第38話

 刀を持つ手が震える。


 怖い。怖い。

 今まで戦ってきた怪人なんて目じゃないほど恐ろしかった。全身の産毛と言う産毛が逆立ってくる。足は前を向いているのに、後ろに下がれ、振り返って逃げろと言ってくる。

 無意識に足がジリッと後ろに下がるが、僕は強く息を吐き、足に力を込め逃げないように体重をつま先にかける。


 僕が逃げれば、父の命が危ない。父を守ると決めた僕には、逃げるなんて選択肢はない。


 柄を掴む手に力を入れ、刀身がぶれないようにし、必死に恐怖を押さえ込んだ。


 逃げるな。怯むな。怯えるな。


 刀の震えが治まるとMが動いた。


 テーブル上を滑らせるように、切っ先を父の喉元目掛け突き出した。

 速度は速くはなかったが、切っ先を払おうにもテーブルが邪魔で、対処ができない。

 上手い一撃だ。

 この行動だけでもMの技量の高さ、経験の豊富さを思い知った。


 手で止めるか? いやダメだ。父に会うだけだと思っていたから、グローブははめて来ていない。

 素手で電流を纏い切れ味が何倍にも増している日本刀の刃なんか握ったら指が落ちてしまう。僕は一瞬迷ったが刀をテーブルの下から切り上げ、切っ先をテーブルごと払った。


 金属と金属がぶつかる音が室内に響く。

 Mの力は弱く容易に刀を弾くことが出来た。Mは刀を払われた勢いで後方に回転する。


 体格はほとんど一緒でも、力では男子の僕の勝ちだった。


 追撃に備え構え直そうとした時、下から銀白の刃が見えた。


 Mは弾かれた腕とは逆の刀で、後方に回転する力を使い、テーブルごと切り上げてきたのだ。


「うっ……そっだろ!」


 Mの刀が、構えもろくに取れていない僕の刀に当たる。

 今度は父を狙うのではなく、僕の刀を狙っていた。


 力では勝っていると思っていたが、回転の力を加えたMの一撃は強く刀が弾き飛ばされそうになる。


 僕は弾かれないように腕に力を込め、力任せに振り下ろす。


 力は拮抗し、Mの回転が止まる。


 このまま振り切れば勝てる。

 そう思い更に腕に力を入れた。


 けれどその瞬間、Mが刀を放した。


 抵抗を失った腕はMの刀ごとフローリングの床に振り落ち、僕の刀が床に深々と刀が刺さる。


 Mは着地をすると、軽やかに跳躍し僕の頭上を越え、天井すれすれを飛んでゆく。

 振り返ろうとするが、刀が床に刺さり、一度抜かないと振り返る事は出来そうになかった。


 刀を抜こうと手に力を入れると、冷やりとした触感が首に現れた。

 首にはMの刀が当てられていた。


 切断されたテーブルが、四つの木の塊になり崩れ落ち、乗っていたコーヒーカップが床に落ちガチャンと言う音を立てる。


 勝負は一瞬の出来事だった。


「なかなかの剛剣だけど、それだけじゃ私には勝てないわよ」

 Mが耳元で囁いた。


 声は冷静そのもので、この状態でも集中を解いていないのが分かった。その事からも圧倒的な力量の差がある事が分かった。

 ダメだ。実力差がありすぎる……僕じゃ勝てない。


「今なら刃向かった事を許してあげるわ。刀から手を放して、降参しなさい。さもないとこのまま……首を切るわ」


 Mならば本当に僕の首を斬るかも知れないと思った。


 ごくりと唾を飲み込み横目で父を伺う。この出来事にも構わず、父は俯いたままだった。


 まるでもう命を諦めているみたいに。断頭台に首を乗せ、ギロチンの刃が降りてくるのを待つ罪人のように。


 こんな父親を見た事はなかった。子供の頃あんなに大きく感じた背中も、今はとても小さく感じられた。


「Mさんなら本当に斬りそうですね。けれど、引く気はありません。怪人だとか人だとか関係ない、父親一人救えなくて何がヒーローだよ。守りたいものを守れないで何が正義のヒーローだよ! 僕の守りたいものは全て守ってみせる、何が正義かは僕が決める!」


