「……はい?」


 今この人はなんて言ったのだろうかと、ミストラルはトウヤの顔を凝視すると、眼前の少年はトドメの一言を発した。


「じゃなかったらとっくに帰るでしょ」


 ご冗談を、と言いたげに、乾いた笑いを見せるトウヤ。


「え―――――?! トーヤさん、ここの岩山に来るまでも迷いなく来たじゃないですか!この砂漠、見知った場所なんじゃないんですか?!」

「こんななんもない危ないところ、詳しいわけないじゃん」

「じゃあなんで、トーヤさんはここへ!?」

 

 思わず大声になってしまうミストラル。

 

 トウヤはこれまでの経緯を笑い話のように語り始める。

 ギルドメンバーと共に飛空艇に乗り、友好関係にあるギルド《硝子の花》へ向かって移動中だった。《時の旅団》は、ギルド本拠地に常駐するのではなく、このように旅をすることが多い。

 今回は、《硝子の花》のギルドマスターであるクロが、ギルド間の交流を兼ねて腕によりをかけたを振舞いたいということで招待されていたのである。

 

 トウヤたちは夕飯を頂きに行くだけでは難だからと、明るいうちから《硝子の花》へ訪問し、食事が用意されるまでの間ギルド内の雑用や手伝いでもしようと決めていた。

 日が暮れ出すころに出発した飛空艇を自動運航に切り替え、朝には到着するように設定する。

 

 夜も更けたころ、ギルドメンバーは早々と寝静まっていたが、トウヤは船の甲板に出て夜風にあたり涼んでいた。なんだか目が冴えてしまっていたのである。

 月光浴にも飽きたところで地上の景色でも眺めようかと視線を落とす。地面には、風が生み出す砂の絵画。そんな中で一際騒がしい、モンスターの集団が視界に入る。

 

 何事かとさらに身を乗り出して確認すると、その集団に囲われて襲われている少女を見つける。それがミストラルだったというわけだ。

 トウヤは飛行する船をすぐさま飛び降り、少女の救出に成功するが、そこで初めて気がついた。

 

 遥か彼方に行ってしまった船に戻る方法も、ギルドメンバーに連絡する手段もないということに。


「私が最初にみた黒い影って、トーヤさんのギルドの飛空艇だったんですね……」

 

 なんだかやるせない気持ちで肩を落とすミストラル。トウヤが咄嗟に助けに来てくれたからこそ命拾いできたのだろうが、このまま砂漠を抜けられずのたれ死んだり、新たに現れるモンスターの餌になるのでは同じだからである。


「だから、航路の途中で岩山があった地帯あったなーって感じにその方角に来たからここに到着しただけなんだよな。これがまた」


 後頭部に手を当てて、バツが悪そうに笑って誤魔化すトウヤ。

 ミストラルの心情は笑い話ではない。複雑だ。


「でもまぁ、明日になればギルドメンバーも俺がいないってわかるだろうし、帰りも同じ航路を通るはずだから、そしたら拾ってくれるはずなんだよね。狼煙でもあげればわかるだろうし。というわけで、今日は野宿だ」

「の……野宿……ですか」


 苦い顔をして、ため息をつく。

 ミストラルの脳裏には、粘ついたヨダレを垂れ流していた屈強な狼の集団がよぎっていた。

 頭をぶんぶん振って考えないようにするが、どうしても頭から離れそうにない。

 トウヤはそのミストラルの不安を察するやいなや、


「大丈夫。俺はモンスターが来ないか見張っててやるから、ミストラルは安心して寝な。ほら、寒いからこれでもかけて」

 と言いながら、羽織っていた焦げ茶色の上着を脱ぎ捨て、ミストラルへ放り投げた。鈍く光る金の刺繍が施されたコートだった。


 ミストラルは突然放られたそのコートを落とさないよう慌てて抱きかかえ、キャッチした。

 トウヤの体温が残り、まだ生暖かい。


「あ……ありがとうございます……」


 意識すると、どことなく照れくさくなった。

 言われるがまま横になって、受け取った上着を掛ける。革のコートは少し重かったが、小柄な少女にとっては十分な大きさで、焚き火と相俟って寒さを微塵も感じさせないほど暖かった。

 微かに感じるトウヤの匂いが気恥ずかしさを加速させる。しかしそれが人に包まれているような気がして、安心感がある。

 

ミストラルは、トウヤという人物がどういう人間なのかまだわからなかった。

 少ししか関わっていないのだから当然といえば当然なのだが、まるで全貌が見えない。

 初めて接するタイプの人間だった。

 

一見クールに見えて、どこかおちゃらけた印象で、親しみやすい。身長は一七0より少し大きいくらいだろうか。年も自分の一つか二つ上だと思う。自分とそんなに変わりがないはずなのに、知り合いでもない自分をわざわざ助け、それだけでなく兄のように優しく接してくれるのが不思議でならなかった。

 

 元いた世界、詳しく言えば日本では、そんな人はいない。皆が自分のことだけを考えて、他人に何があろうと傍観者を決め込む。実際に、ミストラルがいくら悲惨な虐めを受けていようが、誰一人助けてくれはしなかった。誰もがミストラルを透明人間かのように存在を無視して、視界に入らないように生活していた。自分に害のない生活ができれば、他人など関係ない利己的な人間ばかりだった。


 しかしそれはミストラルも例外ではない。クラスで自分以外の人が虐めを受けていたら、助けるだろうかと考えると、自信がなかった。

 だが、トウヤはそれをやってのける。いかにトウヤにとって敵ではない怪物だったにしても、自分の帰る術など後回しにしてまで、あの数の怪物を相手に命を賭して助けてくれたのである。

 何より、彼の与えてくれる安心感や頼り甲斐はどこからやってくるのだろうか。

 

 警戒心を解いて喜怒哀楽を前面に出したのはいつ振りだろう。少なくとも、中学のあの日から現在までには確実にない。

 自分が自分じゃない気がした。小学校の頃に、少しだけ戻れている気がする。


「トーヤさん。聞いてもいいですか?」

「どうした?」

 

 立て膝をついて蒼月を鑑賞するトウヤは、ミストラルに視線をずらす。

 

 穏やかな口調で微笑み、耳を傾けた。


「私が異世界から来たって、なんで疑わないんですか?普通信じないですよ」


 ミストラルは目が合った気恥ずかしさをごまかすためにトウヤに向けていた視線を焚き火に移す。


「そうかな、普通信じないもんか?例えば、ミストラルみたいな女の子がさ、丸腰でこの砂漠のド真ん中には来れないだろ。他には、グリーンティーの反応も演技とは思えなかったし、ミストラルが話ししてくれた内容もリアリティあるし。信じれる要素あげたらいっぱいあるよ」


「でもあまりに突拍子がないじゃないですか」


「んー、まずそんな嘘つく意味もないだろ。ぶっ飛んだ嘘ついたら誰だって、信じ難いだろ?それをわざわざ砂漠に取り残された状況で言うはずがない。言うはずがないからこそ、逆に信じれるっていうか……」


「そうかもですけど……」


「俺からしたら異世界でも、この世界の俺が知らない場所から来たのでも、実感としてはそんな変わりないかな。どっちも一緒だよ」


「そう言われてみたら確かに……」


 ぎこちなく頷く。

 わかったような、わからないような、変な気分だった。


「異世界なんてありえないって言い出したらいくらでも否定できるし、信じるって肯定しようと思えばまた同じくらい肯定できる。俺も『こうだから信じた!』って確固たるものがあればいいけど、難しいなぁ。例えば俺が信じないって決めたところで、ミストラルを見捨てて放置するつもりもないし、疑う意味もないんだよな。それが信じる信じないってもんだと思うけど」


 そう聞いて、やはり自分がトウヤに抱いていた印象は間違っていなかったんだと確信した。

 突然わけもわからず知らない地、世界に来てしまった。この先どうなるかわからないが、この人を信じてみようかと思えた。この人が救ってくれなければ、自分はあそこで死んでいたのだから。


 ミストラルが考えている内に、トウヤは続ける。


「ミストラルが異世界に帰れることになったら、今度は俺も行ってみたいね。そしたら案内してくれよ」


 自然とミストラルは横になっていた体を起こし、コートを肩に羽織りながら女の子座りに体勢を変える。

 そうして少し考えてから、やがて答えた。


「……はい、約束です」


 その声には、気弱な彼女からは想像もつかない強い意志が、宿っていた。

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