第46話
Mの言葉が嬉しかった。僕の思いを酌んでくれた事が嬉しかった。
ああ、こういう事だったのか。どうして父さんが僕に殺してと頼んだのか、どうして最後にありがとうと言ったのか、やっと分かった。
「父さんがどんな気持だったのか今分かりましたよ。父さんも助けてもらいたかった……命を救うんじゃなくて、心を救う。……こんな正義もあるんですね。僕はあなたを責めません。あなたは父さんの心を救ってくれたんですよ。感謝する事があったとしても責める筋合いはありませんよ」
「……英雄君」
「それにMさんは僕を殺してあげると言ってくれました。だから僕はあなたに感謝します。Mさん僕を殺してあげると言ってくれてありがとうございます」
僕はMに頭を下げた。
「お礼なんていいわ。私は、あなたのことを殺したいくらい好きなんですから」
Mの愛の深さに少しぞっとしたが、その答えもMらしいのかもしれないと僕は思い笑った。
けれど、いつの間に僕はこんなに好かれたのだろうか……。
Mと出会ってまだ三日しかたっていないし、彼女に特別な事を何一つしてあげられていない。
僕が彼女にした事はただ助けられただけだ。
一昨日にはブルーを助けるチャンスを彼女から与えられ、昨日は死の危機に扮した僕の背を押し、今日も父の心を救う手助けをしてくれた。
なぜ彼女は僕の事を好きになったんだろう……。考えても分からなかった僕は、Mに聞いて見ることにした。
「……あの、Mさんどうして僕のことを好きになったんですか?」
「気になるの?」
「はい。Mさんは……綺麗な女性ですし、どうして僕なんかを好きになったんだろうって思いまして……」
「好きになったのは、多分あなたがヒーローになるって言い出した時だと思う。英雄君は私に誰かが死ぬような作戦を立てないでくださいって言ったよね。それを聞いて私あなたのこと……命は大事と言っていればカッコいいと思っている、馬鹿でチビなおこちゃまだと思ったわ」
酷い言われようだった。ちょっと言い過ぎなんじゃないか?
「だから私は、それであなたが死んでもいいの? って聞いたわよね。その質問でうろたえるあなたが見られると思ったら、即答で、『それでもいい』って言うのよ。そんなのかっこ良すぎるじゃない」
Mがすっと手を伸ばしてきた。
僕はその手を握った。炎の前に立ってるせいか、Mの手はとても熱かった。
「英雄君、今でもその思いは変ってないかしら?」
「変りません。僕は、誰かの犠牲の基成り立った平和なんか求めません。だから僕の前で死ぬ人は今日が最後……父さんが最後です。もう誰一人たりとも死なせません」
「そう……その考えが理想論だという事は分かっている?」
「理想論ですか……でも、僕が実現すれば、今後は現実論として考えられるようになりますよね?」
Mはクスッと笑った。
「英雄君、やっぱり素敵ね。あなたみたいな人にはもっと早く出会いたかったな」
そう言ったMの顔は少し切なそうだった。
「私はね……逃げ出しちゃったのよ」
「逃げ出した……?」
「そう。自分の命が大事で、守るべき人達を残して逃げちゃった……」
ああそうか。全てが繋がった。第一世代と戦った四人のヒーローのうち、一人生き残ったヒーローがいたと言ったけれど、その一人と言うのはMの事だったんだ。
ヒーローを辞めた今でも悔やんでいるんだろう。だからMはお金が必要と言ったんだ。
「Mさんはその事を今でも悔やんでいるんですね」
「悔やんでいるか……。英雄君にはそう見える?」
「はい。だから今でも花を贈っているんじゃないんですか?」
Mは花を買うためにお金が必要だと言ったが、Mの部屋には花はおろか、花瓶すらなかった。自分のために買うんじゃないとしたら何のために花を買うのか。それは誰かに贈るため以外には思いつかなかった。
「良く分かったわね。私が毎月、見捨てた人に花を贈るのは未だに悔やんでいるからかもしれないわね。もう戦えない私にはそれ位の事しか出来ないのよ」
