灰色の勇者 【完結】

成瀬なる

1話 魔王都

 様々な種族が行きかい、様々な声が聞こえるここは、魔王都<インペデンス>

 道脇の商店では、丸焼きにした豚をさばき振る舞うリザードマン。

 分厚い脂肪に鋼の鎧を身に着け、剣を携えるオーク族。

 母の手を握り、笑顔で道を歩く華奢な姿の幼児。しかし、頭には、彼女の挙動に合わせてピコピコと動くネコ耳があった。

 今日は、雲一つない快晴。

 魔物から亜人、様々な種族が交流する”平和”そのものを表現したかのような風景。

 だが、太陽の光が当たらない影では、この世界の闇が、堂々と行われている。

 

 ――この世界に人間がいらないという闇が。


「おい、商品の分際で座ってんじゃねぇ! 今日は、てめぇを欲しがる豚どもから金を巻き上げる日なんだ!」

 鎖を持つ、体長1mにみたないゴブリンの怒号が響き渡る裏路地。

 鎖の先は、ボロ切れを身にまとい、恐怖なのだろうか体を微かに震わせる少女の首につながっていた。

 少女は、両手足を鎖で固定され、両目からは生気を感じることはできない。

 まるで、ただ、ゴブリンの罵声を聞き、指示に従う”奴隷”だった。

「おら! しみじみ歩け!」

 ゴブリンの指示に、少女は、おぼつかない足取りで進む。

 病的に弱弱しい体を引きずるようにしてたどり着いた場所は、木製の舞台。

 観客は、大金を握りしめ、下衆の表情を浮かべる人間ではない者たち。

 少女は、観客を見て、狂った笑顔を振りまいた。

「さぁ、みなさん! 人間の女! 文字が読め、家事ができる有能物件が50万G! 50万Gからだよ!」

 ゴブリンからでた「文字が読める」という言葉に、下衆な種族からざわめきが起こる。しかし、購入の意図を示す言葉は出てこなかった。

 歓声に近いざわつきを制するように、ゴブリンは、木製のトンカチでバケツを叩き、注目を集めて、叫んだ。

「なんと、この奴隷、未開発! 未調教で拷問なんて体験いたことがない! ない! ない!」

 目を血走らせ、唾をまき散らすゴブリンの叫び。直後、ざわめきだけの群衆から声が上がった。

「俺は、55万Gで買うぞ!」

「ぼくちんは、100万Gだすぞい!」

「吾輩は、110万だそう」

「115万!」「120万!」「140万!」「170万!」

 当初の50万Gから額は面白いように跳ね上がる。

 なぜなら、ここにいる下衆の種族が求めるのは<使える奴隷>ではない。

 <泣き叫び、苦しんで死ぬ>の奴隷なのだ。

「よし! そこの、ひげを生やしたダンディな旦那の200万Gで、商談成立だ!」

 ゴブリンから出た「商談成立」という言葉、それは、舞台に上がる少女にとって”死”を意味していた。

 生気の感じられない目で、狂気の笑顔を振りまいていた少女から、1粒の涙が零れ落ちた。

 この少女は、最後に、何を思ったのだろう。

 奴隷商人のゴブリンに殺意を感じたのか、死に対する恐怖を感じたのか、それとも――勇者を憎んだのか。

 舞台に残った1粒の涙を最後に、少女は、世界から姿を消した。


 そんな光景を、群衆から離れた屋台の前から見つめる姿があった。

「旦那、こんなに天気がいいのにマントなんざ被ってたら、太陽が泣きますぜ?」

 男が立ち止まる屋台のイノシシのような魔物の店主は、椅子に腰かけながら、男に話しかける。

「種族柄、どうしても太陽は苦手でね」

 男の声は渋く、マントのフードを深く被り直し、笑みを交えた言葉で返す。

「それは、不憫ですな」

「あぁ、とっても不憫だ。 店の前で立ち止まって申し訳ない。 そこの果物を5つほど貰うよ」

「お、気前がいいね。 不憫な旦那に、これは、俺からのおまけだ」

 どす黒い牙を見せる笑顔で、店主は、袋に赤い果実を6個入れ、男に手渡した。

 果物とお金を交換してその場をあとにしようと体の向きを変えたとき、怒号が響く。

「このクソガキ! 俺の金を盗みやがって! ニンゲン風情が!」

 叫び声が聞こえるのは、先ほど奴隷商が行われていた群衆の中からだ。

「離せ! くそ! 離せ!」

 豊満な体に宝石を身に着けた貴族風のオークに捕まれる少年。

 少年は、先ほどの奴隷と同じ人間だった。

 口元をボロ切れで隠し、そこから見え隠れする褐色の肌、決して立派とは言えないが、盗賊を連想させる身なりで、無意味な抵抗を繰り返していた。

(人間か……学ばないな)

