犍陀多(カンダタ)の糸
空はどこまでも高く遠く。
手をどんなに伸ばしても届かない。
空はどこまでも広く遠く。
何の境もなく自由で。
空はどこまでもどこまでも。
心地よいほどに地を見下ろしている。
雨上がり、地面には水溜りが点々と残った。
そこに白い雲が流れる。
ぱしゃっ。
水溜りが跳ねる。
水溜りの中、裸足の少女が立ち尽くす。
辺りは薄暗く、鬱蒼と木々が生い茂っている。
少女は木々の隙間から覗く僅かな空を見上げた。
突然の通り雨のせいで、少女は水の中に落ちたように水を滴らせる程濡れていた。
ニ、三度赤い目を瞬く。
頬に張りつく、短い茶色の髪を払う。
「乾いたら……飛べる」
少女は乾いたら、と繰り返して空を見つめた。
その背には白い翼が折りたたまれていた。
だが、その空は見えない膜で閉じられていることを彼女はまだ知らない。
元の場所に還れるのは、限られたモノだけだと。
***
「どうぞ」
大きな扉をノックすると、中から女性の声で返事があったので、
扉の向こうには、書斎のような部屋が広がっていた。
入って正面の奥には大きなデスクがあって、その手前には応接用のソファとローテーブルがある。
デスクには足を投げ出して、不機嫌そうに目を閉じた高校生くらいの青年がいた。
「コレは気にせず、どうぞお掛けになって」
入り口から見て左手のソファを片手で促した女性は、柔らかな物腰でふわりと笑った。
久し振りだな、と
女性は冷ややかな目つきでデスクの青年を一瞥して、にこやかな笑みを心に向けながら右手のソファに座った。
どうやらデスクの青年が目をつむっているのは、眠っているらしかった。
耳を澄ますと微かに寝息が聞こえた。
「鬼流様とは初めてお目にかかりますわね。
ふふっ、と女性、白日は笑った。
ここでは見た目と中身の年齢は同じではない。見た目は死んだ時のまま、中身はそれより長く在る。
まだ死神になりたての心はその辺りに慣れない。なりたてなので、心はまだ見た目と中身の年齢はほぼ同じだ。
玄月達もまた見た目と実年齢は違う。姿は小学生くらいなのに、中身は何百年と在る。玄月の場合は心とは違い、もともと人間ではないから、時間の流れ方がもとより違うのかもしれないが。
「慣れたか?」
唐突に玄月が白日に向かってそう訊く。
白日はええ、と微笑む。
「私の方が長く生きてますし、アレは二人目ですから。前のは静かすぎましたわ」
白日はどこか遠くを見つめ、部屋に僅かに沈黙が降りた。
「……辛気臭い話よりも、仕事の話をしなくてはなりませんわね」
白日は心に視線をやってそう前置きしてから切り出した。
「今回こちらにお呼びしましたのは、天使の処分を判じかねておりまして、お二人のご意見を伺おうと思ったのです」
「天使?」
心が怪訝な声を出す。玄月がそれを肘でつつく。
「悪いな。半年経ったてのに、まだこのザマなんだ」
玄月は心を睨みながらそう言って、心に説明をする。
「天使ってのはいない。だが、便宜上そう呼んでるだけだ。姿形がそれに似てるからな。外見は綺麗で背中に羽がある、ただそれだけの生き物のことだ」
「じゃあ、クロと同じ?」
「まあな。境界を越えて迷い込んだモノの処分は死神の仕事の範疇だ。迷うモノは何であれ、在るべき場所に導くことが死神の役目だろ。生きてても、それが魂なら導かなくてはならない。元に戻すか、このままこちらに連れて来るか」
玄月の説明に白日が微笑む。
「では、問題です。鬼籍を持たない生き物の魂はどこへ導かれるでしょう?」
白日がそう問うと、心は眉間に皺を寄せて黙り込む。
その様子に玄月は呆れた。
「お前なぁ、それだから落ちこぼれなんだよ」
はあ、とその口から溜め息が漏れる。
