幻燈屋

さいとし

第1話

 客は初老の男だった。和服を着て、眼鏡をかけた、いかにも気難しげな客。彼は店に入ってくると、喫茶店風の店内をゆっくりと見渡した。この内装は手間をかけたものだ。ガラス窓から差し込む淡い光。漂うのは木の香りと、微かな葉巻の残り香。和洋入り交じった大正風の珈琲屋、そんな雰囲気を目指している。


「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか」


 アイはカウンターを出てお客に声をかけた。男はうろんな目つきで若い店員を一瞥すると、口を開いた。


「部屋に置くための小物を探しているのだが。ここの店の品物は私の趣味に合うだろうと友人から聞いてきた。なにかないかね?」


 アイは少し首を傾げる。


「どれくらいの大きさのものがよろしいでしょうか。例えば、こちらなどはどこにでも置けて、非常に便利な商品ですが」


 アイはカウンターに戻り、万年筆付きのメモ帳を取ってきた。男の目の前で、さらさらと適当な文章をメモに書き付け、その紙をピッと切り離す。すると、二人の背後から、制服を着た腕が伸びてきて、メモをそっと受け取った。

 客が振り返ると、そこには郵便局員の格好をした青年が立っていた。詰め襟の制服に身を包み、黒い鞄を肩からかけている。青年ははにかむような笑みを浮かべると、受け取ったメモを大切そうに鞄に収め、二人に一礼して店を出て行った。


「お届けする時間や方法は指定できますし、あの配達員が口頭でお伝えすることも可能です。デフォルトですと、手紙はいつの間にか相手の方に届く、という形になります」


 アイがエプロンのポケットを探ると、そこにはさっき青年に渡したメモが入っていた。彼女がそれを床に放ると、紙はたちまち燃え上がり、灰も残さず消え去った。男はふむ、と鼻を鳴らす。


「デザインは面白いが、ありふれているし少々小さすぎるな。もう少し大きなものはないかね?」

「ではこちらはいかがでしょう」


 アイは店の奥に置かれた姿見の前に、男を案内した。木彫りの額にはめられた、高価そうな鏡。アイがその表面をそっと撫でると、鏡像が揺らめき、姿を変えた。映っているのは、店の中にそっくりだが微妙に違う部屋。四方の壁が本棚になっていて、カウンターにはタイピスト風の女性が立っていた。アイと男、二人の姿は映らない。

 鏡の女性がアイたちに気づき、軽くうなずいた。カウンターを出て、本棚の一つに近づき、本を取り出す。彼女がその本をカウンターに置くと、途端に鏡像は再び揺らめき、店と二人を映す鏡に戻った。

 アイと男性客はカウンターに歩み寄った。そこには、鏡の女性が持っていた本が置かれていた。アイは男に本を手渡した。本を開くと、白紙のページからピアノの曲が流れ出す。次のページを開くと、そこには映画のワンシーンが映し出されていた。どこかの海辺、親子が手を繋いで歩いているシーン。アイが指を鳴らすと、本は煙のように消える。


「どのようなメディアでも、このように取り寄せられます」

「なるほど。これは悪くない。しかし、こうしたものも全部幻だと思うと空しくはないかね。手間もかかるし」


 その質問にアイはにっこりと笑って答える。


「たとえすぐに消える幻だと判っていても、物語は人の心を豊かにしてくれる、と私は考えています」


 男性客はなるほどな、とつぶやく。そして、姿見を指さして言った。


「これをもらおう」


 そう言った瞬間、男はふっと消え去った。

 この仮想客にしっかりと対応し、商品を買っていただけた。うちの店員として十全。一部始終を奥の客席で観ていた私は、満足して立ち上がった。アイに歩み寄り、報告を求める。アイは対応にかかった時間、売れた鏡の値段などをすらすらと答えた。ありがとう、と言うと、アイは嬉しそうな笑みを浮かべる。私はアイの頭をぽん、と叩いた。すると、アイの姿はたちまち氷のように融け去り、私の手には髪飾りが一つ残った。

 さて、もう時間も遅い。店にぴったりの新しい店員も見つかったことだし、そろそろ寝るとしよう。私はアイの髪飾りをポケットに収め、手を一度叩く。たちまち、私の自慢の店は消える。お気に入りのカウンターも、姿見も、漂っていた葉巻の残り香も消える。ログアウト。

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幻燈屋 さいとし @Cythocy

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