第33話

「…………」

 恋人になったからといって、すぐに挨拶はおかしいのではないか?


 と言うよりも、親に挨拶を済ませた後に怪人と戦う心境を作れる自信はない。


「あの、それは今日行なう必要があるんですか……?」


「大有りよ。もし、今日の戦いで英雄君が頭に怪我を負って、私の事を忘れたとしても、お父様と言う証人がいれば、付き合っていた事実を証明することができるわ」

 

 親に会う理由が既成事実を作るためって……。


「それに、英雄君が万が一死んだとしても、今日お父様に会っておけば、恋人として、葬儀に参列して遺影を持つことができるしね」


「Mさん死ぬときは一緒じゃなかったんですか? 確実に僕一人で死んでるじゃないですか!」


 昨日のハイエナの怪人との戦いの時、Mは一緒に死んであげるといったが、社交辞令みたいな言葉だったのか!


「あら、死ぬときは一緒よ。ただ英雄君の葬儀には参列者も少ないでしょうし、私が出て少しは賑やかにした方がいいんじゃない?」


 参列者が少ないは余計だ。確かに友達は多い方ではないが、虎彦、兎貴はじめ、クラスメイトは来てくれるはずだ。


「とりあえず四十九日まで出たら私も死ぬわ。英雄君、それまでその辺で待っていてね」


「待てないよ! 四十九日迎えた時点で魂があの世に行ってしまいますよ」

 この人は本当に一緒に死ぬ気はあるのか?


「冗談よ。死ぬ時は一緒に死んであげるわ。でもだからって安心して死ねるなんて思わないでね。私、ファーストキスもまだで死ぬなんて嫌よ」


 Mもファーストキスがまだらしい。もしかしてさっきキスを途中で止めたのも、本当は恥ずかしかったからなのか?


「だから英雄君、今日生きて帰ってきてキスをしましょう。今日なんかキスのために気合を入れてリップまで塗ったんだから、死んで私に恥をかかせないでね」


「……ッ!」

 可愛すぎる。これは何が何でも生きて帰って来なければならない。


「絶対に生きて帰ってきますよ」


「ええ絶対によ」


 僕とMは見つめあった。横で音ちゃんがヒューヒューとはやし立てるのも気にはならなかった。


「じゃあ英雄君、お父様の元に行きましょうか」


「……それ今の会話に関係ないですよね。ちょっといい雰囲気になっていて流しちゃうところでしたけど、父のところに行く意味ありますか?」


「あるわよ。私がお父様に会いたいと思っているのよ。それじゃダメかしら?」


「でもそれは別に今日じゃなくても……」


「私が会いたいと言っているのよ。英雄君は拒否する気なの?」

 Mの目に怒気がこもる。


 ダメだこの目をしている時のMに逆らえば、何かしらの危害を加えられる。


 納得はしていなかったが、僕はしぶしぶ従う事にした。


「分かりましたよ。ただ、父が仕事から帰ってきていて、家に居るかどうかは分かりませんよ」


「大丈夫よ。もし居なかったら、その時はまた出直すわ」

 そう言うとMは立ち上がった。


「それじゃ、時間もないことですし、行きましょうか」

 と言い、玄関に向って歩き出した。


 僕も続いて立ち上がろうとし、絨毯に手を付くと指先に目薬が当たった。拾って見ると目薬は淵ギリギリまで液体が入っていた。

 つまり使った形跡はどこにもなかった。


「……ッ!可愛いな」

 僕が呟くとMは振り向く。


「何か言ったかしら?」


「いいえ、何でもありませんよ」

 そう答え僕は立ち上がると、新品の目薬をテーブルに置き、玄関に向った。


 Mの運転する車に乗り込む。


「ちょっと! 汚い靴は脱いでちょうだい。私の大事な車が穢れるから」


 これが恋人に言う言葉なのだろうか? いや、そもそも穢れるなんて普通は人に言う言葉じゃないぞ。


 僕が靴を脱ぎ入ると、Mがカーナビを操作し僕の自宅住所を打ち込む。なんで知っているのか疑問に思ったが僕は口を閉ざした。

 

 知るのが怖いから……。


 Mが僕の事をどこまで知っているのか知るのが怖いから……。だって股下の長さまで知っているんだよ……。


 暫く走り続けていると、車内には変な緊張感が走っていた。

 Mは運転席で延々、『初めまして、英雄君とお付き合いさせていただいています、織江夢と申します』とリピートし続けていた。

 これは本当に親に会う気だ。僕は心の中で残業になっていてくれと願い続けた。


 それから二十分程車を走らせると家に辿り着いた。


 僕の家はどこにでもあるような小さな一軒家で、駐車スペースも車一台分しかない。

 その駐車スペースには父の車が止めてあったので、Mの車は路肩に止めて置いてもらう事にした。


 この辺は交通量も少ないので、通報され、レッカー移動される恐れはないだろう。


「じゃあ英雄君行きましょうか」


 Mは車を降りると、後部座席のドアを開け、音ちゃんの入ったキャリーバックを取り出した。


 運転中に、音ちゃんは車内に残ってもらった方が良いのではと僕は言ったが、音ちゃんがどうしても行きたいとの事で、キャリーバックに入って貰うという事と、絶対に喋らないという事を条件に、家にあげる事にした。

