第35話

 父が『無限の狂犬』?


 何を言っているのか僕には理解できなかった。


 父も何の事か分からずに驚いているだろうと思い顔を見る。すると表情はいつものような優しい感じではなく、無表情で、感情を読み取る事が出来ないものになっていた。


「……夢さん何を言っているのですか? 私は『無限の狂犬』なんかではなく、れっきとした人間ですよ」


 父は笑顔を浮かべ言ったが、その笑顔は妙にぎこちなく見えた。


「あら、よく『無限の狂犬』が人間じゃないと分かりましたね。私は『無限の狂犬』が人間ではない、怪人だとは一言も言ってないですよ」


「……カマをかけたんですか。しかし夢さんがその名をなぜ知っているんですか?」


「あら自身が『無限の狂犬』だと認めてくれましたね。お父様の事を知っているのは私が『チャーチ』の関係者だからです。『無限の狂犬』……この呼び方は長いんでお父様のままで良いでしょうか?」


 父は、「どうぞ」と頷いた。


「お父様の事は『化け猫』……私達のパートナーである音ちゃんが教えてくれました」


「……」

 父はハッとし、Mの置いたキャリーバックに向き直った。


「レビちゃんおひさ~」

 キャリーバックから出てくると音ちゃんはテーブルの上に飛び乗り、父の真正面まで歩いていった。


「化け猫……」


「レビちゃんその名前嫌いだから呼ばないでよ~。今は『墓守音子』って可愛いお名前なんだよ~。レビちゃんも音ちゃんって呼んで~」


「墓守音子……墓守……音子……くっくっく」

 父は口を歪まし笑い出した。

「墓守とは面白い名前をつけたもんだな」


 父の……いや怪人の口調が変った。


「面白い名前じゃなくて、可愛い名前だよ~」

 音ちゃんの名前が面白いってどういうことだろうか……。


 けれど、それを考えようにも、父が怪人ということが頭を巡り、考える事は出来そうになかった。


「Mさん、音ちゃん、父さんは本当に怪人なんですか……?」


「うん間違いないよ~。姿は違ってもレビちゃんの気配がするもん。レビちゃんは昔から細胞を変えていろんな顔をしていたけど、音ちゃんが気づかなかったことないよ~」


 この怪人は顔を変えられるらしい。


 ならこの顔も父の顔を真似したものなのか。だったらいつから化けていたんだろう……。

「じゃあこの怪人は父さんの顔に化けて成り代わっていたんですね!」


 怪人に向き直る。顔はどこからどう見ても僕の知っている父そのものだった。

「いつから父さんに化けていたんだ。父さんをどこにやったんだよ!」


「……」

 怪人は何も答えない。


「英雄っち~。多分レビちゃんは成り代わってなんかないよ~。ずっとその姿のままだと思うよ~。だって英雄っちがその証拠だも~ん」


 僕が証拠?


 父が成り代わっていないなら、僕は生まれた時からこの怪人の子供として育ったというのか。人を喰らう怪人に……人を殺すその手で……僕は育てられてきたのか……。


「音ちゃんここからは私が話すわ。まず英雄君は『無限の狂犬』の実の息子のはずよ」


 僕が怪人の子供? 

 ……実の息子?


 じゃ僕は怪人なのか?