「鬼籍を持たない生き物は、私達のような人外魔境の生き物が主です。大気の中に、あるいは火や水の中に宿るモノ、カラスや猫が魂となった瞬間、前とは違うモノになることもあります。魂になる前から違うモノとして何かを宿すモノもいます。それらは総じて鬼籍を持ちません。鬼籍も全ての魂を管理できる程には万能ではないのです。では、鬼籍を持たない生き物の魂はどこへ辿り着くのか……それはやはりココなのです。でも、鬼籍を持たないモノはここのシステムには当てはまりません。鬼籍は戸籍と同じようなモノです。ですから、戸籍がないとそれはいない、ということになるように、鬼籍にないモノはいないのです。いないならば、そのまま放っておけばいい、と考えられるかもしれませんが、戸籍がなくともそれは存在するように、放っておくわけにはいかないのです。では、どうするのか。魂の導き手は死神です。ですから、その処理は死神のそれぞれの裁量で決められることになっているのです。ですから、平等ではありません」
「平等じゃない、それは不公平と言う!」
白日の説明に、デスクから奇妙な声が上がった。
寝惚けた、寝起きと分かる少し掠れた声だった。
全員の視線がデスクに向けられる。
そこには眠そうに目を細めた蓮がいた。大きく欠伸をし、次いで両腕を天井に向けて大きく伸びをした。
「よく寝たぁ……」
そう呟く声に、白日の溜め息が重なる。
「まだ、そんなくだらない説明をしていたのか。わしはもうとっくに天使を捕まえる作戦でも練ってるのかと思ったわい」
蓮はそう言ってデスクに乗せていた足をのろのろと下ろし、頬杖をついて目の前の三人を眠たそうな細い目で見回す。
「いくらこちらが立場が上だと言っても、失礼に程がありますわよ!」
白日が一喝するが、蓮は全く気にする様子もなく、もっと簡潔に説明しろ、と逆に白日を叱った。
「ココに迷い込んだモノはどうするか、その処分を任された。だが、新人がいるからちょうどいい機会だと上が言った。わしらが補佐するから、お前達で処分を判断しろ、とこういうわけだ。どうだ、簡単じゃないか。たったこれだけに一体何時間話し込んでる?」
蓮の言葉に全員が沈黙した。全員が呆れている。
「話すより動け。お前が動かなければわしも動けない!」
蓮はそう言ってまた目を閉じた。
「確かにコレはうるさいな」
玄月が苦笑し、白日も困った笑みを浮かべた。
「鬼流様には難しいことだと思いましたので、ご意見を伺う、と申しましたが、本当は鬼流様のご判断を主体にしなければならないのです。ですが……今回は簡単な事情ではなさそうでしたので、鬼流様には少々荷が重いかと……」
白日は言いにくそうに語尾を濁した。
玄月がそれを受けて笑う。
「コレは落ちこぼれだからな」
心は笑う玄月の横で肩を竦めて小さくなった。
居心地が悪そうに玄月を横目に見る。
「基本はお二人で担当して頂きますが、玄月はともかく鬼流様は怪我をしても死にませんから大丈夫ですよ」
白日はそうフォローにならないフォローを入れた。
***
大きな扉の向こうには大きな鏡があり、その前には小さな机があってそこにちょこんと老女が座っていた。
二人に気づいて人の良さそうな笑みを浮かべる。
「おやおや、どこの悪ガキがいらっしゃったのかと思えば」
「まだくたばってなかったのか、ババア」
どうやら二人は仲があまり良さそうではなく、心は不安を覚えた。
「こんなバカと一緒なんてかわいそうだねぇ。苦労が絶えないだろうよ」
ちら、と老女は玄月を見やったが、玄月はふん、とそっぽを向いただけで反論しなかった。それは心にとってちょっと意外だった。
危険区域に入るには許可と
「あたしは
心が首を振ると、鈷はコレが半身なら知らなくて当然ね、と玄月をちら、と見やって軽く笑んだ。
「二字あるものは半身を指す。一字のものは役所に仕えるものを指す。そして何よりの違いは、鬼籍があるかないかということ」
鬼籍がある、ということは門を潜ってここに来たことを指す。反対に鬼籍を持たぬものとはここに落ちて来たものを指している。それぐらいのことは初めに玄月から教わって心も知っていた。
だが、二字と一字の違いがそんなにも大きなものとは思ってもみなかった。
鬼籍がないということは、二度とここから出ることはできないということなのだ。それはつまり鬼籍は全ての基本であるからに他ならない。
