夜の巣
木の上の巣には卵が三つ。
そこに四つ目の異なる卵が産み落とされ、親鳥は彼方へと飛び去った。
孵った雛は三つの卵を地上に蹴落とし、舞い戻ったその巣の見知らぬ親鳥に大きく口を開けて
親鳥は愛しい我が子が地上で果てたとは知らず、また我が子と疑いもしない目の前の雛が蹴落としたとも知らず。
本能でその巣の鳥を演じる雛は本当の親を知らず、帰るべき巣も本当はどこにもないとも知らず。
ただ本能のままに、互いに寄り添う鳥。
それは偽りだけれど、姿形は確かに違えどその間にあるのは、内なる気持ちは真実なのかもしれない。
知らない世界を知るまでは。
***
内装も純和風で古民家を思わせる。
が、離れの書斎だけは蔵の内装を洋風に改築されており、どこかの事務所の応接室のようだった。
そこは先日、
心と
が、三人に気づいてその足が止まる。
「どこまで話した?」
いつもの眠そうな顔とは違い真剣な顔つきに、心は少し緊張し、玄月は事態の深刻さを感じ取った。
デスクの上は紙の束が乱雑に積まれ、幾つか山になっていた。
白日に促され、先日と同じ場所に座る。
が、蓮は立ったままだった。
「臥籠院からのお遣いがいらっしゃったので、まだ何もお話しておりませんわ」
そう白日が説明する間に蓮はデスクから資料の束を掴み、白日の横に腰を下ろした。
「ならまずは紅柳が何を盗んだかを話すか」
そう言って蓮は一枚の紙を二人に提示した。
「盗まれた資料のコピーは存在しないがな、資料の原本はある。纏められる情報の項目がこれでとりあえずは分かるな。これを元に何が書かれていたか、情報を集めてみた」
紙には生前の情報を書き込むようになっていた。
氏名、家族構成、生年月日、住所など普通の役所で何かを手続きする時に書かされそうな事柄から、死因、死亡に至るまでの経緯、死亡した年月日などここ独自のそれらしいことなどの基本的な情報だった。
「この紙に纏められる情報は役所の人間なら簡単に手に入れられる。この他に生い立ちや特記事項などを纏めたものは、役所でも一部のモノしか手に入らない。が、わしらは部分的にだがその情報も得た。同時に紅柳のものも問い合わせたが、そちらはこの基本的なものさえ見ることができなかった」
「問い合わせた方によると、紛失扱いになってるそうですがそれは建前で、閲覧制限がかかっているとのことでした」
白日が補足する。
「断りもなく生前のことを調べて悪いとは思ったが、紅柳のことは以前から不審に思うことが多くてな。奴の半身が行方不明になる直前頃から悪い噂があったんだ」
「アレか? 危険区域を掃除する術師?」
玄月も聞いたことがあったらしく、反応した。
「そうだ。どうもそれは実験をしていたようだ」
そこで蓮の口が重くなる。
代わりに白日が口を開いた。
「……紅柳は生前の記憶を保持したままこちらに来ました。普通は門をくぐる際に消されるのですが、稀に消えずにこちらに来られる方もいるんです。消えない原因は未だに分かってはいませんが、それでも記憶の全てというわけではなく、一部が残ってるだけのようです。なので、再び消そうということはしないようです。でも、紅柳は気づいてしまったんです。残ってしまう記憶は共通している、と。それは、鬼流様も保持されている記憶です」
「僕も? 僕は生前のことなんて、何も覚えていません」
「それは
確かにあの時、心は驚いて安心した。
その気持ちは小空を知っていたことに起因するのか。
思い返してみるが、生前の記憶はやはりない。
戸惑う心を見、玄月は夢を思い出す。
小空の手を引く少年、それは子供の頃の心だった。
子供の時に心は小空と会い、助けたことがある。
あの夢が本当なら、だが。
「……同じ時に記憶を保持する者が二人いるのは珍しいことなんだ。どういう経緯で紅柳は
蓮はそう言って、先程からずっと手にしていた資料の束をテーブルの上に置いた。
「奴の半身は数年前から行方不明だ。半身がいないと死神だろうと術師だろうと仕事はできない。だから紅柳は小空が半身になるまで休職中だった。通常はすぐに次の半身が割り振られるか、自ら探しに危険区域に行ったりするものだ。だが、紅柳はしなかった。休職願を出して何かを調べていたらしい。ここ最近は鬼流の情報だったようだが、休職願が通ったことも半身が行方不明なのも、紅柳の生前の情報がないのも全て『普通』じゃない。休職は酷く傷ついて回復に時間がかかる場合や半身が怪我を負った場合にのみ認められる。半身がいないというのは理由にならない。仮に役所の役人がなる場合だってある。それはつまり、元老院に奴に協力している者がいるってことだ」
