第29話

 今回は怪我をする事もなく勝てた。僕の見える範囲では犠牲者を生む事無く退治する事が出来た。


 喜ぶべき事なのだろう。


 僕の望みどおり犠牲者を生む事無く、Mの思い通りコストパフォーマンスよく勝つことが出来た。


 喜び、「やったー」と叫んでもいい場面だろうし、アニメの世界のヒーローなら勝利のキメ台詞を言う場面かもしれない。


 それなのに僕は何一つ言葉を発さずに、ただただ動かない怪人の死体を見下ろし続けた。

 目を逸らしたくなるようなバラバラの死体を僕は見続けた。

 なんだろうこの気持ちは……痛い。


 胸が締め付けられるように痛い。


 ああそうか、怪我をしなかったと言うのは嘘だ。僕の心には深い傷を負ったのだから。


 あの怪人からは戦い始めて死ぬ瞬間まで、敵意や悪意、怒りを感じる事が出来なかったんだ。

 怪人が何を思い戦い、何を思い死んでいったのかを想像する事が僕には出来なかった。


 その事が僕の胸を痛めつけていた。


 まるで子供の頃に羽をむしって遊んだトンボの事を思い出した時のような、後から気づく罪悪感。その思いが僕の胸の中で暴れ大きな傷を付けていた。


「お疲れ様」

 見下ろす僕にMが声を掛けてきた。今度は無線ではなく直接。


「……はい」

 返事として正しいかどうかは分からないけれど、僕は振り向きもせずそう答えた。


「……何か気がかりがあるのかしら?」

 Mは僕の横に歩み寄り、一緒に怪人を見下ろす。


「……この怪人は死ぬ瞬間も、僕を恨む様子はありませんでした。目に何の感情も感じなかったんです。その理由が僕にはどうしても分かりません。本当は、僕を殺す気がなかったんじゃないのか? そんな風に思えてならないんです」


 もし僕ならどうだろう。自分を殺す相手を恨まずに死んでいけるのだろうか……。


 多分無理だ。


 泣き叫び、恨みの言葉を喚き散らしながら死んでいくだろう。


「それは違うわよ」

 Mはサラッと否定すると、しゃがみ込み、怪人の顔を覗き込む。

「その理由は二つ説明できるわね。一つ目はどうして目に何の感情もなかったか。その答えはこの怪人の目に瞳がないからよ」


 Mに言われ僕は怪人の目を見るが、瞳はあった。人間ではありえないほど小さな黒目が付いた怪人の瞳が。


「瞳は……ありますよ?」


「いいえ、ないわ。瞳とは目の瞳孔の事を言うわ。人間で言えば黒目ね。けれどこの怪人には瞳孔はないのよ。この怪人の目は複眼と偽瞳孔という部位で形成されているわ」


 ああ、そう言う事か。

 複眼とは小さい目が球状に集まっている事を言い、偽瞳孔とは、黒目に見えるが、複眼の中で光が跳ね返らずに黒っぽく見える部分の事を言う。実際にはその部分が黒いのではなく、こちらの眼が光の反射を捉えられずに黒く見えるだけのものだ。

 中学校で習うレベルの昆虫の特徴だ。

 そうだった。この怪人がカマキリの生態を持っているのならば、目だってカマキリと同じでもおかしくはない。

 感情を表さなかったのではなく、表す部位がなかった。これが一つ目の答えか。


「だからずっとこっちを見ているような感じがしていたんですね」


 偽瞳孔は見る側があると感じるだけであり、実際にはない。どこから見ても、目があっているように感じてしまうものだった。


「あら、偽瞳孔の事を知っていたの? 英雄君の頭脳は犬以下と思っていたけど、子犬と同程度だと考えても良さそうね」


 犬以下から子犬にレベルアップしたが、僕は喜べなかった。まだ怪人の目の意味が明かされただけで、なぜ恨みの言葉の一つも言わなかったのか。

 その理由が明かされていないからだ。


「じゃあ理由その二、なぜ恨まなかったのか? それは私よりも音ちゃんの方が上手く説明できそうね。音ちゃんお願いするわ」


「え~。音ちゃんがするの~」

 急にバトンタッチされた音ちゃんはめんどくさそうに返事をした。その目にはカマキリの怪人とは違い、はっきりと面倒だという感情が表れていた。

「う~んと、カマキリちゃんは英雄っちを恨まなかったんじゃにゃくて、恨むと言う概念がなかったかな~」


 概念がない?


