卵の檻

 光の中、羽根が一枚、気まぐれな風の手にさらわれてゆっくりと舞いながら落ちていった。


 その羽根が地面に落ちたのを拾って、机の上に置いた。

 縦長の半紙に筆を滑らせる。

 達筆な文字が書かれると、桐箱の中に先程拾った羽根を入れ、蓋をし、そこに半紙を貼って封をした。

 そうしてその箱を手に蔵へ行き、棚に置く。

 そんな箱が整然と並ぶ様を眺め、息を吐く。

 別の箱を手に取り、今度は蔵を出、蓋の封を剥がし、蓋を開け、中から風が渦を巻いて出て行く様を見送った。


「あたしもいつか、この檻を出て消えてゆくんだろうかねぇ……?」


 ぽつり、そう呟きながら空の箱の底を眺め、そっと蓋を閉じた。


***


 紅い着物に黒い帯。

 短い黒髪をかき上げ、L字に曲がった大きな蔵の鍵を手に、気鬱そうに女は蔵の重い引き戸を開けた。

 引き戸の向こうにはさらに木の引き戸があり、鍵穴に鍵を差し込む。

 近頃の鍵とは異なり、蔵の鍵というのは開けるのにコツがいる。

 もう二千年の間繰り返しているので慣れてはいるが、人に見られながら開けるのは初めてのことだった。

 だから少しだけ手間取った。


 引き戸を開けると、蔵独特の古い黴臭さが鼻をつく。

 蔵といえどここは特別で、屋敷と呼べるほどに広い。

 中には棚があり、そこには桐の箱が整然と並べられている。

 きちんと棚に整理され並べられているとはいえ、びっしりと箱が詰められている様は圧巻である。


 ここが『箱館はこやかた』と呼ばれる所以でもある。

 高価な茶の椀でも収められていそうな箱の蓋部分には、よく見ると達筆な文字が書かれた紙で封印がしてある。

 入り口に鍵を置き、箱の一つを手に取る。


「よくここが分かったねぇ」

 女はそう言って背後を振り返った。


 蔵の入り口に紅柳こうりゅうがいた。

「あなたがここのあるじゴウ……ですね?」


「もっと長い名があるが、よく呼ばれる名はそれだねぇ」

「……ここはどういう場所なのですか? その箱の中身は……?」

「最高機密だ。ここも、あたしもね。名さえ口にしてはいけない。だから、今すぐ立ち去れば不問にしてやろう」

「去らねば?」

「最高機密だと言ったろう? お前は賢い男だと思ったが違ったか?」

「真実が知りたいだけです」

「お前の言う真実とは何のことだい?」

「……半身のことです。なぜ半身彼らはここから出られないのですか?」

 紅柳の問いに勾は楽しそうに笑った。


「ここを長く管理しているが、あたしにそんなことを訊いた人間はあんたが初めてだ。同じ疑問を持つ人間は今までたくさんいたけどねぇ、ここに来た人間もあんたが初めてだ。なぜここに来れた?」

