第36話
「まず怪人は悪だ」
父の言葉には感情が篭っていた。
「けれど、私達も初めから悪だった訳ではないんだ。初め私たちは犠牲者だった。毎日のように生体実験を受け、食事も毒に対する耐性の確認のため、薬品を経口投与されるのみ、人としての暮らしなどしていなかった。国のために自身の身を差し出したと言うのに、こんな仕打ちが合って良いのかと思ったよ。けれど犠牲者の日々はすぐに終った。ボスの号令の下私たちは科学者に復讐をし……喰ったんだ。この時から私たちは加害者……悪になったよ」
父は怪人、人を喰らう生物なんだ。
分かってはいた事だが、その事実が僕に与えた衝撃は計り知れなかった。
「研究所を抜けてから、父さん達は自由になった。復讐の日々に身を置く者。空腹の時に人を喰い、自由気ままに生きる者、みんな様々な道を選んだ。父さんも自由気ままに生きる道を選んだよ。空腹の時に人を喰らい生きて来た。初めは人を喰うという行為に抵抗はあったが、いつの間にか人が家畜や食料にしか見えなくなり、なんの罪悪感も湧かなくなっていたよ。そんな生活が数年続いた時に恭子……母さんと出会った」
僕は生まれてすぐに母を亡くしている。今まで父に、母さんとはどんな人だったのか聞いても、優しい人や、綺麗だったと答えるばかりで、ちゃんと答えてはくれなかった。
けれど、今回はきちんと答えてくれそうで、少し心が躍った。
「母さんに出会ったその日、父さんはビルの屋上にいたんだ。ビルの屋上にいたと言っても、黄昏ていた訳でも、景色を見ていた訳でもなく、ただ、そこに食料を持ち込んで食べていただけださ」
父は食料と言った。間違いなく人間の事だろう……。
その一言で改めて父が怪人なのだと思わされた。見てはいけないと思いつつもそんな父の口元に視線を送ってしまった。
普通の人にしか見えないその口が怪人の口になり人を喰らう姿を想像してしまった。寒気と吐き気とねじ切れるような胃の痛みが僕を襲う。
口を押さえ、「うっ」と呻く。
「英雄……話すのを止めるか?」
父が心配したように言ってくる。
「……大丈夫。聞かせて……ううん、聞かないとダメなんだ」
僕は聞かなければならないんだ。自分と言うものが何なのか……これからどうしていくのか考えるために……聞くんだ。
「そうか……じゃあ続けるぞ。屋上……そこなら周りから邪魔される事なく、静かに人が喰える、そう思って何気なく選んだ場所に母さんは現れたんだ。食事が終った頃母さんは屋上に現れたよ。幸いにも食料は骨も残さず食べたし、服もほとんど血で汚れていなかった。騒がれるのも面倒だと思って父さんは人型に化け、何食わぬ顔でそこを離れようと思ったよ。けれど離れることはできなかった。母さんがとても美しかったからさ」
父はそこで照れくさそうに笑った。
「優しそうな瞳、薄紅色の唇、雪のように白い肌。父さんは母さんの美しさに目を奪われたよ」
僕は聞いていて恥ずかしくなった。あまり親の馴れ初めを聞くのはいいものじゃないな。
「父さんは母さんの美しさに見とれてその場に立ち尽くしたよ。けれど母さんはそんな父さんに目もくれず横を通り過ぎると、そのままフェンスを乗り越えようとした」
父の表情が笑顔から真剣な面持ちに変る。
フェンスを乗り越える意味くらい僕にも分かる……。
母さんは……自殺しようとしていたのだろう。
「父さんは呆気に取られたが、すぐに母さんの下に駆け寄り、手を掴んだよ。自分でもその行動には驚いた。今の今まで人を喰い、命を奪っていた自分が、人の命を助けたんだ。母さんは暴れたよ。放して、死なせてってね。けれど父さんは離さなかった。その時だけは自分が怪人でよかったと思ったよ。常人の何十倍もの力に感謝したさ」
父と母の出会いは僕が予想していたものよりも、ずっと重かった。
「父さん……母さんはどうして……自殺をしようとしたの……?」
聞きたい訳ではない。父一人にその重みを背負わしたくなかった。僕も知る事でその辛い思いを分かち合えるならば、父のためにも聞くしかなかった
