第5話 脱出

「こちらからお願いします。」後方の車両から誘導の声が聞こえた。混乱はおきていないようだ、一番後方の車両から降ろされ線路内を歩いて一駅前に戻される。電車内はスマホの明かりだけだったが、ホーム下の足元にはLEDライトが非常用なのかいつもは目にしないところで光っている。この明かりも人々に安心をもたらす。外は相当な雨が降っているのか戻る途中、トンネル内の上部のダクトから水が勢いよく流れている箇所がいくつかあり、その音が嫌な雰囲気を醸し出しているが足元への水の影響はない。この電車の不通も停電も雨の影響だろうと推察されるが、先の駅ではなく1駅戻らないといけないのは何故だろう。たいした距離ではないが次の駅のほうが近いのは確実なのだが。この先に何か大きな問題が発生しているのだろうか。そんな詮索よりも地上にさえ出れれば、会社に向かうこともできるし、ここは駅員さんに従い早く地上を目指すことがベストと足を速める。5分ほど歩くとホームの明かりが見えてきた、周囲の人の安堵の雰囲気も感じられる。駅のホームは停電していないためその明るさを求めて全体がさらに早足になる、いつもの明るさに戻れて皆一安心だろう。少し渋滞しているがホームはじの鉄製のはしごから順次ホームにあがっていく。

 やっとたどり着いた安心もつかの間、ホームにいる駅員さんが拡声器で叫んでいる「現在駅の出入口は大雨の影響で、すべてのシャッターを降ろしております。駅内への入水を防ぐための措置ですのでご理解とご協力をお願いいたします。しばらくの間ホーム内での待機をお願いいたします。」一瞬なにがおきているのか理解できなかったが、我々は地下鉄構内に閉じ込められているようだ。そんなにすごい大雨なのだろうか。ゲリラ豪雨がこの地域に集中しているのだろうか。スマホのアプリで雨の状況を確認したいのだが、混み合っていてアプリの動きも悪く外の情報はほとんど取れていない。

 体調が悪いのかホームに新聞を敷いて座り込みハンカチを口元にあて周囲の様子を伺っている女性、スマホでメールをしているのかゲームをしているのかわからないが画面をいじっている若いサラリーマン風の男性、大事な用があるのか駅員さんにいつ出れるのかと詰め寄っている少し太った銀縁の眼鏡をかけた中年男性、いろいろな方がいるがほとんどの方は落ち着いているようで、どうにもならないあきらめ顔でホーム内で整然としている。進行方向反対側のホームに止まっている電車のドアは解放されその中で座っている方もいるのだが、電車内の空調は止まっているためホームのほうが若干涼しい、そのせいかホーム内で待つ人のほうが多い。

 「すいません。だれかお手伝いしていただけませんか」さっき上ったはしごの下から声がする。先ほど車内で具合の悪くなった女性を介抱していた男性が女性をおんぶして立っている。白のシャツは水の中を通ってきたかのうようにびっしょりである。すぐにホームから3名の男性が線路に降りて女性を抱え上げてホームになんとか持ち上げることができた。「ありがとうございます」男性がほっとした表情でこちらに爽やかに微笑みかける。滴る水も爽やかに見える。「じつはまださっきの電車の中に動けずに残されている方がいらして、車掌さんが付き添っているのですが、何名かで助けにいきたいのでどなたか私と一緒にご協力いただけませんか」こんな状況なのに笑顔でそう呼びかけている。私はとっさに「私は大丈夫ですよ。いきましょう。」普段は面倒なことに足をつっこむことはあまりないのだが、爽やかな笑顔に惹き込まれて応えてしまった。他にも5人の比較的若い男性と2人の女性がホームから線路に降りて集まっている。私が年長のようなので人数がいるなら遠慮しようかと、先ほどの好青年に話しかけようと近寄ったところ「もう少しお手伝いいただける方はいらっしゃいませんか?」と青年はまだホーム側に呼びかけている。反応はなく、私が辞退することはできないようだと察した。「まだ何人くらい残っているんですか」女性のうちの一人から状況確認の質問が飛んだ。「実は私も何人いらっしゃるか正確には把握できていないんです。先ほど連れてきた女性以外に年配の女性が足をくじかれて動けないのと、松葉づえをついていらっしゃる男性と車掌さんと5人で居たのですが、先頭車両まですべて確認できたわけではないので…」少し早口であったが、しっかりとした口調で青年が答えた。「わかりました。少なくとも2名は歩行困難なかたがいらっしゃるのですね。8名の補助があればなんとかなりそうですね。じゃあ早く行きましょう。」その女性は指を折りながら人数を数えると我々をせかすように歩き始めた。看護士か救急隊かと思えるくらい的確にスピーディに対応されている。どんな状況になるかわからないのにすぐに手を挙げられた勇気にも感心する。「そうですね。皆さんよろしくお願いします。」リーダーの青年がそのあとに続いて歩き始めた。私は少し気が引けたのだが少し遅れてそのあとに続いた。

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