第34話

 僕は客用のスリッパを出し、リビングに案内をした。


 中に入ると父はまた新聞を読んでいた。


 僕の彼女が来るという事で気が動転しているのか、新聞が上下逆さまだった。マンガみたいな光景を目撃してしまった……。


 彼女の前で父のこの失態は恥ずかしかった。


「……父さん彼女を連れて来たよ」


「初めまして。英雄君とお付き合いさせていただいています、織江夢と申します。手土産も持たずに、急にお邪魔してしまいまして、申し訳ありません」

 Mがお辞儀をする


 父は新聞越しにMをチラリと見ると、新聞を置き立ち上がった。

「初めまして、英雄の父の駒野英之です」


 父も会釈を返す。表情は柔らかく、どうやら礼儀正しいMを気に入ったようだ。


 Mの挨拶はしっかりしていて、セーラー服姿の見た目は同年齢にしか見えなくても、二十歳だという事をあらためて実感させられた。


 ……セーラー服姿の見た目? 

 Mの服装はいつものセーラー服であった。


 もし、年や学校の事を聞かれたらどうするのだろう……。趣味で着ていますなんて答えたら、父がドン引きする……。


「立ち話もなんですから座ってください。英雄、夢さんにお茶をお出ししなさい」

 父はMをソファに座るよう促すと、腰を下ろした。


「お手伝いしましょうか?」


「いいよ、Mさんは座ってて」

 僕はグラスにウーロン茶を注ぎ席に戻った。


 ほんとならコーヒーでも用意するのが正しいのだろうが、Mはいつもカフェオレを飲んでいるし、僕もあまりコーヒーは好きではないので、止めることにした。何よりもお湯を沸かしている間、Mと父を数分間も二人だけにするのは避けたかった。


 父はお茶に口をつけると、にこやかにMに話しかけた。


「ところで夢さんは学生のようですが、学校はどちらに行かれているんですか?」


 早速、僕の一番聞いて欲しくなかった質問をした。


「私はもう学校は卒業しています。今は働いていますよ」


 僕は頭を抱えた。趣味とは言わなかったが、学生ではないと明かしたことで、父の表情は怪訝なものに変った。


「働いているんですか……。じゃあどうして制服姿なんですか?」


 ごもっともな質問だった。社会人でセーラー服を着ている人などまずいないだろう。


 これは僕が間に入って、上手く立ち回った方が良いんじゃないだろうか?


「この服装が正装だからです」

 Mは笑顔で答えた。


 正装? どういうことだ?


 予想しなかったMの答えに僕も聞き手側に回る。


「正装というと、どういう事でしょうか?」

 父が質問をした。


「私にとってこの服は喪服の代わりなんです。両親を亡くした時、当時学生だった私はこの服を着て参列しました。その時からこの服装が私にとっての喪服なんです」

 Mの両親が死んでいるなんて初耳だった。


「ご両親を亡くされているんですか。お気の毒に。うちも家内を早くに亡くし、英雄にはさびしい思いをさせてきました。夢さんも寂しかったでしょう」


「寂しくなかったと言ったら嘘になります。けれど、今の私には支えてくれる英雄君がいますので、もう大丈夫です」


 Mの発言は嬉しかった。


「Mさん……」

 横目でMを見るとMも僕のことを見ていた。


 目が合うと優しく微笑んでくれた。


「息子のことをそんな風に言ってもらえると、親としては嬉しいですね。ところで夢さん、なぜその正装……喪服で家にいらしたんですか?」


 Mの両親の話で有耶無耶になったが父は話を戻した。


「……」

 Mはすぐには答えなかった。


 しばらく無言でいると僕の方を向き小声で、「ごめんね」と言った。それはとても小さな声で、物音一つでも立てていたら聞えなかっただろう。


 Mは父に向き直る。


「今日、この場でお父様が死ぬからです」

 Mの口からは予想もしなかった言葉が出た。


「……ッ! Mさんいきなり何を言うんですか!」


 Mは聞き返す僕にちらりと顔を向ける。その目は冗談を言っている感じではなかった。


「言葉が足りなかったわね。この場でお父様……『無限の狂犬』が死ぬからです」

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