第32話
「悲しいけれど皆が優先するのは平和じゃなくて、より多く稼ぐ事なのよ。一度金を欲して戦った者は、そう簡単に昔には戻れないの。きっと第一世代の怪人の討伐協力を要請すれば、我先に殺そうと連携も取らずに襲い掛かるわ。そして、誰かの手に殺すチャンスが訪れれば……きっと邪魔する。怪人を殺すための武器が仲間であるヒーローに向く。きっと英雄君にも向けられる。私はその可能性がある以上、仲間を呼ぶなんて作戦立てられないわ」
「……そんなの間違っていますよ……そんなにお金が大事ですか? 僕もいらないとは言いません……借金もありますしね……。けれど、それよりも大切なことがあるんじゃないんですか? Mさんだってそう思うんじゃないんですか?」
「私は一番大切なのは命。そして次が正義……ではなく、お金よ」
「……ッ!」
Mもお金が正義よりも大切だと言うのか。
「私にはお金が必要なのよ。だから報奨金は英雄君一人の手に授けたいの」
「どうしてそんなお金が必要なんですか!」
「私の理由は簡単。花を買いたいからよ」
花? 花を買うのにそんな大金が必要なのか?
いや、きっとMのことだこの言葉は僕をはぐらかすために言っただけのものだろう。
「ふざけた事言わないで――」
語気を強め言い切ろうとした時、「英雄っち!」と言う音ちゃんの声が僕の言葉を遮った。
「英雄っち、それ以上言わないで! 何も知らないのに言っちゃダメだよ。それにMちゃんも、協力して戦えない訳をちゃんと言わないとダメだよ!」
いつも能天気だった音ちゃんが、声を荒げ言った。
「ええ、そうね。私の言葉が足りなかったみたいね。英雄君ごめんなさい」
「……いえ、こちらこそちゃんと理由も聞かずに怒って、すいませんでした」
僕らはお互いに頭を下げた。
「ところで音ちゃん、口調が変わっているけれど大丈夫なのかしら?」
そう言ったMの顔にはいつもの人をからかうようなイタズラな笑みが溢れていた。
なんだかホッとしたような気持になる。
Mの幼い顔には悲しげな表情なんて似合わない。
この顔が一番会っているんだ。
僕がそんなMを微笑ましい顔で見ると大絶叫が部屋にこだました。
「うんっ?……あ~! キャラがぶれちゃったぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!」
と、言う音ちゃんの大絶叫が。
「やっちゃったよ。これは絶対にやっちゃダメなことなのに……あっダメなことにゃのに~」
音ちゃんはブツブツ言うと落ち込んだかのように頭を抱えうずくまった。にゃ~と言ったり語尾を伸ばして喋るのはキャラだったのか……。
確かにたまに伸ばしたり伸ばさなかったり、急ににゃあを付けたりしているもんな。
Mはそんな音ちゃんに、「ドンマイ」と声をかけ僕を見つめ語りだした。
えっ、音ちゃんへのフォローはそれだけなのか?
