第28話

 何か用と言われても、なんと答えるべきか……。退治しに来ましたと正直に言うべきなのか?


 なんと話しかけて言いか迷っていると、音ちゃんが代わりに口を開いた。


「怪人さ~ん、こっちは英雄っちで、ヒーローだよ~」


 カマキリの怪人は長い髪の隙間から、まん丸とも言って良い気味の悪い目を僕に向け、じろっと見つめてきた。その瞳は人間とは違い白目の中に鉛筆の先端でちょこんと書き込んだような、小さな黒目があった。


 その小さな黒目が僕を見つめた。明らかに人間では有り得ないその目に僕は薄気味悪さを覚え、刀を持つ手に力をこめ身構えた。


「君が……母さんが気を付けろって言っていたヒーローってやつか……。僕は今忙しいから……帰ってくれないかな?」


 戦う準備をしていたために、突然の帰ってくれ発言は、肩透かしをくらった気分になる。


「……忙しいってどういう事ですか?」


「夜になると……ここには人がいっぱい来るんだよ……だからそれまで騒ぎを起こさずに待っていなきゃならないんだ……人をいっぱい食べるためには……我慢が必要なんだよ……だから帰ってくれないか?」


 カマキリの怪人は枯れ枝のような手を上げ出口を指差し、帰るよう促してきた。


「帰りま……いえ、帰れません。あなたが人を襲うというなら僕はここを放れるわけには行きません」


 僕がそう言うとイヤホンからMの声が流れた。


『何暢気に会話を楽しんでいるの。さっさと斬りかかっちゃいなさい』


 僕はカマキリの怪人に聞えないよう、マイクに向い小声で返した。


「でもそれは不意打ちなんじゃ……」


『不意打ちでも勝ちは勝ちよ。さっさと斬りなさい』 


 Mの言葉には怒りの色が感じられた。


 ヤバイ怒っている。


 僕は覚悟を決め、刀を鞘から引き抜き、カマキリの怪人に上段から斬りかかった。


 カマキリの怪人は頭を守るように両腕で抱え込んだが、僕は気にせず、腕ごと斬りおとすように刀を振り下ろした。が、腕に当たるとキンッという音と共に刀が弾かれた。


 キンッ? 


 なんでこんな金属同士がぶつかるような音がするんだ?

 僕は音の元凶である交差された腕を見ると、肌色の枯れ枝のような人間の腕から、ゴツゴツとしたうす緑色のカマキリの手に変っていた。

 手首から先は湾曲し鎌のような形状に変化している。


 ようなと言ったのは鎌とは決定的に違う点があったからだ。湾曲した刃先にはギザギザの鋸の刃先のような形状になっていた。怪人の腕は図鑑で見るカマキリの腕そのものになっていたのだ。


「……今騒ぎを起こすのは嫌なんだけど……君がその気なら……戦うよ……死ぬのは…………嫌だしね」


 急に庇ったせいなのか、刃先が当たった怪人の首筋からはたらたらと血が流れていた。


 怪人は、「……痛い」と、呟くと腕を振り払った。 

 細腕であったが、見た目とは裏腹に凄まじい力だった。昆虫型の怪人は肉食型の怪人に比べ非力だと音ちゃんは言ったが、それは怪人同士で比べたため言えることであって、スーツの力で強化された僕の力よりは強いようだ。


 僕は体勢を立て直すため、足の痛みに耐え、歯を食い縛りバックステップする。


 その間に怪人は立ち上がると首をコキッコキッと鳴らす。


「今から君を……バラバラ……バラバラ……バラバラ……バラバラバラバララバラバラバラバラバラバ……あれっ……ラバ? バラ? ……バラだ……バラバラバラバラバラにするよ」

 と、締まりの悪いキメ台詞らしきものを語った。


 その言葉と、何を考えているのか理解できない、まん丸の目が僕に不気味さを与えた。


 ハイエナの怪人は僕を喰い殺そうと明確な殺意を向けてきていたが、この怪人からは殺意も悪意も感じなかった。ただ、食卓の上でハエが飛んでいて邪魔だから手で払おうとする時のような、鬱陶しいものを前にするかのような、気だるさだけが感じられた。