「……素敵ね。それでこそ英雄君だわ。けれど力なき正義は、ただの絵空事なのよ。本当の正義のヒーローになりたいなら、力を付けなさい!」

 首筋で刃がピクンと振るえる。


 斬られる。


 僕は本心から父さんを助けたいと思った。

 確かにMや音ちゃんが言う通り父さんは怪人なんだろう。


 この世界のためには父さんが居ない方が平和なんだろう。


 けれど……それを僕が認めてしまったら、誰が父さんを庇ってくれるというのだ? 


 怪人の仲間か? 

 けれど、この場にいる仲間であるはずの音ちゃんはあっさりと父さんを売った。

 助けるそぶりすら見せず、僕らに情報を売り渡した。


 それじゃあ誰が守るというんだ?

 そんなの考えるまでもない。


 たった一人の息子……僕が守るしかないだろう。


 例え僕がヒーローでも。


 例え僕の半分が怪人だとしても……家族を守らなくて良い理由なんかどこにも無いんだから。


 けれど……どうやって守ればいいんだ? 

 僕よりもはるかに強いMから父さんを守るにはどうすれば良いのだろうか。


 守るには力が必要なんだ。


 その力が劣る僕はどうやって守れば良いと言うんだ。

 ああ、僕はなんでこんなにも弱いんだ。


 こんなにも力を欲しているというのに、Mに手も足も出ないんだ。 


 誰か教えてくれ。僕はどうすれば強くなれるんだ?


 父さんを守るために……僕の思う正義を貫くために……どうすれば強くなれるんだ。


 強さを手に入れられるなら……悪魔にだって魂を売ってもいい。

 力をくれよ。

 この一瞬でもいいからさ!


 そう思った瞬間体が自然に動いた。


 僕は刀から手を離し背後のMごとバックステップした。力は殆ど掛けていなかったが、Mの体勢は崩れ一緒に倒れこむ。


 倒れながらも僕はMの刀を持つ手を掴み押し上げ、強引に首筋から刃を放す。

 刃先には赤いものが少し付着していた。

 どうやら少し刺さっていたらしい。確かに首筋がピリピリするな。


 けれど、僕はそんな痛みを気にもせず、倒れ落ちる前に体を反転させ、左手でMの刀を持つ手を押さえ、右手でMの後頭部を抱き込む。


 床に背中から落ちたMは、「かはっ」と息を漏らす。

 後頭部は僕が抱きとめていたので、撃ちつける事はなかった。


 後頭部から手を離し、反撃されないように、空いた左手も押さえつけ、素早く馬乗りの形になり、Mの動きを封じた。


「Mさん形勢逆転ですね。これでもまだ力なき正義といいますか?」


 Mは自身の左右の手を交互に見る。


「どうやら反撃は難しそうね。良いわ、あなたの力を認めてあげる。けれど英雄君……」

 Mは頬を赤くした。

「この体勢だと私、襲われてるみたいよ。お父様の前で大胆すぎない?」


 確かにこの体勢は襲っているようにしか見えなかった。

 僕はMの上から慌てて飛びのくが、テーブルの破片に躓き後頭部から床に倒れた。


「痛ッ!」

 予想以上に痛かった。


 後頭部を押さえ、その場でごろごろと転がる。


「あら、英雄君大丈夫かしら?」

 Mが心配した顔で僕を覗き込んだ。


「頭頂部ならまだしも、後頭部にたんこぶが出来ても身長には影響がないから意味ないわね」

 そう言うと、僕に手を差し出した。


 言葉は鞭だが、動作は飴だった。


 僕はその手につかまり立ち上がり、部屋の惨状を見た。


 壁や椅子は無事だが、テーブルは修理不能の状態で、コーヒーを撒き散らしたフローリングも清掃は大変そうだった。刀が刺さった場所に至っては、張替えが必要そうだな。


 けれど、そんな事を考えるのは後からで十分。今考えなくちゃ行けない事は、父の事だ。


「Mさん僕の力を認めたって事は、父さんを殺さない事を認めてくれたって事で良いんですか?」


 力なき正義は絵空事。けれど力のある正義は……守る力がある。


「ええ、認めてあげるわあなたの正義を……けれど、それは私たちが生きて帰れたらの話だけどね」


 生きて帰れたら?