「音ちゃん、それってどういう事?」


「えっとにゃあ~。カマキリちゃんは間違いなく一週間で生まれた怪人だと思うんだ~」


 一週間で生まれた? 生まれて一週間の間違いじゃないのかと思い聞き返す。

「一週間で生まれたってどういうこと?」


「第二世代の怪人は第一世代の怪人の一体が産んでいるって事は話したよね~?」


 第一世代の怪人の中に一体だけ怪人を産む事が出来ると言う話は聞いていた。そして今存在する、生み出された怪人の数は二百体以上いるという話も聞いた。


「その第一世代の怪人……研究所では『母なる蛇神(マザースネークゴッド)』って呼ばれていたね~。マーちゃんは、人と生き物を一緒に食べると、胃の中で混ぜ合わせて、早ければ一週間くらいで卵として産み出す事が出来るんだって。でも、一週間で産むと、食欲と少しの感情しかない弱い怪人しか生まれないらしいんだ~。強い怪人を産むには、一月はかかるみたいだよ~。その時は卵としてではなく、哺乳類のように子宮で育ててから産むらしいよ~。この間の大きなハイエナちゃんとかがそうだね~。ちなみにマーちゃんはいっぱい子供が欲しいって言っていたから、卵で産んだ怪人が多いんじゃないかな~?」


 あの怪人から感情を感じられなかったのはそういう理由だったのか。恨みの感情を僕に向けなかったのではなく、元から食欲くらいの感情しかなかった。その事実で僕の胸の傷は癒されたように感じた。


 安心すると、カマキリの事を考えなくなった。


 今の僕が考えているのは、『母なる蛇神』の事だけだった。


 たった一週間で怪人を生むことが出来るというなら、一年間で五十三体もの怪人が増える可能性があるということだ。いや、もしかしたら一度の出産で何個も卵を産むかもしれない。

 それならば一年間で増える怪人の数は計り知れない事になる。今日みたいに僕がいくら怪人を殺しても焼け石に水じゃないか。


「あら英雄君、不安そうな顔ね。安心していいわ、マザーは一度に十個以上の卵を産むからヒーロー間で怪人の奪い合いは、ほぼ起きないわよ。それに当分全滅させる事は出来そうにないから、怪人の数が足りなくなって借金返済に困るなんて事はないわ」


 僕も不安を取り除こうとして言ったようだが、それは逆に僕の不安を増徴させた。最悪年間五百体以上の怪人が産まれることになる。


 戦っても戦っても戦っても怪人は減らないんじゃないか? そんな思いに駆られてしまう。


「今日みたいな卵で生まれた怪人がいくら増えようがヒーロー側には問題はないのよ。対策と対処が分かれば苦もなく対峙できるんだから。小数でも、大きなハイエナの怪人のように時間をかけ出産された怪人が産まれた方が問題ね。英雄君だって実際に戦って分かったでしょ? どっちが強かったのか」


 答えはハイエナの怪人のほうが強いだ。受けたダメージも与えられた恐怖の度合いも圧倒的にハイエナの怪人の方が大きかった。


「今日の戦いぶりと英雄君の運動神経や体運びのセンス、スーツと体の相性なら卵から生まれた怪人は光学式化も銃の使用もなく倒せると思うわよ。最低報奨金十万と出撃料五千は確保できるから、借金返済の日は近いかもね」