まだぶつくさ言っている音ちゃんを横目に見ながら僕はMの話を聞いた。
「私の説明が不明瞭だったわね。平和を優先しないと言ったのには訳があるのよ。以前第一世代の怪人が出現して、付近にいた四人のヒーローが討伐に向うと言う事があったの」
『チャーチ』に怪人と戦った記録が二件あるといっていたのでそのどちらかの話だろう。
「一人のヒーローは敵の強さを危惧して力を合わせて戦おうと言ったんだけど、そんな言葉無視し、他のヒーロー達は我先に怪人に戦いを挑み負けていったそうよ。残されたヒーローは命からがらその場から逃げ出したんだけど、その時のショックから今では戦う心を無くし、前線から退いたわ」
「確かにショックですね。そのヒーローは怪人を倒せなかった事を悔やんだんですね……」
「いいえ違うわ。そのヒーローはその場にいた何百人もの人を残し逃げたことを悔やんで戦えなくなったのよ」
「なっ! 何百人! そのヒーローは助けを求める人を残して逃げたんですか?」
「そうよ。無数の第二世代の怪人に喰われ掛ける人々を押しのけ、第一世代の怪人が仲間のヒーローの手足を、おもちゃをいじるかのように捥いでいたぶり喰らうのを見ても逃げ出したのよ。英雄君はもし自分がその立場になっても逃げずに立ち向かえる?」
「……僕は……逃げません。前も言いましたよね。僕は弱い人間です。誰かの犠牲の上で生き残ることなんて出来ませんよ」
僕がそう言うとMの目から涙が零れ落ちた。
「Mさん……?」
Mは恥ずかしそうに顔を覆う。
「見ないで!」
どうしていいか分からずに、僕は、「はい」と返事をし後ろを向いた。
こんな時虎彦ならどうしただろう? 優しく慰めるだろうか。
兎貴ならきっとハンカチを渡したりするんだろう。
けれど、僕はこんな時にかける言葉が思いつかないし、渡すハンカチもない。ただただ、Mが泣き止むのを背中越しに待っていた。
すると、Mの涙の理由が僕にはなんとなく分かった。
ああ、そうか、その逃げ出したヒーローのマネージャーをMがやっていたんだろう。
それがブルーなのか、他のヒーローなのか分からないけれど、報告書を読んだから知っていて話したようには思えなかった。
Mの話にはまるで当事者だったかのようなリアリティがあった。
「英雄君、そのまま聞いてもらっていいかしら? 私が助っ人としてヒーローを呼ばないのは、もし一人で戦おうとしたり、逃げ遅れたヒーローがいたとしたら、英雄君はそのヒーローまで助けようとすると思うからよ。それであなたは、自分の身を犠牲にしながら戦い、きっと死ぬと思うわ。逃げずに戦い死んでいく。私にはそれが耐えられないの」
僕は馬鹿だ。
Mの言葉の上辺しか捕らえず、伝えたいことの真意を読み取ろうとしていなかった。
彼女は言っていたじゃないか。二番目に大事なものはお金でも、一番大事なのは……命と。
Mは傷ついたブルーを心配をし泣いていた。
出会って三日だが僕が死んだらMはそれ以上傷つくんだろう。
「Mさん僕は死にませんよ」
「いえ。もしあなたが誰かを庇おうとして戦えばきっと死ぬ。私はあなたの逃げないとい言葉を聞けただけで十分。だから……ここからは命令よ。今日、私や音ちゃんが危険に晒されても……逃げなさい」
「逃げませんよ。Mさんと音ちゃんが逃げ切るまでは僕は戦います」
「甘いわね。そんな時間を第一世代の怪人が与えてくれると思う?」
「与えてくれないなら勝ち取るまでです。言いましたよね、誰かの犠牲の上に成り立つ命なんか欲しくないと。僕は戦うなら皆を守りたい。その為ならどんなことでもするって」
「……もし私や音ちゃんの命も守りきって勝つというなら、勝率は二割もないわよ。きっとあなたは死ぬわ」
五割から生存率が二割に減った。本当なら勝率五割の段階で、実施するべきではないのかもしれない。
それが二割まで減るとなると、これはもう死にに行くと言っても過言ではないのかもしれないな。
けれど僕は引かなかった。
今引けば今後もMや音ちゃんの身に危険が迫る作戦を立てるような気がしたから。
僕はそのままで聞けと言うMの言葉に逆らい、くるりと向き、Mを見つめる。
「その命令には従えません。だって……僕は……死にませんから。だから二人を危険に晒す作戦は立てないで下さい」
「……あなたが死なないと言う根拠がどこにもない以上、その作戦は立てられないわ」
「……根拠はありませんけど……あなたを泣かせたくない。だから死なない……それじゃダメですか?」
僕はMを見つめて言った。
僕の目を見て欲しかった。この言葉が嘘偽りじゃない事を分かってもらうために。
Mはスカートの裾をぐっと握りこみ必死に涙を堪えようとしていたが、相変わらずに目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
優しい言葉も、ハンカチもない僕は、彼女の目にそっと指を当て冷たい涙を拭った。
「じゃあ英雄君約束して……今日の第一世代の怪人と一人で戦い、必ず生きて帰ってくるって」
僕は微笑む。
「約束します」
「英雄君約束よ。口約束でも証人がいれば、法的拘束力を持つんだからね。あなたはこれで今日第一世代の怪人と戦うことが決りました」
「はい。僕はひとりで戦い生きて帰ってきます……うん?」
えっ?
