは、驚愕する。

「ダークエルフと人間のハーフ!? ありえない」

 理解ができないという表情だ。それもそのはず、ダークエルフに人間は、数え切れないほどの苦痛を味合わされ、数え切れないほどの怒りを覚えさせられた。

 そんな、犬猿の種族間の子供など――

「ありえるんだよ」

 シードは、アシューがダークエルフと人間のハーフだと知っていた。

 しかし、気づいたのは、アシューを助けてからだいぶ後のことだった。

 髪の隙間からのぞく尖った耳と褐色の肌、それに知りうる過去、それだげだ。

「まさか……器のために」

 エリスのつぶやきは、ほとんど独り言のようなものだ。

 シードは、葉巻を大きく吸い、煙を吹かす。

「俺は、アシューと一緒にいるつもりだ」

 アシューは、無言で、震える小さな手をシードに回し、涙を浮かべた。

 自分のことは、自分がよくわかる、という言葉があるが、アシューは、まさにそれだった。

 微かに残る母の記憶と父の記憶、生まれてからずっと蔑まれてきた自分の容姿。

 それを、大切な人の前で告げられた恐怖を、誰が受け入れられるだろうか。

 鼻をかすめる葉巻の匂いが、アシューに安心感を与えていた。

 

 その様子を、不満げに見つめるエリスは口を開く。

「そこの少女の問題は、一旦置いておいて。 勇者様がどうして、傷だらけで帰宅するのかしら?」

 エリスの皮肉じみた問いに、シードは、肩をすくめる。

「ちょっと、厄介なやつらに絡まれただけだよ」

 エリスの無言の追及は続く。

「あー、魔王都であざを公開した」

 エリスは、目を見開き、シードから葉巻を取り上げる。

「馬鹿! 何してるの! まさか……魔王都で騒いでる事件って」

 エリスがすべてを言い切る前、シードはすべてを白状する。

「それ、俺っすね。 いやぁ、アシュー助けるの必死だったんすよ」

 シードは、頭に手を置き、ケラケラと笑いながら言った。

 エリスは思考を巡らせる。

 アシューが、ダークエルフのハーフであるということ、魔王都で騒がれているシードの事件、竜のあざ。

 そして、再び、魔王都に訪れて傷を負う襲撃にあう。

 都合よく、竜のあざを見せるだけで、魔物も人間も恐怖するというのに、わざわざ、それを狙う者達がいるのだろうか――その疑問は、すぐに解決した。

「魔王教……」

 導き出した一つの答えは、決して楽観的なものではない。

 魔王教――魔王を崇拝し、神と崇め、魔王に従える者たちの総称。

 ならば、奴らの敵は考えずともわかる。

 女神からの加護を与えられ、魔王と同等の力を得ることができる竜のあざを持つ者たち――勇者だ。

「大丈夫だ。 歳食っても、俺は、勇者。 問題ない」

 エリスが思考に集中しているさなか、こっそり奪い取った吸いかけの葉巻をシードは吹かす。

「問題は、そこじゃない。 もし、目的が、勇者の殺害ではなく、この少女だったら? デペルデウスの死を証明できる」

「大丈夫だ。 奴らは、魔王都で、俺が絞めた貴族オークの金で動いてるだけだ。 あの事件のオークだろう」

 エリスは、何も答えないで、ただただ、褐色肌の少女へ鋭い視線を送るだけだった。

 空からは、照っていた太陽の姿は消えて、夕暮れになろうとしている。

 憎まれる裏切りの勇者と望まれぬ種族のハーフ、真実を知る魔法使いに、快晴の空は訪れないだろう。

  

   ***


 薄暗い部屋、等間隔に置かれているろうそくの光だけが、室内を照らしている。

 ろうそくの光を受ける石壁は、血を纏っているかのように鈍く光る。

 そんな中、耳にまとわりつくようなねっとりとした声が響いた。

「ねぇ、灰色の勇者は?」

 上唇に舌を這わせ、女性的な魅力を持つ問いに、黒いローブの者が答える。

「申し訳ありません。 逃がしてしまいました」

「ねぇ。灰色の勇者は?」

 再び、同じ問い。

 しかし、次の声は、感情を感じない。

「申し訳ありません。 逃がして――」

 言葉を言い切る前、黒色のローブには、地面から影が飛び出たかのよう黒い何かが突き刺さり、赤く染まる。

 どうやら、黒い何かは、問い続ける女の足元から延びる影のようだ。

「ねぇ、灰色の勇者は?」

 3度目の問い。

 黒い何かを突き刺されたローブの男は、急所を射抜かれていなく、苦痛に声を詰まらせながら答えた。

「取り逃がしました! しかし――」

 早口の弁解。

 黒い何かが、顔面を貫く直前、男は言う。

「灰色の勇者が助けた少女を見つけました」

「言うのが遅いわぁ~」

 部屋に飛び散り鮮血は、女性的な魅力の声を持つ女性の顔に降り注ぎ、それを、舌で舐めとった。

「待っててね。 アシューちゃん」

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