第23話
ああ終ったんだ。
終って……僕は……僕らは生き残ったんだ。
そう思うと、緊張の糸が切れた。
ライフルを持つ手から力が抜けると、ライフルは僕の膝に一度当たり、地面に落ちた。
大事な武器だけれど、今の僕には拾う力もなかった。
今はもう使う必要がないからこのままで良いか。
戦いはもう終ったんだから。
ああ、もう手の力どころかか、体の力まで抜けてくる。重力が増したかのように体が重くなった。
こんな疲労感に襲われるのは久しぶりだな。中学校のマラソン大会後だってこんなに疲れなかったのにな。
体を起こすのも限界で、今にも後ろに倒れて行きそうだったが、そんな僕の肩をMが押さえてくれていたので、アインスのように力なく倒れずに済んでいた。
本当に支えて貰えて良かった。
もし今後ろに倒れたら、体が起き上がりこぼしのような形じゃない限り起き上がる自信はないな。
つまり、それほど僕は疲労していた。ヒーローはいつもこんなに神経も体力も擦り切らすような戦いをしていると思うと、尊敬するな。
「お疲れ様」
僕を支えながら耳元でMが優しく囁くと、突然彼女は僕の肩から手を放し、立ち上がった。
「えっ?」
支えのなくなった体は引力に引っ張られるように、後頭部から地面に倒れていく。
「痛っ!」
後頭部を押さえ、悲痛な声をあげる。
「Mさんいきなり手を放したら、危ないじゃないですか」
横になったら起き上がる自信がないと思った体ではあるが、僕は傷みで反射的に立ち上がると、後頭部をさする。どうやらタンコブはできていないようだな。
「あら英雄君、頭を押さえてどうしたの?」
どうしたもこうしたもない。あなたが手を離したから頭を打ったんだ!
そう言ってやろうとした時、それよりも先にMが口を開いた。
「それよりも攻撃を受けた足や胸を気にした方がいいんじゃないの?」
と、僕の体をじろじろ見回し言った。
忘れていた。ペレットで足も胸も撃たれていたんだ。
打たれた箇所を意識してみると痛みがぶり返してきた。胸の方はまだ耐えられる痛みだったが、足の痛みは酷く、激痛と燃えるような熱さを感じた。
立っているのがやっとと言った感じで、当分歩けそうにはなかった。
思わず苦痛で顔が歪んでしまう。
やっぱり折れているんだろうか?
牛乳嫌いな僕ではあるが、骨折をした経験は一度もなく、骨が折れたり、皹が入るとどんな痛みが襲ってくるのか経験した事がないので分からなかった。
幼稚園の頃階段の最上段から、頭から転げ落ちても、小学生の頃十メートル以上の高さの木から転落しても皹一つ入った事はない。
まさか初の骨折がハイエナの怪人が口から飛ばした骨が衝突し骨折なんて……未来永劫誰にも語れないな。
「やっぱり足が傷むようね。ちょっと傷を見せてもらうわ」
そう言うと僕の足元に膝を着き、ズボンの裾を捲くり始めた。
女性にこんな事をされた事がなかったので、とても恥ずかしかった。
彼女は、脛をぺたぺたと触りだし、何度か触ると、コンコンと叩いた。
「痛ッ」
「どうやら折れたり皹は入っていないみたいね、酷い打撲って感じかしら? 湿布を貼っていれば明日にでも痛みは引くはずよ」
僕はホッとした。足を折って家に帰ったら必ずどうしたのか聞かれてしまう。どう誤魔化そうとボロが出てしまうだろうし、そうしたらヒーローをやっている事を話さなければならなくなる。
父さんにはまだその事を話したくはなかった。
だってそうだろ。突然、『父さん僕ヒーローになったんだ。今日も怪人三体も倒してきたよ』なんて言ったら卒倒するか、頭がおかしくなったと思われて病院に連れて行かれてしまうよ。
僕がヒーローになったと言う事を話すのは、タイミングをみてが良さそうだな。今回は折れてはいないようだが、怪我をしているので、間違いなく話すタイミングではなさそうだ。
「安心しましたよ。でも骨折しているのか、していないのか良くわかりますね」
触診と言うのだろうか? 触って軽く叩いただけでMは足の様子を判断していた。骨折かどうかって直ぐに分かるものなのだろうか?
「医療の知識なら少しは持っているからね。骨の反響音と英雄君の反応で分かるわ」
ヒーローのマネージャーなら、看護は必要になるから知識を身につけたのだろう。その時僕はそう解釈をした。
「さて、いつまでもここにいられないからいったん私の部屋に戻りましょうか」
確かにここにいるのは精神的に良くはないだろう。
園内には三体の怪人の死体と、喰われた無残なおびただしい死体。慣れたとは言え意識すると鼻腔を血なまぐさい臭いが突き抜けていく。
Mが一歩、歩を進めたので、僕も続くように足を伸ばすと、つま先から頭の天辺まで痛みが駆け巡った。
「痛ぅッ!」
声をあげ僕は脛を押さえ蹲る。これ、本当に折れていないのか? 歩けないほど痛いんですけど。
「Mさんすいません、足の痛みが酷くて、当分歩けそうにないです」
Mの誤診を疑いながら現状報告を行う。
するとMは、「はぁ❘」とため息を吐き、困った顔をした。
「しょうがないわね。今日だけは特別に肩を貸してあげるわ」
僕に手を差し伸べた。
Mが肩を貸してくれる?