 Mは僕を褒めてくれたが、長い時間をかけて出産された怪人との戦いについては語らなかった。

 それは今のままでは危険だという事なのかもしれない。


「まだ不安そうな顔をしているわね……ああそうね、不安な顔にもなるわね。だって最も気になる事を私達が何も語っていないんですものね」

 Mは僕の心を見透かすように語った。

「いいわ答えてあげる。なぜ日本の研究所なのに英語名でさらに中二病を患わせたような名前なのかってことね」


 全然見透かせていない! そんなの気にも留めなかったよ!


「ちなみに音ちゃんも研究所では別な名前が付けられているわよ」

「音ちゃんは、『化け猫(モンスターキャット)』って中二病全開の名前付けられたよ~」


 確かに中二病全開だな……。猫の怪人だからモンスターキャットか……研究者のセンスは酷いな。


「でも可愛くないから音ちゃんその名前嫌いなんだ~。だから自分で墓守音子って名前付けたんだよ~。可愛いでしょ~」


 そう言うと音ちゃんは嬉しそうにニコッと笑った。


 正直、人と怪人の感性の違いなのか、僕は墓守からは可愛らしさを感じ取る事は出来なかったが、音ちゃんをがっかりさせたくなかったので否定はせずに、「可愛いね」とだけ答えた。


「……英雄君はお人よしね。ところでいつまでこの怪人の死体を見続けるのかしら? 私はもう帰るわよ」


 そう言うと僕らの返事も待たずにMは車に向け歩き出した。


「音ちゃん達を置いて帰りそうだね~」


 音ちゃんがMの背中を眺めながらぼそっと呟いた。僕はMならやりかねないと思い二人で慌てて後を追った。


 僕らが車に辿り着くと丁度Mがサングラスを外し、車を発進させるところだった。ぎりぎりセーフだ。


「ちょっとその汚い靴で私の車に乗り込まないでよ!」


 助手席に乗り込もうとすると、Mが静止してくる。僕のスニーカーは綺麗に手入れされているので、決して汚い靴ではないが、土足禁止のルールを守り、「あっ、すみません」と謝り靴を脱ぐ。


「本当は足を除菌して貰いたい所だけれど、早く帰りたいから今日はそのまま乗り込む事を許可するわ」


 そう言うと車を急発進し、ファミレスの駐車場から道路に出した。僕は怪人と戦った現場を窓から覗き込むとふと疑問が湧いた。


「あのMさん、怪人の死体はそのままでよかったんですか?」


 駐車場にはカマキリ怪人の死体を放置したままだった。一般人が見れば悲鳴を上げるような悲惨な死体が。


「問題ないわ。後で連絡を取れば、『チャーチ』のスタッフが片付けてくれるはずよ」

 Mは前を見続けたまま答えた。


「『チャーチ』のスタッフですか」


「そうよ。『チャーチ』は被害者の集った組合ではあるけれど、英雄君が思っているよりも規模は大きいの。私達みたいな現場で戦う契約社員的なヒーロー以外に、『メシア』を使い研究開発を行う部署、戦った現場を補修し、警察に遺体を引き渡す部署から、怪人の情報を収集する部署、『チャーチ』を維持するためにパトロンに寄付の確約を取り付ける営業部、その寄付を各部署に配布し『チャーチ』の資金を管理する経理部まであるわ。私も全員を把握しているわけではないけれど、多分七十人は所属しているはずよ」


「そんなにいるんですか」


「それでも人手不足は否めないわね。怪人を倒すための人員も足りないし、それをバックアップするマネージャーも足りない。研究開発するための科学者も足りない。でも人員を増やすために最も必用な資金も足りない。少ないお金で協会を運営するためにはどうしても人員削減しなければならないから、人手不足はしょうがない事ではあるけれどね」


