3
「……」
トウヤの鋭い指摘に、少女は観念して事情を話すことに決めた。やはり自分には嘘や取り繕うことは向いてないんだと再認識する。
トウヤは命の恩人でもあるし、親切で、優しい人物であることは間違いない。もしかしたら、真剣に話をすれば親身になってくれるかも知れない。
希望的観測ではあるが、少女は自身を納得させた。
気を取り直して、トウヤへ自分の事情を簡潔に説明した。今朝まで学校に行っていたこと、部屋で寝たこと、覚めたらここ(砂漠)だったこと、元の世界がどんな世界だったのかなど、思いつく限りの情報を伝える。
「う~ん……なるほどね。それに加えて、自分の名前を思い出せないのか」
トウヤは口元に手を当てて、喉を唸らせた。
どうやら、疑っている雰囲気ではない。疑うというよりも、ピンとこないといったところである。
小さくなって座る少女は、トウヤの顔色を伺いながら気まずそうに下を見つめる。落ち着かないのか、手遊びを繰り返していた。
「正直、トーヤさんが言ってることの半分くらいわからない単語がありまして……特にギルドとか、弟がやってたモンスターを狩るゲームかな?って感じで……」
「ギルドっていうのは言い換えると、国とも言うね。それならキミの世界にもあるだろ?その中に、ギルド民っていう住民がいて、ギルドメンバーっていう警察みたいな人たちがいる。ギルドメンバーは統治する領土内の治安維持とか、政治、ギルド民から依頼があればやったり……俺はそのギルドメンバーの中のリーダーだから、ギルドマスターってポジション」
「なるほど……警察みたいなことをしつつ、自衛隊だったり、政府だったりするんですね」
ファンタジー小説を好んで読んでいた少女にとっては、理解するのは容易であった。それらに当てはめてみると、案外難しいことはない。
異世界といえど、やはり同じ人間が作り出す世界。名称や細かな構成は違うにしても、大体同じような社会の規律や組織、システムがここにもあるのだ。
それは、トウヤがこちらの世界の話をすんなり理解してくれたことからもわかる。
そしてなにより、この世界にも普通の日常や生活があることに少女は安心した。自分と同じくらい、あるいは幼い女の子もきっといるだろう。ならば、自分でも生活できるくらいの治安が保たれているはずである。
もしすぐに元の世界に戻れなくても、生きることすら困難なサバイバルな毎日になることはなさそうだ。
「違う世界とか言うからなにもかも違うのかと思ったけど、部分的には似てるもんなんだね」
「……あれ??ということは、トーヤさんはどこかのお国、ギルドの一番偉い人なんですか?」
少女がそういうと、トウヤは待ってましたと言わんばかりに、自慢気な顔をして鼻を鳴らす。もし座っていなければ、両手を腰に当てて胸を張っていた勢いだ。
「そうだぜー!トーヤさんは偉い!って言いたいんだけど……んー、正直言うとギルドのリーダーではあるが、偉いって言われると微妙だな。ウチのギルドは、ね。他のギルドの方針によっては、マスターが一番偉い!ってなってたり、ギルドの王様!って形を取ってるとこもあるらしい」
続けて
「ウチのギルドメンバーは俺に対する尊敬が足りないんだよ!あいつらぁ……」と愚痴をこぼし、自慢気な表情はどこへやら、玩具を取り上げられた子供のように不満気な表情になっていた。
「へぇ、なんか面白いです。やっぱり、国によって代表者の地位が違うっていうのもこっちと同じですね。でも、本当に異世界に来ちゃったんだなぁ私」
大人びた印象を受けていたトウヤの意外な態度に微笑する。
いつの間にか、林間学校中にテントで談笑をしてるような安らいだ気分になっていた。
トウヤはうなだれるように空を見上げ、考え始める。
「にしても困ったなー、異世界から来たって言われてもどうしたらいいんだろ。キミはどうし――って、そうだ、まずは名前だよな。やっぱり思い出せない?」
岩山へやってくる前に保留にしていた問題がトウヤの頭をよぎった。
少女は、この世界にやってくる前の記憶は鮮明にあるにも関わらず、自身の名前の記憶だけは綺麗に抜け落ちてしまっていた。事態に動転してド忘れしてしまった可能性を考慮し、その問題を先延ばしにしていたのだった。
「そうですね……歩いてる間も色々頭を巡ってみたんですけど全く……思い出そうにも、何故か名前だけは覚えてないんです。忘れたっていうか、名前に関することだけすっぽりって感じで。自分以外の人の名前はわかるんですけどね」
少女がまたしても元気を失って落ち込み顔を伏せようとした瞬間、トウヤは「仕方ない」と前置きをしてから
「じゃあ、名前決めちゃおうぜ」
と提案した。
「うえぇ?!」
予想外の発言に豆鉄砲でもくらったハトのような表情になり、驚きの余り全身が一瞬痙攣したようにビクつく。意思に反して裏返った、普段の何トーンも高い声が漏れた。
「うわっ、なんだよ!ビックリしたな!」
「いや、あの……だってだって、名前決めようって!」
顔面がぶつかってしまうのではないかというくらいにまで至近距離に近づき迫る。
トウヤは身を反らせてそれを回避すると、少女の肩を両手で掴み、軽く押して元の位置に戻す。
「ずっと名前わかりませんって状態じゃ困るだろ。キミが名前思い出すか、元の世界に戻れるまでは仮の名前がないと」
「そっ、そそそそ、そうですよね!」
少女はそうに言って、ぴょんと軽く跳び上がるように座り直す。砂の上でありながらワケもなく正座になって、姿勢を正した。
まさか自分の名前を自分で決める日が来ようとは。まず、和名が良いのだろうか、洋名が良いのだろうか。
トウヤと聞くと和名な気がするが、せっかくファンタジーの世界ならば、洋名の方が憧れである。
ものの数秒で少女の頭の中には膨大な数の候補が渦巻き始めた。
「どうする?」
ある程度の沈黙が続いたあと、トウヤは少女の様子を伺い訊く。
すると少女は、閃いた名前をぽつりと呟いた。
「――ミストラル」
それはトウヤに向けて言われたのではなく、自分自身の確認のために言われたようだった。
「え?」
あまりにも小さな声だった為に、トウヤは何を言ったのか、あるいは言っていないのかすらわからない。
「ミストラルって、どうでしょうか……? 私が好きな作品の登場人物の名前がミストラルっていうんです。変……ですかね?」
「ミストラル?! いや、変ではないが……」
もじもじと体を微妙にくねらせて恥ずかしがる少女。秘密裏に書いていた日記帳を他人に覗き見られたような、そんな気分なのだろうか。顔が熟れすぎたトマトのように赤く染まっている。
だがその時トウヤの心境は、他のことに意識を取られていた。
少女はそんなことを気に止めることもなく、名前の由来を語る。
「フランスに吹く風の名前も、ミストラルって言うんです。なんか風の名前って良いなーって」
「フ……フランス??地名か?いや、キミがそれでいいなら別にいいと思うけど……いいのか??ミストラルって――」
言いかけるトウヤの言葉は少女の耳に届いていないらしく、遮るように少女は続けた。
「いいですよね!ミストラル!良かったー!トーヤさんに笑われちゃったらどうしようかって、オドオドしちゃいましたよー!」
両手を胸の前で組んで、悦に浸る少女。もはや、自分の世界に入り込んでしまっている。
あまりにもつけいる隙のない少女の様子に、トウヤは僅かに引き気味な表情を浮かばせた。
「う……うん……キミ、よくマイペースって言われるだろ」
「はっはい!なんでわかるんですか?!やっぱり凄いですね!トーヤさん」
少女の尊敬の眼差し。
それを受け取ると、トウヤはなんとも言えない残念な子を見るような居た堪れない気持ちになった。
(まぁいいか、この子がそれでいいなら)
呆れたように鼻を鳴らす。しかし、口元は自然と楽しげに緩んでいた。
トウヤは頭を掻いてから、右手をぐいと伸ばして少女へ向ける。
「じゃあ改めてよろしくな、ミストラル」
「はい、よろしくお願いします。トウヤさん」
少女は、差し出された手を握る。少女にとって二度目となるその手は、やはりとても暖かく、安心感があった。
そして、少女は心の中で自分に付けられた新たな名を呟いた。
――ミストラル、と。
「ミストラルの今後については明日考えることにして、今日はもう寝ようか。グリーンティーを飲んだからって、寝不足はよくない」
トウヤは腰からのびたチェーンの先にある懐中時計を、ズボンのポケットから取り出して現在時刻を確認する。
いかにも高価そうな形態に、年季を感じさせる鈍い金の光沢を帯びている。その時計の針は、既に十一時(二十三時)を回っていた。
「そうですね。トーヤさんのギルドの街はここから近いんですか?」
尋ねると、すくっと立ち上がり準備をするように臀部の砂を払うミストラル。軽い柔軟のために、両手をめいいっぱい伸ばしながら、月光を仰ぐ。
トウヤは座ったまま、不思議そうにミストラルを観察している。
「ん?いや全然近くないけど、なんで?」
「いや、今寝ようって……」
嫌な予感がミストラルの身体に走った。
恐る恐る向き直って、トウヤを見つめる。座ったまま出発する気配のないトウヤに、ミストラルは一抹の不安を抱き始めた。
「ああ、もう遅いしな」
「いや、だからあの……トーヤさんのギルドへ帰って、ってことですよね?」
投げかけられた問いに、まるで当たり前のことのように、平然と、あっけらかんと、トウヤは答える。
「帰れないよ。俺も迷子だもん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます