邯鄲(かんたん)の夢

 ひらり。


 桜が舞った。

 気紛れな風の手にさらわれて、ひらりひらりと舞いながら。

 ゆっくりゆっくりと落ちて行く。

 それはやがて池の水面に僅かに波紋を広げる。


***


 目を開けると真っ暗な闇の中にいた。

 すぐにそれが夢の中だと気づく。

 夢を見ているのではなく、見せられている。

 その感覚はすぐに分かる。

 玄月は周囲を見回すが、誰の姿も気配すらなかった。

 でも、見られているという感覚がある。

 瞬きをすると、いつのまにか周囲の風景が病院に変わっていた。

 大きな病院の病室の前。

 そこは見覚えがあった。


「試験の日か……」


 心が試験に落ちた時だ。

 ここで老人の魂を引き継いだ。

 試験の内容はとても簡単なものだ。

 落ちる方がどうかしてるくらいに。


 儀式的というか形式的なもので、子供のお使い程度の内容なのだ。

 別の死神から魂を預かり、それを川辺から船頭に引き渡す。

 短い道程を魂と一緒に歩くだけと言ってもいい。

 バージンロードを歩くのとそう変わらない。

 ふいに病室の扉が開き、心と老人が出て来た。

 その後を玄月は追う。


 大きな病院だったが、二人は無事に外へ出る。

 病院を出てすぐ五分も歩かないうちに川土手に出る。

 わざわざそういう簡単な場所を選んでいる。

 だから、玄月は二人の後をかなり遅れて付いていったのだ。

 玄月が病院を出たところに心が慌てて戻って来て、老人とはぐれたと言ったのだ。

 玄月がしっかり監督していなかったということもマイナスになったが、簡単なことができなかったということでその時点で試験に落ちた。

 その後別の死神によって老人は見つかり事態は収束したが。


 今は心のすぐ後ろを歩いている。

 二人は無事に川辺に辿り着いたが、そこに現れたのは船頭のセンではなく、見慣れぬ男だった。


「……術師?」

 見ただけでも死神や術師の区別はなんとなく分かる。

 だが、心はそれが術師だとは分かっていない。

 船頭すら見たことがないのだろう。

 彼岸に渡るのに船頭を必ずしも利用するわけではない。

 だから、心は術師を船頭だと思って老人を引き渡し、後から来たセンと会って慌てたんだ。


 あの日の、心が試験に落ちた理由が分かった。

 単純に鈍感だとかそういう理由ではなかった。

 玄月がそう納得したところで、再び周囲の風景が変わる。


 今度は桜の木の下だった。

 側に小さな池がある。

 そこは『あの公園』の桜の木だ。


 たまたま偶然辿り着いた公園で、たまたま偶然あの女の子と出会った。

 老人を探して途方に暮れていた時だ。

 試験に落ちた、と落ち込む心と公園のベンチで休憩をした。

 そこで見つけた女の子は、既に身体が死んでいた。

 死んでいる魂を無理矢理桜の木の魂で身体に繋いでいたのだ。

 そういうことができる人間がいる。

 いわゆる呪術とかそういったことだ。

 それで金を稼いでいる連中がいる。


 そういえば、そういった連中は術師が調べて術を解いて元に戻したり、呪術が使えないようにしたりと奔走するのだが、この件についてその後どうなったか何も噂も聞いていない。

