TIME TRAVELERS

@hayato-nakagawa

プロローグ

「――


 黒髪の少年は、そう言い放った。


 右腕を前に突き出し、手のひらを大きく広げ、自慢げにニヤリと微笑む。

 その自信に満ち溢れた表情に相応しく、実に整った顔立ち。中性的な造形で、いわゆる男らしいとは到底言えないがどこか凛々しい風貌をしていた。だらりと脱力し垂れ下げている左手には、彼の持つ懐中時計の時針を模したような型の剣が握られている。


 時は夜、場所は砂漠。しかも果てしなく広大だ。見渡す限り、砂丘が続いている。所々に点在する名称不明な干からびた植物やサボテン、小岩ばかり。星明かりが美しい夜空には、不気味に地を照らす蒼い満月が浮かぶ。

 直視するには目を細めずにはいられないほど大きな月の下では、少年と少女、そして二人を囲う数多の獣が対峙していた。


 少女は少年に守られるように影に隠れて震えている。恐怖で身体の自由を奪われて立つことすら叶わず、尻餅をつき、出会って間もない少年をただ見上げていることしかできなかった。

 華奢な体にちょこんと乗せられた小さな顔はセルフレーム眼鏡が掛けられており、レンズ越しに潜む大きな瞳を潤ませながら、眉をひそめ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。


 少女の張り詰めた心をえぐる荒く汚い獣の唸り声が幾重にも重なって耳を貫く。この砂漠界隈を縄張りとしている、〈サンドウルフ〉と呼ばれる獣だ。

 今にも飛びかかりそうな臨戦態勢が空気で伝わるほどの形相で、赤黒い体毛は逆立ち、図太い牙が並ぶ口元からは粘ついたよだれをだらだらと垂れ流している。あと少し、あと少しと、サンドウルフの群れは二人の様子を伺いながら確実に仕留められる射程範囲内にまで近付こうとジリジリと距離を詰めてくる。


 少年がどうすることもできずにひとたび飛びかかられたら、抗う術もなく、少女の身体は狼の餌になる状況だ。少女は神に祈る他には、名も知れぬその少年を頼るしかなかった。


 そんな危機的な場面で放たれた一言。

 「時よ、止まれ」以前にもなにか言っていたようだったが、少女には聞き取れなかった。

 その一言で少女は(もうだめだ……)と死を心のどこかで覚悟し、苦い笑みをこぼす。


 それがあたかも合図だったかのように、サンドウルフの大群は痺れを切らして二人に襲いかかった。

 生と死の僅かな合間。

 少女はゆっくりと瞳を閉じ、そうして開くと、押し殺していた感情が大粒の涙へと形を変えて頬から滑り落ち、乾びた砂にすっと染みわたった。



 ――その時、サンドウルフは二人を中心に爆風でも煽ったかのように〝同時に〟吹き飛んだ。鈍い音をたて、毛皮の巨体が地面に叩きつけられていった。



 サンドウルフは甲高い絶叫を振りまきながら逃げるようにして走り去っていく。手負いもいたようで、血をポツポツと垂らしながら逃げるものや、後ろ足を引きずりながらバランスが悪そうな姿勢で走っていくものもいる。


「えっ……」


 驚愕のあまり、少女は息を詰まらせる。

 何が起こったのか全く理解ができなかった。観ていた映像の記録メディアが飛んで、いきなり別場面に切り替わった時に似たような感覚が、少女を見まう。

 数分間、気でも失っていた気分だった。

 周囲を見渡してみると、何十頭もいたはずのサンドウルフは既に地平線の彼方。


(今のって……一体……どうやって??)


 少年がバトル漫画さながらの超高速や瞬間移動で活動し、狼の群れを次々と薙いだのだろうかと考える。しかし、この広大な砂漠でそんな動きをすればたちまち砂埃が舞うだろうが、それもなく、もちろん攻撃をする(した)際の音の類も少女の耳には届いていない。

 少年は、変わらず背を向け立っているままである。


 そもそも、サンドウルフが吹き飛んだのは「次々と」ではなかった。では、目に見えない念力じみたチカラを使ったのか。しかし、サンドウルフは怪我をしていた。ただ単に突風のようなものを浴びて吹き飛んだわけではない。

 いずれにしても、そんな時間はどこにもなかった。少女が目を閉じ、そして開いたその瞬きの時間のほんの刹那の間の出来事。

 まるで本当に少年が放った一言が現実にでもならなければ、到底不可能だった。


 時を停止し、少年だけがその時間停止の呪縛から解放され、サンドウルフを順に打ちのめす。時が動き出した頃には、既にサンドウルフはやられ、逃げ出していた。


 もし時間を停止させられるならば、の話なのだが。


(まさか本当に……時間を……)


 少女は少しの間、呆然とした表情を浮かべる。目の前の男を足元から頭上へ食い入るようにゆっくりと見上げていくと、ちょうど視線が後頭部あたりにいったところで少年――トウヤが振り返った。一瞬、右眼が時計の文字盤のようになっていたようにも見えたが、気のせいだった。