「元老院に私の半身を送って調べました」

 一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにまた勾は声を上げて笑った。


「なるほど。納得がいった。では、その努力と執念に報いて一つだけ教えてやろう」

 勾はそう言って手にしていた箱を紅柳の前に翳した。

「ここに落ちて来た半身をここで管理するのがあたしの仕事だ。よってお前の半身が行方不明ではないことは知っていた。この箱に起きたことはそういうことだったか」

「……箱の中身は……半身……?」

「ああ、そうだ。でも、詳しい話はできない。最高機密、つまりお前の知る必要のないことだ」

「なぜ隠すんです?」

「言っただろう? 知る必要がない、と。あたしのあざなは十二字ある。意味が分かるな?」


 勾は急に表情を消してそう言った。

 そこには有無を言わせぬ迫力があった。

 字が多いほど、ここでは力を持つ。

 力というのは術的なことばかりではない。

 権限という意味での力だ。

 つまり、勾は紅柳をいつでも『処分』できる立場にある、と言っているのだ。

 術が使えても所詮は三字の紅柳は、これ以上この場に留まることはできなかった。



 紅柳が立ち去る背を見送って、勾は手にしていた箱を見つめた。

東輝トンフィ……今どこにいる?」

 勾が囁くと、箱の中から囁き声が聞こえた。

 が、その言語は人の言語ではなかった。

 それにしばらく耳を傾けていた勾の表情が徐々に曇っていく。

「……意外と鋭いな、お前のあるじは。濁った池に魚がいるか、石を投じて確かめるつもりか」

 ふん、と鼻先で笑って、勾は箱を元の場所に戻した。



 勾は蔵の最奥の巨大な姿鏡に向かい、深く一礼をした。

「お呼びだてして申し訳ありません」

 鏡に映る人物は無言でゆっくりと頷くように瞬きをした。

「術師の紅柳がここに来ましたので、ご報告をと思いまして」

 勾は紅柳がどうやってここを見つけたのか、半身がここを出られないことに疑問を持っていること、そして、紅柳の半身に起きた出来事を報告した。

 それを黙って鏡の向こうで聞いていた人物は勾の報告が終わると、少し間を置いて口を開いた。


「……勾、そこの管理に就いて何年になる?」

「約二千年になります」

「そうか……そろそろ変わるべき時が来たのやもしれんなぁ」

 その言葉に勾は眉をひそめた。


「間接的にそこの情報と記憶の情報を与えてやろう。そうすれば、その術師が禁を犯してくれるだろうよ」

「手助けするおつもりですか?」

「極秘にな。石を投じているんだろう? なら石を与えてやればいい。わしらは濁った池に魚がいると知っている。魚がいるなら水は清らかな方が良い」

「ですが……」

「案ずることはない。渡す石は二つ。元老院にいる半身に箱の仕組みを、術師には記憶を持つもう一人の存在を。それだけ渡せば、後は勝手に動いてくれるだろうよ」

 そう言って鏡は波紋のように波打ち、映っていた人物の姿を消した。


***


「白日?」


 白日がゆっくりと目を開けると、蓮の睨む顔があった。

 ゆっくり目を閉じ、再び開いただけのほんの一瞬だったはずだが、それでも蓮は何があったか理解しているようだった。

 少し前の玄月の様子を見ていたからだろう。

 蓮は普段白日のことを『シロ』と呼ぶ。

 心が玄月を『クロ』と呼ぶように。

 それが『白日』と正しく呼ぶ時はかなり怒っている時だ。


「……何を話した?」

 真面目な顔で問われ、白日は叱られた子供のような顔で蓮を見上げた。


「……カッコウの話について、少しだけ」

「お前もそんな術が使えたのか?」

「いいえ。ダメ元で呼びかけてみただけです。たまたま上手くいっただけで……」

「それで? 収穫はあったのか?」

「あったと言えるほどではありませんが……カッコウの例え話は半身と死神や術師との関係を指しているのだと……カッコウの卵は半身の例えだそうです。半身がここにいることで何かが犠牲になっているのだと……」

「カッコウの卵が半身なら巣の親鳥がわしらのことか?」

「恐らく。半身の名が組む死神と一緒に変わることの理由にも繋がることだ、と」


 そこで心が「あ」と間の抜けた声を出した。

 全員の視線が心に集まる。

 その心の視線は玄月に向けられた。


「そういえば、乾さんが記憶のことと箱がどうのって……」

 その言葉に玄月もああ、と頷く。

「箱って何のことです?」

「重要機密事項ってことらしいが、脅せば話が聞ける雰囲気だったぞ」

「なんだ、手っ取り早い方法があるじゃないか。ぐだぐだ話し込んで時間の無駄だったな」

 そう言うなり、蓮がツカツカと部屋を出て行こうとするので、慌てて白日が止めた。


「今から臥籠院に行くおつもりですか?」

「他にどこへ行く?」

「そこには乾だけではなく、坤もいるのですよ?」

「なら、紅柳と話するか? だが、奴もあまり詳しくはなさそうだぞ? 回りくどいのは嫌いだ」

「ですがっ……」

「乾だけ呼び出せばいいだろう? 何もそこで話し込まねばいけない道理もないんだ」

 と、突然部屋の扉が開いた。


 そこには黒いパーカーのフードを目深に被った男が立っていた。

「誰だ?」

 蓮の当然の問いに男はフードに手を掛けた。

 あらわになったその顔は、白日にとって衝撃的なものだった。


「……東輝トンフィ……?」

 その名に今度は蓮が言葉を失った。


「誰?」

 と玄月が小声で問うと、紅柳の行方不明の半身だ、と蓮が答えた。


 一同が理解したところで、男、東輝は悲痛な面持ちで申し訳ありません、と謝った。

「なぜ……謝るのですか?」

 白日が問うと、

「警告をしに来ました。紅柳はあなた方を巻き込むおつもりですが、これ以上は僕が耐えられません。何が起きているのか、まだお知りになりたいのなら、全力で止めます。でも、きっとあなた方は知りたいという気持ちを止められない。そう思ったので、先に謝りました」

「……処分を受けることは覚悟していますわ」

「そういう覚悟についてではなく、知ってしまわれることを危惧しています。よく言うでしょう? 世の中には知らない方が良いこともある、と」

「でも私達自身に関わる大事なことではないのですか? それは知っておくべきことではないの、東輝?」

 白日の問いに益々東輝の表情は悲痛に歪んだ。


「……カッコウの例え話をお聞きになったでしょう? あれは半身と死神のことです。名によって半身は縛られ、一緒に組む死神や術師にだけこころを向けることでここに留められるんです。全ては死神や術師のために半身はここに落とされ、一生をここで終えます。カッコウの托卵は自然の摂理。自然を変えることはできません。ですから、知ったところで何も変わらないのです。こんなこと、お知りになりたかったですか?」

