第44話

「僕がやった事は分かっています……親を殺したんです……僕の手は…………汚れています。離して下さい」


 親殺しは、刑務所の受刑者でも受け入れてくれないと聞いた事がある。僕の行なった事は、どんな罪よりも重い事だと分かっていた。


 けれど、Mにだけは甘えたかった。優しい言葉を返してもらい、君は悪くない悪いのは怪人だと言ってもらいたかった。


「英雄君……そうじゃない。あなたはお父様の願いを叶えてあげた、あなたは親孝行したのよ。その事を誇りなさい」


 Mは僕を責めたりせずに、自分の行なった事を誇れと言った。

 甘えさせたり、慰めたりもせずに、彼女は僕の心を癒してくれた。


「僕は……この手で父を殺しました……けれど……悔やまなくてもいいんですか……?」


 涙が溢れてくる。鼻水も出てきたかもしれない、こんな汚い顔を見られたく拭いたかったが、繋いだこの手を離したく、僕はそのまま流し続けた。


「あなたは苦しまなくていいの。悔やまなくていいの。英雄君、お父様に最後のお別れを言いましょう」


 そっと手を離しポケットからハンカチを出すと僕の涙を拭った。


「泣き顔なんかじゃなく、笑顔でお別れしましょうね」


「……Mさん、ありがとうございます」


 Mに微笑を向け父の傍らに座る。


 父の呼吸はより弱くなっていたが、僕が座ると首を傾け見つめてきた。


「父さん、僕の声が聞えるかな?」


「……あぁ……聞こえ……るよ……」


 もう演じなくてもいいと思ったのか、演じる力すらないのか、父の話し方は元に戻っていた。その父の声は擦れた喉の奥から搾り出すような声だったが、いつものような優しさを感じることが出来た。


 しかし、話せる時間は長くはないだろう。


「父さん……ありがとうって言ってくれたよね。僕も父さんには感謝の気持でいっぱいだよ。いつも優しくしてくれてありがとうね。僕を育ててくれてありがとうね。父さん、母さんに会ったら母さんにも伝えて欲しいことがあるんだ……僕を産んでくれてありがとうってね。僕は二人の子供で幸せだよ」


 拭いてもらったばかりだったけど、涙が頬を伝い父の顔に垂れる。


「……ありがとうな……無理な願いを聞いてくれて……英雄…………愛してる……」


 父の目からも涙が溢れてくる。頬を伝うと僕の涙と合わさり、顎から地面に滴り落ちる。

 父が震える手を伸ばす。


「父さん照れくさいよ……でも、僕も愛してるよ……」

 父の手を握ると温かかった。父さんに愛しているなんて言ったのは生まれて初めてのことだった。


 最初で最後の愛している。


「……英雄ありがとうな……こんな父さんを……愛してくれて。夢さんもいますか……」


「はい、ここにいます」


 Mは僕のすぐ後ろにいたというのに、父さんにはもう見えていないようだった。もう目が見えていないんだ。


 Mは父の傍らに座った。


「……英雄を……よろしく頼みます……」


「もちろんです。彼と一緒に幸せになります」


「……ああこれで一安心だ……もう思い残す事は……ないな…………ああ恭子……そこにいたのか…………きょう…………こ………………………………………………………………………………………………………………」 


 父の呼吸が更に弱くなる。耳を済ませても辛うじて聴こえる程度に。


 手から力が抜けていくのが分かった。


「父さん、母さんの事そんな風に呼んでたのかよ。父さんに母さんの話を聞いてもほとんど何にも教えてくれなかったよね。唯一話したのは僕が生まれて少ししてから、動物園に行ったって事くらいだよね。母さんは象やキリンとか大きい動物を怖がっていたんだよね。でもちっちゃい僕がキリンの前に行くと喜んだから、無理して行ってくれたんでしょ? そんな母さんを父さんは写真に取るのが好きで何枚も何枚も撮影していたんでしょ? 父さんからもっともっと、母さんの話を聞きたかったよ」


 父からの返事はなかった。


「それに、もっともっと父さんと色んな所に行きたかったな。僕が高校に入ってからはどこにも行かなくなったよね。でも僕はまた父さんと遊園地に行きたかったんだよ。父さん小学生の時に二人で行った遊園地は覚えている? 一緒にコーヒーカップに乗って、父さん張り切りすぎて、ハンドルを回しすぎて二人で目が回っちゃって大変だったよね。係りの人にも怒られたしね。それにジェットコースター。二人で一緒に乗ったら父さん悲鳴を上げていたよね。もう一回乗ろうって僕が言ったら、これは本当は一人で乗るものなんだって言って、僕一人を乗せたよね。今度さ、また遊園地に行かない? そしたらまたジェットコースターに乗ろうよ。怖がっても無理やり乗せちゃうよ……」


