第41話

 『無限(インフィニティ)の狂犬(レビスドック)』その名の意味を忘れていた。

 無限。首を斬りおとそうが、脳みそを斬り分けようが再生する怪人。


 音ちゃんはやつを倒すためには電極を抜き取るしかないと言っていたが間違いはないようだ。脳を真っ二つにされても再生するなんて……。


「さあ、困ったわね。脳を切り分けてもこんな早く回復するとは思わなかったわ。次はどうしようかしら、とりあえずパーツを百個程に分けましょうか。そうすれば電極も抜き取れるでしょうしね」


 レビスドッグは肩をすくめる。

「おいおいおい、さすがにそんなに斬られたら俺でも痛ぇよ。痛ぇのは嫌だ。電極を抜き取られたら死んじまうよ。死ぬのは嫌だ……だから全力を出させてもらうよぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉっ――――」


 絶叫に鼓動するかのようにレビスドッグの腕が波打ち始めた。


 なんの変化だろうかと注視すると、腕が僕の胴体よりも太くなり、そして勢いよく……伸びだした!


 腕が伸びるのに邪魔になる椅子もテーブルの残骸も、壁すら砕き薙ぎ払い伸びていく。まるで巨木が何百年もの長い時間をかけ、根を張る映像を早送りで見せられたかのように。


 壁から先は見えなくなり、どれほど伸びたかを判断する事は出来なかったが、遠くからガンガンッと塀を砕くような音が聞えた。


「ばっ……化け物……」

 今まで戦った怪人も、見た目は化け物と思ったが、このレビスドッグはそんな怪人たちが可愛く思えるほどだった。

 今までの怪人達はまだ辛うじて生き物の形を取っていた。けれど、レビスドッグの体はそんな生き物の常識から外れている。


 その容姿はまるでゲームの中のモンスターのようだった。


「おいおいおい、親父に向かって化け物って言うんじゃねえよぉ。まだ腕を伸ばしただけだろうがぁ」


 まだ……腕を伸ばしただけ! つまり、この怪人はまだ変貌すると言うのか!


「こんな狭いところじゃ俺の全力は出せねえからなぁ」

 目と口を歪ませると、レビスドッグは腕をゆっくりと肩まで上げていく。するとまた外から崩れるような音がしてきた。


 何をする気だ……。


「……ッ! 英雄君伏せて!」


 何かに感づいたのかMが叫んだ。


 僕が言葉に従い床に伏せるとMも慌てて伏せた。


 と、その瞬間、レビスドッグはその場で、くるくると回り始めた。バレエダンサーのように手を――何メートル何十メートルあるかも分からない手を広げて! 

 遠心力で腕が鞭のようにしなりながら、壁から柱までなぎ払っていく。

 今まで聴いたこともないような轟音を立てながら。二、三周も回ると、支柱を失った家が崩れ始め、ガラガラガラという轟音と共に天井が勢い良く落ちてくる。


 起き上がって逃げようにも、レビスドッグの腕は未だに頭上を周っていて、頭を上げようものなら、首を吹き飛ばされるのが目に見えていた。


「英雄君! 頭を抱えて耐えて!」

 Mの指示に従い刀を投げ捨て頭を抱え、体を丸めた。


 その瞬間体中に瓦礫が落ち始めた。


「がはぁっ」

 息を吸う暇も与えず、何度も何度も瓦礫が体を襲った。息を吸う暇?

 これは間違いだ。家の崩壊とい何トンもの衝撃が体を襲っているんだ、押しつぶされるような圧迫感の中、息を吸えるはずもない! 苦しい。踏み潰された蟻の気分だ。こんな苦しい事がこの世にあったのか! 

 早く。早く倒壊が終ってくれ。早く周るのを止めてくれ!


 どれほどの時間耐え続けたのだろうか、崩落の音が止み静寂が訪れた。

 無音は僕に恐怖を与えた。


 音がしないのは……僕が死んだからじゃないのか? 視界が真っ暗なのは瓦礫の中にいるんではなく……僕が死んだからじゃないのか? 

僕は生きているのか? 嫌だ、嫌だ、嫌だ死にたくないよ……。


 暗闇と無音の恐怖に晒されていると、ズキっとどこかが痛んだ。

 痛んだ? 


 冷静さを失っている今の僕にはその痛みがどの部位のものなのかを判断することは出来なかったが、一つだけはっきりと分かった事があった。


 痛いって事は……生きているんだ!