なぜここでいきなり法廷の話しになるんだ?
僕はMの言葉にひっかかり小首を傾げる。
「Mちゃんやったね~。じゃあもう目薬の追加はいらないかな~?」
はっ? 目薬の追加って何?
僕が理解できず頭からクエスチョンマークを出し続けていると、Mはスカートから手を離した。
その手の中からは透明の硝子のケース――目薬が現れた。
「さあ英雄君、第一世代の怪人を退治しに行きましょうか」
彼女はハンカチを取り出し、涙を拭うとサラッと言った。
「……はぁぁぁぁぁぁ! 意味わかんないですよ! えっ? 嘘泣き!」
音ちゃん以上の絶叫を僕はあげた。
「英雄君うるさい! 涙も目薬も目から流れ落ちる物なんだから、どっちでもいいでしょ」
「良くないですよ! 意味が変りますからね! 涙は感情の表れですけど、目薬には一切の思いも何もありませんから!」
「あら目薬を差して涙を流すと、目が気持いいって思いが湧くわよ」
「それ医薬効果だから!」
「タメ口!」
怒鳴ると共に手の中の目薬を僕に投げつけた。
目薬は意外と硬く、当たった額に鈍い痛みが走る。
「すっ……すいませんでした」
条件反射で謝った。
僕はもうMの、「タメ口」と言う言葉に条件反射で謝るようになっていた……。パブロフの犬効果恐るべし。
「でも、なんでこんな回りくどい芝居をしたんですか?」
僕は額を擦りつつMに質問をした。
「昨日音ちゃんとどうすれば英雄君が、怪人と一人で戦う決意をするか話していたんだけど、そこで音ちゃんが、女の武器の涙を使えばいちころよって言ってくれたのよ」
くそっ、まさにいちころでやられてしまったじゃないか……音ちゃん、なんでもっと良い案を出してくれなかったんだよ……。
「いやー。Mちゃんの芝居はなかなかのものだね~。音ちゃん涙を流せば英雄っちもMちゃんの言うこと聞くんじゃないかと思ってアドバイスしたら、こんな展開にするなんて思わなかったよ~」
「音ちゃんもよく泣き落としなんて思いついたわね」
「昨日の夜ワンセグでテレビ見ていたら、お水のお姉さんが、父親が癌で治療費払うために働いているんですって泣いて大金を貰う番組やっていたから、これは使えるって思ったんだよね~」
「それは詐欺ね。お水なら詐欺罪で捕まりそうな嘘をつかずに、色恋で落とせば良いのに。そうすれば裁判になっても恋愛感情があったって嘘で通せるのにね」
「色恋って何~?」
「色恋は恋愛感情を持たせて、ボトルを入れさせる技よ」
「音ちゃんも色恋覚えたら、英雄っちにいっぱいミルク買って貰えるかな~?」
「ええ。一本でも二本でも十本でも買って貰えるわ」
二人は黒い女子トークを繰り広げた。
「……女って怖い……」
Mの演技に騙された僕はボソッと呟く。
その小さな声にMは反応した。
「英雄君、安心して。私の涙は嘘でも、私達が言った事に嘘は一つもないわ。あなたに死んで欲しくないのは事実よ。ただ、この怪人との戦いはあなたが一人で戦わなければいけないの。他の助っ人を呼べない理由があるのよ」
この時僕はMの言った、嘘はついていないと言う言葉が嬉しく、言葉の上辺しかすくわなかった。
他の助っ人が呼べない理由と言うものが、僕が死ぬのが怖いだけとは限らないのに……。
「本当はこんな三文芝居なんかせずに、英雄君の事を信じて戦いを見守るのが一番だけれど、私は君が逃げて悔やんで壊れて……心が死んでしまう事が怖かったの。例え騙された結果だとしても、あなたの口から逃げないと聞けた。あなたの目から死なないという思いを伝えられた。私はあなたのその言葉を、目を信用する。だから必ず……身も心も生きて帰って来て」