 目が見開かれ瞳孔が開くのが分かった。


 室内の小さな電球の明かりが眩しく感じられた。


「でもMさん……唯一怪人を生み出せる……のは、『母なる蛇神』と言う怪人……だけじゃないんですか?」

 唇が震え上手く言葉を発することができなかった。


「ええ、そのはずよ。ただ『母なる蛇神』も、食べたものを混ぜ合わせ生み出しているだけで、厳密には生殖能力があるとは言えないわ」


 じゃあなんで僕のことを実の子なんて言ったんだ。


「英雄君、タコハーフと戦ったときのことを覚えている?」

 不意にMが話を変えた。


「覚えていますけど、それが何か関係があるんですか!」


 話を変えられ、言葉に怒気がこもった。僕はいち早く自分が何なのか知りたかった。いや……正確には自分が人間だと言う証拠が欲しかっただ。


「大有りよ。英雄君はタコハーフをマシンガンで撃って殺したわよね」


 Mが話すと同時に父がバンッとテーブルを叩き立ち上がる。


「英雄が怪人を殺した? どういうことですか!」


「お静かに」

 Mは一喝し父を黙らせる。

「英雄君は怪人タコハーフに襲われて、それを期にヒーローになりました。分かったら黙っていてください」


「そんな馬鹿な……」

 と、呟き父さんは席に座り込んだ。


「話を続けるわ。英雄君に嘘をついていたんだけれど、マシンガンは常に帯電していて、スーツを持たない人間が触ろうものなら、感電して命の危機に瀕するのよ。適性があると触れるって言うのは……嘘なの。そして何よりもマシンガンを撃つなんて事出来るはずがないの。あれはスーツに帯電した怪人の電流と脳の電気信号が交じって初めて撃てるものなのだから」


 確かにマシンガンを手に取ろうとしたとき、ブルーは声を荒げ僕を止めようとした。

 そう、止めろ、抵抗するなでもなく……、『触るな』と言ったんだ。

 あの時は咄嗟の事で疑問にも持たなかったが今考えれば可笑しい。そう、触れば危険だという事が分かっていなければ出ない言葉だ。


「私はブルーから英雄君が銃を撃ったと聞いて、初め、英雄君は怪人か私の知らないヒーローのどちらかだと思ったわ。体に電流が流れているのなんて怪人かヒーロー以外には思いつかなかったからよ。けれど英雄君がヒーローじゃない事は無線を聞いていて分かったわ」


「……無線を?」


 僕が聞き返すと、Mは、「ええ」と頷きその理由を語った。

「説明したと思うけど、マシンガンは総発射数が百発分なのよ。けれど英雄君が引き金を引いて撃った弾数は……百七発。つまり電流がないのに七発余計に撃ったことになるの。ヒーローは電流なしじゃ銃は撃てない。それなら余分な七発分は怪人の皮膚から洩れ出た電流を銃弾として発射したとしか想像できないのよ」


 僕の体を電流が……怪人と同じ電流が流れている?


「……嘘だ」

 呟くように言ったがMはその言葉に返事を返さずに、言葉を発し続けた。


「だから私は音ちゃんを連れて英雄君の元に向かったわ。けれど音ちゃんが英雄君を見て言ったのは、『無限の狂犬』に見た目も気配も似ているけれど、怪人ではなく人間の匂いがする……」

 そこでMは一息ついた。

「そこで私は一つの仮説を立てたわ。『無限の狂犬』は自身の増殖能力と細胞を変化させる力を使って生殖能力を持ったんじゃないかと言うものよ。そして英雄君はその子供……電流を体に宿した怪人の子なんじゃないかと考えたわ。違いますか?」


 父は首を振らずただただMを見つめた。


「そんな馬鹿な! 僕は人間だ! 怪人なんかじゃない!」

 口から唾が飛ぶのも気にせず僕は叫んだ。


「ええそうね。あなたは怪人じゃないわ。けれど人でもないのよ。英雄君、昨日音ちゃんに引っかかれたわよね? その時音ちゃんが血を舐めて確認してくれたわ。英雄君の血からは怪人特有の血と、人間の血の味がしたそうよ」


 僕を引っ掻いたのもMの策略だったのか?


