翌日、うだるような暑さと空から轟く重低音でミストラルは目を覚ました。

 昨夜はいつの間にか寝てしまったらしい。トウヤと一緒に写真を撮った以降は、記憶が曖昧である。彼が掛けてくれたのか、しっかりとコートに包まれていた。

 薄っすらと瞼を開くと、視界は巨大な飛空艇の船底で埋め尽くされていた。着陸

 寸前の飛空艇が、激しい砂埃を立てて徐々に降下してくる。遠くの方で、騒ぐ獣の咆哮が聞こえた。


 寝惚けたミストラルはまだなんの騒ぎだか見当がつかなかったが、やがて昨夜トウヤが話していた《時の旅団》のギルド船だと理解し始めた。


(そういえば私、異世界に来ちゃったんだっけ……)


 砂の上で長時間横たわるとさすがに体の節々が痛い。

 うんしょと体を起こして、ポケットのスマートフォンの画面を起動する。元の世界と同じ時間軸ならば、時刻は九時三十二分。視界の端にある焚き火はすっかり燃え尽きていた。


 いつもならとっくに学校で授業を受けている時間である。今日の一時間目は数学で、先週出されたプリントの提出日。せっかく早めに終わらせたのに、提出できなければ意味がない。

 どうしよう。

 それに外泊なんて家族旅行くらいでしかしたことがなかった。さすがに両親も心配しているはず。

 

 目が覚めたら元の日常だった、なんてことをどこかで期待していたのに。

 いや、していた、のか。


(私、元の世界に帰りたいの……かな?)


 あれだけ逃げ出したいと思っていた日常。だったら、こっちで楽しく暮らすのも悪くないんじゃないのか。

 ミストラルは、自分の気持ちに自信が持てなくなる。

 徐々に覚醒していく思考の中で、そんなことを思っていると、飛空艇の真下でトウヤが手を大きく振っているのが目についた。飛空艇を誘導しているようだった。


 二人が日陰に活用していた巨大な岩山を避けるようにして、飛空艇が地上に降り立つ。

 五十メートルほど離れた所にいたトウヤは踵を返し、ミストラルの方へ足を向ける。

 数秒歩いたあたりで、トウヤはミストラルが起きていることに気づき、軽く手をあげ、呼びかけた。


「おーい!こっちこっち!早く来いよ!」


 あげられた手の指先が、招くように小さく動かされる。それを見たミストラルは、未だ覚めきらない頭を起こすようにふるふると頭を左右に揺らしてから、駈け出した。


 途中、お約束のように転んだことは、もはやトウヤにとって驚くに値しなかった。


「はぁ……ハァ……」


 たった五十メートルの距離をちょっとした小走り程度の速度で走っただけで、肩で息をする。日々の運動不足もここまでくると嫌になった。


「あの……ゴホッ……トーヤさん……はぁハァ……こ、コレ……あ、ありがとう……ござい……ました!」


 息が整う前にも関わらず、彼女の律儀かつ生真面目な性格が作用し、無理に口を開く。

 ミストラルが手渡したのは、昨日借りていたコート。当然、きちんと畳まれていた。

 何をするにも必死さが伴うミストラルの姿に、トウヤは微笑してながらそれを受け取って、彼女の小動物のように小さな頭をぽんぽんっと、軽快に触る。


「それじゃあ、さっさと乗っちゃおうぜ」


《時の旅団》の飛空艇は、スチームパンクのデザインが特徴的であるレトロな帆船にプロペラやエンジンがついている。三十人以上は優に乗員し、ジャンボジェット機と同程度かそれ以上の距離と速度で飛行が可能な巨大機体。甲板から入ることのできる船内は、三階層に分かれている。一階は作戦会議や食事の時に利用する大広間、地下一階はキッチンや大浴場といった生活に置ける必須施設と船の操縦室が設置され、最下層には宿泊用の複数の小部屋がある。

 

 作り手である《百花繚乱》のギルドマスター、ハントリー曰く「そこらへんの民家や宿に比べたら、断然快適な環境です。船というよりも、空飛ぶホテルだと思って欲しいくらいなんですから!」とのこと。船の側面に小さく描かれた、ハントリー印の焼印はご愛嬌。


「ここまで立派だと、感動を通り越してちょっと恐縮しちゃいますね。飛空艇って、てっきりおっきいクジラみたいな形の飛行船と同じだと思ってましたよ。こんなゲームに出てくるみたいなものだったとは……」


