3話 過去の出来事
遠い闇にある意識は、鼻をかすめる甘いパンの香りに手を引かれる。
「うぅ……眠い」
睡眠欲と食欲の激闘の末、戻りかけの意識で感じ取った葉巻の匂いで睡眠欲は敗退し、アシューは、2日目を迎えた。
葉巻の匂いがするベットは、どうにも少年には大きすぎで、起きた後もなんだか落ち着かない。
寝室には、少年が寝るにはピッタリなサイズのソファーがあるが、そこには、毛布が雑に投げ捨ててあり、誰かが寝ていた痕跡も残る。
投げ捨てられている可哀そうな毛布をたたんでいると、寝室の扉が開いた。
「おはよう、アシュー」
外は、どうやら快晴のようだ。
扉の前、太陽の光を浴びるひげ面のおっさんシードは、笑顔でアシューを迎える。
それに答えるよう、アシューは、シードの腹を強めに殴った。
「気持ちわりぃよ! なにが、おはようアシュー、だ!」
「あぁ? こっちは、一人で起きれねぇクソガキを起こしてやってんだよ。 今、何時だと思っている」
シードの言葉、アシューは寝室のカーテンを開ける。
差し込む光は妙に強くて、ずいぶんと高い位置から太陽は照る。
「……お昼かな?」
「わかってんなら、さっさと起きろ。 飯もあるからな」
雑に告げられる言葉と優しさの欠片もない閉まる扉の音に舌打ちをして、アシューは、違和感に眉をひそめた。
「あいつを殴った感覚がない……」
ほとんど茶番のような場面での殴りだったが、アシューは、確かにシードの腹部を捉えた――だが、それは、錯覚でしかないのだ。
アシューの小さな拳は、シードの手の平で受け止められた――まるで、戦闘を積んできた者のような動作で。
錯覚を理解するよりも先、扉の向こうから聞こえる声が、それを遮断した。
***
「あぁ、カビてないパン食べるの久しぶりだな~」
アシューは、両手にパンを持ち、口にもパンを入れ、幸福の眼差しで、それらを見つめる。
アシューの中では、パンはカビてるのもであり、カビていないパンが食べられるのは盗みがうまくいったときのみ。
しかし、今は、魔物に盗みがばれていないかという恐怖を感じず、堂々と、パンをかじることができている。
「僕は、パンに勝ったのだ! ぶははははいてぇ!」
頭に感じる激痛、耳に聞こえる渋い声、鼻をかすめる葉巻の匂い。
アシューは、睨みを効かせて奴を見る。
「いてぇじゃねーか!」
「うるせぇ。 さっさと食え」
拳を握り呆れた顔で葉巻を吹かすシード。
マントを羽織り、フードを深く被る姿に、アシューは何かを感じたが、それを答えに結び付けることはできなかった。
「どっか行くのか?」
「あぁ、魔王都に行ってくる」
「僕も行く! 待ってて、準備するから!」
あれだけ、大事に食べていたパンをテーブルに放り投げ、椅子から飛び降りる。
だが、アシューは、時間が巻き戻ったかのように飛び降りたはずの椅子に着席していた。
「駄目だ。 お前は来るな」
「なんでだよ!」
再び、飛び降りようとすれば、シードの手が伸びてきてアシューを着席させる。
「家で、大人しくしてろ。 お菓子買ってきてやるから」
「お菓子! 仕方ないな、待っててやろう!」
口は悪くて、愛想もないが、お菓子という単語を聞いて目を輝かせる姿は子供だ。
シードは、そんなアシューをみて、微かに笑みを浮かべた。
「そうだ。 お前の服とかも買ってきてやらなくちゃな。 適当でいいか?」
「えー。 シードが、女の子の服を選べるはずがないと思うけどね」
アシューの言葉にシードの頭に疑問符が浮かぶ。
「なんで、女の服が必要なんだよ。 お前、男だろっ!」
アシューの子供じみたからかいには、大人も敬意を払って全力で答えなければいけない。
シードは、ふんぞり返っているアシューのズボンを下げ、男についているアレを確認する。
「……ない……だと」
シードの眼前、男なら必ず……いや、絶対ついている棒と玉が存在しない。
そこにあるのは、ツルツルの――
「ばかぁぁぁぁぁぁ!」
思考の途中、それを強制的に遮断したのは、シードの頬に感じる痛みだった。
***
「ったく。 アシューの野郎、手加減ってのをしらねーんだから」
赤い紅葉マークがついた頬をさすりながら、魔王都の門と対峙する。
何度も訪れている魔王都<インペデンス>改め、旧王都<シェイド> ――シードにとって最高の思い出の場所であり、血塗られた忘れ去りたい場所でもある。
蘇ろうとする過去の悲鳴を遮断するために、シードは、意識的に深くフードを被りなおして、足を進めた。
「いらっしゃい!……って、あれ、あんたは」
「どうも、先日は、果物を無駄にして申し訳ない」
シードが向かった先は、あの時、赤い果物を売ってくれた、黒い牙が特徴のイノシシの魔物の店主の店だ。
「あぁ、不憫な旦那じゃねーか。 あの後、旦那が貴族と揉めたって聞いて心配だったんだよ」
再び、黒い牙を見せながら、店主は笑顔で答える。
あの貴族と揉めた事件が、人間の子供アシューを庇った事件と知ってか知らないのか、店主は比較的好意的な態度だった。
「今日は、野菜と果物を売ってください」
シードも、わざわざもめ事を起こすためにここを訪れたのではない。
でも、万が一のことがあれば……シードは、好意的に話しながらもマントの下に隠す剣に手を添えていた。
「商品を買ってくれるなら大歓迎だ」
そういうと、店主は、紙袋に赤い果実とシードが求めた野菜を入れ、何かが書かれた紙と一緒に手渡した。
「俺は、旦那が何者なんだかしらねぇ。 だけど、大切な客だってことはかわらねぇんだ。 気をつけるんだ」
「知られてましたか」
店主はシードの言葉に何も答えることはせず、何事もなかったかのよう、別な客への接客へと移った。
シードは、店主から受け取った紙に目を通し、店主の優しさに小さく頭を下げた。
そして、不吉な風を肌に感じながら、その場を後にした。
***
(まずいな)
シードは、人気の少ない路地裏へと移動して、身を隠していた。
魔王都についてからここに入るまで、終始視界に入る黒いローブで身を包んだ者達。右に行けば、右に現れ、左に行けば、左に現れる――現状、シードの状況も、身を隠しているというよりは、追い詰められている、のほうが合っているかもしれない。
(ここに居たところで、どうにもならねぇか)
シードは、姿を現さないだけで、この場所がばれてしまっているのを分かっていた。かすかに感じる、殺意を持った気配が、薄暗い路地裏に充満しているのだ。
シードは、マントの下の剣を確認して、意を決する。
刹那――
背中に感じる熱い感覚が、痛みへと変わり、魔王都の一角を赤く染めあげた。
「灰色の勇者……貴様は、生きているべきではない」
力なくシードの手から落ちた赤い紙には、こう記してあった。
『旦那、王はお気づきだ。 気を付けろ』
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