 不意に背後から殺気を感じた。Mの殺気は産毛が逆立つような殺気だが、今度は肉食の獣に体を押さえ込まれ、味見と言わんばかりに舌で舐めずり回されたかのような、喰われる立場にある者にしか分からない、捕食される恐怖を感じさせるような殺気だった。


 僕はハッとし父を見た。父は俯いたままではあるが、いつの間にか椅子から立ち上がっていた。


「父さん……?」


「……」

 呼びかけても父は何も答えない。


「英雄君! 急いで刀を拾って!」

 側に寄ろうとした僕にMの怒声が届く。Mはそう言うと僕が弾き飛ばした自身の刀に向い走り出し、飛びつき刀を拾った。


 鬼気迫ったMの言葉に反応し、僕も刀を床から引き抜き、その場から飛びのき、父から距離をとった。


「……よ………………く……」

 無言を貫いていた父が言葉を発したが、ぼそぼそっと呟いただけで、僕にはその言葉をしっかりと聞き取ることが出来なかった


「……父さん……どうしたの?」


 聞き返すと父がゆっくりと顔を上げた。

 父の瞳は赤く充血し、真っ赤に見えた。


「……夜が……来る……」

 今度は聞き取ることが出来た。けれど、その声は僕の知る父さんの声よりもずっと低く、おぞましい響をしていた。


「……くっ……くっ、くっはぁはっはっはっはぁ」

 突然高笑いをし始める。


「……父さん?」


「はぁっはぁっはぁっはっ、あん? おっ英雄じゃねえか。久しぶりだなぁ。この姿で会うのは一度目か? 二度目か? それとも初めてかぁ? それなら初めましてか?」


 そう言うと父はにっと笑った。

 笑った口からは犬歯が覗いていた。それも文字通りの人の歯ではなく、犬の歯が。


「父さん……じゃないのか……?」


「父さんに決まってるだろぉ。父さんじゃなかったら母さんに見えるってか? それならスカートでもはいてやろうかぁ?」


 父さんじゃない。父はこんな口調ではないし、顔つきも崩れ、舌をだらりと垂らし、目も口も歪めて笑っていた。

 父であるはずなのに、僕には初めて出会った異質な生物にしか見えなかった。


 なんなんだこいつは……。


 刀を握る手に汗を掻いているのが分かる。

 口を開いて発する言葉の一文字一文字に殺気がこもり、体中を針で刺しているのじゃないかと思うくらい、全身に痺れが行き渡っていく。


「おいおいおい英雄ぉ、父さんのボケに突っ込めよ。悲しくなっちゃうだろぉよ。おいおいおい英雄ぉ、父さんに刀を向けるなよぉ、敵だと思って喰っちまうだろぉ」


 切っ先が揺れる。手に力を入れ、刀身を定めようとしたが、揺れは治まらない。

 それもそのはずだ、切っ先が揺れていたのではなく、体全体が震えていたのだ。

 踏ん張ろうとする足も携帯のバイブレーションが鳴っているかのように激しく震えていた。これがもし携帯のバイブレーションなら、タッチ一つで止めることができるが、この震動の止め方は僕には分からなかった。


「はぁっ、喰っちまうってのは嘘だよぉ。息子を喰う親父がどこにいるんだよぉ。喰うのはそっちの女の方だよ」


 Mを指差す。


 その言葉は嘘ではないだろう。


 父さんは口からルビーのように赤く、長い舌を出し、唇を舐めた。

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