瞳を開くとそこは、異世界だった――



 少女は満天の星空もと、目がくらむように大きな砂漠で仰向けに寝転がっていた。視界いっぱいに広がる夜空には、所狭しと星々が散りばめられている。寝起きで頭がぼんやりとするのも相俟って、半ば夢見心地に眺めていると、ふわりと撫でる夜風に体が震わせられ、はっと我にかえった。


「……あれ、ここどこだろう?」


 まず(夢の中なのかな)と、そう思った。しかしそれにしては妙にリアルだとすぐに気がつく。夢にしては、起きてる時と体感に遜色がない。


 横になっていた体を起こして、いわゆる女の子座りと呼ばれる座り方になってから、大きく首を左右に振って辺りを見渡してみるものの、辺り一面砂だらけ。時折たな引く砂塵が、彼女の体温をさらう。


 冷える体を縮こませるようにした後、もう一度辺りの様子を伺った。明るい月光に照らされている為、見通しは悪くないが人が住む家や街がありそうにもない。唯一、視線の先の方になにやら動きのある黒い影が見えるが、それが一体なんなのかはっきりとはわからなかった。


 少女は眉間にしわを寄せ、長いまつ毛をふわりと動かし目を細めて、黒い影を凝視してみる。こめかみ辺りを無意識に人差し指と親指で摘むように手をやるが、そこには何もなく見事に空振り。彼女が普段掛けているはずの眼鏡がどこかへいってしまっていた。

 慌てて四つん這いになって身の回りを探し始めるが、近くに眼鏡は見当たらない。


(そんなぁ……眼鏡がないとちゃんと見えないなんて、不便な夢だなぁ……)


 そう呑気なことを考えても見つかりそうもないと諦め、再びぺたんと腰を地面におろした。

 夢の中でくらい眼鏡なくたって見えてもいいのに、そうひとつ大きなため息をついて肩を落とすと、頭の上から滑り落ちてくる物が。カチャリと。


「あ……見えるようになった……」


 彼女は古典的な喜劇のごとく、自分の頭に乗せられた眼鏡の存在に気付かず「めがね、めがね……」とさながら眼が数字の3になったかのようにして探していたのである。

 兎にも角にも、眼鏡があって良かったと安堵し、ズレ掛かったセルフレームの眼鏡をくいと正した。これでようやく彼女本来の姿になったといえる。

 先ほどと一変してスッキリした視界になると今度は左右ではなく、後ろに振り返るようにして辺りを見渡した。そしてその光景に、ここが自分のいた日本、それどころか元いた世界ですらないと即座に理解する。


「うわぁ……綺麗……!」


 何故なら、月が蒼かったのだ。そして、あまりに大きかった。

 全身を優に包み込むほどの大きな月が、後方に浮かんでいる。まるでゲームやアニメの世界で描かれるような、吸い込まれるように大きな月。到底、月が少々接近したことで大きく見える程度のスーパームーンとは思えない。

 

 そこに浮かぶのは、十六年間慣れ親しみ続けた黄色みがかった控えめな月ではなかったのだ。それが単なる自然現象によるものでも、海外ならばあり得る、ということでもないと疑惑なく否定できた。


 初めて見る景色、一生見ることができなかったであろう月、彼女はその幻想的なまでに美しい光景に見惚れていた。まるで自分が日々望んでいた、ファンタジーの世界のようだと。

 

しかしじんわりと、嫌な思考が脳裏に湧き上がる。頭が冴えていくと、自分の状況に違和感を覚えていく。

肌は夜風の寒さを感じて、少し指を動かせば砂のサラサラとした感触までわかる。


(こんな夢……ありえる?)


 少女はそう思うと、途端に怖くなった。

 学校から帰宅し、自室のベッドに倒れこんだところまでは覚えている。あのまま寝落ちしてしまったのだろう。それがどうして、こんな場所へ。

 格好も砂漠の夢にしては似つかわしくない、寝ついた時と同じブレザー。

 夢の中で眼鏡がないと目が見辛いなんて、経験したことないどころか、眼鏡の存在を意識したことすらなかった。

 

 次々と浮かび上がる夢ではない可能性。夢と決めつけるよりも、現実だと受け入れる方が、筋が通ることばかりだった。

 もしかしたら、本当に夢じゃないのかもしれない、そう確信を持つのは時間の問題だった。

 途端に押し寄せる不安。少女は俯き思考を巡らせようにも、冷静になればなるほど現状にリアリティが帯びていく。


(ここは、どこ? なんでこんなところに? )


 混乱する彼女に対して、畳み掛けるように


「グルルル……」


 びくりと咄嗟に肩を竦め、恐る恐る顔をあげて視線を声の出処へ向ける。


「きゃっ……!!」


 ライオンや虎よりもふた回りほど大きな、狼に似た怪物が睨みつけていた。誰が考えても、彼女に頭を撫でられに近づいて来た愛嬌のある野良動物でないことは明白だった。

 その数は一匹に留まらず、ものの数秒で仲間が次々と集まり、最終的には数十頭にものぼる。少女が考え事をしている隙に、狼たちは狩りの準備を整えていたようだ。


(どうしよう……どうしよう……どうしよう……)


 逃げようにも腰が抜けてしまってまともに立つことすらできない。それでも僅かながら後ずさりをするも、前方だけでなく逃げ道を塞ぐように四方を綺麗に囲われていた。

 恐怖が、少女の脳裏を蝕む。


「狼さぁん……私は美味しくないですよぉ……」


 狼どころか、隣にいる人ですら満足に聞き取ることができないほどの声量で呟いた。それに気付いてか知れぬが、初めに彼女と対面した他の狼よりもひと回り大きい群れのリーダーと思わしき狼が、吠え猛る。

 

 まんまとその威嚇に屈した彼女は、とうとう気力を失ってしまった。次第に身体は震え、奥歯がカチカチと音を立て始める、まもなく迫る尿意のことなど気にしていられないほど、絶体絶命の危機にただただ震えることしかできない。そのありさまを見た狼が、勝ちを確信したのか口元がゆるりとニヤけたように少女は感じた。


(誰か助けて……!)


 少女は、そう虚しく心中で叫ぶことしかできなかった。

すると、


「安心しな。俺がなんとかしてやるから」


 少女の背後から肩をポンと軽く叩き、立ちはだかる人物。


(え……? この人、どこから……?)


 狼が周囲を囲む中、どうやって中央に入ってこられたのか。

 しかし、そんな疑問はどうでもよかった。その一言で、少女は幾分か救われたのである。


 少女の視界に映るのは禍々しい狼ではなく、一人の少年の後ろ姿になったのだった。

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