五十万もの生活費を要求した理由は、百人以上もの人への献花のため。
「本当にもう戦えないんですか?」
「もう無理よ。私は負けるのが怖いの。死ぬのが怖いの。負けて死んで、誰かを助けられないのが怖いのよ。私は英雄君と違って、それでも戦うとは言えない……弱い人間なの」
「それならなぜ刀を取っておいたんですか? なぜ今もスーツを着ているんですか?」
「それは……」
Mは口ごもった。
「まだ未練があるんじゃないんですか? 武器もスーツもチャペルに返せばいいじゃないですか。そうすれば、新しいヒーローが替わりに戦ってくれますよ」
「……」
「でもMさんは返したくないんですよね? まだその手で人を助けたいからじゃないんですか?」
「……」
「あなたは戦うべきだ。負けて、死んで、誰かを助けることが出来ない事が怖いなら勝てばいいんです。簡単なことですよ。どんな手を使っても勝てばいいんです。死ぬのが怖いなら生き残ればいいんです。どんなに惨めでも死に物狂いで生き残ればいいんです。そうすればMさんは皆を救う事ができますよ」
僕の口から自然と出た言葉。それは昨日、Mが僕に言った言葉だった。
「それにMさんには僕が着いています。一人では勝てない敵だって、二人なら勝てますよ」
「あなたはブルーよりも真っ直ぐね。でもやっぱり直ぐにヒーローに戻る事は出来ないわ。あの時の恐怖を私はまだ克服していないの」
Mは炎を見つめながら空ろな表情をした。きっと今、僕の知らない『羽持ち蟻姫』と戦った日の事を思い出しているんだろう。
あんなに熱かった手も、体温をどんどん失い冷たくなってきた。
そんな手を僕は強く握った。すると、Mは僕を向き空ろな目を向けてきた。
どれだけ辛い思いをしたのか僕には分からない。
どれだけの恐怖を味わったのか僕には分からない。けれど……Mはその恐怖に立ち向かおうとしている事だけは分かった。
「いつか……ヒーローに戻ってくれますか?」
Mはヒーローには戻れないと言った――直ぐにはと。
「……ええ。きっと戻ってみせるわ。だから……それまで英雄君のマネージャーでいさせて貰っていい?」
断わられる事を心配するかのようにMは戸惑いながら聞いてきた。
「はい。僕のマネージャーとして一緒に戦ってください。僕はまだまだ未熟者です。Mの指導が必要なんです。それで僕が一人前になって、Mがまたヒーローとして立ち上がれるようになったら、Mの戦いのお手伝いをさせてください」
「……ええ。その時はお願いね。きっと立ち上がって私は……『羽持ち蟻姫』を殺して魅せるわ。どんな手を使ってもね。だから英雄君も……協力してね。私、英雄君のこと……信用しているからね」
そう言うとMは微笑んだ。その笑顔は今まで見たMのどの笑みとも違った、愁いを帯びたような大人っぽさがあった。
散り行く紅葉のように、儚さと美しさが溢れ出ていた。
僕はMの微笑に魅せられた。
「Mさん……」
なんて綺麗なんだろう。
「そうと決れば、私の復帰のためにも英雄君をビシバシビシビシバチバチ鍛えるわね」
ビシバシとビシビシまではまだ擬音として許せるがバチバチ鍛えるってなんだ?
まるで鞭でも振り回すようじゃないか。……あれっ? Mなら鞭で叩きながら鍛えそうだぞ。
「あの……バチバチって具体的には……何をするんですか?」
「あら分からない? 最初のバチはスタンガンを押し付けた音で、次のバチは鞭で叩いた音よ」
「鞭、合っていた!」
「ちなみにスタンガン当てた後の鞭だから体が痺れていて傷みはしないはずよ。私って優しいわね」
「鞭を使うことが飴と鞭の飴のほう! ああもう、日本語ごちゃごちゃで意味が分からないないですよ!」
「それは英雄君の突っ込みスキルの問題じゃないかしら?」
「……」
正論に僕は反論できずに押し黙った。
「まあ、冗談はさておいて、本当にビシバシ指導しないと、借金の三百六十六万五千円返せないわよ」
確かに僕は高額の借金を背負っている。そう生半可に三百六十数万は返せる額じゃ……うん?
