4話 過去の仲間

「僕って、そんなに女に見えないかな……」

 シードが、魔王都に出かけたのを確認して、部屋の鏡の前、アシューは自分の身なりを確認していた。

 肩の上あたりで、バッサリと切った金髪に、イタズラ猫のような目つき、相手に圧迫感を与えさせない容姿……アシューの手は、自然と自分の胸に伸びる。

「……大丈夫! まだ、成長する!」

 凹凸がなく、すんなり手を滑らすことができる胸部は無視して、もう一つの気掛かりな事柄へ意識を向けた。

 部屋着が欲しいと借りた、シードのぶかぶかの服を捲り、褐色の細い腕を見た。

「汚い肌だ。 なんで、僕が」

 人間であるアシューは、魔物から害悪とされ力ずくの嫌悪を示されていた。

 それに、人間からも存在を否定されていたのだ。だから、余計にシードの優しさが疑問に思える。

 頭の隅で叫ばれる暴言をかき消すため、わざとあどけた声を張り上げた。

「くさい! 汚い! なにこれ!」

 食べ残しや山積みの食器で溢れている台所、洋服や書物が散乱しまくっている床。

 決して、アシューが住んでいた場所も綺麗な場所ではなかったが。

「それとこれとは、別でしょ!」

 半強制的な成り行きで住むことになったのなら、多少……いや、絶対的快適空間をアシューは求める。

「僕の掃除術、なめるなよ!」

 誰もいない家、掃除用具を装備したアシューの声は、虚しく響いていった。


   ***


「さぁ、どこから、手をつけるかな」

 視線を動かせば物が散乱する部屋、とりあえず、アシューは料理の衛生面を考えて台所から掃除をすることにした。

「これ、いつの食べ物だよ。 おえ~」

 鼻が捻じ曲がるような酸っぱい匂いを放つ粘着質な何か。

 欠けた皿の上に、フォークとともに添えられているあたり、食べ物であるのは確かなのだが、嫌悪感を拭いきれない。

 粘着質な何か達をなるべく見ないよう、臭いを嗅がないよう意識して、袋に投げ入れていく。

 何度も起こる、嘔吐感との戦いの末、数十分後、粘着質な何かの片づけは完了した。

「お次は、お皿たちじゃー!」

 時間経過で硬化した汚れを装備している皿ほど厄介な敵はいない。

 アシューは、ブリエラの実の殻の繊維を束状にした物を高速で擦り付ける。

「おらああああ! 取れろおおお!」

 秘儀<神々の戯れ>。高速で動く右手の細かな振動が油を浮かせ、汚れを削り取る。その様子は、まるで、神々が戯れているかのよう――否、汚れは健在だった。

「な、なに!?」

 アシューは、落胆する。掃除と盗みなら貧民街でも1,2を争うアシューが、こんな汚れ如き――

 そのとき、アシューの頭に昔の記憶が過った。

 ――頑固な汚れは、洗剤を混ぜたお湯に浸してから洗いなさい。

 頭の中でささやく、柔らかい声。

 アシューは、突然のひらめきに思わず笑みをこぼす。

「母さん……」

 アシューが過ごした両親との数少ない思い出。

 よく、母さんの手伝いをしていた時に頭の上から聞こえていた柔らかくて安心するあの声だ。

「お湯に浸けるんだよね……僕……きちんと覚えてたよ」

 アシューの声は、知らずのうちに震えていた。

 蛇口から出る水の流れには、鼻水をすする音も交じる。

 自分の手を放し、大好きだった母の姿は、闇の中へと消えていく。

 父は――突然の頭痛が、アシューを襲い、思い出は終了した。


「シード、私よ」

 2回のノック音のあと、冷静な女性の声が部屋に届いた。

 アシューの頭痛は、聞こえてきた声で消され、焦りと警戒へシフトチェンジする。

「いないの? おかしいわね」

 扉の向こう側、疑問を持ちながらも声の持ち主は「また、明日でもいいかしら」とつぶやいた。

 扉から遠ざかる足音に、アシューは安堵のため息と手に持つお皿を落とした。

「誰か、いるの? シード!」

 顔を歪ませたくなるほどの音は、扉から遠ざかっていた女性の意識を戻しただろう。それと同時にアシューの心拍数を跳ね上がらせた。

「シード……まさか!――ガスト!」

 扉の前で叫ばれた単語――刹那、鍵で閉ざしてあったはずの扉は、突風により破壊される。

(まずいまずいまずい!)