 やはり父からの返事は無かった。


 握った手はもう冷たくなっていた。


「遊園地で思い出したんだけど、園内で喧嘩もしたよね。覚えてる? 僕が父親と母親と子供の家族を見て、家には何でお母さんいないのって聞いたときの事だよ。父さん、お母さんは遠くに行っちゃたって言ったよね。僕はどうしてどうしてって延々、泣いていたよね。父さんは困って、そんなに泣く子はうちの子じゃないって言って僕を置いていったよね。僕は独りにされて怖くてその場に座り込んで泣いていたら、父さんアイスクリームを買って戻ってきたよね。あのアイスは凄く美味しかったよ。また食べたくなってきたな。遊園地に行ったらさ、あのアイスも一緒に食べようよ。僕はイチゴで、父さんは抹茶。子供のときは抹茶アイスは苦くて嫌いって言ったけどさ、今は大好きになったんだよ。もう僕も大人の仲間入りかな。それにさ――」


 Mの手がそっと肩に乗せられる。振り返るとMも泣いていた。


「英雄君……お父様はもう……」


「……Mさん……分かっています…………でも、もう少しだけ話させてください……」


 父は息をひきとっていた。


「父さん……もっともっと一緒にいたかったよ……もっともっと甘えたかったよ……もっともっと話をしたかった……父さん……ねえ、起きてよ……話をしようよ…………父さん…………父さん……………………………………………………………………………………」


 そこからは嗚咽交じりの声が出るだけで、言葉を紡ぐことはできなかった。


 僕は父さんの傍らで何分も涙を流し続けた。


 握っていた手はすっかり冷たくなっていたけれど、肩に置かれたMの手だけいつまでも温かかった。


 涙が止まり、父の死を受け入れると僕は立ち上がった。


 泣き続けた目は腫れぼったく喉も枯れている。


「……Mさんありがとうございます。……もう大丈夫です」


 見た目は大丈夫ではないだろうが、気持は落ち着いていた。


「まだここにいても大丈夫よ。音ちゃんのおかげで、当分人が来る事はないしね」


「気遣ってくれるのは嬉しいんですが、もう別れは済みました……だから、大丈夫ですよ」


 僕は笑みを浮かべる。


「そう。ところで英雄君、今こんな事を聞くのは酷だと思うんだけれど……お父様のご遺体はどうする……?」


 父をこのままにしておく訳にはいかなかった。普通なら葬儀を行なう所だが、父の体には僕の空けた大穴が開き、容姿は怪人のままだ。葬儀の手配は無理だろう。


「電極の抜けた状態なら、この場で火葬をする事は可能だと思うわ。そしてもう一つ、『チャーチ』に引き渡すと言う選択肢もあるわ。第一世代の体の研究をすれば、今後の戦況に有利になると思う。どちらを選ぶかは英雄君が決めて良いわよ」


 決定権が僕に委ねられたけれど、答えはすぐに決まった。


「父を母との思い出の詰まったこの家ごと火葬してやって下さい。父を人として死なせてやりたいんです」


 僕は頭を下げた。


「家ごと燃やすのね。英雄君ならそう言うと思っていたわ。それじゃ、私はガソリンやらなんやら用意してくるから、英雄君は瓦礫の中から、必要最低限の荷物と武器を発掘して貰ってもいいかしら? 何かあったら音ちゃんを呼べばすぐに駆けつけてくれるから」


 僕が頷くと、Mはポケットから車の鍵を取り出し、車に向い歩き出した。


「キャー、へこんでる!」

 と、言う悲鳴は聞えたが、エンジン音と共に車は走り去って行った。


 僕はまず玄関だった場所に向い靴を探した。裸足のまま瓦礫に入れば怪我をしそうだったからだ。

 いや、僕なら怪我をしても問題ないかもしれないな。どうせ治るんだろうから。


 瓦礫をどかし探すと、直ぐに僕のキャンパス生地のスニーカーは見つかった。綺麗に履いていたはずの靴は、Mが言った通りのボロボロの汚い靴に成り果てていた。


 僕はそれを履き、寝室のあったであろう場所に向い毛布を探し出し、父の瞼をそっと閉じさせると、毛布を被せた。


 それから刀を探しに瓦礫の山に踏み入った。

 無くなった刀は長刀二本に、脇差二本と小刀二本だ。小刀一本は電極のそばで直ぐに発見できたが、残りの刀探しには苦労した。物の多い家ではないと思っていたが、それでも壊れた食器棚や本棚。二階から降ってきただろうベッドの残骸やテレビだったらしき物が天井に押しつぶされ、瓦礫の山を作っていた。

 