 術師の仕事を死神が耳にすることは滅多にない。逆も然り。

 でも自分が関わったことに関しては、噂くらいは聞こえて来るものだ。

 そんなことを考えていると、女の子の母親が木の下に現れた。


 側にはあの男がいた。

 先程の川辺にいた術師だ。

 術師はその名の通り術が使える。

 不可解な死についてや呪術を使った者を調べる調査員のような役割を担っている。

 死神はただ鬼籍に載った死者の魂を彼岸に連れて行くだけだ。

 だが、事故や病気、自殺など普通に死んで行く者ばかりではない。


 この女の子のように、一度死んだのに呪術で再び生き返ったように見せかけている場合、死神は魂を見つけることができないことがある。

 そういう場合に術師が調査するのだ。

 だから、逆に言うと術師もその術を悪用すれば『こういうこと』ができてしまう。


「契約成立だな」

 男はそう言って笑った。


 その笑みに玄月は鳥肌が立つ。

 本能的にこの男は危険だ、と思った。

 と、同時に再び風景が変わった。

 また暗闇の中に立っていた。


「お前か? 紅柳こうりゅう……なのか?」

 玄月が周囲を見回しながら問うが、答えはなかった。

 術師なら他人に見せたいモノを夢で見せることも可能だ。


「なぜこんなもんを見せるんだよっ」

 暗闇に向かって叫んだが返答はなかった。


 辺り一面真の暗闇が広がるばかりで、方向感覚はない。

 それどころか立っている感覚も危うくなる。

 ふと振り返るとそこに小空シャオコンが立っていた。

 真っ暗闇なのに、小空の姿ははっきりと見える。


「助けて……」


 呟く小空に玄月の背後から見知らぬ少年が駆け寄る。

 少年は小空の手を取って、もう大丈夫だから、と声をかけた。

「僕がそこから出してあげる」

 少年はそう言って小空の手を引いた。

 二人はどこかへと遠ざかって行く。

 玄月は追いかけようと思ったが、足が動かなかった。

 遠ざかって行く二人の背中が徐々に闇に飲まれて見えなくなると、今度は背後で車の急ブレーキの音と何かにぶつかる音がした。

 振り返ると血だまりの中に人が倒れている。

 車はない。

 その倒れている人には見覚えがあった。


「心……?」

 いや、あれは染谷圭輔そめや けいすけだ。

 つまり鬼流心きりゅう しんという名を貰う前の心だ。


 そういえば。

 心に残された感情。

 それは『喜び』だった。

 良い感情だから大事にしろ、と言った。

 が、果たしてそうなのだろうか。



 心と初めて会った時のことを思い出す。

 玄月はそれまで別の名があった。

 担当する死神が替わる度に半身は名前が変わるのだ。

 心に出会うまでにも数人の死神の半身を経験した。

 どの死神も初めて会った時は少し苦労する。

 なぜなら、門で記憶を失くした直後の人間は、どこか不安気なことが多く、環境に慣れるのにストレスを抱えやすいからだ。

 頭の中が全てリセットされるわけではない。

 記憶といっても思い出が消え、自分が誰なのかが分からなくなるだけだ。

 だから、生前得た知識や運動能力などは覚えている。

 そこから自分がどんな職業だったか、どんな家庭で育ったのかを推理できてしまうこともある。

 が、推測に過ぎず、確信を持てずにいることの方が多い。


 心は役所の外の木陰に座っていた。

 その表情に不安の色はなかった。

 が、話しかければすぐに「ごめんなさい」か「すみません」の二語しか知らないのか、と思うほど何かにつけて謝った。

 世界中の罪悪感を一身に背負っているかのようだった。

 当時は極端に不安になっているだけだと思っていたが、残された感情が『喜び』だと知っている今思い返すと、もっと笑って楽しそうにしているはずじゃないだろうかと疑問が湧く。


 心について分かったことは、生前の名前と死亡した時の年齢、家族構成と残された感情だけだ。

 せめて死因でも分かれば『喜び』と『罪悪感』について何か手掛かりが得られるんじゃないか。

 そう思っていた。

 が、今見せられている光景は交通事故によって、血だまりに倒れている心だ。

 飛び出した子供かなんかを庇ってそうなったのだとして、それでその子が助かって安心したとして、よかった、と喜んだとしても。

 罪悪感とは結びつきそうにないし、倒れている心の顔はどう見たって喜んでいるようには見えなかった。


 一体誰がこんなものを見せているのか。

 本当に紅柳なのだろうか。

 だが、確実に分かっていることがある。

 これを見せている何者かは、鬼流心のことを生前から知っている。

 そして、紅柳が何を考え、どういう目的を持っているかは分からないが、心に深く関わっている。


「……同じ死神でもうちの蓮と鬼流様は明らかに根本的なところが違う気がするんです……どちらかというと術師の要素をお持ちのような気がして……」


 白日の言葉を思い出す。

 心は確かに今までの死神と違う。

 残された感情もだが、それよりも。


***


「クロッ」


 聞き慣れた声に大きく目を開いた。

 置かれている状況が理解できずに、二、三度瞬く。

 周囲を見回して、家の玄関先に立っているのだと理解した。

 先程まで夢を見ていた気がするが、寝ていた訳ではないようだ。

 隣に心、目の前には萎らしくなったガキがいる。

「まだ寝ぼけてるの?」

 呆れた表情の心に、玄月は思い出す。



 今朝、臥籠院がろういんからケンという少年が家にやって来た。

 臥籠院というのは元老院の側にある巨大な資料庫だ。

 この世界のありとあらゆる情報が集められ、書物として纏められ、保管されている。

 古い鬼籍もここに保管されているし、この世界の歴史などが書かれた書物もある。

 そこを管理しているのが乾とコンという老婆だ。

 臥籠院はあざなが三字以上の者しか利用できない。

 中にある情報は厳重に管理され、誰がいつどの情報を閲覧したかチェックされている。

 そんな場所に二人はまず関わることはない。

 利用するのは役所の偉い人間か、術師や監査官などが調べ物をする時に利用するが、それも滅多にないことだ。

 おまけにその建物から一切出ることがない管理人の乾が直々に家に来た、ということはそれだけでもう只ならぬことだと推測できる。


「お前の情報が盗まれた」

 家に来るなり、開口一番、乾は心に向かって言った。

 その言葉に玄月はドキッとした。

 以前役所のロウという男に心の情報について聞き出したことがあったからだ。

 それがバレたのかと思ったが。


「犯人は術師かもってことで、今調査中だ。だから、見つかるまで自宅謹慎だな」

 乾のその態度に玄月は思わず睨んだ。

「情報の管理がテメェ様のお仕事じゃないンですか?」

 怒っているが一応立場的に敬語を使おうとして失敗している。


「術師だからな。何か術でも使ったんだろ。だから訪問記録も改竄されてて、誰の仕業か特定するのに時間かかってるみたいだな」

 自分が管理する場所から盗まれたのに、どこか他人事のような乾に玄月もだが、心も少し苛立つ。

「僕の情報って具体的にはどんなものが盗まれたんですか?」

「生前の情報と機密文書」

「機密?」

「箱関係か記憶関係のどっちかだろ」

「それって……?」

 さっぱり意味が分からなかったので、どういう意味かと問うつもりで心は訊いたのだが、乾は思い当たる節があって訊かれたのだと思い、うん、アレのこと、と言った。

「アレって?」

 すかさず玄月が問うと、

「多分、記憶が門で消えなかったことについてだろ? 箱はここでの最重要機密だから、機密といえばその二つのどっちかだろうな」

 言ってから乾は「あ」と気づいた。


 最重要機密ということは、誰も知らないことと同義だと坤に言われていたのを思い出したのだ。

 記憶の話はまだ良しとして、箱の話はしてはいけなかった、と気づいたが、言ってしまったものは元には戻せない。

 それまで傲慢な態度だった乾が、急に萎らしく上目遣いに心と玄月をゆっくりと交互に見た。

 そこで玄月が人の悪い勝ち誇った満面の笑みを浮かべ、それを見て心は軽く溜め息を吐いた。



 そういう訳で乾が機密を話したことを坤にバラさない代わりに、心について知る限りのことを教えてもらおうか、と脅したのだ。