「あれっMさん借金の額間違っていますよ。僕の借金は三百万から怪人の報酬額を引いた二百八十万強ですよ?」
「あらそれはアオの借金を肩代わりした額よ。そこに今日の私と英雄君のスーツの光学式化の補填代金二十万。二人の刀合わせて六本の補填代金六十万。合計八十万を足して、三百六十六万五千円よ。私にヒーロー復帰を迫ったんだから、ちゃんと全部払ってもらわなくちゃいけないわね。と言うわけで、当分は光学式化の出来ない刀にスーツと、残弾数八発のライフルで戦いましょうね」
僕は急激に増えた借金に、「アハハハハ」と乾いた笑い声を発した。
えっと、一番安い報奨額が一体十万だとして、三十七体倒せば支払い出来る事になるな……。
「それに私や音ちゃんの生活費も払ってもらわないといけないし、今後の衣食住も自分で賄っていかないといけないから、英雄君は大変ね」
そうだった……家を焼いた以上、これからは別に住む場所を探さないといけないんだ。
あれっ? 保護者なしで未成年って部屋を借りれたっけ? 確かダメだった気がするな……。
漫画喫茶も十八歳以下は深夜は泊まれないよな……あれ?
そもそも僕お金を持っていないぞ。
その途端、頭の中には公園のベンチで寝泊りする自分の姿が浮かんできた。後一月もすれば雪が降ることもあるというのにホームレスになるのは……辛いな。
「住むところは私の部屋として、生活費と家賃は折半でいいかしら?」
僕がダンボールの保温性ってどのくらいだろうと考えていると、Mが言ってきた。
「……Mさんの部屋ですか!」
「大きい声出さないでよ」
耳に手をあて顔をしかめた。
「あっ、すみません。でも本当に僕なんかがMさんの部屋にお邪魔していいんですか?」
「あら? 恋人同士なら良いに決っているじゃない。一部屋しかないけど、寝泊りするには十分のはずよ」
つまりは同棲と言うことか! 五歳年上の恋人との同棲に僕の胸は高鳴った。
「ベッドは私が使うから英雄君は床に寝てもらうことになるけどいいかしら?」
「床でも大丈夫ですよ!」
「それは良かった。じゃあこれからは私がベッドで英雄君が床。そして音ちゃんが押入れの中ね」
……音ちゃんの存在を忘れていた。そうだった、あの部屋の住人には能天気猫、音ちゃんがいたんだ。これじゃ同棲と言うよりルームシェアか?
「やっぱり猫は押入れが好きなのね」
音ちゃんはドラえもんかよと言ってやりたかったが、ルームシェアと言う事実に僕のテンションはだだ下がりでまた、「アハハハハ」と乾いた笑いをする事しか出来なかった。
ちなみにMの部屋にクローゼットはあるが押入れはありません。
「あら、私と一緒に住めるだけじゃ英雄君のご褒美にならないかしら?」
「いえ、そんな事ないです。凄く嬉しいですよ」
そう言ったものの、下がったテンションをあげきる事はできずにいた。
「それじゃあ英雄君にはこっちのご褒美の方がいいかしら?」
ご褒美って何かあっただろうか?
そう思うとMの顔が近づき、唇と唇が触れ合った。
急なことで思考が停止しする。
Mの唇は柔らかくとろけるようだったが、初めてのファーストキスは檸檬の味ではなく、血の味がした。
僕は衝撃で目を見開いたが、Mが目を閉じていたので僕も習い目を閉じると、視界が閉じられ、残された聴覚、嗅覚、触覚、味覚が鋭敏になってくる。
周りからは騒音は全くせず、炎の弾けるパチパチと言う音しか聞えなかった。
Mの髪の毛が僕の鼻にあたり少しくすぐったかったが、シャンプーのいい香りもした。
Mの唇は使い古された比喩だがマシュマロのようだった。それもコンビニやスーパーで売っているような安いマシュマロなどではなく、デパ地下で朝に並ばないと買えないほどの、人気の高級マシュマロの触感だ。まあ、僕はそんなマシュマロを食べた事も聞いた事もなかったが、言いたいのは至上の触感だと言う事だ。
そしてMの舌は少しザラザラとしていた……って僕の口内に舌が入ってきた!
Mの舌は僕の舌に絡み付き、歯を這い、休まる事無く動き続けた。
「うぅんっ」
と、喘ぎ声が僕の口から零れた。
恥ずかしかったが頭の中に靄がかかったようで、抵抗しようという気は起きなかった。ただただ僕はそのキスがもたらす、まどろむ様な心地良さを味わっていた。
静寂の中、炎の弾ける音と僕の喘ぎ声そして、カシャッカシャという音だけが響いていた。
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