心の円

 白い紙に丸を描く。

 頭の中にある丸。

 心の中にある丸。

 現実の大きさとどれくらい違うのだろうか。

 彼の大きさとはどのくらい違うのだろうか。

 でも、まだ彼の丸は見えない。


***


 赤い屋根の小さな家。

 日本の家とは違う、どこかヨーロッパ辺りにありそうな雰囲気のかわいらしいアンティークな家。


 小さな庭にはシーツや洗濯物が風に揺れている。

 初夏とはいえ早朝はまだ肌寒い。

 それにここは彼岸。

 季節はあるが、気温の差はそこまで大きくはない。


「さみぃ……」

 玄月シュアンユエはこたつの中で丸くなっていた。寒がりの玄月のせいで未だにこたつを仕舞えずにいた。

 その小さなこたつを玄月一人が占領している。 

 それ以外にこの家に暖房器具はなかった。

 ストーブかこたつか。

 迷った挙句に購入したのがこたつだった。

 両方買う余裕はなかった。


「動かないからだよ」

 鬼流心きりゅう しんはそんな玄月を余所に、テキパキと家事をこなす。

 洗濯をし食事を作り、その後片付けもし、さて掃除、と思ったら玄月がこたつ潜り込んでいるせいで、そこだけ掃除ができずにいた。


 三LDK。全て洋室。

 だが、この二人にはこの家は似合わない。

 もともとこの家はフィンランド辺りの女性が使っていたらしいのだが、この度晴れて百年を迎えて死神を卒業し、転生を遂げた為に空きになったのだ。

 玄月は中国辺りの化けガラス。心は日本人の死神なりたてで、ようやく三ヶ月が経とうかという頃である。


「ほら。昼飯はどうすんの?」 

 心がこたつの布団をめくると、玄月が吠える。

「さみぃからさっさと閉めろ!」

 心はもうっ、と言いながらも玄月の言う通りにする。

 外見は大学生と小学生。でも、中身は二十代と三百代。

 玄月の方が偉そうなのはその為である。

 でも、千年生きると言われる化けガラスの寿命を考えると、三百代といえども、まだまだ若い方に入るのかもしれない。


「昼は炒飯にしよっかな」

 心が呟くと、こたつの中から、

「それだけはヤメロ……」

 と、低く唸るような声がして、心は頭をかいた。

 玄月いわく、心の炒飯は材料と調味料に懲りすぎて死ぬほど不味いらしい。

「じゃあ、ピラフにするか」

 心の言葉に玄月はこたつから這い出る。

「俺が作る……」


 そう言った瞬間、心がぐらり、と揺れ、その場に倒れた。

 近づいて額に手を当てる。


「この、バカッ」 


***


「昼は粥だな。俺がやるからお前は一歩も動くな」 

 玄月はベッドの上でとろん、とした目の心にそう言って背を向けた。


 昨日、心はくしゃみをしていた。

 今思えば危険区域から戻って来てから様子がおかしかった。

 あれだけの殺気や化け物の気配が充満していた中にいたのだ。

 毒気にてられて当然だ。

 どちらにしろ、くしゃみをしていた時点で気づくべきだった。

 心は自分を隠す傾向にある。弱音を吐かないというのもここまでくればバカだ、と玄月は思う。


「信頼されてないってことか」

 玄月は粥を作りながら溜め息を吐いた。


 ここは彼岸。心は既に死んでいる。

 だが、死神になった瞬間、死者と生者の中間の存在となる。だから、活動エネルギーの調達のためご飯も食べるし怪我や病気もする。

 ただ、どんなにお腹が空いてもどんなに酷い怪我をしても、死ぬことはないし怪我の治りも早い。また、病気になるといったって風邪くらいのもので、それもインフルエンザのような酷い風邪にはかからない。