「ここは現世とは違う。ここで存在する為には名が必要なのさ。名は一種の結界でね。特にたくさんの魂に触れる死神や術師の名が長いのも、半身の為に
鈷が二人の肩越しに視線を投じると、扉が勢いよく開いてすみませんっ、と女性が息を切らしつつ入って来た。
二十代後半だろうか。明るい栗色の髪を掻き上げ、軽く息を整えてもう片方の腕に抱えていたファイルを鈷に差し出した。
「……セラとは珍しいね」
ファイルに軽く目を通した鈷はそう言って、少し困った様子を見せた。
「セラって?」
「セラフィムのことさ」
心の問いに鈷はそれだけの説明しかくれなかったが、それにファイルを持って来た女性が補足する。
「姿は天使で、性格や能力に攻撃性のないもの、または弱いものをそう呼んでいます。危険性の低いものは天使の名前で、高いものは悪魔の名前で分類しているんです。ここに落ちて来るものは様々ですから」
「この程度の知識は基礎知識としては最低限のもののはずだよ。もう少しお勉強が必要なようだね」
鈷にそう言われて心は俯き、玄月はむっ、と鈷を睨みつけた。
「それはそうとこの子をまだ紹介してなかったね。四年前からここで働いてもらってる、
まるで我が子を自慢する母親のように、鈷は勝ち誇った笑みを玄月に向けた。だが、やはり玄月はそれを睨み返すだけで皮肉を返すこともしない。どこかいつもの玄月と違う。
「セラが落ちた場所の入り口までは私が誘導させて頂きますが、そこから先のお仕事はそちらの管轄になりますので、私はただ案内するだけになります。通常ならこの時点で分かってる情報もお渡しするんですが、セラが落ちた場所が危険区域の中でも特に危険な場所であることもありまして、充分な情報収集ができていないんです。なので、今回は本当に案内だけさせて頂きますね」
そう笑むなり鈔は、黒蝶の姿になってひらひらと二人を誘導する。
「死神の仕事は迎えに行って役所に届け、得た情報を報告すること。届けるまでに牙を剥いたら処分する権限も持っていることをお忘れなく」
部屋を出て行こうとした二人を、鈷は静かにそう見送った。
***
危険区域は役所に所属する特殊な術師によって結界が張られている。
その中に入るには、呪符を大きな立派な門に取り付けられたカードリーダーに通すのである。
昔は術師に開門を要請していたらしいが、時代の波をようやく取り入れて数年前からこの方式に変わったようである。
此岸に比べていろいろとアナログなことも多いが、部分的に機械も取り入れている。
黒い鉄門扉がその重さを微塵も感じさせずに開く。
二人が中に入ると自然に門は閉じ、黒蝶はひらひらと鈷の元へと舞い戻って行った。
完全に門が閉じて黒蝶の気配が完全に消えると、玄月は大きく息を吐いた。
「あのクソババアッ、まぁだ根に持ってやがったな……」
小声でそう言った玄月に「何の話?」 とつられて心も小声で訊いた。
「昔いろいろあったんだよ。ま、あのババアの言うことにはとりあえず素直に頷いとけ。仕事をスムーズにこなしたかったらそれが一番の近道だ」
「だから、さっきあんなに大人しかったわけ?」
「あれに口答えしたらここに辿り着くのに十年かかるか、でなけりゃすっげぇ大変で面倒な仕事を押し付けられるかだな。だから黙って頷いてご機嫌伺っとけ」
ふーん、と心は玄月のあの態度の真相を知って納得すると同時に、我慢ができるんだ、という事実にも感心していた。
「不思議なところだね」
心の漏らした感想に玄月は険しい表情を返す。
「危険区域がどういう場所か知ってるか?」
「穴が開きやすい場所でしょ?」
「そうだ。何が潜んでるか分かンねぇし、ここは危険区域の中でもかなり危険な場所なんだぞ。それはつまり気をつけろってことだ」
うん、と頷いて心は気を引き締める。
だから小声で話し、足音を立てないよう息を潜めているのか、と心は納得した。
深い森のようなこの場所は役所の管理下に置かれているが、ここに立ち入るものはいない。ここに入る時は高位の死神や術師が何らかの事情で新しい半身を探しに来る場合がほとんどで、あとはたまに術師が己の術を磨く為にここでいろいろな人以外のものを『処理』しに来るくらいのものだ。