「Mさんわかりましたよ。持てる力を出し切って必ず怪人を倒して、生きて帰ってきますよ」
「英雄君信じているわ」
そう言うと、Mは突然立ち上がる。
「それじゃ行きましょうか」
「あっ、はい」
もう行くのかと、僕も慌てて立ち上がる。
良い事を言った後だというのに、Mの切り替えは早かった。けれど今の僕は、第一世代の怪人と戦う事への不安など微塵も持ち合わせていなかった。
もしかしたらMの言葉は全て嘘かもしれないし、僕をやる気にさせるための芝居かもしれない。
Mは頭の良い人間で、何を言えば、僕がどう思考し、どう行動するかも計算出来ているのかも知れない。本当はただ僕をこき使い、金を稼ぎたいだけなのかも知れない。
けれど……、僕はそうじゃないと思っている。
一昨日のベンチに座ったM。
昨日の僕の背中を支えてくれたM。
独りで泣いていたM。
一緒に死んであげるといったM。
彼女は優しい女性なんだ。心が折れそうな僕を鼓舞してくれる女性。
強くなる覚悟をもたらしてくれた。
折れない心を作ってくれた女性。
身も心も生きて帰る覚悟をもたらしてくれた女性。
彼女の言葉が嘘だろうが、本当だろうが、一つはっきりしている事がある。
彼女の言葉で僕は戦う覚悟を、生きる覚悟をする事が出来た。
その思いは……真実なんだ。
だから僕はあなたに言いたい……。ベッドの下に手をいれ荷物を取り出そうとするMの背に、僕は本当に小さな声で、言った。
「……ありがとうございます」
弱い僕を強くしてくれた感謝の言葉。ヒールに徹してくれるMへの感謝の言葉。
微笑みながら僕は呟くよりもはるかに小さな声で言った。
「うん? 何か言ったかしら?」
聞き取れなかったようだが、何か喋った事に気づいたMは振り返り聞いてくる。
「怪人が潜んでいる場所は近いんですか?」
僕は誤魔化した。
聞こえなくていいんだ。この言葉をMの耳に届けるのは、僕が本当の意味で強くなった時……今日、第一世代の怪人を倒して帰った時だ。
あなたの言葉のお陰で強くなることが出来た。だからありがとうございますと、感謝の気持を伝えよう。
「近くはないから車で行くわ。ただこの第一世代の怪人は夜間にしか狩をしないようで、今はどこにいるかまでは分からないのよ。まあだいたい七時頃になれば音ちゃんが怪人の所在を察知できるはずよ」
僕の誤魔化しに気づかなかったようで、Mは僕の質問に答えてくれた。
あれ? でも七時といったら……。
スーツのポケットに入れた携帯を取り出し、時間を確認する。
今の時刻は五時。怪人の所在を掴むまではまだ二時間もあった。
「じゃあまだ時間がありますね。それまでは待機ですか?」
「いいえ、その前にやっておかなくてはならない事があるの」
やっておかなければならない事? 別の第二世代の怪人退治だろうか?
いや、これから強敵である第一世代の怪人と戦うというのに、怪我や体力を消耗する恐れのある怪人との戦いを、さすがのMでもやらせないだろう。
結果から言うと、Mは第二世代の怪人との戦いをさせるつもりはなかった。ただ僕の心境的には、第二世代と戦ったほうがマシだと思うような言葉を口にした。
「行くのは英雄君の家よ。私達が付き合った事をお父様にご報告しなきゃ」
Mは然も当然のように言い切った。
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