元老院。
それはこの世界の最高機関である。
つまり現世で言うならば国会議事堂のような場所だ。
この世界の法であり、秩序であり、全てを管理する場所である。
そこは長くこの世界にいるモノでも未知の場所で、関わることはまずない。
だが、そこにこちらから関わるということは、自殺行為のようなものなのだ。
それはまだあまりこの世界について理解していない心でも分かることだった。
話が意外にも大事になっていることに、心は驚きを通り越して戸惑いを隠せない。
「……鬼流様はご自分の意思ではありませんが、紅柳によって既に巻き込まれておいでです。何が起こっているのかお知りになりたければ、私たちがご協力……」
「回りくどいッ! 元老院が関わってて予想外にデカい話になったが、わしらは手を引くつもりはこれっぽっちもないッ。当事者のお前達がビビッても個人情報をもっと深く調べるので、そのつもりでな。以上ッ」
蓮はそう言ってソファから勢いよく立ち上がった。
「……あんた九十なんだって? もうすぐこっから出て生まれ変われるってのに、こんなことやってたら永遠に出られなくなるぞ?」
玄月が見上げると、蓮はきょとんとした表情で、
「こんなおもしろいことに関わらんかったら生まれ変わっても後悔するわ!」
その言葉に白日は横で僅かに苦笑した。
***
「カッコウという鳥は巣を持たないらしい」
唐突に降って来た言葉に、玄月はハッ、と顔を上げた。
目の前には見知らぬ男が座っている。
見回せばそこはどこかのテラスで、テーブルの上にはまだ入れたての紅茶と手つかずのケーキがあった。
玄月のその様子に男は苦笑する。
「私の話は居眠りする程つまらないか?」
言われて玄月は反射的にいや、と否定した。
「それならいいが……ああ、カッコウの話だったな」
男はそう言って話を続けたが、玄月は状況を飲み込めてなかった。
自分がなぜここにいるのか、目の前の男は誰なのか、さっぱり思い出せなかった。
「カッコウは別の鳥の巣に卵を産み、その巣の鳥に我が子を育てさせる。カッコウの親の役目はそれだけ。自分で育てることはしない。別の巣で孵り、その巣の鳥の卵を全て排除した上で、その巣の親鳥に餌をもらって育つんだ。その巣の親鳥は自分の産んだ卵が捨てられたとは思いもせず、カッコウを我が子と信じて育てる。変わってると思わないか?」
ああ、と生返事を返して、玄月は思い出す。
そういえば、花流たちとこの紅柳について話していたはずだ。
その当事者が目の前にいる。
「コレ夢だろ。この間もお前か?」
「そうだ。ここは密談をするにはちょうどいいのでな」
「じゃあ、さっさと本題に入れよ」
「もう入ってるさ。カッコウは例えだ。まるで私達のようだと思わんか? ここがまさにそのカッコウの巣なんだよ」
男はそう言って薄く笑む。
「そんな回りくどい言い回しは好きじゃないし、俺はまだあんたの名前すら聞いてないんだけどな?」
玄月はそう言って男を睨みつけたが、男はそれに怯むこともなく、にこりと笑みを浮かべたままの表情で話す。
「名前には力がある。名前がなければ何にでもなれるが、名前があるお陰で多かれ少なかれ、自分を保っていられる。だからお前のようなものにも名前が与えられる。名前は崩壊を防ぐ結界のようなもの。だが、それと同時に名前は自我を操る呪文と同じ。だから、そうやすやすと教えられるものではない」
男は低い声で笑む。
「……あんたが俺の死神調べてる術師の
「知ってるじゃないか。ここにはそう長い時間留まれないんだ。続きを話してもいいか?」
「その前に、あんたに協力してる元老院の人間は誰だ?」
玄月はその問いに紅柳が驚くと思った。
だが、紅柳は予想に反して玄月が拍子抜けするほどにあっさりと口を割った。
「
そしてその人物は玄月が期待するようなモノではなかった。
つまりは人間ではない、玄月と同じ人ならざるモノだ。
「時間がない。カッコウを探せ。ここには隠されている場所がある。鼻の利く死神もいるようだが、鼻が利きすぎるのも問題だな」
男はそう言って楽しそうにした。
長く死神の半身をして、長くここにいる。
だが、術師とこうして話をするのは初めてだったし、第一仕事で関わることはほぼない。
