第47話
……カシャッ?
その音に疑問を持ち、目を恐る恐る開くと、目を瞑ったMの顔の背後で、デジカメを握り締めた金髪のギャル――人型の音ちゃん――が、写真を撮り続けていた。
僕は慌ててMの体を押しのけ、唇を離す。
「何してるの!」
「あら英雄君、キスの感想の前に他の女に話しかけるなんて失礼しちゃうわ」
Mは唇に指を沿え、色っぽい仕草をしていた。このような状態じゃなければドキドキしただろうが、今の僕の心臓は初キスを見られた恥ずかしさのドキドキが勝っていた。
「いや……それは気持ちよかったですけど……ってMさんも音ちゃんに言うことあるでしょ!」
「そうね。音ちゃん……ちゃんと夜景モードにて撮影した?」
「ばっちりだよ~」
「なに写りの確認しているんですか! それよりも、どうして写真を撮っていたか聞かないんですか!」
「それは写りの確認をするよりも大切なことなの?」
「大切ですよ! あぁもう良いです、僕が聞きます! 音ちゃん、なんで写真を撮っていたんだよ?」
「だって~、英雄っちの喘ぎ声聞えてきたから情事の真っ最中かと思って~カメラを持って駆けつけたんだよ~。そうしたら情事が始まる前で~、キスしてるだけだったんだけど~記念に写真撮っとこうって思ってにゃぁ~」
音ちゃんはデジカメを操作し、撮った写真を確認しながら言った。
「情事なんかしません!」
僕は声を荒げた。
「あらしないの?」
Mはさらっと言った。
これはどう返せばいいのだ……したいかしたくないかと言えば、僕も十五歳、発情……いや、思春期真っ只中、したくない訳がなかったが、音ちゃんもいるこの場で返事をする勇気は僕にはなかった。
そもそも、ここは父の遺体の前だ、こんな話どころか、本当ならキスするのもはばかられるんじゃないのか?
今になってそのことに気づいた。父さんごめん。
少し反省。
「あのMさん、父の……遺体の前ですし、その話は家に帰ってからにしませんか?」
とりあえず答えは保留にすることにした。
「あら、気にしなくていいわよ。きっとお父様も喜んで聞いているはずよ」
Mは満面の笑みで言った。
うちの親は、息子の情事宣言を喜んで聞くような悪趣味ではない。
……だめだ、僕の思いは全く通じそうになかった。
「音ちゃん私にも見せてくれる?」
Mはデジカメを受け取り写りの確認をする。
「あら、いい写り。けど英雄君には刺激が強そうだから、これは見せられないわね」
そう言うと、デジカメをポケットにしまった。
僕のファーストキスは父の火葬中に無理やり奪われ、第三者の撮影により中断すると言うものになった。
……なんだろう、最悪な失い方をしたような気がする……。
僕の夢の彼女とベンチに座り、アイスクリームを食べさせあった後にキスすると言うものとは大違いだった。
キス出来た事は嬉しかったけれど、僕は泣きそうになった。
父さんには失礼な話だけれど、こんなに悲しくなったのは生まれて初めてだ。
「……父さん……ごめん」
蚊の鳴くような声で呟くと、Mの耳には届いたようで返事をしてきた。
「あら、私とキスした事を謝っているのかしら?」
「いいえ……そう言う訳では」
「これから毎日のようにキスをするんだから、その度に謝られたらさすがの私も悲しくなっちゃうわ」
「毎日ですか!」
「そう。毎日よ」
下唇に指をあて艶やかに言った。炎の揺らめきにリップを塗った唇が照らされた。
僕は思わずゴクッと唾を飲み込むと、鉄臭い唾液が喉を通り抜け、ドキドキと鼓動が早まった。
初恋をした時のようなぎゅーっと締め付けられるような苦しさを感じると、ぐらっと地面が揺れた。視界に地面がどんどん近づいてくる。
いや地面が近づいてくるはずない、近づいていっているのは僕だ。
どうしてだ?