だから、誰の手入れもされないこの場所の草木は、森というよりまるでジャングルのような有様だった。
そんな中を何かの気配に囲まれて進まなければならないという状況は、誰だって恐ろしいものだと思う。
実際、玄月はここに落ちて酷い目に遭っている。
火や風を操る化けガラスだが、それでも死神がここにやって来なかったら死んでいた。ここにはいろんなモノが落ちて来る。
知能のあるものもあれば、本能のままに生きるものもある。
それなのに、心は怯える様子は微塵もない。それどころかその足取りは何かに向かって突き進んでいる。
「あ……」
声を上げて立ち止まった心の視線の先には、白い羽を背に持つ女の子がいた。
赤い目がこちらに向けられる。
そこは少し開けた場所で、古い建物の残骸が蔦に覆われて幾つか連なって建っていた。
恐らく小さな街がここにあったのだろうが、危険区域に指定されて結界の中に閉ざされ、とても長い年月が過ぎてしまったのだろう。
こういうことは時折あることだった。穴が開きやすい場所というのは常に変わっている。
昔は危険区域に指定されていた場所が、突然解除されてそこに新たに街が造られることもある。
心は目の前の女の子に何と声をかけていいか迷っていると、女の子は空を見上げてそれから俯いた。
「乾いたのに……帰れない」
見ると髪が少し濡れていた。
空には見えない膜がある。
だから、ここに落ちたらたとえ空が飛べるものでも、ここから脱け出すことはできないのだ。
どんなに鋭い爪を持っていても、強い力でも火や水を扱えたとしても。
薄く見える膜は決して破れることはない。
そこに穴が開いて玄月のようなモノが落ちて来ることがある。
でもそれは一方通行で、こちら側から穴を通ることはできないのだ。
出るには門を潜らなければならない。
だが、唯一の出入り口であるその門を潜ることができるのは、門からやって来たものだけである。
玄月も心と一緒に此岸へ降り立つことはあるが、そのままここへ戻らないでいれば死んでしまうのだ。
それを思うと心はたまらない気持ちでいっぱいになる。
まだそれを知らない目の前の女の子に、それをどうやって伝えたらいいのだろう。
「……心」
玄月は無防備に女の子に近づこうとする心を軽く制した。
そこかしこに嫌な気配がするというのに、心は全く警戒していない。
心が鈍いのはいつものことだが、あからさまに隠しもしないこの気配を感じていないわけではないだろう。それなのに、心は普段と変わらないのだ。
もしかして、と玄月は心の背を見つめる。
周囲を取り巻く気配は僅かに間合いを取っている。近づきたくても近づけないのか、そんな印象を玄月に与えた。
「……残念だけど、君は家に帰れないんだよ。君はここから出られない」
「ずっと?」
「うん。ずっと……だから選ばなければならないんだ。ここで生きるか……」
もう一つの選択肢を心は言わなかった。だが、女の子はそれを感じ取って、あどけない表情を曇らせた。
「あなたも出られないの?」
その質問に心は玄月を振り返った。玄月は無表情に頷いて答えを促す。
「……僕はいずれここを出て行くことができるけど……君は……だめなんだ」
「いつまでいる?」
「僕は落ちこぼれだから長くいることになるかもしれないけど、ずっとじゃないんだ。早ければ百年でここを出て行く」
「なら、私はここにいる。ここにいればまた会える?」
「うん。いつでもね」
心が寂しく笑うと、女の子は嬉しそうに笑んだ。
***
「なんで無防備にあいつに近づいた?」
役所に女の子を届けた帰り道。玄月は気になっていたことをようやく口にした。
「無防備にって……だって……」
「見た目は天使だが、あくまでもそれは仮の名だって言ったろ? あそこは危険区域だ。あいつ以外にも周りに嫌な気配がたくさん張りついてただろうが」
「そうだけど……襲って来る気配はなかったから……」
「あのなあっ」