それが家族ってものだろう。
「母さんは妻子のある男性の子供を身ごもっていたらしいんだ。けれど相手の男性からおろせと言われ、その子供をおろしたらしい。いずれ妻と別れて結婚しようと言われた相手から子供を下ろせといわれたんだ、母さんの苦しみは計り知れなかったんだろうな。母さんが自殺しようとしたのはその一月後の事だ」
なぜ好きな人の子供をおろさなければならないのか。なぜ母が死ななければならないのか。父の話は子供の僕には理解の出来ないものだった。
けれど父の表情を見ると、その辛さが伝わってきた。
父は苦しんでいた、母の辛い気持を感じているようで、目元には涙が浮かんできていた。そんな父は怪人とは思えず、人にしか思えなかった。
「話を戻すぞ」
涙を拭うと父は語りだした。
「父さんは自殺しようとしている母さんを助けたけれど、母さんは暴れ、死なせてって言うばかりで、父さんがその場を離れたらまた自殺するように思えたよ。本当なら説得でもすればいいんだろうが、怪人の父さんにはかける言葉が見つからなかった。人を喰らい命を奪う私には命を留める言葉なんか持ち合わせていないからね。だから父さんは、母さんの首に衝撃を与えて気絶させ、当時住んでいた家に連れて行く事にしたよ」
途中まで良い話だったのに……台無しだ。発想が野蛮すぎるよ父さん。
さっきは人にしか思えないと思ったが、誘拐犯にしか思えなくなった。
「家まで連れ帰り、揺すって起こすと、母さんはまた暴れだしたよ」
そりゃそうだろう、勝手に連れて帰るとは誘拐以外の何者でもないからだ。
「父さんは母さんに自殺をしないのなら帰してやると言ったけれど、母さんは嫌だと答えた。その男性に捨てられ、子供まで失っては生きていられないと言い泣き出したよ。父さんは困ったよ、今まで何十、何百もの人間を殺してきた父さんがこの人だけは死なせたくないと思ったのさ。だから父さんは母さんにその事を話したよ。あなたが死んだら私も生きていけませんってね」
まるでプロポーズの言葉だった。
「そして父さんと母さんは付き合うことになり、結婚しお前が生まれたんだ」
そこまで言うと父はコーヒーをすすり満足そうな顔を僕に向けてきた。
……終わりですか!
色々端折った気がするんですけど。
「あの父さん……出合ってから僕が生まれるまでの話が大分短い気が……」
「ああ短かったか。じゃあ詳しく話すよ。父さんが生きていけないと言ったら母さんは泣き出したよ。そんな風に言ってもらったのは初めてだと言って、父さんに抱いてと言って――」
「もう良いです! いやー父さんと母さんとの出会いを知れてよかったな~」
僕は父の言葉を強引に遮った。
父と母の情事なんか聞きたいはずないだろ!
「ちょっと英雄君今いいところだったのに、邪魔しないで!」
Mが目を爛々と輝かせ言った。
「Mさんは黙っててください! これ以上聞いたら、僕の人生観まで変る何かが起きそうなんですよ!」
家族の事情を良い所って言うな。
親の情事を良い所って言うな。
その一言からなんとなくMさんの性格の一面を垣間見る事ができた気がする。
多分、保健体育とか人一倍真面目に参加してそうだ……。要するにむっつりな気がした。
「何かなんて起きないわ! 生命の誕生の話よ。素晴らしい事じゃない!」
「自分の誕生の話なんか聞きたくないですよ! って言うか、こんな誘拐事件の後に誕生してたまるかよ!」
父がごほんと咳払いし僕とMの小競り合いを諌めた。
「すまない、子供たちの前で変な話しをしてしまって。とりあえず今の話がお前の生まれる十ヶ月前の話だ」
その発言で僕が誘拐チルドレンという事が確定した。
義務教育で十月十日の話をした名前も忘れた小学校の担任の事を心底恨んだ。知らなければ幸せな事なんてこの世界には五万と転がっているかも知れないが、この知識はその中でも筆頭に上げていいんじゃないか?