僕はその場に倒れこんだ。
「あれ~英雄っちどうしたの~?」
「私とのキスの刺激が強くて、倒れちゃったのかしら?」
『キスはいろんな意味で衝撃的でしたけれど、それじゃ倒れませんよ!』と、言ってやりたかったが、指先と舌が痺れたようで、突っ込むことも立ち上がることすら出来なかった。
Mは震える僕の傍らに座り込み、顔を覗き込む。
「冗談が言える状態じゃないみたいね」
と、呟き、瞳を潤ませた。
Mさんが……泣いている……?
なんだ?
僕の体に何が起きているんだ?
「……」
何か言おうにも、舌が痺れて何も言えなかった。
「英雄君……これは……鉄分の欠乏症による貧血ね」
えっ貧血?
でも今Mは泣いていたような気が……。
「いくら体が再生するって言っても、血を流しすぎたのね。血は再生されても、体内で鉄は生成されないから、不足してしまうのも頷けるわね。とりあえず貯蔵鉄も枯渇したみたいだから、今日は鉄分の多く入っている食品を食べましょうか」
じゃあ僕は大丈夫なのかな?
そう言えば目眩と喉の渇きを感じる。
「急に倒れるから驚いたわ。火の側にいるせいで体温が上がったせいかしら? 症状が重そうね。音ちゃん明日の朝までここが気づかれないようにする事って可能かしら?」
「う~ん。大変だけど頑張ってみるよ~。その代わり明日の朝ごはんは豪勢にしてね~」
「分かったわ。シーチキンのLサイズを出してあげるわ」
「やったにゃ~」
「英雄君は最後までここにいたいと思うだろうけど、部屋で休まないと体に障るわ。私も眠気がピークでこれ以上は運転に障るから、帰りましょうか」
涙の理由は眠気のためか……Mさん紛らわしすぎますよ。
「……はい」
何とか声を発することが出来た。
Mの手を借り立ち上がると、僕らは車に向かい歩き出した。
貧血の影響か、まだフラフラはしたが、少しでも横になっていた事が良かったのか、Mの肩を借りてではあるがなんとか歩けた。昨日は肩を借りるくらいなら死ねと言ったMだが、どうやらその言葉は嘘だったらしい。
音ちゃんも僕らの後に続き歩いてくると、車に刀を積み込んでくれた。
「ホントは土足禁止なんだけれど、車もボコボコだし、特別にそのまま乗り込む事を許可するわ」
Mに促され僕は助手席に乗り、シートベルトをつけると、Mは窓を開けた。
「それじゃあ先に帰っているわね。火が全部消えたら電極だけ確保しておいてもらっても良いかしら?」
「りょうか~い。あっMちゃん、運転中に二人っきりだからって、チュッチュばかりして事故起こさないようにね~」
Mはその言葉に返事もせずに車を発進させた。そんな僕らを音ちゃんは姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
音ちゃんの言葉を守ってかMは車内で僕にキスする事は無かった。ただ無言でハンドルを握り続けていた。
暗い車内の中、Mの顔は見えなかった。だから僕には彼女が今何を考え、何を思い、前を見つめているのか分からなかった。
僕は助手席で、疲れでまどろみながらも、今日一日のことを考えていた。
最愛の恋人ができた日に最愛の父を失った。
父の願いを叶える代わりに、父との未来を失った。
今の僕には家族も住む家も持ち物もお金も無い。
明日からどうやって暮らしていけばいいのかも分からなかった。
学校にも、もう行けないだろう。
家を燃やしたけれどその後の対処はどうすれば良いのだろうか。色々考えなければならないことがあったけれど、今は考えるのは止めよう。
僕は考えることを放棄し、襲ってきた睡魔に抗うこともせずに眠りの世界に誘われていった。
何を失ったか考えるのは明日からでいい。
今の僕にはこの温もりがある。それで十分だ。
Mは眠りかけた僕を気遣い車の速度を落とした。
車はゆっくりとした速度で夜道を走っていく。
手を繋ぎあった僕らを乗せながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます