第31話
バスルームを出るとMも音ちゃんも神妙な面持ちで座っていた。今日もまたスニーカーが合うか、革靴が合うかの不毛な言い争いをしているんだろうか?
「着替え終わりましたよ……」
心なしか昨日よりも空気が張り詰めているように感じ、僕は恐る恐る声をかける。
「英雄君、早かったわね。それじゃあ今から、今日の仕事の説明をするわね」
Mは神妙な面持ちで僕の目を見つめ、間をしっかりとる。
「……今日は……第一世代の怪人と戦うわ」
「……第一世代……と?」
その言葉が信じられず、もしや聴き間違いじゃないのかと思い復唱してみると、「ええ、そうよ」とMは答えた。
聞き間違いなんかじゃなかった。
Mも、能天気な音ちゃんも神妙な面持ちになっているのも頷ける。いつものようにへらへらと冗談交じりで戦いに赴いていいような相手ではなかった。
なぜなら相手は誰も倒したことのない敵。
始まりの十三体のうちの一体。ミサイルを撃ち込もうが滅ぼす事の出来なかった怪人。
「あのMさん、それは少し早すぎるんじゃないですか……。僕はヒーローになってまだ三日目ですよ……」
これは言い訳でしかなかった。
言いながら、じゃあいつなら戦うのに丁度いい時期といえるんだと自分に問うていた。
もちろんその問いの答えを僕は持ち合わせていなかった。
誰も倒したことのない怪人を倒す時期など誰も知らない事だ。いや、そもそも人間に……怪人の皮を被っただけのヒーローに倒せるのか?
「日は浅くても、英雄君の才能なら問題なく戦えると思うわ。あなたは私が今まで見てきたヒーローの中でも別格といって良いほどスーツの力を引き出しているもの」
僕が別格?
「英雄君スーツの説明をした時言ったと思うんだけれど、スーツには『メシア』から放出されている電流を吸収帯電させることが出来て、そのスーツを身に纏ったヒーローは自信の脳の微弱な電流が合わさり、怪人にも負けない強度と身体能力を手にする事が出来る。これは話したよね?」
「それは聞きました。そのお陰で誰でもコンクリートを容易に破壊できる力を得られるんですよね?」
「少し違うわね。スーツに適応した人だけが力を発揮できるの。スーツの外皮に帯電した電流は極微量だけれど内側にまで放出されていて、耐性のない人が着てしまうと、その獄微弱な電流によってスタンガンを当てられたような衝撃が体中を巡り、意識を失ってしまうのよ。けれど耐性があれば普通の服を着るように問題なく袖を通す事が出来るわ。けれど、スーツを着られればみんな同じようなヒーローになれるかと言えばそうではない。例えば青。彼はスーツを着ることが出来たけれど脳の電気信号とスーツに帯電した電流の相性があまり良くはなく、スーツの力を引き出しきることが出来なかったの。まあ引き出しきれないとは言ったけれど、標準的なヒーローの強さは持っていたと思うわ。そんな青みたいなヒーローもいる中、電気信号と電流の相性が良い者もいるの。『チャーチ』のヒーローの中には今まで何人か他のヒーローを遥かに越える力や速度を引き出す者もがいたわ。私は英雄君もそのヒーロー達に負けないほどスーツの力を引き出せると思うのよ。まるで電極に愛されているかのようにね」
僕にそんな力があるのか?
けれど、納得のいく点もあったのは間違いなかった。ブルーは十万のタコハーフとの肉弾戦に敗れたが、僕は二十五万のハイエナの怪人を肉弾戦で圧倒することが出来た。これは僕がスーツと相性が良かったからなのか。
「じゃあ、僕なら第一世代の怪人に勝てますか?」
「私は五分五分だと思っているわ。『チャーチ』の記録によると、第一世代の怪人と戦った記録は二件残っているわ。一件は善戦した記録。一件は敗走した記録よ。そのうち善戦した怪人の名は、『虚角(インビシブル)の兎(ジャッカロープ)』。敗れた怪人の名が『翼持(ウイング)ち蟻姫(アントクイーン)』よ」
「ジャッカロープにアントクイーンですか?」
「ジャッカロープはアメリカの伝承に登場する鹿のような角の生えた兎のことね。研究書には兎と鹿の体構造を模した怪人とあるわね。アントクイーンは……鳥と蟻の体構造を模した怪人よ。『虚角の兎』と戦ったヒーローはマネージャーがしっかりしていないようでろくな記録が残っていないから説明が出来ないんだけれど、『翼持ち蟻姫』の情報はしっかりあるわ。その外骨格は蟻そのもので光学式化した刀で斬りかかっても、かすり傷しか付けられなかったようね。研究書によると唯一の昆虫型の第一世代の怪人だから、防御能力は全怪人の中で一番かもしれないわ。しかもその怪人は配下の働き蟻のような怪人を何十体も連れていたようで、ヒーローはその配下を倒すのに銃弾もスーツの光学式化も使いきり、『翼持ち蟻姫』には刀一本で挑んだようね」
「そんなに強い第一世代の怪人に僕が勝てるんですか?」
勝てるといっても五分五分らしいが。今の説明を聞くと勝率が五十パーセントもあるようには思えなかった。
「今のは、『羽持ち蟻姫』の場合であって今日戦う第一世代の怪人は部下なんか連れていないから、しっかり作戦を練って挑めば英雄君ならきっといけるはずよ。その作戦も私と音ちゃんで練りに練ってこれ以上無いというほどのものを立てることが出来たわ」
「昨日は夜の二時まで話し合ったんだよ~。お肌が荒れちゃうのも気にせずに英雄っちのために頑張ったんだよ。褒めて褒めて~」
長い事、白猫のぬいぐるみのように大人しくしていた音ちゃんが声を出した。
存在感が薄くなっていて正直いる事を忘れていたよ。
シリアスな展開が続いたからかな?