ほんと最悪だよ。
「英雄もMさんもできちゃった結婚はしないように避妊はしっかりするんだぞ」
「はい、気をつけます」
「父さん何言ってるの! 十五の子供に言う言葉じゃないでしょ! Mさんも何しっかりハイって言ってるの? 女の子なんだから、そこは恥ずかしそうに俯くとかしてよ!」
父もMさんも手に負えなかった。
どこの世界に息子に避妊しろなんていう親がいるんだ……性教育がしっかりしすぎだろ……。
「英雄、十五歳だからこそ言っておく必用があるんだぞ。十五歳は発情期真っ盛りだろ」
「思春期真っ盛りだよ! ただ今この瞬間に反抗期も向かえそうだけどね!」
「あら英雄君、遅めの反抗期おめでとう。それに私はもう二十歳よ。いまさらそんな話でかまととぶる気はないわ! 私は年相応にはエロいのよ!」
何の宣言なのか、Mは僕を指差し言った。勢いはミステリーの探偵が犯人はお前だと言わんばかりのものだった。
「かまととぶってくれよ! 父さんの前ではかまととぶってよ!」
「あら、じゃああなたの前ではエロ全開で行かして貰っていいのかしら?」
「えっとそれは……その……」
照れた。
父の前で答えられる問題ではなかった。
この答えは後日ゆっくり答えさせてもらおう。
「ところでお父様、英雄君がおめでた婚の末に産まれたのが分かりましたが、お父様はお母様を喰おうとは思わなかったのですか?」
「……ッ!」
父は怪人だ。どんなに人間臭くても、それに変りはなかった。
「喰いたくなった事が無いと言ったら嘘になるな。だが必死に耐えたよ。生まれてくる息子のためにも、母さんは必要だった。何よりも父さんは母さんを失いたくなかったんだ。けれど……夜だけはその衝動を抑えるのが難しかったよ」
「どうして夜になると難しくなったの?」
夜。ちらりと部屋の掛け時計を見ると今の時間は七時十分前、十分夜と言っても過言ではない時間だった。けれど父には変った所を見られなかった。
「英雄、父さんの怪人としての名前を覚えているか?」
父の怪人としての名は確か……「無限(インフィニティ)の狂犬(レビスドッグ)」だったはず。
「父さんの名前のレビスの意味は分かるか?」
レビス? 学校では習ったことのない単語だった。
「英雄には分からないか。なら夢さんにならこの意味が分かりますよね?」
父は僕に微笑を向けると、Mに目線を移した。
「……レビスって言うのは狂った……レビスドッグで……狂犬病って事ですね」
「ご名答です」
そう言うと父は微笑み、たっぷりと間を取った。
「……私の体は夜になると狂った犬の怪人になります。その様子を見て私の名をボスは狂犬病と名づけました。私にはそれを押さえる事はできない……だから仕事の残業だと偽り、夜は家を空ける様にしたよ。夜に怪人となった私は毎晩人を喰らうため、街を練り歩きます」
ピピピっと父の腕時計が鳴った。父の時計は七時になるとアラームが鳴るようになっていた。
アラームがなると父は仕事場に向う。食事の途中だろうが、僕を怒っている時だろうが必ずだ。
「もう時間だ。もうすぐ狂った自分が出てくる。英雄、Mさんお願いがあります」
「……お願いって何?」
嫌な予感がし、僕は恐る恐る聞いた。
「私を殺してください」
そう言うと父さんは深々と頭を下げた。
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