「……紅柳はそれを正そうとしているのですね?」

「お止めするのが僕の役割です。でも、半身は所詮術師には抗えないのです」

「……ちょっと待て。今の話だと、カッコウは何の例えになる? 半身をここに落としている奴がいるってことだろ?」

 玄月の問いに一同の視線が東輝に注がれた。


「……それだけは言えません。ただ、紅柳もカッコウが何かは知っていますが、それを止める術は持っていないのです。だから、あなた方を巻き込み……特に鬼流様を巻き込むことで、どうにかしようともがいているんです」

「僕……? 僕がなぜ……?」

「門をくぐっても消えない記憶があるでしょう? それを保持しているのは今現在紅柳と鬼流様だけなんです。その記憶はカッコウの例えでは巣にあった卵を指しています」

「記憶って……僕は何も……」

「生前の記憶は残っていても良いのです。ただ、一つを除いて……半身と人とは常に依存関係にあります。半身をここから出したいと紅柳は申しますが、それではこの世界が崩壊します」

「結局、何もできないから黙れ、と言いたいのか?」

 蓮の言葉に東輝は頷いた。

「知るなと言っておいてそこまで話した理由は?」

「……だから、初めに謝りました」

 残念です、と東輝は言って手に隠し持っていた札を扉に貼ると同時に部屋を出、扉を閉めた。


 扉が閉まる音と同時に室内が一気に炎に包まれ、燃え上がった。

 それは一瞬の出来事で、その場の全員が一歩も動く間もなかった。


「鬼流様と花流様は重症を負いますが、消えることはありません。ですが、傷を癒すために恐らく記憶が飛びます」

 閉じた扉の向こうでそう声がし、そして去って行く音がした。

 だから饒舌だったのか、と一同は納得した。


 が、今はそれどころではない。

 術師はこういう場面を乗り切る術も持っているが、ここにいるのは死神とその半身。

 死神はただ魂を導くだけの役。

 術のようなものは何も使えない。

 対する半身は人ではない。

 玄月は元は化けカラスで、火を操っていた。

 が、白日は長く生きた猫が一度死んで別の魂が宿った存在。

 ただ人の言葉が話せたり、姿を変えることができる程度のモノだ。

 よってこの中で一番頼れそうなのは玄月だが、火を操れるといっても自らが発したもののみ。

 他人が発した火を操ることはできない。


 また、死神は既に死んでいるため、例えこのような状況でも死ぬことはない。

 が、半身は別だ。

 まだ死んでいないのだ。

 だから、この状況、半身の玄月と白日にとっては絶望的な状況だ。


 蓮が扉に駆け寄り、貼られた札を剥がそうとするが、徒労に終わった。

 心は窓ガラスに向かって、デスクの椅子をぶつけてみるが、ただのガラスの筈なのにヒビ一つ入る気配がない。

 扉は勿論、全員で体当たりをしても破れなかった。

 熱風と煙に白日は咳き込みながらその場に倒れ、玄月も苦しそうにしゃがみ込む。


「……いろいろ情報を得たのに……それがパアになるんは……困るなぁ」

 蓮も息苦しそうに、意識を手放しそうになるのを必死に耐えようと何かをブツブツ呟いている。


 死なないといえど、熱さや息苦しさは感じる。

 心もその場にしゃがみ込んで、倒れた白日と必死に耐えようとしている玄月を見た。

 二人を死なせたくないが、成す術が見つからない。


 早く何か手を打たないと、と焦る中、玄月もついにその場に倒れた。


***


「あら?」

 勾は何か感じるものがあって蔵へと急いだ。

 整然と並ぶ箱のうち、二つが異様な熱を帯びている。

 何が起こっているのかすぐに察し、再び蔵の最奥にある鏡の前に立つ。


「……エンが箱を二つ、壊してしまいました」

「それはちょっと想定外だったねぇ。箱はまだ無事かい?」

「ええ。まだ完全には……」

「それなら、焔の箱に傷を」

「……介入、されるのですか?」

「傷をつけるのはわしじゃない。わしは介入しない」

 その言葉に勾は眉間に皺を寄せた。

「勘違いするんじゃないよ。お前に手を貸せるが、箱のことはわしの範疇にない。それだけのことよ。分かるね?」

 勾は納得し、はい、と軽く礼をした。

 再び顔を上げると、そこには既に誰も映ってはいなかった。


「……これで本当に……?」

 勾は箱を手に取り、側面に親指の爪で傷をつけた。

「これで……?」

 勾はそう呟き、つけた傷を見つめた。


 僅かな傷だったし、込めた力も僅かなものだった。

 だが、その感触はしばらくその親指に残っていた。

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