 視線を巡らせ、船の甲板を右往左往するミストラル。どこかの夏のイベントで設置された巨大模型や、はたまた博物館でも観光にきたような気分だ。

 この世界に慣れてきたのか、何故船が空を飛べるのだろうなどのファンタジックな現象についてそこまで気にならない。もう〝そういうもの〟と割り切る心構えなのである。それこそ空港から離脱する飛行機が何故空を浮遊できるのかも、鉄の塊である客船が海で沈まない原理すら、よくわかっていないのだから。


「ウチはギルメンが少人数の割にはかなり大きい方けど、だからってそんな立派ってほどじゃないよ。大所帯のギルドのが、もっとデカいしカッケー」


 トウヤらしからぬ謙虚な発言である。

 言いつつ船内に入る扉へ向かうので、置いて行かれないようにミストラルは軽い足取りでそれに付いて行く。


「そういえば、ギルドのメンバーさんは中にいるんですか?」


 訊くと、いきなり扉が勢いよく開かれた。

 あと数歩のところでドアノブに手をかける距離にいたトウヤは、全身を身構え硬直させる。

 ミストラルは何事かと、トウヤ越しに見える扉の先に目をやった。


 そこに立っていたのは、紅葉のように美しい赤い色をした髪の女性。

 トウヤを見て、まるで死んだ人が生き返った奇跡を目撃したように目を大きく開いている。


「なんだ、アンバーか」


 トウヤはホッと胸をなでおろす。

 アンバーという名前は、昨日の会話の中でも出てきた名前だった。つまりギルドメンバーの内の一人ということになる。服装がトウヤとテイストの似たスチームパンクなことからも、それは明確だ。


 ミディアムヘアの髪先を少しカールさせ、大人びた雰囲気で美しい。どこぞのアイドルグループにでも所属しているのかという風貌である。

 きっと、トウヤの帰還を甲板まで迎えに来たのだろう。


「まったく、どこに行ってたのよ」


 アンバーは落ち着いた様子になってから、不機嫌そうに目線を逸らして紅色の毛先を人指し指でくるくるといじる。その動作は、彼女の癖だった。


「朝起きて、あんたがどこにもいないってなった時、どれだけの人が心配したと思ってるの?」


 発せられる言葉の節々に、棘のようなものが感じられる。

 ミストラルはトウヤをちらりと見ると、口角を悪そうに歪ませていた。ミストラルはその顔に見覚えがあり、嫌な予感がした。


「あれー? アンバー、俺のこと心配してくれちゃってたりしちゃったの?」


 アンバーはトウヤのそんな調子に慣れている様子で、呆れ顏を作る。

 ため息をついて、答えた。


「なにいってんだか。私は心配なんてしてないわよ!」


 そう否定した途端、彼女の頬を一筋の涙がつたう。

 本人はそれに気がついていないのか、気に留めていないのか、続けた。


「あんたがいなくなったら、ギルドの存続に関わるじゃない……だから、もし死なれでもしてたら私たちだけでなく、ギル民のみんなも路頭に迷うわけで……別に! 心配っていっても、そういうんじゃないわ!」


 内側から込み上げてくる何かに堪えかねるように、その感情を目じりから溢れさせる。止めどなく流れ出る涙は彼女の小さな顔を濡らし、地に落ちていった。


「……」


 嗚咽を漏らしながら、目を強く拭う。しかし拭い切れることもなく、止まらない。

 ミストラルは、予想外すぎる事態にどうしたらいいのかわからなかった。

 たった一日、トウヤが行方不明になったことでここまで心配する人がいる。自分にもそういう人がいるかもしれない。

 そう思うと、少しホームシックにかられた。


「ふむふむ、アンバーは泣いちゃうほど心配だったのか」


 しかし、当の本人はこの調子である。

 自分を心配して、泣いている女の子にかける声とは到底思えない、相手をからかう口調と言葉。

 ミストラルは、健気に泣いていたアンバーが可哀想になって少し同情をした。

 この人は、真面目な時でもふざける。

 それをミストラルは身をもって知っていた。だがそれが、彼なりの不器用な優しさだということも。


「だ、誰が! 泣いてなんかないわよ!!」


 アンバーは声を荒げる。顔は、髪色にも負けないくらいに真っ赤になっていた。今にも頭から湯気が立ち込めそうである。

 そして、話を逸らすよう無理に冷静を装って問い掛けた。


「そ、そんなことより、その後ろの子は誰? 新しいギルメン?」

「ちょっとワケありでな、しばらく面倒見てやることにした。詳しいことは中で」


 ミストラルはトウヤの陰から、どうも、と軽く会釈をする。

 それに対してアンバーは、にこりと微笑み返してからトウヤを一瞥して、船内に入っていった。

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