2話 出会い

 快晴の空から漏れる光がカーテンの隙間からこぼれ、褐色肌の少年の顔を照らす。

「うぅ……」

 盗賊のような服装の少年は、体に感じる小さな痛みに顔を歪ませ目を覚ました。

「ここは……僕は――そうだ!」

 はっきりとしない意識は、徐々に鮮明さを取り戻していき、今、を認識させていく。

 少年が座るここは、ふかふかのベッドの上。

 部屋に微かに広がるおいしそうな匂い。少年は、緊張しながらも腹のだけは立派になった。この腹の音は、生きている証――自分の首に手を当てて、安堵のため息をこぼす。

「よかった……生きてる」

 魔王都で体験した恐怖が脳裏を過る。

 罵声が響く場所、野次馬の笑い声を耳にして、殺されそうになったあの光景だ。

「母さん……」

「母さんじゃなくて悪かったな」

 少年のすがるようなつぶやきに答えたのは、渋い声のおっさんだった。

「お前、誰だ! なんで、ここにいる!」

 少年の眼前、銀髪の髪を後ろで束ね、顎髭が妙に似合う40代後半のおっさん。手には、食事が乗っている。

「お前、命の恩人にそれはないだろ」

「命の恩人?」

 少年の中のはっきりとしている恐怖の記憶から、かすかな希望の記憶が思い出された。

 ――魔物風情が。

 今の世界で魔物に逆らうような言葉は、死を意味する。

 だが、少年の目の前にいるおっさんは、その言葉を口にしたのにも関わらず、あほ面で生きているのだ。

 少年の中で、自分のいる場所と目の前にいるおっさんがきちんとかみ合った。

「助けてくれたのか……」

「そういうことだ。 それより、そのみっともねぇ腹のおとをどうにかしろ」

 目を覚ましてから、今まで終始部屋に鳴り響いていた腹の音に少年は赤面。

 熱くなる顔を、おっさんから差し出された水を一気飲みすることで冷まし、食事をかきこんだ。


   ***


「はぁ……食った食った」

「どうだ、俺の料理は? うまかっただろ?」

 膨れた腹をぽこぽこ叩く少年に葉巻をふかしながらおっさんは、笑顔で言う。

「んー。 うまくもないし、まずくもないかな!」

「お前、お世辞でもうまいって言えよ。 それじゃ、出世できねぇぞ」

 おっさんは、病み上がりの少年の頭へ、強めにゲンコツをお見舞いした。

「いてぇな! 灰色の髪のおっさん!」

「灰色じゃねぇ、銀髪だ。 それに、おっさんじゃねぇ。 俺は、<シード>だ、クソガキ」

「あぁ? クソガキじゃねぇよ! 僕の名前は<アシュー>だ!」

 おっさんこと<シード>とクソガキこと<アシュー>の雑な自己紹介が終了。

 猫のような鋭い視線とおっさんの睨みが交差して、部屋に緊張が訪れる。

 シードの睨みは、魔物と対峙したときのような鋭さはないが、子供泣かせるには十分の怖さがある。

 だが――

「そんな、怖い顔してたら誰も寄ってこないぞ?」

 緊迫した空気を切り裂いたアシューの言葉。

 鋭い視線を送っていたシードの口もとも緩んだ。

「お前の生意気さ、嫌いじゃねぇ」

 シードは、少年の頭をでかい手で無理やり撫でまして、2本目の葉巻に火をつける。それを前に、アシューは疑問符を浮かべ、唖然として開いた口がふさがらない。

「なんで、なんで、僕に優しくするんだ」

 アシューは、疑問だった。

 盗みを繰り返すことでしか生きていけない自分を、赤の他人であるシードは助けてくれた。それに、食事まで与えてくれて、自分の言葉にも暴力を振るわない。

「なんでって、目の前で同族の人間、まして、子供が殺されるなんて、夢見がわりぃじゃねーか」

 シードは、葉巻の煙をため息を吐くようにして、アシューへと吹きかける。

「クソガキでも同じことが言える――たとえ、右手でナイフを握っててもな」

 驚愕で開いた口が閉じ、息をのんだ。

 アシューは、ずっと警戒を怠らなかった。これは、この世界に生きる者として幼いころから一人で育ってきたからこその警戒だ。

 人を茶化すような素振りは、シードの動向を探るためのもの。

 優しくする奴は、絶対に裏がある。アシューは、人を信じず、信じられず、ここまで生きてきたのだ。

 もし、自分を殺すような素振りを見せれば、背中で隠し持つナイフは赤く染まっただろう。

「シード……降参だよ」

「あぁ、懸命だ」

 なんでも見透かしたような笑みを浮かべるシードに、両手を上げて降参のポーズ。

 しかし、腐ってもクソガキ、アシューは、無駄な抵抗を試みる。

「その髭面と髪で人間とか……笑っちゃういてぇ!」

 すべてを言い切る前に、頭にはゲンコツが降ってきた。


   ***


「ほら、アシュー。 お前の荷物と食い物だ。 これだけあれば、十分だろ」

 シードの家は、どうやら魔王都から離れた森の奥深くにあったようで、ここまで、自分を担いできたおっさんの体力に、降参を選択した自分を称えた。

「おい、金の量少なくねぇか!?」

「ガキのお小遣いにしたら多すぎんだろ。 こっちは、お前に15万Gも使ってんだよ」

 アシューは、「あの飯が15万Gもするわけないだろ!」と叫び、金が入った革袋を不満げにしまう。

「おこさまは、ママにお小遣いをもらいなちゃい?」

 シードは、ケラケラと笑いながら、アシューの頭をぽんぽんと叩く。

 だが、アシューの顔は、さっきまでとは違い、影がかかった。

「……母さんはいない」

 ケラケラと笑っていたシードからちゃかす笑みは消える。

「え、あ、すまねぇ。 少し、ふざけすぎちまったな」

「いや、いいんだ。 今の時代、孤児なんて溢れるほどいる。 たまたま、くじ運が悪くて、くそみたいな世界に生まれちまっただけ」

 アシューは、子供ながらにきちんと自分の人生を理解していた。

 まだ、12,3歳の少年が、母親がいないことに対して、こんな言葉が言えるのか。

「俺だったら……いえねぇよ」

 シードは、暗い顔を無理やりの笑顔で隠そうとするアシューの頭を撫でた。

 そして、過去の自分を殺してやりたい気持ちに駆られる。

 くじ運なんてもの、最初から存在しないのだ。これは、すべて自分の欠落が招いた現状だ。

「短い間だったけど、お世話になった。 何も、お礼してあげられないけど、僕の笑顔で勘弁してね」

 そういって、アシューは頬に指を当て、ぶりっこ満面の笑みを浮かべた。そうすることで、重苦しい空気を意識的に破壊したのだ。

「いや、そんなんじゃ割に合わねぇ」

 シードの声は、ずっと話していた軽い口調から、一段、低くなる。

 森の中の小屋の前では、不気味気に風が吹き、木々がざわめく。

 いつの間には、晴天は曇天へと変わっていて、太陽が姿を消す。

 アシューは、シードから放たれる戦う者の気を無意識のうちに感じ取っていた。

 腰に携える心もとないナイフに手を添える。

 しばしの間のあと、シードが口を開いた。

「お前は、俺と暮らすんだ」

「え?……えぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 シードの言葉は、ただの罪滅ぼしでしかない。

 この世界に生まれた少年への罪滅ぼしだ。


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