 アシューは、混乱する思考の中、とりあえず、テーブルの上に置いておいたナイフを手に取ろうとする。

 しかし、アシューの手が伸びるよりも先、真っ白な白い手がナイフの上には添えられていた。

「誰かしら? ただの泥棒なら、今すぐ、出ていくことで目をつぶる」

 目の前で殺気に満ちた表情を浮かべるのは、17歳くらいの女の子。

 冷酷に告げられる警告に、アシューは苦笑い

 この警告に猶予はない。

 泥棒と確定され、出ていかなくては、白い手が添えられているナイフがアシューの首に刺さる。つまり、反論の余地はないということだ。

「ここに、住んでるっていったら?」

「……その冗談。 笑えないわね」

 刹那、真っ白な手は、ナイフを戦闘的な動作で握り直し、その剣先をのど元めがけて突き進む。

(あ……終わった。 次は、平和な世界がいいな)

 死を前にして、アシューに走馬燈は過らない。

 ただただ、平和な世界を願うだけだった。

 

 ――ガタンッ!


 アシューの背後でなる物音。その音は、突き進んでいたナイフの動きを止め、アシューの余命を先延ばしする。

 この物音は、吉とでるか凶とでるか……どうやら、後者のようだ。

「シード!」

 さっきまで冷酷だった女性の声は、焦りの感情をあらわにして、聞きなれた奴の名前を呼ぶ。

 駆け寄る女の子のあとを視線で追い――アシューは、小さな悲鳴を上げた。


 銀髪が鮮血で染まり、浅い呼吸を繰り返す、血まみれのシードが倒れていたから。


   ***


「シード! シード! 起きてよ!」

 苦痛の表情を浮かべ、荒い呼吸を繰り返すシードを、アシューは、無意識に肩を揺らす。

「ねぇ、あんた! 僕のことなんて、後から何度殺してもかまわない! だから、シードを助けて!」

 魔王都から離れた小屋の中、孤児として育ち、良い教育を受けていなかった自分をこのとき、アシューは死ぬほど憎んだ。

 それとともに、疑問も沸く。

 ――どうして、僕は、ここまで必死になる?

 その問いは、口に出されることもなく、頭の中で何度も何度も繰り返される。

 赤の他人であるアシューを勝手に助け、食事まで準備してくれて、失敗をしても成功をしてもからかっても笑顔で受け入れてくれる……なんだよ、答えは簡単じゃないか。

「大切なんだ……まだ、きちんとお礼も言えてないんだ。 頼むよ」

 銀髪のひげ面のおっさんを、アシューは、無意識のうちに好きになっていた。

 これは、恋愛的な感情ではない。

 今は、親子、とでも形容しておこう。

「言われなくてもわかっている」

 アシューにすがるよう助けを求められた女の子は、睨みつけるよう視線を送り当たり前のように短く答えると手のひらから淡い光を出し、シードへと当てる。

「……ヒール」

 短い呪文の詠唱。

 その後、淡い光は、シードの周りを包むよう移動する。

 すると、シードから苦痛の表情は取れ、呼吸もゆっくりと安定していき、シードの目がゆっくりと開く。

「シード!」

 アシューは、目を開けたシードへと抱き着いた。

「馬鹿、痛てぇじゃねーか」

「うるさい!」

 抱き着き顔をうずめるアシューをシードは優しく受け止め、頭を撫でる。

 鼻水をすするアシューとそれを微笑んで見つめるシード。2人の姿は、親と子そのものだ。

 だが、真実を知る者からしたら、それは殺意が沸くそれでしかない。

「そこのダークエルフの少女、シードから離れなさい」

 鈍く光るナイフの剣先は、アシューの首を確実に捉えていた。

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