第25話

 もちろん今のままで皆を守れる強さがあるとは思えなかったので、厳しい訓練を受けるんだろうとは思ったが、Mが発した言葉は訓練と言うよりも拷問を受けた人間が発するようなものの気がするんだが……。


「英雄君の言葉には感動しちゃった。かっこよくて、思わず録音しちゃったもの。どんな試練でも乗り切ってみせるなんてなかなか言えないわよ」


 そう言ったMの手には携帯電話が握られていた。いつの間取り出し操作したのだろうか、画面には録音中と表記されていた。


「そうだ、英雄君は知っているかな? 音声を録音したデータは裁判では証拠品として扱われるのよ。これで訓練中に逃げ出したり、訴えようとしても、裁判所は自己の判断で受けたものとみなし、英雄君の意見を棄却することになるわね」


「……えっと……あの……もしかしてなんですが……今までの会話って、この録音の為に誘導したなんて事はないですよね?」


「えっ? 全部このためだけど?」

 Mは即答した。


 ……嘘だろ! 僕の葛藤はなんだったんだ? えっ? 馬乗りになってあんな熱い言葉を発したのも全部このためであり、全部演技だったの?


「騙したんですか!」


「騙してないよ。私は、誰かを犠牲にして勝つ作戦を立てるのは、成功率は高いとは言え、胸糞悪いから、出来ればやりたくはないと思っているし、英雄君の意見を尊重するためにも強くなってもらいたいと思っているのも本当よ。けどその為には自分の弱さを知り、強くなる事を本気で目指す必要があるのよ。英雄君だって今の話しでそのことが良くわかったでしょ?」


「確かに分かりましたが……」


「一石二鳥じゃない。英雄君は強くなる決意が出来て、私はその為に一歩間違えれば廃人になって自傷行為を繰り返し兼ねないほどの訓練を受けさせることが出来る許可を得られた。二人ともプラスはあってもマイナスはないよ」


「僕のどこがプラスなんですか! 自傷行為を繰り返す廃人になる訓練を受ける時点でマイナスですよ!」


 近隣の住民の迷惑になることも考えずに僕は大声で怒鳴った。


「煩いわね。犬っころみたいにキャンキャン吠えないで! 耳が痛くなるわ!」


「耳がなんだ! 僕は心が痛いんだよ!」


「タメ口!」


 熱くなった僕が今日何度目かのタメ口を口にすると、座った状態の僕にMは平手打ちを食らわせようと腕を振るった。

 缶詰の一撃や刀を首筋に当てられたときは反応出来なかったが、怪人と戦った直後でいまだ集中状態を維持できているせいか、Mのその一撃を目で追うことが出来た。どうする、避けるべきかと思ったが、避けたら避けたで何か別な報復が待っていそうだなと思った僕は、素直に受けるためにそっと目を閉じた。


 すると衝撃が走った。


 頬にパシーンと言うビンタ特有の衝撃ではなく、顎にドスンと来る衝撃が。脳が揺れ、体が仰向けに倒れていく中僕は目を開き、衝撃を生み出した物体を見た。

 それはMの手だった。その手はビンタをするためにパーに開いた状態ではなく、手首の付け根を前に突き出した形だった。


 あの形は……掌底打ちの形だ。この女ビンタに見せかけ顎を掌で打ち抜いたというのか!


 仰向けに倒れた僕の胸倉をMはまた掴んだ。


「何べんも言わせないでくれない? 英雄君みたいな餓鬼にタメ口聞かれるのを許せるほど私は寛大じゃないのよ。二度とタメ口など聞きませんは?」


「……二度とタメ口など聞きません!」

 怪人に見下ろされた時以上の恐怖を感じ、僕は素直に復唱した。


「分かれば良いのよ。犬だって何度も躾ければ、吠えなくなるって言うのに英雄君ときたらいつになったら覚えるのかしらね? ああそうか、英雄君は犬以下の知能だから覚えられなくてもしょうがないのね」


 自慢ではないがこれでも僕は進学校に通い、クラスでの成績も上位で、一度はクラス一位になったこともある。だから断じて犬以下の知能と言うことはない。

 けれど僕は犬が飼い主に逆らわないように、ヒエラルキーで上位に位置するMに平伏する。


「犬以下の知能ですいません!」


 仰向けの状態で降伏する犬のように腹を示しながら謝った。Mに負けているようで怪人に勝つことなど出来るんだろうか……?


「分かれば良いのよ」

 胸倉から手を放しMは立ち上がる。

「さてここから本題に入るから、話も長くなるだろうし、コーヒーでもいれるね」


 ああそうか。今日戦った三体の怪人の話も途中だったなと僕は思い出し、痛む顎に手を当てながら起き上がり、正座をし、誰もが楽々と出来るだろう、お湯を沸かしインスタントコーヒーを作るという作業に四苦八苦しているMの後姿を見つめた。


 お湯すら沸かすことに苦労するようでは間違いなく自炊していないだろうな。普段ご飯はどうしているんだろうか? そんな事を考えていると、部屋のチャイムが鳴った。


 誰か来たのかな?


「英雄君、音ちゃんが帰ってきたみたいだから、もし歩けるようなならドアの鍵を開けてもらっていいかな? 私今手が離せないから」


 誰がどう考えても手が離せる状態のMが言ってきた。

 そういう事は揚げ物をしている時に使う言葉であり、お湯を沸かしている時に使う言葉ではないぞ。


 そう心で突っ込むと、忠犬である僕は、「はい」と返事し、ゆっくりと立ち上がる。

 初めは折れたと思うほど痛んだ足ではあるが、今では、痛みは若干引いていた。この分なら明日にも戦線復帰できそうだった。


「お帰りー」


 ドアを開けるとそこには音ちゃんはいなく、替わりにライフルと、刀、キャリーバックを腕に抱えた、女性が立っていた。


「ただいま~」


 その女性は明るい茶髪のストレートロングの髪をしていて、頭の上には黒のハットを載せ、服は胸元の開いたミニのワンピース、足元はソールの高めのサンダルを履いていた。目元は、アイラインを強調するようなメイクをしていて、ギャル系雑誌のモデルのような出で立ちだった。

 声は猫なで声と言ったら良いのだろうか? Mよりも高い声で語尾を伸ばした甘ったるい口調だった。


 誰だろう? チャーチの関係者か? 

 いや、それにしてはあまりにもギャルっぽすぎるから、Mの友達とかなのかな? 

 いや、待てよ。友達ならライフルや刀を持っているのはおかしいな。やっぱりチャーチの関係者か?


 それにしても派手な格好だな……。正直苦手なタイプだ……。僕の学校にはまずいないタイプの女性を前に、なんて声をかければいいか迷い、ただただ訝しげな目でじろじろ見ていると、ギャルが口を開いた。


「にゃ~? 英雄っちどうしたの~? 音ちゃんの顔に何かついてる~? それよりも荷物持ってよ~。重いよ~」


 思考が停止した。今このギャルは僕を英雄っちと呼び、自身のことを音ちゃんと言っていた。


 訳も分からず荷物を受け取り室内に運んだ。


 ギャルは靴を脱ぎ室内に入り込み、絨毯にドスンと腰を下ろした。


「疲れたよ~。Mちゃんミルク~」

 猫なで声で飲み物の要求をする。


 受け取った荷物を床に置き、僕も絨毯に座り少しすると思考は復活した。


「……って、音ちゃん!」

 大声で叫ぶ。


 なかなかこのギャルが、あの猫の音ちゃんと同一人物とは思えなかった。


 声の大きさに音ちゃんは、ビクッと体を震わせた。


「にゃっ! 英雄っち~、今更どうしたの~?」


 どうしたもこうしたもあるか! 自分の姿を鏡で見れば答えは明白だろう。


「えっだって音ちゃん猫じゃなくて人になっているし、驚くのも当たり前だろ!」


「あら英雄君の犬以下の脳みそじゃ覚えていないようね。音ちゃんが人型になれるって言ったの」


 確かにそんな事を言っていたような気はするが、ここまで劇的に変化するものなのか? 

 いや、そもそもあんな小さな猫の音ちゃんが明らかに僕よりも背の高い大人の女性になるなんて誰が予想できるんだよ!


「いや、猫の姿からこんなに大きくなるなんて思いもしなかったので……」


 せめて人型が幼稚園児くらいだったらまだ許せたが、見た目年齢が二十歳を越える大人だとは……。そう言えばエステ代とか言っていたが、この姿なら頷けるかも……。


「そんな驚くことじゃないでしょう? 猫が喋ろうが、猫が人になろうが、同じようなことよ」


 Mはテーブルにコーヒーカップと牛乳の入ったグラスを置き、絨毯の上に座ると言った。


 絶対に同じことではないと思う。


 まず猫型からどうすればこんな人間の体になれるんだ……質量保存の法則を無視しすぎだろ。


「にゃ~、そっか~。英雄っちにこの姿で会うのは、初めてだもんね~。じゃあ、あらためて宜しくだね~」


 音ちゃんは満面の笑みで両手をぶんぶんと振った。


「よっ……よろしく」


 僕もぎこちなくではあるが手を振り返した。猫型の時は底抜けに明るくても可愛いで済んだのだが、ギャル系の美人のお姉さんの姿だと、ちょっと圧倒される。

 普段接さない人種の人間と触れ合うと人はためらうものだが、今の僕も同じ状態のようだ。ギャルのノリについて行けないよ……。


「どうしたの英雄っち。疲れた顔してるよ~?」


 音ちゃんはそう言うと小首をかしげ僕を覗きこんできた。ハットと厚いメイクで分からなかったが、音ちゃんの目は金と銀のオッドアイの猫目だった。


「怪人との戦いで疲れちゃったのかにゃ? そんな英雄っちに荷物も足せちゃってゴメンね~。音ちゃん反省する~」


 音ちゃんは本当に反省したのか、正座をし効果音として、「しょぼ~ん」と呟いた。


 うん。この子は間違いなくいい子だ。

 服装やメイクは派手ではあるが、性格は素直で、人の気遣いもちゃんとできる子だ。どこかの誰かさんとは大違い。

 肩を貸し歩いただけで、重いから次からは内臓を潰されようが足を怪我するなと言った、外道鬼畜の少女とは大違いだ。


「そんなことないよ! 僕はもう元気だから荷物を持つくらいへっちゃらだよ! ほら」


 元気アピールの為に僕は両手を振る。それも激しく。


「よかった~」


 音ちゃんは笑うと、「にゃ~」とバタバタと両手を振り返してきた。


 その可愛らしい様子に僕も答えるため、激しく手を振り続ける。

 あれっなんだか楽しくなってきたな。

 暫くの間、「やっほ~」や、「にゃ~」と互いに奇声を発しながら手を振り続ける僕らを見ていたMは、「はぁー」と、ため息をつき、冷ややかな声をかけてきた。


「……ところで馬鹿雄く……あっいや英雄君、そろそろ今日の報奨金の話をしてもいいかしら?」


 その言葉で我に返った僕は手を止め、Mに向き直る。


 確実に馬鹿雄君と呼んでいたが、この件に関しては全面的にMの呼び方は正しかったと思う。

 僕は何をしていたんだろうか……。


「……はい……お願いします」

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