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中はとても船とは思えない広々とした空間で、目につくものでいうと十人は座れそうな大きなダイニングテーブル、その奥には向かい合った柔らかそうなソファとローテーブルが置かれている。
部屋の各所には、所狭しと雑貨やらスチームパンクの調度品が並べられていた。特に目を引くのは、壁にいくつも掛けられている時計の数々。《時の旅団》という名称なだけあって、時計とスチームパンクへのこだわりが感じられる。
一見散らかっているように見えるが、綺麗に整頓されおり、インテリアのためにあえてそのようにしているのだということがわかった。
前の二人がダイニングテーブルに腰掛けたので、ミストラルもそれに従ってトウヤの傍に座る。その際にアンバーが飲み物を人数分用意してくれた。
トウヤが木製のコップを手に取り口をつける。
ミストラルもそれを見て、一口飲み込む。
中に注がれていたのは、なんてことのない水。味もなく、飲んでみても、グリーンティーのような魔法的作用はない。
だが、一晩砂漠で過ごして乾ききった体には、冷たい水が絶大的に染み渡る。
今はどんな飲み物よりも美味しく感じた。アンバーは、あえて水にしてくれたに違いない。喉を鳴らして夢中で飲んでしまう。しかし恥ずかしくなって、ミストラルは飲みきる前に途中でやめた。
「みんなは? アンバーしかいないの?」
背もたれに体重を乗せて後方へ椅子を傾けるトウヤが、部屋の奥の方見通してそういった。
確かにこれだけの広さがあっても、アンバー以外に誰かいるようには見えない。奥に見える下に続いた階段の先にいるのだろうか。
トウヤの疑問に対して、アンバーは大きく溜め息をついて返答する。
「あんた忘れたの?《硝子の花》でご馳走になった次の日は、次回のGvGに備えて準備をしようって決めてたじゃない。だから、リュウさんとアイラさんは《硝子の花》に残って、ポットの買い出し。ユキムーは《ギルティサイタマ》に修行とか言って行っちゃったわ。それから、アンタレスは銃がどうとかでハントリーと《Fenrir》。ああ、にゃんこ先生は依頼で出張に出たみたいね。みんな数日は帰ってこないはずよ」
「そんでもってユチは……なるほど、ソコか」
そう言ってトウヤは、ローテーブルを間に挟んで向かい合ったソファを指差す。
入った直後は大きめのクッションかなにかと思っていたが、ソファで小さくなって寝ている人がいることにミストラルは気がついた。ブランケットに包まっているため、風貌はまるでわからない。
トウヤの言葉になにも反応しないことから、熟睡しているようだ。
「あんたが行方不明になんてなってなかったら、私だって自分の時間使えたってのに。ちょっとは感謝しなさいよね」
アンバーはイスの背もたれに体を任せ、ふんぞり返って見せる。
腕を組んで偉ぶっているものの、言葉とは裏腹に不思議と恩を着せているようには感じない。
「心配してくれてたのはアンバーだけだったか」
「だから、心配なんてしてないってゆーの!」
アンバーは反射的にテーブルをバンと叩いて起立する。その拍子に、テーブルに置かれたコップがグラグラと揺れたが、倒れはしなかった。
トウヤの顔をじと目で睨みつけると、ふんと鼻を鳴らしてから、また座り直す。
「心配でいうなら、クロさんにトーヤがいないって話したら、大変だったんだからね!あの初雪みたいに綺麗な白い顔が、一気に真っ青になって、失神しちゃったのよ?楽しくお食事会、なんて空気じゃなかったわ」
「あー、そっか……クロさんには悪いことしたな……今度会ったらお詫びしないと……」
苦い顔をして頬を掻くトウヤ。
ミストラルには、二人が何の話をしているのか全く理解できない。
しばらく静観していたが、そろそろ辛抱できなくなり、申し訳なさそうに口を開く。
「あ……あのぉ……」
ミストラルは、忘れられた自分の存在を主張する為に自分の顔の横で挙手をする。静まり返った授業中に、意を決してお手洗いに行きたいと主張する小学生のようだった。