 果物を持つ男は、その光景を眺め、思った。

 この世界には、人間が全く存在しないわけではない。

 ただ、存在している、として扱われないのだ。

 魔物たちからの恐怖に身を隠し、ひっそりと生きている人間は、あの少年のように盗みや殺しを犯す。

 男は、その場から逃げるようにマントを揺らし、少年とは逆のほうへと向きを変える。

 その時――

「お前みたいなクソガキには、教育が必要なようだ。 一生、忘れられない教育がな。 おい!」

 少年を掴むオークの声に、周りから共通の黒い正装で身にまとった従者が現れ、少年を地面に押さえつける。

「人間殺されるって!」

「ほんと!? 身に行こ!」

「ママ~ ニンゲンさんが殺されるって! 私も見たーい!」

「だめです。 ニンゲンごときに、さん、なんてつけちゃ。 それを、守れるなら見に行きましょ」

 男は足を止めた。少年殺害ショーを見るべく、男の脇を通り抜ける魔物たちの目は輝いており、それが、男の記憶をかき混ぜる。

「さぁ! やれ! 殺れ! ヤレ! 」

「や、やめろ!……やめて!、助けて!」

 この世界に、少年の味方をするものなどいない。

 同族でさえも、鎖を揺らし、目をそらして、奥歯を噛みしめる。

 人間の弱さが、過去の傲慢さが招いた現状なのだ。

 太陽の光を受けて、鋭く光る剣先は、床に腹這いにされている少年の首へと振り下ろされた。

 刹那、真っ赤な液体が宙に花を咲かせる。

「どうにか、この少年を許してくれないか?」

 黒服から振り下ろされた剣は、男の持つ紙袋を切り裂き、途中で止まっていた。

 紙袋から滴る真っ赤の果汁は、男の腕を伝う。

「あぁ? 邪魔をするのか? 」

 フードを深く被る男には、敵対心ではなく、警戒心がもたれる。

「少し、情が沸いてしまってね。 どうかな、これで許してくれないか?」

 男は、マントに手を滑り込ませるとジャラジャラ音を立てる革袋を差し出し提示する。

「大体、15万Gほどある。 どうかな?」

 だが、この提示は金を腐るほど持つ魔物にとって侮辱でしかない。

 男の手元にある革袋は、貴族風オークによって地面にたたき落とされた。

「舐めているのか? お前も殺すぞ?」

 男の顔にゼロ距離で近づくオークの口からは、悪臭と不快感のある音が聞こえる。

 しかし、男は、屈せずフードの下で笑みをこぼした。

「これは、失礼した。 じゃ、これならどうだ?――魔物風情が」

 男は、最後、余裕のある声を低くし、マントを脱ぎ棄て肩を見せた。

 それを見た貴族風オークを含め、周りにいた群衆は、小さな悲鳴を漏らし、一歩後ずさる。

 右肩にある竜を模ったあざに、見慣れぬ銀髪とひげ面……総合して、40代後半のおっさんだ。

 男に睨まれるオークは、ジリジリと後ろに下がり言い放つ。

「く……今日は、貴様の無様な金で勘弁してやろう。 行くぞ!」

 竜のあざが刻まれたおっさんを前に惨めな言葉を吐き捨てて、貴族風オークは黒服とともに消えていった.

 銀髪のひげ面おっさんは、意識を失い倒れている少年を肩で抱え、周りを取り巻く野次馬を視線だけで退けさせた。

 時によって善意は、最悪なシナリオの伏線となりうることをこの時、男は理解していなかった。

 過去に憎まれ、現在に蔑まれる物語が、ゆっくりと幕を開けたのであった。

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