第39話

「あら、私を食べても美味しくないですよ。お初にお目にかかります。英雄君の恋人兼マネージャーの織江夢……もとい『悪夢の女』です。『無限の狂犬』さんですね?」


 Mの眼光が鋭くなる。


「ご名答ぉ。花丸をあげましょうかぁ。そうか英雄にも女ができたか。餓鬼だと思っていたがいつの間にか大人になってたんだなぁ。しかも、その相手が、『悪夢の女』。知ってるぞぉ。知ってる。お前『夢魔』とか呼ばれているヒーローだろ」


「……ええ。知っていてもらえて光栄ですわ」


 夢魔? Mの別称だろうか? 


 夢魔と言う名前は本で読んだことがあるな。確か悪夢を見せる怪物の事だ。


「怪人に悪夢を見せるとか言って、雑魚をどもを殺しまわっていたんだろぉ? それでおいたが過ぎて悪夢を見せられたぁ。傑作だなぁ! はぁっはっはっはっぁぁぁぁ!」


 父さんは高笑いした。


「……」

 挑発するかのような父さんの言葉を無視し、Mは表情を変える事無く見つめた。


「ちっ、つまんねぇな」

 返事のないMに言葉通りつまらなそうな目を向ける。

「おい英雄、お前はどっちがいい?」


「……えっ?」

 どっちとはどういうことだろう。


「だからこの女の上半身と下半身のどっちを喰いたいか聞いてんだよぉ」


「なっ! 何を言ってるんだよ!」


「おいおいおい、怒るんじゃねえよ。ちょっと齧ってみたら人間の味の虜になるぞ。ちょっと血を飲めばその美味さに魅了されるぞ。どんな極上の酒でも味わえないような、まどろむ様な心地よさを与えてくれるんだよぉ。なぁ、ためしに喰ってみろよ。飲んでみろよぉ。お勧めは上半身だぞ。脳みそもあって上手いからな。ただ女の胸は脂肪ばっかりで不味いけどな。まぁこの譲ちゃんなら脂肪は少なそうだけどなぁ」


「それ以上喋るな! 父さんだろうと許さない」


「おいおいおい、どう許さないって? 家庭内暴力でも奮うってか? お父さん怖くて泣いちまうぞぉ」


 そう言うと腕で目を覆い泣きまねを始めた。僕はその様子を見て刀を握る手に力を込めた。

 別に泣きまねにイラついた訳ではない。目を覆った腕がどんどん太くなり、仕舞いにはスーツを破り、中から毛むくじゃらの腕が露出したからだ。


 それは人型から怪人本来の姿への変化なのだろう。


「おいおいおい、何とか言えよぉ、父さん悲しくなっちまうぞ。俺はどう許さないか聞いてんだろうがぁ!」

 父は座っていた椅子を掴むと僕目掛け投げつけた。


「なっ!」

 僕は反射的に横に飛びのき椅子をかわす。目標を失った椅子はそのまま壁にぶつかると、壁を砕き四散した。


 木製の椅子がモルタルで出来た壁を砕いた……信じられない力だった。


「避けるんじゃねえよ。お父さんからの愛の鞭だぞ。いや愛の椅子かぁ」


 あんなの受けたらいくらスーツの耐久力があるからと言っても、無傷では済まないだろう。


「英雄君、これでもお父様を殺さないと言える? こんなお父様を生かしておけると思っているの?」


「今の父は危険です。それは分かります。けれど……それでも、優しかったあの父を殺すなんて僕には出来ません……」


 僕達が話している間にも父の変異は進んでいった。顔からも毛が生え始め、口角が裂け、口が大きく横に広がる。


「過去じゃなく現在の姿を見なさい! こんな危険な怪人を、野放しにするってあなたは言っているのよ!」


 体の変貌はまだまだ続いた。スーツが裂けると毛でびっしり覆われた厚い胸板が現れ、背もどんどん高くなっていく。百六十数センチあった父の身長は今では見上げる二メートル程の巨体となっていた。


「けれど……」


「いい加減にしなさい! あなたは今、自分の事しか考えてないわ。お父様を殺したくない? そんなの当たり前よ。親を殺したいなんて思って良いはずないでしょ! けれど、それでもやらなくちゃいけない、自分の為じゃなく他の誰かのためにも殺さなくちゃいけないのよ!」


「おいおいおい、英雄に親を殺させるつもりかよ。お前悪い女に引っかかったなぁ。そんな女捨てて俺と一緒に来いよ。合コンでも開いてもっと美味い女を喰わしてやるからよぉ」


「お父様は黙っていてください。英雄君、さっきお父様はなんて言ったか覚えている? 私を殺して下さいと言ったのよ。実の子供に殺してと言ったお父様の気持が分からないの?」


 父さんの気持……。考えてもみなかった。Mの言ったとおり僕は自分の事しか考えていなかった。


「お父様はもう人を殺したくなかったのよ。けれど生きていくためには人を喰らっていかなければならない。それがどれ程悲しいことかあなたには分からないの?」


「……ッ!」


「おいおいおい、英之が人を殺したくなかったって? ……当たりだよぉ。いつも人を喰うたびに俺の中でめそめそ泣きやがって、煩くて仕方がなかったんだよ。それに美味い肉も塩辛くなって不味くてしょうがねぇよ。英雄に会わせる顔がない、会わせる顔がないってピーピー泣いてもいたなぁ。まてよ……じゃあ英雄がいなくなればもう泣く事もないんじゃねぇか? 俺って頭良いなぁ」