術師関係の出来事に出会っても、役所に報告するだけで、実際に直接術師に報告することはないからだ。
術師とは皆こんな感じなのだろうか。
多分、猫が毛を逆撫でされるような、妙に心地悪いざわざわとした感覚が背筋を撫でる。
「……一体何を知ってるんだ?」
「お前が知らないことだ。例えば私も鬼流も門で記憶が消えなかったこと、あるいは
そこで男は玄月の反応を窺うように少し間を置いて。
「ここから出たいか?」
そう訊いた。
***
「クロ?」
心の心配そうな声に顔を上げる。
目の前には蓮の怪訝な表情がある。
その横に視線をやると、同じように怪訝そうな白日の顔があった。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐにまた夢を見ていたのだと理解した。
そしてその夢は多分ほんの少しの間、一分程度の短いものだ。
そのことを黙っていようかとも思ったが、一人で抱えられることでもない気がした。
全てを話す必要はない。
共有すべきことだけを話せばいい。
「……紅柳に夢を見せられた」
その言葉に全員が驚いたが、心は自宅に乾が訪れた時のことを思い出していた。
あの時も玄月はこんな風に一瞬意識が飛んだようにぼうっとしていた。
「カッコウの例え話をされて、カッコウを探せと言われた。あと、元老院の協力者は焔という奴らしい」
「カッコウ? それは何のことだ?」
「分からない。でもここがカッコウの巣だって言ってた。あいつは何か……この世界に疑問を持ってた」
「……まずはカッコウが何か探らなくてはな。だが、なぜ奴は鬼流じゃなくお前に夢を見せてまで接触を図ったんだ?」
「それは多分、人より私達の方が術が効きやすいからだと思いますわ。それに、鬼流様は記憶を保持されているにも関わらず、ご自分で意識できないのは恐らく無意識に表面化しないように押さえ込んでいるからかもしれません。そういう時はこういう術は効きにくいことが多いですからね」
三人がアレコレと話している間、当事者の心は黙って聞いていた。
が、ただ話についていけないとか、落ちこぼれなので理解できないとかそういうことではない。
自分のことについて話がどんどん大きく進んでいくことに、若干不安などを感じてはいるが、ただ何か違和感があった。
それが何か考えていたのだ。
そして、あることを思い出した。
「……クロ、カッコウの例え話ってどんなの? それって臥籠院の乾さんが言ってた『箱』に関係ありそう?」
唐突に口を開いた心の疑問に、玄月が答える前に蓮が反応した。
「『箱』って何の話だ?」
「乾さんが言ってたんです。僕の盗まれた情報は生前の情報と機密文書だって。機密の内容は記憶のことか箱関係のどっちかだ、と。だから、盗んだ紅柳さんが探せと言うなら、どっちかのことじゃないかなって……思ったんです……けど……」
自信なさそうに弱々しくなった語尾に、その場の誰もが確信した。
「カッコウが箱のことなら、その例え話は何の例えになる?」
だが、蓮の問いに玄月は答えられなかった。
「『箱』が何のことか俺には分かんないんだけど、あんたらは知ってるか?」
代わりに問いで返したが、それにも誰も答えられなかった。
「やはりまずは『箱』について調べなくてはいけないようですね。でも、例えはどんな話だったんですか?」
「カッコウは自分の巣を持たなくて、別の鳥に自分の卵を育てさせるらしいんだ。餌の奪い合いを防ぐために、先に生まれたカッコウの雛はその巣の卵を全部蹴落とすんだって。托卵の習性についての話だった」
「托卵……ここが巣だと紅柳が言ったんだな? なら、ここに箱があるせいで、ここに元々あったものが捨てられている、ということか? いや、違うか。箱がカッコウなら箱の中身がカッコウの卵になるのか?」
「そうですね。箱というのは入れ物です。入れ物というからには中身があるはずですし、中身の方が大抵重要ですものね」
白日はそう言って、頬に手を当てて考え込んだ。
紅柳は前の半身が行方不明になっている。そして、半身について何か実験をしていた。だから、多分、彼の目的は半身に関わることのはずだ。
そういえば以前、紅柳は半身について疑問を感じていた。
「なぜ彼らはここに落ちて来るんだろうな。それになぜ帰れないんだろう?」
その疑問をずっと解決しようとしていたのだとしたら?
