第45話

 マッチを擦り、家に向かい投げると火の手が上がった。火は瞬く間に家中に燃え移り、父を覆った毛布にも火が付き、炎が父の体を包み込んだ。


 火の粉が僕達の立っている所まで飛んで来たが、僕もMも避けようとせずに家が燃え尽きていくのを見続けた。


 喪服と言った暗い藍色のセーラー服を着たMと、真っ黒のスーツを着た僕らは並んで火の手が何もかも飲み込んでいく様を。


 ああ、そうか。

 僕のこのスーツも喪服なんだ。スーツも着たことない、ネクタイも付けたことない僕は今の今まで気づく事が出来なかった。さながらここは火葬場なのかもしれないな。


 火はどんどん燃え盛っていったが、音ちゃんの能力のおかげだろうか、消防車が来る気配も火事に気づいた野次馬が集まる様子もなかった。


 炎を見つめながら僕は口を開いた。


「Mさん……父さんとはどんな話をしたんですか?」


「話って言うとお別れの時の事?」

 Mは小首をかしげた。


「いいえ。父さんが人型から怪人の姿になる直前です」


 横目でMの顔を覗き見る。Mは少し悲しげな顔をしていた。


「気づいていたの?」


「リビングで刀を探していた時、時計を見つけて気づきました」


 見つけた時計は家が崩れた時間七時十分で止っていた。その時に気づいてしまった。父さんの腕時計が七時に鳴ってから、家が崩されるまでの長い戦いの時間と、僕が壁にかけた時計を六時五十分に見てから、二言、三言話し時計のアラームが鳴るまでの時間が同じ十分だったと言う事に。


 戦いの時間は十分で正しいだろう。けれど二言、三言話して十分が経つなんて事ありえない。

 それならその十分間に何があったのか想像するのも容易だった。


 音ちゃんの能力を使ったんだろう。


 さっき教えてもらった音ちゃんの能力の一つに脳波を送り、別の思考を送ると言うもの。その力を使えば、十分間僕にMと父の会話を何も話していないように思わせることも可能なんじゃないかと僕は考えた。


 その事をMに伝えてみると、「ご名答よ」と、答えが返ってきた。

「それは音ちゃんが勝手にやったんですか? それともMさんの指示のもとやったんですか……?」


「事前に私が指示を出したわ」


 やっぱり。


 音ちゃんが一人でやったとしたら、その理由が思いつかないが、Mの指示の元やったのだとしたら理由は明確だった。僕に父を倒させるためだろう。


「Mさん……それは僕と父を戦わせるためですか?」


「それもあるわ。けれど一番の理由はお父様がどうしたいか聞くためよ」


「それは父が死にたいのか、生きたいのか聞くためですか?」


「いいえ。死にたがっているのはすぐに分かったわ」


 やっぱり……。


 父は僕とMのレビスの意味を聞いたとき、僕には、『レビスの意味が分かるか』と聞き、Mには、『Mさんには、レビスの意味が分かりますよね』と聞いた。父はMに分かってもらえるか確認したんだ、これから嘘をつく事を。


 それが分かったMは、音ちゃんに指示を出し、父と二人で話す時間を作ったんだろう。


「だから私は音ちゃんの力を使い、英雄君に空白の十分を与え、その間にお父様にどうしたいのか聞いたのよ。そうしたらお父様は英雄君に、殺されたい。英雄君に自分を殺した……第一世代の怪人を倒した英雄(えいゆう)になって貰いたいと言ったわ」


 父さん……。


 僕はそんな英雄になんてなりたく無かったよ。


「私は、そんなお父様に協力することにしたの。お父様は私にお礼を言い、英雄君と私を襲う振りをするので、返り討ちにして下さいと頭を下げて来たわ。私は条件付でそれを受ける事にしたわ」


 条件?


「お父様に全力で戦ってもらうと言う条件を出したの。もし今日、第一世代のお父様を余裕で倒し、次にまた第一世代と戦った時に舐めて掛からせないためよ。それにお父様みたいな優しい人が加減をしちゃったら、英雄君にも演技している事がばれそうだったしね。お父様が一番恐れていた事は英雄君に、ばれて殺されない事だったから」


 だから父は演技をしていたと言うのに、全力で僕を殺そうとしてくれたのか。父さんのお陰で僕は第一世代の怪人の強さ、怖さを分かることが出来たよ。


「最初はお父様も躊躇して怪我をさせずに戦えないか私に聞いてきたわ。けれど、第一世代の恐さを教えるためには怪我をさせる事は必須だった。だから私はお父様が知らない事実を教えてあげたの……」


「僕の再生能力ですね……。Mさんは知っていたんですね」


「昨日のハイエナの怪人と戦った時英雄君の足も胸骨も折れていたのよ。特に足の骨は複雑骨折……いいえ、粉砕骨折していたの。けれど私が触っている間にくっつくように皮膚の下で蠢いていた。きっと生命の危機的外傷には体が本能的に修復に動くようね。だから軽症の音ちゃんの引っ掻き傷じゃ修復されなかったんだと思うわ」


 粉砕骨折。

 ああそうか。僕は今まで骨折のような大怪我をした事ないと思っていたけれど……きっと折れたのに気づく前に修復されていたのか。


 階段から頭から落ちた時も、木から落ちた時ももしかしたらその時も折れていたのかもしれないな。折れたけど病院で見てもらう前に治っていたのかも。


「不思議だなって思ったんです。父さんは僕の体を殴りましたけれど……頭は一度も殴らなかったんです。骨折は治っても、頭を砕いて脳まで治るかは分からなかったからなんですね」


「そうかもしれないし、そうでないかもしれないわ。ただ息子の顔を殴りたくなかっただけだと私は思うわ。親心って物かしらね」


 どちらかはもう今となっては分からないが、僕は後者だったら良いなって思った。


「英雄君はお父様に愛されていたのね」


「愛されて……ですか?」


「お父様はどうして今日、死ぬ事を覚悟したと思う?」


「それは……Mさんに自分の正体がばれたからじゃないんですか?」


「それは違うわ。それは英雄君がヒーローになったからよ」


 僕がヒーローになったから?

「それはヒーローになった僕になら殺されても良いと思ったという事ですか?」


「いいえ。英雄君がヒーローになり、自分の身を守れる強さを手に入れたからお父様は安心したのよ」


「自分の身をですか?」


「英雄君は不思議に思わなかった? 年間数百体もの怪人が生まれているというのに、英雄君は生まれてこの方、生で怪人を見た事が無いって事を。それどころか、英雄君の住んでいる地区には怪人がほとんど出ないらしいじゃない」


 どうしてMがその事を知っているんだろうと思ったが、直ぐに昨日音ちゃんと話した事を思い出した。無線で聞いていたんだろう。


 しかし言われて見ると、不思議だった。怪人を見たと話をする友達は高校に入るまでいなかった。


「理由はね、簡単なことなの。この地区……正確に言うと英雄君の通っていた中学校の学区がお父様の縄張りだったのよ。第二世代の怪人からすれば第一世代のお父様は圧倒的な強者。キツネがライオンの縄張りで狩をしないように、第二世代の怪人は近づくことすら出来なかったのよ」


「……ッ!」


「お父様は狩をする時は縄張りの外に行っていたようね。あなたを恐がらせないように」


「僕は……ずっと父さんに……守られていたんですね」


「そうよ。お父様はずっとずっと死にたかったけれど、あなたを最大の危険である怪人から守るために生き続けてきたの。けれど、あなたはもう戦う力を得た。だから安心して死ぬ道を選べた」


 僕は守られていた。父の愛に。

 どんなに死にたくても、人を喰らう事が辛くても、生きるために喰らい続けた。それは全て僕を守るためだった。


「……父さん……父さん…………父さん……うあっ……うっ……うっ…………!」

 燃え盛る炎を前に僕は膝を着き泣いた。


 Mが見ている前で嗚咽を漏らしながら何度も何度も叫び、涙を零した。


「M……さん…………僕は今から我が侭を……言います。きっとMさん……は、呆れる…………ううん、怒ると……思います。それでも……分かっているけど我侭を言わせてください」


 嗚咽交じりで僕は言った。


「良いわ。言ってちょうだい」


「レビスドッグは……父さんが死んだ事を『チャーチ』に報告しないで貰えますか……。『チャーチ』にとっては憎き第一世代の怪人かもしれません……けれど……僕にとっては大好きな父さんなんです。僕は父さんを怪人として葬りたくないんです……お願いします」


 額を炎の熱で熱くなったアスファルトに額を着け僕は土下座した。


「その気持ちは分かるわ。私もたった数十分しか話をしていないけれど、お父様がどれだけ優しい人かは分かった。けれど、それじゃあ、あなたは第一世代の怪人を倒したヒーローになれないわよ」


「父さんを殺して得た称号なんか……いりません」


「第一世代の怪人を倒した報酬は五百万よ。アオの借金を返済しても十分お釣りがくる額よ」


「父さんを殺してお金なんか貰いたくありません。それじゃあ僕がお金を貰うために殺したみたいじゃないですか! 僕は……僕は……そんなの耐えられない……」


 甘い事を言っているのも自分で分かった。

 ただ、父さんを怪人として死なせたくなかっただけの我侭だ。


 今日一日で多額の出費をしたと言うのに、報酬はゼロ。きっとMはヒーローのマネージャーとして認めてくれないだろう。


 そう思っていると、Mは僕の肩に手をあてた。


「顔を上げてちょうだい」

 僕が顔を上げるとMはしゃがみ込む。

「英雄君の気持ちは分かったわ。けれど問題が二つあるの。それを解決しない以上、その提案は呑めないわ」


「……二つと言うと?」

 僕が聞くと、Mは初めて会った時のように、指を一本立て、「まず一つ目」と言った。


「青への借金――正確にはマシンガンの補填代金残額二百八十六万五千円はどうやって返済するの?」


 まず一つ目の問題を僕に提起すると、二本目の指を立て、「二つ目」と言った。


「お父様の遺体は無くても電極をチャーチに渡せば、怪人の生態が分かるし、ヒーローの武器やスーツを強化することが出来るかもしれないわ。正直言うと、一つ目よりもこの二つ目のほうが重要になるわね。さあ英雄君……どうやってこの問題を解決するのかしら?」


 一つ目の問題を解決する方法は浮かんで来なかったが、二つ目の問題の回答を口に出す。


「……電極だけ拾ったことに出来ないんですか?」


「それは出来ないわ。まず道路に電極が落ちているなんて幸運なことが起きるはずがないでしょ。財布や小銭が落ちているのとは訳が違うわ。第二に、第一世代の怪人の電極はヒーローの武器か、同じ第一世代の怪人の力があって始めて抉り出せるの。どうして落ちていたか聞かれたらどう答えるつもりなの?」


 そう僕に言ったMの顔は怒っているのでも呆れているのでもなく、微笑んでいた。


 どうして微笑んでいるんだ? 

 僕が問題の答えに辿り着けないから喜んでいる……ようには見えなかった。まるで宿題の答えを見守るような親の笑みだった。


「……あっ」


 唐突に答えは出た。いや、Mが僕にヒントを出してくれたからこそ答えが出たんだ。

 第一と第二の問題を同時に解く答えが。


 第一の問題は、高額の怪人を倒せば返済できるという答え。第二の問題は、父さんの電極を抉り出す事が出来る怪人を倒し、その場で拾ったことにすればいいんだ。つまり……。


「第一世代の怪人を倒せば問題解決ですね。第一世代の怪人を倒し電極を一つ手に入れれば、その時点で報奨金を手にすることが出来ます。電極を手に入れれば第二の問題も解決できますし、その場で父さんの電極を拾ったといえばつじつまが合いますね!」


「へーえ、なるほど。そんな手があったんだー。私達は第一世代の怪人の事をほとんど何も知らないから、同士討ちをするかどうかも分からないし、巣に電極が落ちていても、不思議じゃないわねー」