 父はニヤッと笑い僕を指差した。その指先ももはや人の者ではなくとがった爪の付いた毛むくじゃらの太い指だった。


「息子を喰っちまう親はいねぇって言ったけど、前言撤回だよ。ここにいるんだからなぁ。美味い飯を喰う為だ、英雄、お前を喰わしてくれねかぁ? 安心しろよ、美味く喰ってやるからなぁ。バターでも塗ってこんがり焼いてムニエル風にでもしてやるかなぁ」

 言い終えると父は大口を開け高笑いした。


 けれどその笑い声は僕の耳にしっかりとは、届いては来なかった。


 父さんは人を殺したくない。その言葉が投げられたゴムボールのように僕の心の中を何度も跳ね回る。


「お父様の気持は分かったかしら? お父様にあなたを殺させるなんて事、私には出来ないわ。それがどれだけお父様を傷付ける事か分からないあなたではないわよね?」


 僕がやるべき事は何なのだろう?


 父を生かす事なのか、父の心を救う事なのか?


「それに、あなたを殺させるわけにはいかないわ。お父様が私の大切な恋人を殺すと言うなら、私は全力で戦うわ。英雄君を守るために」


 けれど、一つだけ間違いない事はあった。


「Mさん、僕には父を殺すべきなのか、生かすべきなのかはまだ分かりません。けれどあなたを失いたくはありません」

 Mを失いたくない、この思いは間違いなかった。

「父さん、今から僕はMさんのために戦います。こんな息子でごめんなさい」


 怪人はフッと笑った。


「おいおいおい、高々人間が、この『無限の狂犬』に勝てると思っているのか? 殺せるもんなら殺してみろよ。有限の時の中で、無限の死をあたえてやるよぉ!」


 父さんは拳を握る。長い爪が皮膚を食い破り血が滴り落ちるが痛みを感じないのか、お構いなしに力を込めているようだった。


「父さ……いや、『無限の狂犬』、人を喰うなんて気持ち悪い……望みどおり殺してやるから……死ねよ!」


 僕はその時、父を『無限の狂犬』と呼べた。

 父さんさようなら。僕はあなたの言いつけを守ります。

 あなたを救うために。あなたの心を救うために……あなたを殺します。


「私も戦わせて貰うわ。英雄君を……恋人を失う訳にはいかないからね。『悪夢の女』が永久の夢を魅させてあげるわ」


 キメ台詞を言うと僕もMも刀を構える。僕は脇差を両手で握り、Mは片方の日本刀を怪人に向け、片方を下げた独特の構えをした。


 レビスドッグの殺気は凄まじかったが、僕らの表情は柔らかくなった。Mと二人なら勝てそうな気がしたから。


「さて、生きて帰るために最善の作戦を伝えましょうか。ここまで英雄君の彼女としての役割は果たしたけれど、まだマネージャーの仕事はしていないしね。じゃあ、英雄君が前衛、私が後衛を取りましょう。後ろから私が指示をするからそれに合わせて動いてちょうだい。今日はお互い無線機をつけていないから、口頭で指示を出すわね」


「はい」

 集中を高め、レビスドッグの一挙一動に注視する。


「まずは相手の懐に潜り込むわよ。初撃は英雄君が払ってちょうだい。二発目からは私があなたを守るわ」


 僕は頷きレビスドッグの呼吸に注意する。人間なら呼吸を見切るのは大変だろうが、レビスドッグの口元は、もはや人間ではなく犬のように鼻先が尖り、口は横に広がっていた。呼吸器官も変化したのか、息も荒く、その形相は犬のようで、呼吸のリズムを掴むのは容易だった。


 吸う……吐く……吸う……吐く……吸う……吐いた!


 僕はレビスドッグが息を吐く瞬間に合わせ飛び出す。


 虚を付くことに成功した。


 レビスドッグの目が見開かれ、僕を防ごうと、慌てて手を前に出す。僕は前に出ながらも体勢を下げ、その腕をくぐりぬけ、懐に潜り込むと、通り過ぎざまにレビスドッグの胴体を横一線に切り払う。


 決った!


そう思ったが、その刀はレビスドッグの硬い体に阻まれ、刃が当たったまま止まった。


「なっ!」

 驚き足が止まる。刃を見ると全くめり込むむこともなく、毛で覆われた皮膚に触れているだけだった。


「止まっちゃダメ!」


 僕はハッとし、刀から目を離し、レビスドッグを見上げる。


 レビスドッグの腕が迫ってきていた。


 ヤバイ――避けられない。そう思った僕は衝撃に備え、歯を食い縛る。腕が眼前に迫ると、ヒュッっと言う音と共に背後を何かが通り過ぎ、レビスドッグの腕を押し上げた。


 Mの青白い刀だ。二撃目から僕を守ってくれた。


 僕は腕が止まった瞬間、転がるように潜り抜ける。


 Mは僕が抜けたのを確認すると、バックスッテップし距離をとる。


「油断しないで! 予想以上に皮膚も硬いわ。一撃一撃斬り裂くことを意識して攻撃しなさい」


「はい!」

 より刀に集中する。するとぼんやりとだが刀が青く輝くのが分かった。


「そう、刀身に電流が回ると青白く輝くわ。その刀ならきっと斬れる」

 そう言うとMはレビスドッグに向かい、ジョギングといってもいいほどゆっくりと駆け出す。


 そんな遅い動きじゃ捕らえられるんじゃないのか?


 レビスドッグはMに向き直り一歩踏み出した。


 それは結果僕に背を向ける形になった。


 Mがゆっくりと駆け出したのもレビスドッグの隙を作り、僕に初撃を入れるチャンスを与えさせるためだった。

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