 だが、それでも体力という面で食事をすることは必要になってくるし、怪我の治りが早いといっても酷い時は数ヶ月動けない時もある。


「まいったな……」

 玄月はできた粥を器に盛り、心の元に運ぶ。

「ちゃんと食べろよ。今、薬買って来るから」

 声が出ないのか、心は頷きながら起き上がり、そろそろと粥に手をつける。

「食べたら寝てろよ。いいな?」

 そう言って玄月は家を出るなり、カラスの姿に戻って空を翔ける。この方が地を行くより速い。

 が、向かった先は薬局ではなく、役所だった。

 舞い降りると同時に少年の姿に変わって役所内に入る。このエリアの役所はレンガ造りの古い建物だった。


「よう」

 窓口の一つで、玄月はそう挨拶をすると、むすっ、とした老齢の男が応対した。

「何でございましょう?」

 丁寧な物言いだったが、口調には明らかに棘がある。

 それに苦笑して、玄月は口に人差し指を当てた。

「やっぱりそれですか……」

 男は溜め息を吐き、ダメです、ときっぱりと言った。

「見つかればクビだけでは済まない。ここは下とは違うんですよ」

 下とは此岸のことで、上はここ、彼岸のことである。

 男は心底嫌そうな表情をしながらも、玄月の顔色を窺うようにした。

「……仕方ないですね。でもロハでは動きませんよ」

 男がそう言うと、玄月は分かってるって、と笑った。その笑顔に男はまた溜め息を吐く。

「で、誰のを?」

「鬼流心。俺の死神だ」



 死んで門をくぐる。

 それで生きていた時の記憶が消える。だが、一番強い感情だけは残されるらしい。

 玄月は役所からの帰り、薬局で薬を購入してそれを心に飲ませた。心は眠っている。


 玄月は一人、こたつで紙切れを広げていた。

 それは役所で強引に貰ったメモだった。

 ルール違反だが、どうしても知りたかった。


 ここに落ちてから何人もの死神の半身になってきた。だが、こんなことをしたのは初めてだった。それは心が今までの死神とは違っていたからだ。

 その理由が、原因が知りたかった。

 死神になりたての心が、なぜあんなにも目がいいのか。

 なぜ術師ではなく死神になったのか。

 その答えがこの紙にあるのではないか、そう思って玄月は役所に行ったのだ。


 役所には全ての情報が集約されている。

 いつ誰がどうして死ぬのかということが書かれた鬼籍や、ここにいるモノの生前の情報とここでの情報が管理されているのだ。

 また、ここには『現在此岸または彼岸にいるモノ』の情報が管理されていて、古い情報はまるで図書館のような書物庫――名を『臥籠院がろういん』という――に保管されている。


 勿論、どの情報も厳重管理が鉄則で、管理者以外が閲覧することは禁止されているが、今回のように中には情報を漏らすモノもいるのが現状である。


 玄月は走り書きの読みにくい文字を目で追った。

 鬼流心。生前は染谷圭輔そめや けいすけといったらしい。

 大学二年の時、死亡した。

 死因まではメモにはなかったが、残された感情は『喜び』だった。

 家族構成は両親と妹。だが、母親は心が十歳の時に病死し、一三歳の時に再婚。その一年後に妹が生まれた。だから、妹とは半分だけ血が繋がっている。


「誕生日を迎える前に死んだのか……」

 メモの日付を見ると、心の年は一九歳となっていた。

 期待に反してあまりたいした情報はそこにはなかった。結局、何も分からないままである。


「フェアじゃないな……」

 がっかりするのと同時に、急に自分のしたことに後悔を覚えた玄月は、苦笑してメモを握り潰した。途端に手から炎が燃え上がり、開いた時には炎もメモも跡形もなく消えていた。