そう考えると紅柳の行動に納得がいく気がしたが、それは逆に白日の中に暗い影を落とした。
***
目を閉じると暗闇が広がった。
再びゆっくりとその目を開ける。
だが、世界は暗闇に包まれたままだった。
「……本当に来てくださるなんて思いませんでしたわ」
白日はそう言って振り返った。
そこには紅柳の姿があった。
「久し振りだな。
「ええ。カッコウの例え話、私も詳しくお聞きしたいと思いまして」
「……何の例えか分かったようだな」
「いいえ。でも私達半身に関することでしょう?」
「ああ、そうだ。お前達はここから一生出ることは叶わない。だが、もし出れるとしたら出たいと思うか?」
「いいえ。私はもうここで一生を終える覚悟はできています」
「お前の死神が出て行っても?」
「……ええ。カッコウの例え話は出口の話なのですか?」
「多分な。まだ分からないが、そうだと思っている」
「それは元老院の協力者の情報ですか?」
その問いに紅柳は軽く笑った。
「カッコウの例え話を聞きに来たのだろう? この空間には長くはいられない。元老院とカッコウ、どちらの話を聞きたい?」
どちらも、と答えたかったが、白日はカッコウで、と答えた。
「……カッコウは巣を持たない。他の鳥の巣に卵を産みつけ、本当の親鳥は子育てを一切しない。代わりに産みつけられた巣の鳥が世話をするんだ。自分が産んだ卵はそれより先に孵ったカッコウによって、全て地面に蹴落とされてしまってるとは知らずにな」
「托卵でしょう? それは知っています。知りたいのは何を例えているのか、です」
「考えたんだが、もしカッコウにも巣があったなら、別の鳥の巣に産みつける必要もなくなるし、その巣の卵も死なずに済んだと思わないか?」
「……考えずともそれはすぐに誰でも思い至ることですわ」
「ああ。だが、それを変えようと思う者はいないだろう? それが自然だと教え込まれているからな。だが、もしそれが自然ではなかったら? 落ちていく卵を止めることはできるはずだ。カッコウは卵を一つ産みつけるだけだが、その巣の卵は時には三つ以上ある。それを知ってて隠しているのなら、誰かが教えてやらねばならない」
「ですから、それは何を例えてらっしゃるのです?」
「分からないか? 孵ったカッコウはそこが自分の巣だと信じている。餌を運んで来る親鳥より大きく育とうと、それが自分の親だと信じている。本当の巣はどこにもないことも、本当の親鳥はここにいないことも知らない。だがもし、カッコウにも巣があったなら、他の鳥の卵が犠牲になることもないし、本当の親鳥に育ててもらえる。だが、そうならないのはそれが自然で、それが本能だと刷り込まれているからだ。もし、半身がここに落ちてこなければ、こんなところで一生を終えることもない。こんな場所に縛られることもない。これが自然か?私はそれが自然だなどと認めない。そんな自然があってたまるか」
「……カッコウの卵は……半身のこと……?」
白日の言葉に紅柳は肯定とも取れる笑みを浮かべた。
「半身がここに落ちて……何かが犠牲になっているのですか?」
「これは半身と私達の関係のことだ。なぜ半身の名前が変わるか疑問を持ったことはないか?」
名前、と白日は口の中で繰り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます