二人はトウヤ先導のもと、月明かりに照らされた砂漠をゆっくりと歩き始めていた。

 落ち着いて話ができる場所を探そうというトウヤの判断で、砂漠を探索しているのである。

 

 当てもなくただ歩くというわけではなく、なにやら目的地のようなものがあるようだった。ちょうど少女が目を覚ましてから見渡した際に黒い影を見た方角へ真っ直ぐに進む。道中、トウヤは枯れ草や乾いた木片を見つけると、拾い上げ、脇に抱えることを繰り返していた。


 少女は自分がどういう状況にあるのかということをトウヤへ相談しようかと考えたが、自分の名前がわからないだけでも既に〝変なやつ〟の烙印を押されてしまっているかもしれないのに、これ以上悪い印象を持たれたくない気持ちが先行して黙ってついていくことにした。

 

 長いこと虐めを受けて伏し目がちになっていたことから、そういう〝きっかけ〟になり得ることは過敏に避けているのである。

 決定打になりかねない「異世界から来たかもしれない」なんてことを言ってしまった日には、〝変なやつ〟の枠を飛び越えて〝頭がおかしいやつ〟のレッテルを不本意ながら頂戴してしまうだろうということは、いくら天然な少女にも容易に想像がついていたのである。


 革靴で細かな砂の上を歩くというのは困難を極め、加えて運動神経も悪く、普段からなにもない平坦な道を歩くだけでもつまずき転けてしまう程の鈍臭さを持つ少女では、トウヤに置いて行かれないようにすることがやっとだった。加えて、またあの狼に似た化物かあるいは異なる生物に襲われるのではないかと、きょろきょろと周囲を見回しながらともなれば、必死である。

 

 案の定その真価を存分に発揮し、見兼ねたトウヤが少女の手を取って引くようになるにはそう時間は掛からなかった。まるで兄に連れられる幼い妹のような図である。

 しばらく歩を進めると、閑散としていた砂漠地帯に大きな岩山がちらほら現れだす。

 トウヤは足を止め、中でも巨大な岩山を見つけ歩み寄り


「とりあえず、ここで休もうか」

 と、岩山を背に腰を落ち着けた。


 少女もつられてトウヤの傍らにちょこんと座る。

 トウヤは途中で集めた草木を一箇所に集めて、腰に巻かれたホルダーのポケットからマッチ箱を取り出した。マッチ棒の点火部を箱の側面のヤスリに擦って火を灯し、枯れた草木に投げ込む。

 

 放たれた小さな火はチリチリと音を立てて干からびた草を盛んに燃やし、たちまち木片へ侵食する。焚き火が大きな炎へと変貌したことを確認したトウヤは、少女に視線を移し柔らかな口調で訊く。


「疲れちゃった? ずっと静かだったけど」

「いえいえ! だだだだ、大丈夫です!!」


 少女は笑みを浮かべて両手を大げさに胸の前で振ってみせるが、言葉とは裏腹に疲労が見え隠れしていた。その手の側部は、擦りむいたように微かに赤く滲んでいる。

 明らさまな少女のからげんきな姿を見て、トウヤは腰のホルダーから緑色の液体の入ったガラス容器を抜き取った。


「まぁまぁ無理しないで。ほら、飲みなよ」


 きゅぽんっという軽快な音を響かせながら閉められた栓を抜き、少女へ突き出す。

 しかし少女には、その中身がなんなのかはわからない。


「えっと……これは?」


 戸惑いつつ口を開くと、思い掛けない少女の疑問符がつく発言に、トウヤは不思議そうに顔をしかめた。


「え? グリーンティーしらない??」

 

 少女は瞬間的に(やっちゃった……)という思考が巡る。

 この飲み物は、この世界ではごく当たり前のものなのだ。それを知らないということがおかしなことなのだろうと、少女には漠然と理解ができた。


「あっいえ! あの!知ってますよ~!? も、もちろん! ただ、珍しい容器に入ってるんだなー? って思っただけなんで! 普通、そういう感じのに入ってませんよね??」


 慌てて失言を訂正する。

 不自然に取り繕われた言葉の応酬。目は泳ぎ、口元はひくひくと痙攣している。幼稚園児すら騙せそうにない態度である。


 トウヤの返事が来るわずかな間、永遠とも感じられる静けさに、少女の胸の鼓動は、高鳴り続けた。

 耐えきれず、さらに言い訳を続けようとしたところで、トウヤが口を開く。


「……そうだね。確かに、こうやって携帯する容器に入れてるのはギルメンだけか。普通はポットだもんな。ギルド民には親しみないのは当然だね」

「で、ですよね~??」


 少女はなんとか誤魔化せたトウヤの態度に、深くため息をつく。

 こんな調子でバレずにやり過ごしていけるだろうか。

 そう不安になる。

 加えて、聞きなれない単語が時折会話に混ざることに、異世界に来てしまった仮説の信憑性が少女の中で増していった。


「大丈夫、普通のグリーンティーと同じだから。適量の半分しかないけど、別に激しい動きしたわけじゃないし、十分な量のはずだよ」


 言うと、少女に無理くりグリーンティー(?)を持たせる。

 少女は、グリーンティーと呼ばれる液体が収まるそのガラス容器に見覚えがあった。学校の理科教室で必ずといっていいほど見掛けるその容器は、イメージでいえば白い髭を蓄えた頭髪の薄い老人博士が、怪し気な色の液体を混ぜ合わせ、爆破を起こす際に利用するものだ。

 その中に入るものは十中八、九、薬品であり、体に良いものが収められることはまずありえない。

 

 当然、トウヤの善意の塊なのであろうと伺えるが、少女はその飲み物(らしき液体)を口にするのを躊躇する。

 だが、飲まないという選択肢はない。

 少女は、トウヤには怪しまれない程度に容器を揺らして、液体の香りを漂わせる。


(あれ……これって)


 少女はその香りを嗅ぐやいなや、今しがた警戒していたとは思えないほどすんなりと口をつける。一口分含み飲み込むと、間髪入れずに一気に飲み干した。


「やっぱりこれ、日本茶に似てる……」


 ほのかに鼻を通り抜けたのは、茶葉の香りだった。

 温かさがない分、煎じた緑茶というよりもペットボトルで販売されていた緑茶に近い味だったが、元いた世界で慣れ親しんだ味と似ていた。


「疲れとれた?」


 トウヤに言われると、少女は自分の身体の変化を自覚する。

 グリーンティーを飲み終えたと同時に、全身の疲労が嘘のように消え、癒えているのである。癒えているどころか、むしろ元気になっていた。その神秘性から見た錯覚かも知れないが、一瞬だけ全身が内側から発光した気がする。

 今からまた出発して、砂漠を抜けるまで夜通し歩くことすらできそうだと、少女は思った。


「すごいです、トーヤさん!! 疲れが吹っ飛んじゃいました!! 魔法みたいです!」


 あまりに現実離れした不思議体験に、少女はうちに湧き上がる感動を口にする。

 少女は興奮気味に身を乗り出して、両手を激しく上下させた。空に浮かぶ星々が瞳に投影されたかのように輝くその瞳には、クリスマスの朝、枕元にプレゼントが置かれていたサンタクロースを信じる子供のように無邪気で純粋な光があった。

 その少女を見るトウヤは、ぱちくりと瞬きをしながら当惑した様子である。


「い、いや、だってそりゃグリーンティーなんだから。当然だろ」

強張った笑みが、そこにはあった。

「あ……」


 少女の顔がさあっ、と青ざめる。

 全身から血の気が引いていくのがわかった。漫画だったらきっと、青い縦線が描かれるだろう。

 頭の中が真っ白に染まり、まるで時が止まったような感覚が少女を襲った。もちろん、トウヤが何かしたわけではない。


(またやっちゃった……完全に素の反応しちゃった……)


 氷漬けにされたようにピクリとも動かなくなった少女を見て、トウヤは怪訝に眼を細める。


「なーんかキミ、隠してない?」

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