***


「大丈夫か?」


 夕暮れ。

 玄月は目を覚ました心に声をかける。

 心はまだぼうっとした様子だったが、笑って頷いた。


「風邪は移るから……」

 心は掠れた声でそう玄月を気遣う。

 それに玄月は溜め息を吐く。


「ここでの病気は移らねぇの。病人は自分のことだけ考えろ。また粥にするか? それとも食べられるなら、少しはマシなものを作るけど……」

「お粥がいい……卵入れて」 

「ああ。梅干もな。何か欲しいものは?」

 心は首を横に振る。

 玄月はその様子に俯いた。


「……お前さぁ、我慢するなよ。自分を押し殺しても損するだけだ。俺はお前の半身だろ? 多少の迷惑は迷惑と思わない。頼れなきゃ、お前はいつまでたっても落ちこぼれのままだ。俺の言うことが分かるか?」

 心は頷いたが、玄月は納得しなかった。


「……俺がここに落ちた時、落ちた場所は森のド真ん中だった。おまけに危険区域に指定されてる場所で、狂暴なモノを閉じ込めておく檻として使用されてる場所だった」


 突然語り始めた玄月を、心は不思議そうにしながらも黙って聞いた。

 玄月のことなど何も知らなかったが、今まで聞く機会もなかった。だから、それを話してくれる玄月を好ましくも思った。

 と同時に、心とは違い、門を通っていない玄月はここに落ちる前の記憶を持っていることに今更のように思い至った。


「俺はこれでも火を自在に扱えて、落ちる前は玄華シュアンファって異名があったくらいだ。俺が飛んだ後は火と敵の血が華のように残るから。俺は自分が強いと思ってた。でも、それは奢りでしかなかった。ここはいくら高く空を飛べても、薄い膜のような結界で覆われてるだろ? だから、飛んで逃げても奴等の爪は簡単に俺に届いて、俺はボロボロにされた。毎日必死だった。生きることがこんなにも難しくて大変なことだと、その時初めて思い知らされた。必死に助けを求めても閉鎖された檻の中からじゃ誰にも届かない。もう生きるのを諦めようって思った時、一人の死神が入って来て俺を助けてくれた。そいつがこう言ったんだ。『私を助けてくれませんか?』って。おかしいだろ? そいつは俺を助けてくれたのに、俺はそいつより弱いのに。でもそいつはとても必死にそう言ったんだ。だから俺はそいつの半身になった。そいつは半身を亡くしたばかりで、半身を探しに危険区域にやって来たと言った。感情のないモノがここにたくさん閉じ込められていると聞いたからって、そいつは困った顔してた。でもやっぱり感情のある方がいいねって。それで俺に半身になってくれってさ。俺は助けてもらったし、そいつの半身にならなってもいいと思った。それから何人かの死神の半身をして、今はお前の半身だ」

 そこまで一気に話して玄月はようやく顔を上げて心を見た。


「俺はそいつからお互いを信じることを教わった。だから俺はお前を信じたい。お前は? 俺はお前の半身として不適か?」

 初めて見る玄月の真面目な表情に、心は真っ直ぐには玄月を見られなかった。

 答えに詰まる。


「僕は……」


 玄月をどう思っているのだろう?

 心の中に疑問が湧く。


 自分で半身を選べるわけではなかった。ただ、偶然玄月が心の半身となった。玄月も望んで心の半身になったわけじゃない。偶然だった。

 心は自分に問う。

 別に玄月が嫌じゃない。他の半身のことは知らないが、玄月は口は悪いが頼りになる。

 だから、不適ではない。

 でも、信じているかどうかは正直分からなかった。

 玄月をどう思ってるのか。


「俺はお前を信じたいからこんな昔話をした。俺を知って欲しいと思うし、お前を知りたいとも思う。お前より年はずっと上だが、これでもまだまだガキだ。俺達の時間とお前の時間は流れ方が全く違う。それでも、こうして一緒に仕事する間くらいは、互いを信頼できたらいいと思ったんだ」