音ちゃんの口調や話す内容はシリアスとはかけ離れていたので空気を呼んで大人しくしていたのかも知れないな。
「音ちゃんありがとうね」
「わ~い。褒めらた~。今日は頑張るんだよ~。刀とスーツの光学式化はMちゃんが『チャーチ』に行ってやってきたし、銃弾は八発も補充されているからきっと勝てるよ~」
自分のスーツに目を落としてみる。光学式化するには今までとは違い、メシアの電極から直接電流を帯電させると聞いていたが、スーツ自体には変化は見られなかった。昨日と同じ真っ黒なスーツのままだ。
「今日はそれだけじゃなく、より指示がしやすいように、私と音ちゃんも英雄君の側にいるようにするわ。音声と遠くからの確認じゃ怪人の弱点の場所を伝えるのも遅くなるしね」
「近くで伝えるって危険じゃないんですか?」
「まあ、危険度は離れて指示を出すときよりも上がるわね。けれど、それ以上に私が近くで指示を出す事によって英雄君の生存率はグッと上がるのよ。秤にかければ後者を選んだほうがずっと費用対効果も高いわ」
「でも……危険ですよ」
「危険くらいこの仕事を選んだときから覚悟の上よ。それに、出来たばかりの恋人をその日のうちに失うなんて真似したくないんだから、近くでの指示くらい多めに見て欲しいわ」
「…………」
Mは今、出来たばかりの恋人と言った。それって僕のことか?
確かにMは僕の事を好きと言い、僕も好きだと言ったが、付き合おうという台詞はどちらからも出てはいない……。
「え~。Mちゃんと英雄っち付き合ってるの~? 音ちゃん聞いてないよ~」
音ちゃん、それは僕も聞いてないんだよ。
「音ちゃんが寝ているときに、英雄君がケダモノみたいに迫ってきたのよ。それで嫌々ながらも付き合うことになったわ」
「きゃ~、英雄っち強引~」
「迫ってなんかいませんから!」
迫られはしたが、僕から迫ってはいない。
「あら英雄君、そこは否定しても、付き合っているところは否定しないのね?」
「んんっ、それは……」
言葉に詰まる。
付き合った記憶はなくとも、付き合いたいと言う気持は大いにあった。ここで否定して、その話がご破算になるのは……うん、嫌だな。
「事実ですから……否定は……しません」
「それじゃあ英雄君、改めてこれからも宜しくね」
「よろしくお願いします」
虎彦、兎貴僕は必ず生きて帰ってくるよ。
そして明日、学校で彼女が出来た報告をしてみせる。五歳年上の可愛い系美人の彼女が出来たと自慢してやる。
「音ちゃんも私の恋人が死なないように、しっかり助言宜しくね」
「わかったよ~。音ちゃん二人のために、仲間の情報いっぱい売るね~」
音ちゃんは手を上げ元気良く答えた。
「…………」
「…………」
僕もさすがのMも固まった。確かにその通りなのだが、音ちゃん……言い方ってものがあるんじゃないか?
そんな明るく仲間の情報売るなんて言うもんじゃないぞ。もうちょっと知っている情報を教えるとか何とか言おうよ……。
空気を変えるためにMはコホンと咳払いをする。
「……とにかく今日の戦いは絶対に負けられないから、英雄君もしっかり話を聞くのよ。音ちゃん、まずは敵の情報を教えてもらってもいい?」
「は~い。今日の敵はね、第一世代の『無限(インフィニティ)の狂犬(レビスドッグ)』だよ~。レビちゃんは犬とアメーバの怪人なんだよ~」
犬とアメーバ? どんな怪人なんだろう?
姿形を思い浮かべて見るが、どろどろとしたスライム状の犬を思い浮かべるのが精一杯だった。
「レビちゃんはね、犬の身体能力にアメーバの増殖能力を持ってるんだ~。見た目は犬の怪人なんだけど~、腕を斬りおとしても、足を斬り落としても、どんどん生えて来るんだよ~。傷もすぐに治っちゃうんだ~。レビちゃんはどんな怪我を負っても回復しちゃうから、無限の称号をもらったんだよ~」
どんな怪我をしても治る? それならば倒す手立てはあるのか?