 その直後、多分瞬きをしている間の一瞬、先程の長い夢を見ていたようだ。

 我に返った玄月の様子に乾も怪訝な表情を見せたが、観念して「話すよ」と口を開きかけた時、白日が猫の姿で飛び込んで来た。


「来客中失礼します。鬼流様に急ぎのお話があるのですが」

 突然割り込まれ、乾は反射的にこっちも急ぎの用だっ、と白日を見下ろす。

「こちらは?」

 白日の問いにそっちが先に名乗れよ、と乾が憮然と返す。

「失礼しました。わたくしは白日と申します。死神の半身です」

 狭い玄関先だからだろう、白日は猫の姿のまま会釈した。

 白日の丁寧な挨拶に面食らったのか、少し間を空けて乾も名乗る。

「……臥籠院の乾だ」

 臥籠院、と白日は少々驚いた声を上げ、ちら、と玄月を見上げてから「出直します」と出て行った。


 その後姿を見送って、再び乾が口を開きかけたが、玄月はそれを手で制した。

「やっぱ今はいい。それより犯人探しを急げよ。早く捕まえないと謹慎のまんまなんだろ?」

 玄月の物言いに乾は些かムッとした様子を見せたが、正論だと納得したのかそのまま大人しく引き下がって帰って行った。

 その姿が見えなくなってから、玄月は家の裏手にある窓を開けた。

 と、先程帰ったと思った白日が飛び込んで来る。

 猫の姿から人に変わり、白日はありがとうございます、と礼を述べた。


「急ぎの話って?」

 玄月の問いに白日は心を真っ直ぐに見据える。

「臥籠院から来られた方の用件は情報漏洩についてですね? 盗んだ人の名は分かっていましたか?」

「いえ。術師らしいという話でした」

「犯人は紅柳皇です。目的はまだ憶測の段階ですが、恐らく彼の半身と関係していると思います」

「そいつの半身と心がどう関係があるんだよ?」

「詳しい話はここでは何ですので、うちまでおいで頂けますか?」

 白日の言葉に心は戸惑いを隠せないでいた。

 が、玄月は先程の夢のこともあって、何が起こっているのか知りたいという気持ちはあるが、同時に知ることで何かが変わってしまう気がして、少し、ほんの少し怖いと思った。


***


 唐の時代。盧生ろせいという貧しい青年が、旅人から不思議な枕を借りて寝たところ、夢の中に自分の生涯が映し出された。

 夢は青年もやがて結婚し、子を持ち、大臣にまでなって幸福な人生を終えるというものだった。

 青年が夢から覚めてみると、彼がうたた寝を始めた時に、旅館の主人が蒸していた黄梁こうりょうがまだ蒸れていないほんの一瞬のことだった。

 青年は枕を貸してくれた旅人に礼を言った。

「栄辱、貧富、ものの道理、生と死、全て分かりました。あなたは私欲を払ってくださったのですね。ありがたく教えをお受け致します」【出典:一炊の夢】



 深夜。

 たくさんの人や車が行き交う交差点。

 黒いパーカーに黒いジーンズ。

 黒い手袋は指先部分がないタイプ。

 そして黒いスニーカー。


 パーカーのフードを被った男は、一見若く見えるが顔が見えないので不明だ。

 初夏だというのに手袋や長袖のパーカーだということを除いても、見るからに怪しい風体だが、誰も気に留めない。

 男も周囲を気にする様子はなく、ゆったりと歩いて人気のない公園に辿り着くと、ベンチを見つけて腰を下ろした。


「カラスに情報は与えましたが、全部は無理でした」

 男はベンチに座るなりそう言うと、いつのまにか隣に別の男が座っていた。

「十分だ。あとは白日が補足してくれるだろう」

「ですが、協力してくれるでしょうか?」

「願い出る必要はない。知りたいという欲求が行動させるからな」

「人の行動は予測不能ですよ?」

「それは此岸での話。彼岸には箱がある」

「ですが、とても厳重に管理されているのでしょう?」

「機械が管理しているわけじゃない。こころを持った人間が管理しているんだ」

 その言葉にフードの男は冷たいものを感じた。


「……次は私がカラスと話そう。会いたがっていたのだろう?」

 フードの男は「はい」と静かに頷いた。

 顔を見なくても隣に座る男は楽しそうに笑んでいる。

 そんな気がした。

 そして、自分が誰に、いや「何に」協力しているのか、急に分からなくなり、怖くなった。


 が、もう後戻りはできないと知っている。

 暗い何かがこころの中に落ちてきた。

 そんな気がした。

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