ひかる少年を救え!

 上之宮コンツェルン。歴史を辿れば戦前の財閥にまでさかのぼる、巨大企業グループ。

 玲菜は、その創始者の直系に当たるのだという。見た通り家も立派で、玲菜が自由に扱える資産もひかるが聞いても理解することすら難しい程のものだ。

 政府にも太いパイプを持ち、ひかるの情報も簡単に手に入れることが出来たらしい。

 これ程の存在を一時的とはいえ味方につけられたのは、ひかるにとって大きな光明だった。

 政府は現在血眼になってひかるを捜している――というのは玲菜から教えられた情報だった。政府の極秘事項まで筒抜けとは、本当に恐ろしい。

「その宇宙人と、話し合いには持ち込めないの?」

 ひかるはまずそう訊いた。

「そんなこと、もう政府はやってるわ。でも一蹴されて、今の結論に至ったのよ」

 当たり前か――とひかるは肩を落とす。

 玲菜の屋敷の一階、ひかるの家全体の土地よりも広いのではないかと思われる程広大なリビング。そこに置かれた革のソファの前の方に委縮しながら腰かけ、ひかるはミルクと砂糖を入れた紅茶を警戒しながら飲んでいた。

 反対側に腰かける玲菜はソファに深く身体を沈め、同じ紅茶をストレートで飲んでいる。

「宇宙人をやっつけても、僕の頭の爆弾が消える訳じゃない……」

 玲菜はそれを聞くと鼻を鳴らした。

「勿論その通りだけど、今の地球の技術力で地球を破壊するレベルの超小型爆弾を製造出来る相手に勝てる訳はないわ。そういう意味では、あなたは最後の希望かもね」

 なんという皮肉だろう。

 ひかるの頭の中にしかけられた爆弾の位置は、脳幹と小脳の間という到底生きたままの摘出は不可能な場所だった。どんな神業を持つ医者だろうと、摘出は出来ない。それどころか無理に摘出しようとすれば即爆発する。

「本気で助かるとでも思ってるの?」

 紅茶を飲み干し、カップをテーブルの上に置いてから玲菜が言う。

「それは、でも――」

「だめもとです!」

 底抜けに明るい声がした。赤い髪の先端の一部が触覚のように上に跳ね上がった、妙な格好をした少女が立っていた。

「諦めたら駄目です。駄目でもともとです。だめもとです!」

「愛流、早く下げて」

 玲菜が冷めた声で言うと、少女は我に返ったように声を上げ、慌ただしく玲菜のカップを手に持った。

「す、すみません! あ、初めまして」

 少女はひかるの方を向き、勢いよく頭を下げた。ひかるはカップを落とすのではないかとひやひやしていた。

「私、天見愛流っていいます! ここのお手伝いさんです!」

「僕は――」

 言おうとした途端、愛流は知ってます! と声を上げた。

「曽根川ひかるさん! 頭の中に爆弾を入れられた人!」

 愛流はひかるに迫り、右手にはカップを持ったままひかるの両手を掴んだ。

「だめもとです! 頑張ってください!」

 いや、駄目だったらそれは駄目だろう――頭の中にそんな考えが湧いたが、愛流の懸命な言葉に圧倒され、小さく頷くことしか出来なかった。

「愛流、もう下がって」

 玲菜にそう言われると愛流は再び奇声を上げた。

「すみません! 失礼します!」

 カップを手に持ち、足早にリビングを出ていく。

「あの子は?」

「お手伝いよ。色々複雑な事情があって、高校に通いながら家で働いてるの」

 そういえば今日は土曜日で、学校は休みだ。あの部屋に入れられてたった一日で曜日の感覚を忘れてしまったらしい。

 ひかるは紅茶を飲み終え、ふと頭をよぎった考えを口にしてみる。

「宇宙は――広いよね」

 とうとう頭がおかしくなったか、とでも言いたげな顔で玲菜がひかるを睨む。いたたまれなくなり、ひかるは慌てて続きを話す。

「いや、宇宙は広いんだから、僕の頭に爆弾をしかけたの以外にも宇宙人はいるんじゃないかって――」

「それは到底――」

「宇宙人さんはいます!」

 再び底抜けに明るい声。横を向くと何故か真面目な顔をした愛流が立っていた。

「私の昔いた土地には宇宙人さんがいました。そう話してくれた、お父さんが」

 最後の辺りになると、愛流の声は沈んでいった。

「あれ……? 変だな、私、思い出して、なんで……」

「愛流!」

 玲菜の声にびくりと身体を震わせ、愛流は目を右腕で何度も擦った。

「すみません! あ、カップをお下げしますね!」

 今の愛流の声は、ただ大きいだけで明るさというものはない。

 愛流が去ると、玲菜は大きく溜め息を吐いて立ち上がった。

「あなたに出来ることはないわ。私が情報を集めておくから、この家の中で大人しくしていなさい」

 玲菜はそう言ってリビングを出ていく。

 ひかるはといえば、自分の想像を絶する程の豪邸に一人取り残され、無性に心細かった。

 とりあえず、ずっとここにいる訳にもいかないということで、ひかるは立ち上がり、玲菜の出ていった方ではなく、愛流の出ていった方に向かった。玲菜の向かった方は二人が玄関から入ってきた方でもあるし、何より主人よりは使用人の方が自分には分相応だろうと思ったからだ。