 生きている事の喜びが僕に力を与えてくれた。重い瓦礫を手で押しのけて崩しながら上体を起こすと、あたり一面、瓦礫の山が出来上がっていた。

 僕の生まれ育った家が、木とコンクリートとモルタルの塊に成り果てていた。

 僕の家だけではない。煩く吠える犬のいたお隣さんも、年配のご夫婦がいた向かいの家も、その隣も崩れ落ちていた。


 まるで僕の家の付近だけ直下型地震に見舞われたように、倒壊していた。


 ……嘘だろ。

 一個体がこれだけの被害をもたらすなんて……。


 暫く呆然と辺りを眺めていたが、ガラガラガラと言う折り重なった残骸が崩れて奏でられた音で我に帰り僕は立ち上がった。

 あれ、立ち上がれる?


 手の甲や顔にはいくつもの擦り傷があるが、あれだけの崩壊に巻き込まれた後とは思えないほど軽症だった。不思議と痛めていたはずの背中も今は全く気にならなかった。


「英雄君? 無事なの?」

 以前はリビングであっただろう所から呼び掛けられた。


 声の出所だろう場所は折り重なった柱で隠されていたので、声の主の方に倒れないように慎重に退かすと、肩を押さえ座り込んでいるMの姿が見えた。


「Mさん肩を痛めたんですか?」

 

 右肩を押さえたMはクスッと笑う。

「ええそうよ。最後の最後で光学式化が解けちゃってこの様よ。けれど……光学式化してなかったら……命が無かったわね」


 Mは辺りを見回し言った。二階が全て崩れ落ちてきたんだ、そう思うのも無理はない。

 そう考えると、僕が軽症だったのは奇跡と言っていいかもしれない。

「Mさん無理しないで休んでいてください。ここからは……僕が戦います」


 Mの怪我の様子ではこれ以上戦う事はできないだろう。いや、そもそもこの戦いは僕がやらなければいけない物なのだ。


 父さんだった怪人を倒すのは……息子である僕の仕事だ。

 倒した後に受けるだろう苦痛もMに与えてはいけない。僕が……一生背負わなければいけないものなんだから。


 レビスドッグは今までの怪人とは比べ物にならないほど強いが、それでも光学式化したスーツと刀ならば、体をバラバラにすることが出来るという事をMが教えてくれた。

 大丈夫、きっとやれる……きっと殺れる。あの触手のような手にさえ気を付ければ大丈夫だ。


 レビスドッグと戦う覚悟をしたが、当の怪人はどこにも見当たらなかった。

 辺りをキョロキョロ見回したがやはり姿は見当たらない。あれだけの力を持っていたのだ、逃げたとも、この瓦礫に押し潰されたとも考えられなかった。どこかに潜んでいるのだろうか?


 あたりは瓦礫の山、隠れる場所はまさに山ほどあった。


「じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらうわ。刀の光学式化四本分にスーツの光学式化合わせて、五十万分の指導をしたんだから、勝ってもらわなきゃ困るわよ」


 命の危機の状態でもMはお金の話をした。けれど、それもMらしいと思い、僕はクスリと笑い、「勝ちます」と答えた。


「けれど英雄君、刀を持っていないみたいだけれど、大丈夫かしら?」


「えっ?」

 僕は自分の手元を見るが、確かに刀は持っていなかった。


 思い起こしてみると、崩落の寸前に刀を放り出していた。刀があるだろう場所を見てみても瓦礫が積み重なり、見つけ出すにも時間が掛かりそうだった。


 意気込んだはいいが、武器を失った今、僕は戦うすべを失っていた。……どうしよう。


「……失くしたみたいね。今は私の脇差を使ってちょうだい。もう光学式化は使ってしまったけれどないよりはマシよね。後はこの小刀ね。間合いは短いけれど、光学式化も出来るし、切れ味は保障するわ」


「ありがとうございます」


「英雄君はまだ刀の扱いになれていないから一本ずつ扱う事をお勧めするわ」

 そう言うと、脇差と小刀を一本ずつ僕に手渡した。刀を受け取り、小刀を腰に挿し、脇差を抜き構えると、いつレビスドッグが出てきても良いように集中力を高める。


 辺りからは時たま、ガラガラと瓦礫が崩れる音がする。


「それにしても家を容易く崩すなんて、第一世代の怪人は恐ろしいわね。音ちゃん、側にいるかしら?」


「Mちゃん呼んだ~?」


 音ちゃんが瓦礫の上をひょいひょいと越えながらやってきた。

音ちゃんの存在を忘れていた。


 刀を運んできた後姿が見えなかったが、どこかに隠れていたのだろうか?