「音ちゃん質問いいかな? どんな怪我を負っても回復するって言っても、首を切り落とせば殺す事はできるよね?」
疑問をぶつけてみる。
「レビちゃんは首落としても又生えてくるよ~」
首も生えてくる? それならばその怪人は無敵なんじゃないのか?
「それなら……どうすれば殺せるの?」
「レビちゃんは無限の怪人であって、無敵の生物ではないんだよ~。簡単な話だにゃ~、怪人じゃなくせばいいんだよ~」
怪人じゃなくせばいい? どういうことだ……?
「怪人は電極によって生きているし、能力も電極で制御されてるんだ~。つまり電極を抜き取ったら、すぐに死体になっちゃうよ~」
「じゃあ倒せない敵ではないんだね。それなら安心したよ」
「あら英雄君、安心するのは早いわよ。敵は第一世代の怪人よ、体の強度も力も反応速度も第二世代以上、今までのイメージで戦ったら間違いなく死ぬわよ」
死ぬ。その一言に僕は唾を飲んだ。
敵の対処法を知り、僕は油断していた。
不死の怪物を殺す方法を知っただけで勝てる気になっていた。僕がこれから戦うのは、誰も倒したことのない第一世代、舐めて掛かっては絶対にいけない相手だ。
僕は緩んだ表情を引き締める。
「分かってくれたみたいね。それじゃ次は私がどうやって電極を取り出すか説明するわ。まず今回の武器なんだけど、刀一本とライフル八発分、そしてスーツがあるわ。敵が第二世代ならこれで余裕を持って戦えるけれど、今回は第一世代、銃弾一発たりとも無駄には出来ないわ。けど、ここで一つ問題があるわね」
「問題ですか?」
「ええ。今回ライフルを使いにくい状況にあるのよ。敵は無限と呼ばれる再生能力を持つ怪人だから、足を潰し動きを止めることが出来ないと思うわ」
そうか、前回ハイエナの怪人を撃ち抜けたのも、相手が立てないほどのダメージを受け、座りこんでいたからに他ならない。射撃の名手でも、動かない的に当てるのは容易でも、動く的に当てる事は至難の技だと聞く。
もちろん、僕は射撃の名手じゃない。射的やゲームセンターでガンシューティングゲームをやったことがある程度のド素人中のド素人。
動く敵に中てられる確証などどこにもない。
「ライフルは今回予備として持っておくだけにして、光学式化した刀主体の攻撃にしましょう。胴体を薙ぎ払い、怪人が再生する前に、露出した電極を瞬時に抜き取れば、再生はできないはずよ。ただ不安要素としては、第一世代の体の強度がこちらよりも上だった場合、斬ることが出来ない可能性があるわ。その時はすぐに撤退しましょう」
撤退する。
勝てない相手ならばそれしかないのだろう。武器も効かない相手を殺そうとしても無駄死にするだけなんだろう。
しかし、そう思っていると一つの案が頭に浮かんだ。第一世代の怪人を倒せる可能性がグッと上がる案が。
「あの、そんなに相手を警戒するなら、別のヒーローを助っ人として呼ぶ事は出来ないんですか?」
一人で戦うのが無理でも二人、三人ならば勝つことが出来るんじゃないのか?
なによりヒーローの中には第一世代の怪人と善戦した者もいるんだ。力を合わせれば難攻不落の第一世代の牙城を崩すことが出来るんじゃないのか?
けれど僕のその提案にMは、「はぁ~」とため息をつく。
「無理よ」
「どうして無理なんですか? やってみないと分からないんじゃないですか?」
「わかるわよ。英雄君の意見では、力を合わせれば勝てるんじゃないかと言っているのよね? その考えが間違いなのよ。朝にテレビでやっているような五人組で戦うヒーローと私達は違うのよ。『チャーチ』のヒーローが力を合わせる事はないわ」
「なぜ力を合わせないって言えるんですか?」
「それは怪人の討伐料が一人にしか入らないからよ。協力して倒そうと言っても、みんな自分が倒そうと、個人プレーをして殺されるのが目に見えているわ」
「一人にしか討伐料が入らないって言っても、倒した後にみんなで分ければいいだけの話じゃないですか?」
「それは無理よ。まず、第一世代の討伐料から言わせて貰うんだけれど、倒すと五百万入るのよ」
五百万!
予想以上に高額だった。倒せばブルーの借金を全額返済してもお釣りが来るぞ。
「一人で倒せば五百万よ。それが二人で倒せば二百五十万、三人なら約百六十七万、四人なら百二十五万。どんどん減っていくわよね。人は大金を前にしたら、連携、協力なんて二の次。自分で倒そうとしてしまうわ」
「昨日、ほとんどのヒーローは仕事としてやっていると言いましたよね? 初めは正義感を持っていてもいずれはお金のために戦うと。けれど、皆初めは正義感を持っていたんですよ。きっと第一世代の怪人を倒すという話を聞けば、協力してくれるはずです」
「英雄君はホンと真っ直ぐね。お父様の教育が良かったのかしら? 英雄君はずっとそのままでいて欲しいわ」
Mは僕に疲れたような笑みを送った。
明るさなどどこにもない、切なさと後悔の念が見える笑みを。
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