「自分でもっ……分からないんだ。あの時はすごく安心して、ちょっとびっくりしてたから……」
「びっくり?」
「うん……うまく言えないけど、あの子がここにいるのにびっくりしたっていうか……天使なんて初めて見たから……」
「初めて見るものなんかここには五万とあるだろうが」
「そうだけどっ、天使なんて空想だろ、普通」
「喋るカラスも猫も空想だろ、普通」
「見た目はただのカラスに猫だろ?」
「見た目の問題か? だったら龍とかいるぞ、ここ」
「見たことない」
玄月は子供のようにはぶてる心が、どこかおかしく思えたが、同時にうんざりもした。
「……あのなぁ、びっくりはまだ分かったけど、安心するってのはどういうことだよ? 危険区域のド真中でしかも気配だけとはいえ化け物に囲まれて……」
「自分でも分からないって言ってるだろっ」
心はそううんざりした様子で言い捨て、そのままどこかへ走って行ってしまった。
「あらあら。喧嘩ですの?」
入れ替わるように玄月の隣に白日が現れ、にっこりと意地悪く玄月を見下ろした。
「別に」
「……喧嘩はしないで頂きたいですわね。先程報告を受けたばかりなのですが、あなた達が役所に無事届けて下さったセラフィム、術師の半身としてこれからは
「術師の? そんなに早く決まるものだったか?」
「いいえ。特例だそうです。長く半身を持たなかった、というより半身が行方不明のまま単独で仕事をしていた術師がいたんです。単独での仕事は本来禁止されていることですし、セラフィムなら術師の良い手助けになるだろうということで、すぐに手続きがされたんです。厳密にはまだ手続きの最中ですが、セラフィムの能力が未確認のまま半身に決まるのは、恐らく初めてではないでしょうか」
「元老院が絡んでるな、これは」
「当然そうでしょうね。うちのがこの件に興味を持ってしまって、悩みの種がまた一つ増えてしまいましたわ」
そう困った様子ではなく、むしろ楽しそうに白日はそう言った。
「術師の名は?」
「
「バレたら殺されるぞ」
「そうならないように祈っておいて下さいな。それと……」
にこり、笑った白日の顔が曇った。
「鬼流様についても、少々気になる点が……」
「心? 鈍感すぎることか?」
玄月は冗談っぽく言ったが、白日の表情は真剣だった。
「ええ。恐らくこちらで何かあったと見るより、生前に何かあったと見るべきでしょうね。生前について何かご存知ですか?」
「いや、何も」
「……同じ死神でもうちの蓮と鬼流様は明らかに根本的なところが違う気がするんです。鬼流様は鈍くていらっしゃいますが、今日の危険区域の件を見てますと、どちらかというと術師の要素をお持ちのような気がして……」
白日のその意見に玄月も考え込む。
危険区域の中での心はどこか様子がおかしかった。
いくら鈍くても気づくほどのあのピリピリと伝わる殺気に囲まれ、玄月は初めてここに落ちた時を思い出して足が竦むほどだった。
例えそれほどの殺気に気づかなくても、あの場で安心できるというのは腑に落ちない。
びっくりしたというのも、本当に天使を初めて見たからなのかどうか怪しく感じる。
「気をつけて差し上げてくださいましね」
神妙な顔で黙り込んでしまった玄月に、白日はそう言って黒猫に姿を変えて駆けて行った。
***
空の高みから細い細い糸が垂らされた。
蜘蛛を助けたから、一条の希望の光のような糸が垂らされた。
その先は美しい楽園。
けれど。
糸の細さに驚き、助けた時の心を忘れてしまえば、糸は切れてしまう。
「還りたいか?」
問われて小空は首を横に振った。
「会えたからもういいの」
「還れる方法があるとしても?」
小空は頷く。
「なぜ?」
「今度は私がここから助けてあげるの。だからここにいる」
「『今度は』?」
でももし。
蜘蛛を助けた時の心を忘れなければ。
「それなら二人とも還してあげよう。でもその前に話してくれるか?」
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