「被害が思ったよりも大きいから、戦闘を見えなくする範囲を、予定の半径三十メートルから、半径百メートルに変更して貰っても良いかしら? それとその範囲内の住人の避難もお願いしても良い?」


「大丈夫だよ~。じゃあ音ちゃんまた行ってくるね~」

 音ちゃんはまた瓦礫をひょいひょい飛び越えながら、視界から消えてった。


「Mさん見えなくしてってどういう事ですか?」

 集中を切らすことなく、辺りを見回しながら僕は聞いた。


「英雄君には話してなかったわね。音ちゃんが、脳波を飛ばし怪人の位置を把握することが出来るのは説明したわよね?」


「ええ聞きました」


「それの応用で、近くの人間に脳波を飛ばし、脳の思考回路に干渉して周囲の人間に簡単な指示を出すことができるの。例えば家族を急に外出させたり、崩れた建物を見ても、異常の無い物だと思わせる事が出来るわ」


 なるほど。それで今までの戦闘では目撃者や住人がいなかったのはそのためか。

 今も家が倒壊しているにも関わらず、野次馬が集まりもせずに、ただ静かな夜を迎えていた。


「便利な能力ですね。音ちゃんと取引した理由が分かりましたよ」


 音ちゃんも今僕らのために頑張ってくれている。それなら僕はその頑張りに報いるよう、全力を尽くそう。


「さあ英雄君ここからが正念場よ。瓦礫の崩れる音が増えて来ている事に気づいたかしら?」


 Mの一言で僕も耳を澄ます。


 ガラ…………ガラガラ……ガラ。


 確かにさっきまでは静寂が訪れていたと言うのに、今は建物の崩れる音が聞える。


 ガラガラ……ガラ……ガラガラ……ガラガラガラガラガラ……。


「……来るわ! 構えて!」


 ガッツシャーンと言う音と共に瓦礫が宙に舞う。


 来た!


 瓦礫の隙間から太い触手のような腕が現れると先端の五指を広げ、一直線に僕に向って来る。

 スピードはそれほどでもない。


 けれど、避ければ背後のMが危険だと思い、僕は刀の峰で受け止める。触手が触れた瞬間、両手が吹き飛ぶんじゃないかという衝撃が走るが、歯を食い縛り、足を踏ん張りその一撃に耐える。


 それでも力は凄まじく、瓦礫の中ズリズリと後退させられる。


「……ッ! 足場が悪いな!」


 ここがもし地面や踏ん張りの効くコンクリートだったらまだ押し返せていたかもしれないが、瓦礫の上では足を取られそうで、力をこめるのも一苦労だった。


「Mさん逃げてください! 僕じゃこの攻撃を抑えきれません!」


 振り払おうと腕に力を込めるが、触手は微動だせず、逆に押し込まれていく。


「私は逃げないわ。英雄君の勝機が見えたというのに、なぜ逃げるの?」

 勝機が見えたって、どう見ても負けているじゃないか。

「さあ、先輩ヒーローとして英雄君に戦いを教える時間は終了したし、ここからはマネージャーとして働かせて貰うわ。勝機は三つよ。一つは光学式化していない状態で力が拮抗している事」


 確かに今の僕は家を崩した一撃に耐えている。光学式化すれば力では勝てるんじゃないか?


「二つ目はお父様の傷の回復する速度は早いけれど、切断された部位を修復する速度は遅かったわ。それに触手を作り出し、伸ばしきるのもやっと終ったようですし、再生ではなく新たに創造する速度は遅いと言えるわね」


 そうか、Mの言いたいことが分かった。

 両腕の触手を切断さえすれば、再生し終えるまでは追撃は来ない。その間に電極を抜き取る事が出来れば十分勝機がある。


「三つ目、触手があるって事は、どこにお父様がいるのか分かるって事よね」


 触手の根元を見る。瓦礫の山が不自然に積み重なっていた。


 あそこにレビスドッグがいるのだろう。勝機が見えた。


「Mさんありがとう。最高のマネージメントです」


「あら、私は仕事をこなしただけよ。次は英雄君が仕事をこなす番。さあ、早く倒して一緒に生きて帰りましょう。ねえ……ヒーロー」


「ええ、一緒に帰りましょうね」


 Mは立ち上がりそっと僕の背に手を当て、「絶対よ」と呟いた。

Mの手は温かく、この温もりを失わないためにも僕は勝たなくてはいけないと思えた。


「……Mさん光学式化します。少し離れてください」


「分かったわ。英雄君の光学式化を許可します」


 Mが離れるのを確認し、スーツから電流がほとばしるイメージ持つ。

 光れ。弾けろ。強さをくれよ!


 スーツからバチッという電流の弾ける音がすると、体が青白く輝きだし、バチバチと体の周りで電流が弾ける。


 力が増したのだろうか、握っていた刀の重さはほとんど感じなくなり、触手の圧力も子供に押されている程度に思えた。


 これが光学式化という物なのか。

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