 トウヤは少女の様子を見て安堵したのか深く息をついた後、左手に持っていた剣を上空へ投げ捨て、口を開く。


「立てるか?」


 穏やかな口調でそう言い、右手を差し出した。


「え……あの……私なんかよりも、あの剣、捨てちゃっていいんですか?」


 少女はトウヤの背後上空に目を向ける。

 投げ捨てられた剣は空中で乱雑な回転を繰り返し、その刀身は月光をチラつかせ輝く。次第に上空へ向かう推進力を失い頂点を迎え、重力に引きづられて落下し始めた。

 すると、落ちていくに従って剣は徐々に透過していき、地面に突き刺さるかどうかの寸前でどこかに吸い込まれるかのように姿を完全に消してしまった。


「って、え??あっ、あれ、今消えちゃいましたよ!?」

「大丈夫大丈夫、アレは捨てたわけじゃないし、どちらかというと消したっていうよりも〝しまった〟だけだから」


 トウヤは消えた剣を気にとめる様子もなく、少女の手を取り、グイッと引っ張り上げる。

 少女はすっかり相手のペースに乗せられてしまっていた。それは物腰の柔らかい印象を受ける口調や佇まいが、自然と少女の警戒心を解いていたからだ。


「あ……すみません……」


 なにを言っているのかは全く理解できなかったが、少女はか細い声でお礼を言い、掴まれた手をしっかりと掴み返す。恐怖の余韻でまだ微かに震える足にめいっぱい力を入れて無理矢理立たせた。

 すっかり冷たくなってしまった少女の指先に対して、トウヤの手はとても暖かった。

 じんと伝わる体温。お世辞にも体格が良いとは言えない細さだったが、小柄な少女にとっては充分大きな手のひら。そこには、本能的に感じる安心と安全があった。少女の中に住まう恐怖心は、手の暖かさで幾分か和らいだ。


「……ありがとうございます」


 冷めきっていたはずの少女の体が、少しばかり高揚する。

 こみ上げる含羞に耐えかね、慌てて手を離してしまった。手持ち無沙汰になった手の所在を埋めるように砂だらけな自分の服を軽く叩く。

 トウヤから見た少女の「あわわ……」とあたふたとする姿はなんだか小動物のようで、口元に柔らかな微笑が滲む。


「じゃあ、俺はこの辺で」


 そう言って、トウヤは右手をひょいと挙げてから踵を返す。


「え?!ちょっ……ちょっと!行っちゃうんですか!?」


 反射的に少女は、目の前のスチームパンク調の服を着る男を引き止めた。また一人になるのは、是が非でも回避したい。頼れるのはこの人だけだと、少女は直感的に悟っていた。


「ん、なんか用ある? もしかして、怪我とかしちゃってた?ちょい待ち。ミニだったらレッドティーが……」


 コートの内側、腰に手を回して何かを取り出そうとする。腰にはベルトとは別にホルダーのようなものが巻かれており、そこにはコルクキャップで閉じられた試験管に似た細長い円筒形のガラス容器が数本刺さっていた。中身は、透明感のある赤と緑の液体で満たされている。

 レッドティーと呼ばれた赤い液体の入ったガラス容器に手をかけたところで、トウヤの行動を静止させるように少女は声を荒げた。


「あっあの!私、なにがなんだかわからなくて!!気がついたらここにいて、そしたらあっという間にばーって、大きな狼に囲まれて!そしたらあなたが突然現れて!しかも時を止めるだとかなんだとか言って!もう頭がめちゃくちゃに――」


 捲し立てるように、頭の中で渋滞していた情報、疑問や謎を解放していく。腹を空かした赤ん坊の癇癪のように、止め処なく吐き出す。

 少女のその行動は、トウヤに向けて言うのではなく、兎にも角にも口に出してすっきりしたかったという意味が込められていた。

 もしかしたら少女の人生の中で最も大きな声で、早口で、喋った日かもしれない。


「教えてください!答えてください!あなたが知ってるなら、説明してください!一体、なにがなんなんですか!?」


 全てを出し切り、途端に黙る少女。胸に手を置いて激しい呼吸を繰り返す。

 少女が漏らす嗚咽と咳き込みだけが、空気を震わせていた。

 そこから、少しばかりの静寂が訪れる。

 なんとも言えない顔つきで苦笑いをしていたトウヤは、遠慮がちに


「スッキリした?」


 と優しく微笑んだ。


「あの!あのっ、あの……すみません……あなたのせいでもないのに、こんな……」


 しばらくすると上げ下げしていた肩も落ち着きを取り戻し、胸の中で渦巻く形容しがたい感情が、次第に曖昧になっていった。


「うーん……つまりあれか。キミ、迷子なの?」

「迷子というか、ここがどこだかわからないだけというか……」

「俺はその状況を迷子という表現方法しか知らないわ」

「……」

「……」

「……ですね」

「だな」


 トウヤは少女の数々のコミカルな動きに耐えかね、思わず吹き出してしまった。少女もつられてしまい、クススと小さく笑う。充満していたシリアスな空気が嘘のように和やかな空気へ移り変わる。


「笑うなんてひどいですー!」

「ははは、悪い悪い。キミ、名前は? 俺はトウヤ。《時の旅団》ギルドマスター、トウヤだ。トーヤさんと呼んでもいいんだぜ!」


 言うと、少女はぷいと他所に向けていた顔を正面に戻す。そのまま数秒考え事をしたような動きを見せると、途端に顔色が曇り始める。そして困った顔をして、口をごもらせた。


「えっと……はい、トーヤさん。よろしくお願いします」


 訝しげに首を傾けながら、なにかを思い出し、続けた。



「あの……私の名前って……なんでしたっけ……?」



 φ



 この二人の出会いが、刻むことを忘れた幾多の時計の針を動かすことになる。


 戦うことを諦め立ち止まり、逃げることばかり繰り返し、進むことを投げ捨て過去を否定し、運命だと受け入れ未来を避けた者たち。


 彼らはまだ、自分たちが立ち止まっていることすら自覚していない。


 なにを思い、なにを目指し、なにを成し遂げるべきなのか、それは誰にもわからない。


 はっきりしていることはただ一つ。


 時は皆平等に刻み続ける。


 例え立ち止まろうとも、命ある者は生という時間を歩み、死が訪れるまで先の見えない未来へと時間旅行タイムトラベルを続けなければならない。


 それだけだ。



 そして時は、動き出す――

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