 猫を連れての家族に挨拶など聞いた事はないが、断わった場合後々煩いだろうから、これもしぶしぶ了承した。


 僕はMを先導しつつドアノブに手をかけた。父がいないことを願っていたが、駐車場に車が帰って来ている所を見ると、間違いなく中にいるだろう。


 鍵は開いていて、ドアはすんなりと開いた。


「ただいまー」

 僕は汚いと散々罵られた大事なキャンパス地のスニーカーを脱ぎ家の中に入る。


 M達には父に話を通すので、玄関の前で待っていてくれと伝えていた。


 リビングに行くと父が夕刊を読んでいた。


 父は仕事から帰ったばかりなのか、グレーのスーツを着ていた。時間が正確だと言う理由で、時計はGショックを選んでいて、その時計だけがスーツにミスマッチだった。


 僕の父は経理の仕事をしていて、残業が多く帰りは十時を過ぎることがほとんどだったけれど、職場が近いという事もあり、夕方から夜にかけては僕に夕食を作るため、出来るだけ帰って来てくれていた。


 父は僕が帰ってきたことに気づくと、「おかえり」と言った。


「父さんただいま……」

 ただいまの後の言葉がなかなか出てこなかった。さすがに、『ただいま。あっ父さん彼女連れて来たから紹介するね』なんて簡単には言えなかった。

 もし家に母親がいれば、母から父に話を通してもらうことが可能だが、母は僕が生まれて直ぐ亡くなっており、それは叶わぬ事だ。


 僕が言葉につまり無言でいると、父は新聞をたたむとテーブルに置き、僕を怪訝な目で見つめた。


 何か感づかれたか? 

 しかし父の感は鋭くはなかったようで、僕の心中とは全く関係ない事を聞いてきた。


「そのスーツはどうしたんだ?」


 着心地がいいためかすっかりスーツでいることを忘れていた。いきなりスーツで帰って来たらそりゃ疑問を持つだろう。ヒーローになったとは言えないので、必死に理由を考える。


「最近はこういう格好が流行っていて、この間、虎彦と一緒に買ったんだよ」

 誤魔化してみる。


 断じて流行ってはいないが、流行っているという言葉を信じたのだろう、「そうか」と、納得した。


「父さんが若かった頃もジャケットが流行ったな」


 信じてくれたようだ。虎彦は家には何度も来ているし、その度に派手な服装を父に見せているので信じたのだろう。


「ところで、今日も顔に傷を作っているじゃないか。学校で何かあったのか? 言いにくくても虐めにあっているならちゃんと言うんだ」


「……」

 額には音ちゃんによる傷跡が残っていた。それを見てどうやら虐めと勘違いしたらしい。


 言葉に詰まっているのもそのためと思ったのだろう、父の瞳には心配の色が浮かんでいた。


「大丈夫、虐めにはあってないよ。クラスには虎彦も兎貴だっているんだよ、安心して良いよ。この怪我は猫を触ろうとして、引っ掻かれた痕だから気にしないで」


 音ちゃんによる傷跡だ、嘘ではない。


「それならいいんだが。ただ父さんに言いたい事があるなら話しなさい。七時前にはまた会社に戻るが、それまでなら話を聞くぞ」


 壁にかけている時計をちらりと覗く。今の時刻は五時半を少し過ぎたくらいだ、後一時間は時間が作れそうだった。


 いつまでもM達を外で待たしておく訳にはいかない、僕は意を決し父にMの事を話した。


「父さん……実は今、彼女を家の外に待たしているんだけれど……中に入れても良いかな?」


 父の表情が固まった。


「……」


 室内にはカチッカチッという時計の秒針の音が響く。


「……彼女がいるなんて初耳だぞ……驚いた……」


 僕だって驚いたよ。ついさっき出来たばかりなんだから……。


「言わなくてごめん。中に入れちゃまずいかな?」


「いや、十月になったばかりとはいえ夜は冷える。いつまでも外で待たしている方が失礼だ。すぐ通しなさい」


 Mを招く了承を得られた。


「あと……彼女の飼っている猫も一緒なんだけれどいいかな……?」


 何で猫がと怪訝な表所をしたが、構わないと答えてくれた。


「父さんありがとう。今呼んで来るよ」


 僕は小走りで駆け出し玄関に向かった。玄関を開けると、Mは手鏡でパッツンの前髪を整えていてた。


 Mも父に会うのを緊張しているのだろうか、表情も固かった。


「お待たせ、父さんが中に入ってくださいだって。どうぞ」


 Mはお邪魔しますと言い家の中に入る。

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