 Mは棒読みでわざとらしく驚く。


「問題解決ね」

 と、僕に笑った。


 父さん、僕は『無限の狂犬』を殺した英雄にはなれないけれど、父さんが守ってくれたこの命を使って、必ずに第一世代の怪人を倒した『英雄(えいゆう)』になって見せるよ。


「いつまでも座ってないで立ちましょうか。それじゃあ私が土下座させているみたいじゃない」

 そう言うとMはクスッと笑った。


 僕はその言葉に従い立ち上がり、Mを向き深々と頭を下げる。


「Mさん、教えてくれてありがとうございます」


「さあ何のことかしら? 私はあなたにマネージャーとして問題提起をしただけで、何も教えた覚えはないし、礼を言われるような事は何一つしていないわ」


「いいえ、言わせてください。父さんを……人として死なせてくれてありがとうございます」


「……お礼なんていらないわ。だって私は……私はあなたとお父様を戦わせた女だもん。責められたとしても、お礼を言われる筋合いはないの」


 そう言ったMの表情は悲しげだった。

 まるでもう僕に嫌われていると思っているような表情だった。


 そんな顔しないでくれ。Mは悪くないんだ。

 

 確かに今回レビスドッグの討伐を仕組んだのはMだけれど、きっと僕がヒーローを続けていればいつかこの問題にぶつかったんだ。 もし出会ったマネージャーがMじゃなかったら、きっとこんな結末にはならなかった。


 もっともっと辛い結末になっていた。


 この事を誰かが知ればバットエンドだと言うかもしれない。


 けれど僕はそう思ってはいない。だって僕のマネージャーはMなんだから。

 Mだからこそ……僕はある決心をする事が出来たんだから。


 バットエンドには向かわない。


 いや、向わせない。


「Mさん……また同じ質問をしてもいいですか……?」


「何かしら?」


 僕はMの目を見つめ話した。

「怪人は悪なんでしょうか……?」


 Mも僕の目を見つ返したけれど、その目はまだ弱々しかった。


「怪人は悪よ。人を喰らう以上、悪と看做すしかないわ」

 Mの答えは以前と変らなかった。


「良かった……。僕はMさんに百人救うために一人を犠牲にする事なんて出来ないって言いましたが、結局父を殺して……Mさんは一体と言うかもしれませんが、僕にとっては一人の父を殺しました。けれど、これが最後の犠牲に……最初で最後の犠牲にします。約束します。僕はもう誰一人死なせません。強くなって……この身の怪人の血を受け入れ、利用し、皆を救ってみせます。約束します。僕は必ず怪人を一体残らず殺してみせます。それがどれだけ大変な事か分かっていますが、絶対に、一体残らず殺します。第二世代の怪人も第一世代の怪人も、怪人のボスも。これ以上犠牲者を増やさないように。僕みたいに……大切な人を失わないように。この世界から怪人を一体残らず駆逐します。怪人は人を喰らう悪だから……」

 そう言い、僕は自分の心を確認するようにしっかり間を空ける。

「だから……僕が人を喰らおうとしたら――殺してくれますか?」


 僕には怪人の血が流れている。

 体からは電流が発せられ、肉体は異常な回復をみせる、父と同じ怪人の血が。


 父の能力を遺伝しているなら、父と同じように人を喰ってしまう日が来るかもしれなかった……。


 その事が怖かった。


 その日が来れば僕はもう人間なんて口が裂けても言えない。怪人になってしまう。

 父が嫌った怪人に。

 命を奪う怪人に。


 それこそが本当の終わり。人としての僕の消滅こそが本当のバットエンドだ。


 百人の命を救うために一体の怪人を増やしてはいけないんだ。


 Mは僕の目をじっと見つめた。

 僕の気持ちを探るように。自分の気持ちを確かめるように。


「……いいわ。私も約束してあげる。あなたが人を喰らおうとしたら……殺してあげる」

 Mの目はもう弱々しくなく、いつもの強い目をしていた。

「殺して私も死んであげる。言ったでしょ、死ぬときは一緒よって」


 そう付けたし、Mは微笑んだ。

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