 怪人は手を上げているのも億劫だといわんばかりに両腕をだらりと垂らした戦闘の構えを取った。こういう時はどう構えれば良いのだろうと思っていると、無線機からMの声が聞こえてきた。


『英雄君、カマキリの力が予想以上のようだから、鞘を投げ捨てて両手で構えなさい』


 Mのアドバイスに従い鞘を捨て、両手で刀の柄をしっかり握り、剣道が開始する時のような中段の構えを取る。


 さあいつでも来い。僕は鎌がどう動いても対処できるように目を見開き神経を集中させる。

 すると怪人は動いた。しかしその動きは僕の予想したどの動きとも違い、反応する事が出来なかった。

 怪人は鎌ではなく顔を動かした。


 首を横に折り曲げる動きだ。つまり怪人は小首を傾げたんだ。


「……」


「……君の……番だよ……」 

 動きの意図が分からずに僕が押し黙っていると怪人は呟いた。


 ああ、そう言う事か。ハイエナの怪人といいこのカマキリの犯人といいなぜこんなにもキメ台詞を求めるんだ!


「英雄っち~、不意打ちの時以外は言うのがマナーだよ~」


 どうするべきか迷っていると、音ちゃんが後ろから言ってきた。マナーなの?


 音ちゃんの言葉に怪人もこくんと首を振る。


 どうやら言わないといけないようだ。と言う事は……今後ヒーローとして怪人と戦う時は不意打ちの時以外は必ず言わなければならないと言う事なのか? 


 心が折れそうだよ。


 さて、何を言うべきなのか僕は考えてみる。

 ハイエナの怪人と戦うときは咄嗟に台詞を捻り出したが、今回は何を言うべきなのだろうか……。

 僕は考え込むが上手いキメ台詞が今回も出てこなかったので、前回言ったキメ台詞を少し変えた台詞を口にすることにした。


「……バラバラになるのはお前だよ。バラバラバラバラ気持ち悪い。死ねよ」


 刀を構えたまま口にすると、僕のキメ台詞に満足したのか、怪人はうんうんと細い首を縦に振り頷いた。


『ぷっ。いいわ。英雄……くっ……キメ台詞も言ったことだし早く決めちゃいなさい』


 Mは確実に二度笑いながら言った。頑張って捻り出したキメ台詞なんだから笑うんじゃない!

 僕は恥ずかしさと怒りで顔が赤く染まりそうだったが、必死に耐える。


「さあ、かかって来い!」

 と、怪人を挑発する。


 一歩踏み込めば、切っ先が届く距離ではあるが、足の痛みがあると言う事もあり、僕は後の先を取るべく怪人の出方を窺った。


「じゃあ……行くね……」


 挑発に乗ったのか、元から自分から攻め込むつもりだったのか、怪人は片手をゆっくりと上げる。


 怪人のリーチは人間離れしていて、腕を振り上げたその姿は、大鎌を振り上げた死神の姿を思い起こされた。


 脇差を握っている僕よりもリーチは長そうだな。


 僕ならば一歩踏み出さなければ切っ先は届かないだろうが、この怪人ならば腕を一振りするだけで僕の首に鎌が届きそうだった。


 どうする?

 もう半歩分距離をとるべきかと僕は逡巡したが、今の足で速度を保って二歩を踏み込むのは難しそうだったので、一歩の距離を素早く詰め寄れるよう、無傷の左足をやや後ろに引き、攻撃を受け流し懐に入り込みやすいよう構え直すことにした。


 怪人が鎌を振るったら脇差で受け流しながら踏み込み、胴体を横に薙ぎ払うイメージを何度も頭に浮かべ、胴体をチラリと見る。

 怪人に変貌しているのは腕と目だけのはず。カマキリのようにうす緑色に変化した腕で、刀を受け止められはしたが、服で隠された胴体が人型のままならばきっと斬れる。


 隠されていない首や顔は人間そのものなのだからきっと胴体も人のままの筈だ。勝つために、殺すために相手の弱点の確認をする。


 けれどその行動は間違いだった。


 敵と対峙している時に、武器である手の動きから目を離すという事は、自殺行為以外の何者でもなかった。


 ぞくぞくっと背筋に寒気が走ると、視界の上から何かが近づいてくるのが見えた。


「……ッ!」

 死神の釜が僕に迫ってくる!


 咄嗟に刀を立ててガードするが、その一撃は重く、少しでも力を抜けば刀が弾かれそうだった。


 踏ん張る足に鈍痛が走り、顔が苦痛に歪んむ。


 けれど、僕は唯一の武器を失うまいと歯を食い縛り耐え、力が緩んだ瞬間に鎌を力任せに振り払った。


 怪人の腕力が生んだ一撃はたった一度受けただけで僕の腕を痺れさせた。


 ヤバイな。この鎌の攻撃が連続で続くようなら、機動力に欠けた僕では耐え続ける事は難しいかもしれない。このまま鎌が届く距離で戦い続けるのは危険だと判断した僕は片足でバックスッテプをし、怪人と三メートル程距離をとった。


 怪人は離れた僕を気にもしないようにまた、だらりと腕を下ろした。


 どう戦えばいいんだ?

 もしライフルを使うことができるのならば、この状態からでも楽に倒せるだろう。しかし今回はライフルを持ってきていない、唯一の武器はこの脇差のみ。

 力も速度もこの怪人に負けている以上、このまま戦い続けても活路を見出すことは出来そうになかった。


 どうする。何か対策はないのか? 怪人との戦闘経験の乏しい僕の頭じゃ妙案など浮かんできそうになかったので、Mにアドバイスを貰おうと口を開こうとした……その瞬間、怪人は腕をゆっくり上げ、一歩踏み出した。


 一歩だけなら射程範囲外。

 そう高をくくっていた僕はまた反応が遅れた。


 その長身から生み出された一歩は一メートルを少し越えたかと言うほどだったが、その一歩で僕の射程の中に入り込んでいた。次の一歩を踏み出した時離れようと思っていた僕の頭上に鎌が振り下ろされた。


「なっ!」


 切っ先が僕の頭に迫る。慌てて刀を頭上に掲げ受け止めるが、細腕から生み出されたとは考えられないほどの衝撃が又腕に伝わる。

 今度は痺れた腕と痛む足の踏ん張りだけでは耐え切れず、僕は受けたままアスファルトに膝を着いた。


「……ッ!」


 何とか一撃は耐えたが安心は出来なかった。僕の脇差は一本。しかし怪人の鎌は二本あった。

 怪人の黒目が僕をじろりと見ると、二本目の鎌が振り下ろされた。


 僕の力じゃ二本目を受け止めることなんて不可能だ。


 受け止めればこの刀を弾かれ、頭を真っ二つにされるだろう。  ここは避けないといけない。


 避けなければ……死んでしまう。


 振り下ろされるよりも早く僕は横に飛んだ。野球のヘッドスライディングのようにアスファルトで体を削ることも厭わずに僕は飛んだ。

 顎を打ち痛みが走るが気にする事無く僕は転がり、怪人から距離を取った。


 怪人の追撃を警戒し、僕は起き上がり、また脇差を構える。

 そして自分の取った選択肢が正しかった事を確認した。避けて正解だった。怪人の振るった二撃目はアスファルトに深々と突き刺さっていた。

 

 あの攻撃を受けていれば頭を真っ二つどころか、胴体まで右と左に別けられていたかも知れない。


「……君の……刀は……固いね。それが……母さんの言っていた……ヒーローの武器かい?」


 怪人はアスファルトに突き刺さった自信の鎌を引き抜きながら聞いてくる。


「……」

 次の行動の対策を練っている僕はその言葉に返事をする余裕がなく、押し黙る。


「そうだよ~。ヒーローの武器だよ~。すっごい強力なんだよ~」

 音ちゃんが変りに答えた。


「そっか……じゃあ君は……。母さんが……言っていたよ。ヒーローの武器は……僕らよりも……強い電気を発しているから……強い怪人か……ヒーロー以外触れないんだって。だから……それを持つ君は……間違いなくヒーローだね」


 怪人が何か言っているが、僕にはその言葉に耳を傾ける余裕などなかった。何か……何か手はないのか……。そう考えていると無線からMの声が聞えた。


『英雄君、何距離をとっているの。さっさと勝負を決めなさい。力も速度も貴方の方が上なんだから、真っ向勝負で勝てるでしょ』


 Mは何を見ていたんだ。スピードもパワーも明らかに負けている。この状態で真っ向から斬りかかれば返り討ちにあうことなど目に見えている。


「Mさんスピードも力も負けていますよ。この怪人は……強いです」

 

 僕が反論すると、Mは、『はぁー』っとため息をつく。


『英雄君はホントに馬鹿ね』


 僕のなにが馬鹿だと言うんだ? 