 玄月は自分の手を見つめた。メモを握り潰した手。


「……でも、僕には話せる過去がない。門をくぐった時に、全て忘れてしまったから……」 

 心がそう呟いたのに、玄月はいや、と言った。


「一番強い感情だけは残されるんだ」

 玄月の言葉に心は自分のこころの中を探る。が、玄月の言う残された感情が何か分からなかった。それをそのまま正直に言うと、玄月は少し迷うようにして、口を開いた。


「喜びだ」


 玄月はそう言って、両手を握り締めた。

 心は喜び、と口の中で繰り返している。


「……その感情を大切にしろ。いい感情だからな」

 玄月はそう言って、先程の問いの答えを聞かずに部屋を出ようとした。その背に心が答える。


「信じるよ」


 玄月の足が止まり、振り返る。

「僕は玄月を信じる。話してくれてありがとう」

 心のその言葉に玄月は笑む。

「なら、せめて俺の前でくらい少しは弱音を吐け。倒れるまで我慢するな。それから秘密はなしにしよう」

 分かったらさっさと寝ろ、と言って部屋を出た。

 玄月が急に大人に見えた。いつもは見た目も中身も同じに見えたけど。

「信じるよ、玄月……」

 心はそう玄月が出て行ったドアに向かって、掠れた声で頷いた。


 そのドアの向こう。

 玄月は苦笑する。


「『秘密はなしにしよう』……って……俺が言えることかよ」

 玄月は呟いて俯いた。

 そこから笑いが漏れる。

 床に点々と水が落ちた。


「こんなことに感動するなんて……こんなことが嬉しいなんて……」


 玄月はその場に座り込んだ。

 やってしまったことは元には戻せない。自分のことを告白したところで、これでフェアになるとは到底言えない。

 胸が小さな針に刺されたように痛んだ。


***


「おはよ」

 玄月が起きると、キッチンに心が立っていた。


「大丈夫なのか?」

 玄月が問うと、うん、と心は笑顔を返し、苦笑した。

「無理してないからね。もう熱も下がったし、体も軽いしね。お粥ありがと」

 心の言葉に玄月はああ、と言ってこたつに潜り込む。

「それにっ。いつまでも寝てたら、家中が汚れそうで……」

 言って心は辺りを見回す。

 山積みの汚れた食器、床にはゴミが転がっている。キッチンは酷い荒れようだった。

 それをテキパキ片付け、朝食を作る。

 いい香りが部屋に漂い始めた頃、カタン、と郵便物の届く音がし、心が朝食をテーブルに並べる手を止めて、それを取りに行った。


「請求書?」

 心は首を傾げる。

 そこに書かれている金額を見て、心は思わずゼロの数を二度数えた。

「三万……」

 思わず眩暈めまいがし、心は叫んだ。

「クロッ」

 その声に玄月が首を竦める。

「くそっ。バレたか」

「この請求は何だよ?」 

「お前の薬代。保健が利かなくて……」

 と、玄月は誤魔化そうとしたが、

「ここに保健はないよね? それにちゃんと『酒代』って書いてあるんだけど?」

 玄月は舌打ちをする。

 その請求書は心の過去を教えてくれた見返りに、役所の男に贈ったいわゆる賄賂だ。酒豪なので少々量が多くいったのだ。

「秘密はなしにしようって約束したばっかりだったよな?」

 にっこり笑う心に、玄月も引きつった笑みを返し、すぐさま踵を返して逃げ回る。


 と、部屋にけたたましくビィービィーとベル音が鳴り響いた。

 それはどの家にも付けられている役所からの呼び出し専用ベルで、だいたい居間に取り付けられている。

「呼び出しだ!」

 走り回りながら、玄月はそう叫び、家を飛び出した。

 心も仕方なく家を出る。玄月の後を追いながら、心はその背に叫んだ。


「あとで絶対説明してもらうからなっ」


***


 白い紙に丸を描く。


 頭の中にある丸。

 心の中にある丸。

 現実の丸とかけ離れた丸。

 それは人それぞれ違う丸。


 誰かの円と重なって、それが同じならいい。

 でももし全く違っても、一緒に円を描き続けてたら、いつかそれも歪に重なって、やがては同じ円になっていくのかもしれない。

 ただ一緒に円を描き続けるだけで。


 でもそれはとても難しいことだと誰かが言った。

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