「ああ、ごめんなさいね。なんか放置しちゃって。私はアンバー、あなたは?」
「私は、ミストラルと言います」
ぺこりと頭をさげる。
誕生して一日と経っていない自分の名前。昨日は意気揚々に名付けたが、自分の名前として自己紹介するにはまだ違和感があった。
けれどアンバーにとっては、言われた名前をそのまま目の前の少女の名前として認識するのである。 そこに疑う余地はない。
ともなれば、少女が本当に〝ミストラル〟となる、そんな瞬間と言えたのかもしれない。
「そっ、ミストラル。よろしくね……って、ゔぇえ?!ミストラル?!」
疑う余地はない、はずだった。
しかし明らかにアンバーは「嘘でしょ?!」と言いたげな反応をしている。
ただ名前を言っただけなのだが。
「は、はい……変な名前でしょうか……?」
もちろんミストラルはなんでそんな反応をされたのか見当もつかない。
思い返すと、昨夜トウヤに提案した時も微妙な反応をしていたような気もしなくもなかった。
そっと傍に目をやると、隣りに座る男は口元に手を当ててわざとらしく頬を膨らましている。なんとも憎たらしい顔。
「トーヤ……さん?」
変な汗が出た。口の中が苦い気がする。
この世界ではミストラルという単語は変な意味を持つのだろうかと、不安に駆られた。
恐る恐る聞き出そうした瞬間、アンバーが割り込んでトウヤを問いただす。
「ちょっと、トーヤ?! ミストラルってどういうことよ!まさか、〝あの〟?!」
「まさか、そんなわけねーだろ。たまたまだよ。たまたま」
トウヤは手をひらひらと振って否定する。
二人のやりとりから察するに、同名の人物が他にいるようだった。
〝あのミストラル〟という人がどうやらいるらしい。
ミストラルは思った疑問をそのまま投げかけた。
「あの……ミストラルって名前の方が、他にもいるんでしょうか?」
「伝説のギルド《トランプ》の、副団長(サブマスター)の名前よ。その名前を知らない人はいないわ」
「……?」
伝説のギルドと称されるくらいだから、きっとすごいギルドの二番目に偉い人なのだろうな、くらいにしかピンとこない。同じ名前だと、そんなに珍しいのだろうか。
きょとんとした顔のミストラルをみて、アンバーは補足する。
「その人、行方不明なのよ。その人というより、そのギルドのメンバーの全員。だから、もしかしたらって思っちゃっただけ。驚かせちゃってごめんなさい」
「そ、そういうことだったんですね。いえいえ、きっ気にしないでください」
しどろもどろな声で恐縮した。
アンバーは何も悪くない。
悪いのは、隣に座る男である。
(昨日教えてくれたらいいのにぃ……そんな有名な人なら、これから会う人みんなに言われちゃうよぉ……)
思って、むくれ顔。
トウヤと同い年くらいであろうアンバーが、とても大人に見えた。昨夜トウヤを兄のように感じた自分を叱ってやりたいと、ミストラルは考える。
「考えてみたらそんなわけないわよね。かのミストラルは、女帝とまで言わしめる人だったらしいし」
癖である毛先いじりをしながら、アンバーは記憶を探るように視線を天井に移した。
アンバーの言葉に、隣に座るミストラルという人物と、女帝という言葉が全く噛み合わなくておかしくなり、トウヤが噴き出した。
「ぷぷぷ、女帝……女帝ミストラル……ミストラルが女帝……」
「ちょっとトーヤさん!酷いですー!馬鹿にしてますよね!?」
そう怒るミストラルはふと視線をテーブルの向かいにズラすと、アンバーまでもフフフと口元を指で押さえていた。小さく含み笑いをしている。
その時に、やはりアンバーもトウヤと同じギルドの仲間である理由のようなものを感じ取った気がした。
「ちょっと、アンバーさんまで!」
「想像しちゃったら、つい」
その三人のやり取りに幼い女の声が割り込んでくる。苛立ち声を大にしていたが、くぐもった声だった。
「うるさきゅーん……!ユっきゅん寝てきゅんけども……!」
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