 ドアはなく、直接廊下に通じている。この廊下も広く、ひかるは隅の方に縮こまりながら歩いた。

 廊下の横にはいくつかドアがあったが、ひかるはそれを開けずに真っ直ぐ廊下を進んだ。その先はドアがないが大きな部屋があることがわかる。

 中に入ると、広大な空間にそれにふさわしい大きな机と豪奢な椅子が一脚だけ置かれていた。

「食堂かな……?」

 徹底的に手入れは行き届いているが、どこか陰気な感じを受ける。やはり部屋と机の大きさに椅子が一つだけというのが妙な印象を与えるのだ。

 この部屋を過ぎると、すぐにキッチンだった。そこから、すすり泣く声が聞こえてくる。

 ひかるはぎょっとして声の主を捜した。

 跳ね上がった赤い髪の毛。うずくまり顔を押さえていたが、それで愛流だとわかった。

「あの、天見さん……?」

 恐る恐る声をかけると、愛流ははっと顔を上げ、慌てて目を擦った。

「す、すみません! お見苦しいところを!」

「いや、僕こそごめん……」

「ひかるさんは悪くありません! それより、何かご用ですか?」

「ううん、用はないんだけど、屋敷の中を歩いてたら、その――」

 ひかるが言い淀み、愛流も口を閉ざしてしまったので沈黙が訪れてしまった。ひかるはそれを破ろうと声を上げる。

「と、とりあえずここじゃなくてどこか座れるところで落ち着いた方がいいよ。一緒についてくから、案内してくれない?」

「でも私は――」

「いいから! 早く!」

 ひかるは愛流の手を取り、キッチンを出て食堂を抜け、廊下に出た。

 愛流は廊下の途中にあるドアを指差した。そこを開けると、殺風景な寝室だった。ベッドと箪笥、後はテレビくらいしか置かれていない。

 ひかるは愛流をそのベッドに座らせ、自分は少し離れた場所に立っていた。

「あの、天見さん」

「愛流でいいです」

「じゃあ愛流。その、よかったら聞かせてくれないかな……?」

「何をですか?」

「いや、その、なんで泣いてたのかっていうのを。勿論厭だったら無理には訊かないけど、話した方が楽になるかもしれないし……」

 そう言うと愛流は小さく笑った。

「ひかるさん、自分が大変なのに私なんかの心配をしてくれるんですね」

 ひかるは力なく笑った。

「僕自身の問題はそれこそ地球規模だけど、目の前の問題は放っておけないよ。ごめん、なんか変かな?」

 愛流はそれを聞くと声を立てて笑った。

「いいえ。嬉しい、です」

 愛流は大きく息を吸い込み、吐き出す。

「じゃあ、お話しします。私は高知の山の中で、両親と暮らしていました。でもそれも私が幼い時まで。両親は離婚して、私はお母さんと一緒にこっちに出てきました。そして玲菜さんのご両親がお母さんをこの家で雇ってくれました。住み込みでお手伝いをするのに、私も一緒に家に置いてくれて、同い年の玲菜さんとはよく遊んでもらったことを覚えています。でも、玲菜さんのご両親と私のお母さんは、二年前の地震で揃って亡くなりました。

お母さんがいなくなったことで、私はお父さんのことを思い出すことが多くなりました。それまで忘れたとばかり思っていた思い出が、ふと蘇るんです。さっきもそうです。昔、お父さんが話してくれた、宇宙人さんの話。でも、こんなの駄目なんです。私は玲菜さんの傍にいなくちゃ駄目なんです」

「何でそんなに玲菜のことを?」

「玲菜さんは、ただの雇い主じゃありません。私の大切な方なんです。ひかるさん、玲菜さんが何故地球を壊そうとするのか、わかりますか?」

「いや……」

「玲菜さんは、ご両親が亡くなる前まではそれは明るい方でした。でも、二年前の地震でお二人を失って、悲しみの淵に立たされてしまったんです。地震は何のために起こるのか。地球のためです。玲菜さんはご両親を奪ったこの不条理な地球に復讐をするおつもりなんです」

「それは――おかしいよ」

「私も、そう思います。でも、玲菜さんの決意は固いものです。だからこそ、玲菜さんの傍には私がいなくちゃ駄目なんです。私がいなければ、玲菜さんはきっと壊れてしまわれます。だから、お父さんのことなんて思い出しちゃ駄目なんです。私が玲菜さんの許を離れるなんてことは、あってはならないんです。そしたら、玲菜さんは本当に一人になってしまう……」

 そうか――ひかるはこの少女の心中の葛藤がありありとわかった。

 いつも一緒にいた玲菜。思い出の中で微笑む父親。今大切だと思う玲菜は家族を失い、ただ愛流だけが身近な人間。しかし家族を失ったのは愛流も同じ。だが愛流には遠くに生きた肉親がいる。愛流がその繋がりに魅かれない訳はなかったが、そんなことをしてしまえば全てを失った玲菜を傷付け、二人の間は離れていってしまう。

「――僕が、何とかする」

「え――」

「玲菜を傷付けないように、愛流がお父さんに会えるように。そうだよ、愛流はお父さんに会わなくちゃ。下手したら後一週間もしない内に地球がなくなっちゃうかもしれないんだ。悔いを残すのはよくない」

「でも、ひかるさん――」

「勿論、僕自身の問題を諦めた訳じゃない。どんな手段だって試みるよ。でも、それとこれとは話が別。言っただろ、目の前の問題は放っておけないって」

 まずは玲菜だ――ひかるは愛流に笑いかけると、部屋を後にした。

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