「あなたは怪人と、人間の女性から産まれた人と怪人のハーフなのよ」


 嘘だ。父が怪人で、僕がその血を半分引いているなんて……嘘だ……。


 嘘だと自分に言い聞かせているというのに、僕の脳は今日までの記憶を呼び覚ましていた。触るなと言われたあの時を。

 カマキリの怪人が言っていた、ヒーローにしか持てない武器と言う言葉を。


 ヒーローにしか使えないのではなく、持てない。

 持てば感電するんだ、持てないとしか言いようがないな。


 そして音ちゃんの……「仲間なんだから」と言う言葉も僕は思い出した。

 音ちゃんの仲間は怪人であり、Mやヒーローは仲間じゃないと言った彼女が、僕を仲間だと言った。


 それは僕の半分は怪人であり、仲間だということが分かっていたからじゃないのか? どれもこれも僕の半分が怪人だということに符合した。


 呼吸が荒くなる。酸素を吸っているはずなのに、息苦しさが治まらない。


「はっはっはっはっはっ」

 短く荒い呼吸が続くと、息さえ吸えなくなった。


「英雄君! 加呼吸ね。落ち着いてゆっくり息を吸って」

 Mの手が僕の肩に乗る。


「触るなっ!」

 僕はその手を振り払った。


 触られたくなかった。


「今の僕に……触らないで下さい……」


 僕は胸を押さえ席を立つ、加呼吸の時はビニール袋で口を包み、息を吸うと好いと聞いた事があった。ビニール袋を探し部屋を見回す。


 けれど、室内でビニール袋を見つける事は出来なかった。


 そこで意識がふっと遠のく感じがした。酸欠による失神だろうか、顔から床に倒れていく、手を付こうとしたが腕に力が入らない。


 ぶつかる――そう思った時Mの腕が伸びてきて、僕を抱き止めた。


「落ち着いて。お父様ビニール袋ありますか?」


「ああ、今もってくる」

 父は部屋を出て直ぐにビニール袋を持って来た。Mは袋を受け取ると僕の口にかぶせた。


 荒い呼吸を繰り返していると少しずつ呼吸が楽になってくる。


 暫く呼吸を続け顔からビニールをどける。もうこれがなくとも呼吸が出来るまで落ち着いていた。


「……父さん、Mさんありがとう」

 父もMも優しい目で僕を見ていた。


 なぜMは僕に優しくしてくれるのだろうか。体には人に仇をなす怪人の血が流れていると言うのに。

 なぜ父は僕に優しくしてくれるのだろうか。僕は怪人に仇をなすヒーローになったと言うのに。


「……Mさん怪人の子である僕に、どうして優しくしてくれるんですか?」

 僕の目に涙が浮かぶ。


「優しくするに決まっているでしょう。あなたは私の恋人なんですから」

 涙が零れ落ちる。こんな僕でも恋人と言ってくれた。

 恋しい……人と。他のどんな言葉が嘘であっても、その一言が真実ならそれでも良いと僕は思った。


「でも……僕は怪人の子供です。人じゃありません。それでも僕を恋人と言ってくれるんですか?」


 Mは微笑みを僕に向けた。


「あなたが人だとしても、怪人だとしても、駒野英雄というものには変らないわ。私はあなたが病める時も健やかなる時も一緒にいてあげる」


 彼女の台詞はまるでプロポーズのようだった。


 告白からプロポーズまでリードされたら、亭主関白にはなれそうにないな。


「Mさんありがとう、嬉しいよ」

 僕はMに深々と頭を下げると父さんを見る。

「父さん助けてくれてありがとう。父さんは怪人なの……?」


「ああ……怪人だ」

 

 僕はその言葉を受け止めた。いつの間にか心の準備は出来ていた。

「母さんは父さんが怪人だった事は知っていたの……?」


「母さんは知らなかったよ……。伝える前に……母さんは――ボスに殺され喰われたからね」


 母さんが怪人に殺されたなんて初めて聞いた。


「母さんは僕を生んだ年に病死したんじゃなかったの?」


「お前には嘘をついていた。今まで真実をどうしても語る事が出来なかった。お前に私が怪人だというのがバレルのが恐くてね。……けれど今日は隠していた事全て伝えさせて貰う。夢さんも聞いて貰えるかな?」


 父の口調は今まであったどの怪人よりも優しく、落ち着いていた。


 僕もMもこくっと頷く。


 父は僕とMさん、そして音ちゃんに席に座るよう促しキッチンに向かった。

 程なくしてカップを四つ運んできた。

 中にはコーヒーが入っていた。


 家でコーヒーを出されたのは初めてだった。父の用意したコーヒーは苦く美味しくは感じられなかったけれど、子供ではなく一人の人間として扱われているようで嬉しかった。


父はカップをテーブルに置くと語り始めた。

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