「……大変なんですね」


「まあ大変ではあるけれど、改善策がないわけではないわ。英雄君が怪人を倒して倒して倒しまくれば、パトロン達も『チャーチ』の実績を認め、多額の寄付をしてくれるはずよ。もしかしたら出撃料や討伐報酬の額も上がるかもしれないわね。そうなれば借金返済の日も近いといえるわね」


 そうなれば僕としても有難いことではあるが、そのために何体倒せば良いのか聞くのが怖かったので、「そうですね」とだけ答える。


 Mはウインカーを付け車線を変更すると、「暗いわね」と呟き、ライトをつけた。いつの間にか夕暮れも終わり夜がやって来ようとしていた。暗さを感知した電灯が闇を振り払うかのように点灯し光を街に与える。


「ねえ、英雄君」


 風景を眺めていると、僕に声をかけてきた。


「はい?」


「あの怪人はデータベースに記載がないから、間違いなく報奨金額十万の怪人なんだけれど、五万は私の生活費としていただくとして、残り五万と出撃料の五千はどうする?」


 半分の五万を取り上げるつもりなのか? 

 別に自分の取り分を確保したいなんて微塵もないけれど、さすがに取りすぎなんじゃないか?

 そう思いつつも、今日のカマキリの怪人との戦いを無傷で追われたのはMのアドバイスのお陰だったので、半分渡すのは当然かと思う僕もいた。それにMの性格を鑑みれば、どんな事があっても今月五十万は僕から搾取するだろう。今回は五万渡しておくべきだな……。それなら残り約半分をどうするか。考えるまでもないか。


「五万はMさんの生活費で、残り五万五千はブルーの借金返済に使ってください」


「五万五千全額?」


「全額です」


「……分かったわ」

 そう言うとMは微笑んだ。何か嬉しいことがあったかのように。


 その笑みの理由を聞こうかと思ったが、Mはすぐに無表情の仮面を顔に貼り付け、何事もなかったかのように運転を続けた。

 そこからマンションに着くまで喋る事はなかった。


 車内には音ちゃんの心地よさそうな寝息だけがBGMのように流れた。


 マンションに着くと僕は浴びた怪人の返り血を洗い流し、着慣れた制服に着替えた。

 この時に音ちゃんが着替えを覗こうとして、一悶着あったが詳しく語るのは止めておこう。


 着替えを終えると、Mが真剣な表情でパソコンを打っていた。何をしているのかと聞いてみる。


「報告書を作っているのよ。これを出さないと報酬が貰えないの」


 ただ怪人を倒せば良いと言うわけではなく、ちゃんと報告書も提出し初めて、『チャーチ』から報酬が頂けるらしい。

 それなら打ち終えるまで待とうと僕は絨毯に座り、部屋の隅で寝ている音ちゃんの肉球に振れ時間を潰した。


 ああ、柔らかくて癒されるな。


「英雄君、今日はこれで帰っていいわ。明日は学校に行っていいから、ここには放課後に来てちょうだい」


 四肢のどの肉球が一番気持ちいいか触って探っていると、Mが僕の帰宅を促した。今日はこれ以上怪人の討伐もなく、僕がやるべき事はないようだった。


 怪人についてもっと知りたかったが、Mはどうやら仕事モードで、遊ぶ僕に一瞥もくれず、一心不乱にパソコンを打ち続けていた。今日は話が出来そうになかったので、僕は言葉に従い帰ることにした。


 仕事を頑張っている人の横で遊ぶもんじゃないしね。


「それじゃあ、今日はお疲れ様でした」


 僕は言い馴れない帰宅の言葉を口にし、スーツと武器を紙袋に戻し、家路に着いた。


 これが昨日の出来事。


 思い起こして見ると、カマキリの怪人との戦いはあっという間だったな。


 十万の怪人だから弱かったのか、あの怪人だけ特別に弱かったのか分からないが、それまでの戦いが激しかっただけに、拍子抜けと言う感じが否めなかった。

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