 それに明かりと言うものが遠くの外套のうすぼやけた光と、月明かりのみ。探し出すことは難しそうだな。雑に崩せば捜索も捗るのだろうが、僕はもう使う事も出来ないだろう、そのガラクタを丁寧にどけながら探した。


 瓦礫だろうがガラクタだろうがこの一つ一つは僕がこの家で過ごしてきた十五年の思い出の詰まった品だ。雑には扱いたくなかった。


 リビングだっただろう場所で父さんのコップを見つけた。僕が中学生の時初めてプレゼントしたコーヒーカップ。ずっと茶渋で汚れたマグカップを使っていたから僕がプレゼントしたやつだ。あの時は父さん喜んでいたな。一生大事にするなんて言われて、また汚れたら他の買ってあげるから、雑に使って良いよって言ったっけ。

 

 そのカップももはや半分に欠け、取っ手もどこにもなかった。もう使えない。もう使う人もいない。このカップも父さんと一緒に死んだ。


 壁に掛けていた時計も落ちていた。僕が生まれた時からずっと使っているって言っていた掛け時計。

 初めは家族三人。そしてその後は僕と父さんの家族二人の時を刻んでくれた時計だ。


 時針も分針もひしゃげていたが、家族二人で暮らしたこの家を失った時間であろう、家が崩壊した時刻七時十分を指し示していた。


 その後も一つ一つの物を手に取り、この家での父さんとの思い出を思い出しながら瓦礫を掘り返し、刀を探した。

 何十分も掛け、何とか全部の刀を見つける事が出来た。


 後は必要最低限の荷物か……僕には何が必要なんだろうか……生きて行くために通帳や印鑑を探すべきなんだろうか? そう思い瓦礫の山を見ると、僕の一番大切なものがあった。


 ああ、これがあれば……他には何もいらないや。そう思い手に取ると、近づいてくるエンジン音と共にMの車が戻ってきた。


「刀は全部見つかったみたいね。それじゃあ、荷物の整理はできたかしら?」


 僕は手に持った写真立てをMに見せる。


 写真には僕に良く似た若かりし頃の父と、生まれたばかりの僕、そして、僕を抱いている母が映っていた。


「お母様……綺麗ね」


 写真の中の母はとても綺麗で、僕を抱き満面の笑みを見せていた。


 これだけで僕が愛されていた事が分かった。


 怪人と、その妻と怪人の子の写真ではなく、誰が見ても分かる、父と母と子の家族写真。辛さも悲しみも悲痛さも微塵も感じられない、愛に溢れた写真。


 僕が人として愛された証拠の写真。


「他に荷物はないの?」


「僕にはこれがあれば十分です。後の物は全部焼いちゃってください」


 刀を脇に置き、僕はMに手伝ってもらい、父の亡骸を家の中心まで運んだ。


「分かっていると思うけれど、家を焼いたらもう普通の生活には戻る事は出来ないわ。それでもあなたは燃やすことが出来る?」


 この家は僕の日常だった。一昨日初めて怪人に襲われた時も、僕を迎え入れてくれた。昨日ヒーローとして怪人を殺した僕を温かく迎え入れてくれた。

 けれど僕はこの家を焼く。


 決して帰って来られないように、決して帰ろうとしないように……この日常を焼く。


 これは決別の証だ。僕はもうこの日常に戻れないんだから……。


 そうしなければ……きっとこの後知ることになる事実に耐えられないから。僕は気づいてしまったんだ。


 時計を手に取ったときに……。


 もう前に進むしかないと。


「覚悟は出来ています。父さんをこれ以上寒空に晒すわけにはいきません。早くやりましょう」


「分かったわ」


 Mは車に戻ると、重そうなポリタンクを両手に抱え戻ってきた。ポリタンクの蓋を外すとガソリンの臭いがした。


 僕らは父を覆った毛布に念入りにガソリンをかけ、残りを家中に撒いた。


 ずっと狭い家だと思っていたが、いざガソリンをまき始めると、とても広く感じられ、重労働だった。


 ガソリンを掛け終わると、僕とMは道路まで下がり家を眺めた。今はもう瓦礫の山にしか見えない家だが、お別れだと思うと寂しい想いが込み上げてきた。


 ああ、あそこが元々は玄関のあった場所、あそこはいつもテレビを観ていたリビング。柱の陰になっているが壊れたテレビが見えた。そのテレビの直ぐ脇には父の上にかぶせた毛布が少し見えていた。


僕が家を見回していると、Mが声を掛けた。


「このマッチを擦れば全て燃えてくれるはずよ。後は英雄君のタイミングで燃やしていいわ」


 僕はMからマッチを受け取とり、心の中で父に別れの言葉をかけた。


 父さんさようなら。

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