 僕の疑問を察してか、Mは続けざまにこう言った。


『あなたが負けているのは武器の重さと、身長くらいよ』


 武器の重さと身長……? 

 確かに僕よりも怪人は三十センチは背が高そうで、武器の鎌だって僕の脇差よりは重そうではあるが、それがどう僕の方がスピードと力が上だと言うことに関係しているのだ? 


 振り下ろした一撃は速く、受け止めるのがやっとと言う威力だった。それなのに僕のほうが早く力もある? 

 僕が刀を振り下ろしたってあんな衝撃と速度を生み出すことなんて不可能だ。せめて武器が脇差じゃなく、長い日本刀ならもう少し威力も出せるだろうけれど……。


 うん? 脇差じゃ無理?


「……ッ! Mさんありがとう」


 こんな簡単なことに気づかないなんて、本当に僕は馬鹿だ。


 なぜ怪人が上段の攻撃を仕掛けてくるのか。なぜ普段は腕を垂らしているのか。


 簡単な話だ。鎌が重過ぎるから、上段の攻撃で振り下ろすことしかできないのだ。


 重いものを振り下ろせば、そりゃあ速度も威力も上がるだろう。

 思い起こしてみれば僕の上段斬りを両手で頭を抱えながら庇った時、首筋に怪我をしていた。もしスピードも腕力もあるならば刃先を宙に浮かせながら防ぐことが出来たはずだ。腕が重く長いから、生み出される一撃が速く強くなる。


「……その刀……嫌だね……痛そうだから……バラバラバラバラ……に……しないと」


 怪人が呟きながら一歩近づく。また射程内に入ったら腕を上げ振り落とすつもりだろう。けれどもうタネ明かしは終った。タネがばれた手品師にはもう退場していただこう。


 もう一歩踏み入ろうと足を伸ばした瞬間、僕は下がらずに痛みに堪え地面を蹴り前に飛び出す。


「えっ?」

 今度は驚きの声を怪人があげた。迎撃するために慌てて腕を振り上げようとする。


「遅いよッ!」

 怪人が攻撃を仕掛けるよりも早く、僕が懐に入り込み、刀を振り上げるほうが早かった。


 力も速度も僕のほうが上。まさにその通りだった。フッという風切り音と共に刃が怪人の体を通り過ぎると、腕が胴体からずり落ち地面に落ちた。


「う……あぁ……腕……は?」


 怪人は残った腕をよろよろと動かし、腕のあった場所を抱きかかえるように押さえながら呻いた。

 傷口からは血が吹き荒び、ダメージの大きさを窺うことが出来た。


 しかしまだ致命傷とは言えない。


 僕は止めを刺すべく、振り上げた刀をくるりと反し刃を怪人に向け、斜めに振り下ろす。

 小さな黒目が刀の軌道ではなく、命を刈り取るだろう僕の目を見つめた。その目からは感情と言うものを感じ取る事はできなかった。


 刀は肩口に当たると、抵抗もほとんどなく傷口を押さえている鎌ごと胴体を斜めに切断した。


 腕がアスファルトに落ち、ガチッと言う音を立てると、体がゆっくりとずり落ちていったが、それでも怪人は僕を見続けた。

 胴体が地面に落ちるまでのほんの数秒間だけれど、痛みで瞳を閉じる事無く、ただただ僕を見続けた。


 やはりその黒目からは、怒りも悲しみも苦痛も感じる事はできなかった。


「……バラ……バラに……された…………ね…………………………」


 体をバラバラにされた怪人はその言葉を最後に何も話さなくなった。


 怪人は死んで、戦いは終った。

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