「いいんですか?」
「歩けないなら仕方ないじゃない。ほら早く手を掴みなさいよ」
僕はMの手を掴み立ち上がった。
立つとまた足に痛みが走り、蹲りそうになったが、すかさずMの手が僕の背中に回り支えてくれた。
「無理しないで、しっかり捕まりなさい」
Mはそう言うと、僕の腕をグいっと引っ張り、自身の肩にかけさせた。するとMの顔がほお擦りしているのかと言うほど近づき、血なまぐさい臭いを押しのけシャンプーの香りが鼻腔に漂ってきた。
いい匂いだ。女性と密着するのも、髪の香りを嗅ぐのも人生発の経験だ。
これが怪我の功名というやつなのだろう。
「……ありがとうございます」
「次からはこうならないように、無傷で勝ってちょうだいね」
そっけなく言いMは歩き出した。歩幅は短めで、僕の足を労わった、ゆっくりとしたペースだった。
この分じゃMのマンションに着くまではまだまだかかりそうだったけれど、二人で歩けるのなら悪い気はしなかった。
入り口を出て、フェンス伝いに歩いていくと猫用のキャリーが置いてあった。
そうだ、この公園に来たのは僕とMだけではない、音ちゃんも来ていたのだ。
怪人に苦戦する姿を見せて心配をさせてしまっただろうな。
音ちゃんにも謝らないと。
そう思い僕はキャリーバックを覗きこんだ。中には音ちゃんが丸まって入っていた。すやすやと心地よさそうな寝息を立てて。
……寝息?
僕が命がけで戦っていたのに、音ちゃんは寝ていたのか。呑気にも程があるだろ。
「英雄君、フェンスに掴まって待っていて」
と、言うとMは僕の肩から手を離し、キャリーケースを開け、音ちゃんの首根っこを掴み引っ張り出した。
それでも音ちゃんは手足をだらしなく垂らしたままクークー寝息を立てていた。
まだ寝ている。
これってうたた寝と言うより熟睡だよな? いつから寝ていたんだ。
Mがそんな音ちゃんの耳に口を近づけぼそぼそと何かを呟いた。
そうすると音ちゃんは大きなあくびをし、Mと僕を交互に見る。
「うんっ? おはよ~。もう終ったの~?」
僕の命の削り愛とも言える戦闘なんか全く見てなかったようで、その様子に僕はイラッとした。けれど、ここで怒るのも大人気ないと思い、僕は怒りを押さえ込む。
「うん、何とか倒してきたよ」
「そっか~。三体も倒すって凄いよ~。英雄っち、初勝利おめでと~」
そう言うと音ちゃんは僕に向いピースした。正確には短い猫の手でのピースらしきものだったけれども。
「ありがう」
僕も彼女にピースを返した。
「音ちゃん、私は英雄君に肩を貸して帰るから、公園の中に落ちている刀とライフルを部屋まで持ち帰ってもらってもいいかな?」
「英雄っち、怪我してるの~? 大丈夫~? 英雄っちは音ちゃんの友達で、仲間で、缶詰をいっぱいくれるだろう人なんだから怪我したら悲しいよ~」
缶詰をくれるだろう人のところを強く発音すると瞳を潤ませた。つまり缶詰が貰えなくなるから悲しいって事か?
他の感動的な言葉が全て薄れるぞ……。
「……」
僕が返答に困っていると、音ちゃんは本題を語るかのようにMを仰ぎ見る。
「あっ、Mちゃん、武器はちゃんと拾って帰るから安心していいよ~。ついでに片付けもしていく~?」
小首を傾げ聞いた。
片付け? 何をするんだろう?
「ええ、お願いね」
そう言うと、Mは音ちゃんを地面に放した。
とりあえず怪我の現状だけでも話しておこうと、僕も口を開く。
「僕の方は、まだ歩くと脛が痛いけど、さっきほどの痛みはないから大丈夫だよ」
「足怪我したんだ。音ちゃんもこの間ハイキングしたとき足挫いて痛かったから、英雄っちの痛み分かるよ~。辛いよね~」
僕の折れたんじゃないかと言う痛みを、足を挫いたくらいと同列に語るなよ。
「じゃあ、音ちゃん片づけしに行くから、二人とも気をつけて帰ってね~」
音ちゃんは一メートル以上の高さにあるフェンスの上に軽々と飛び乗ると公園の中に入っていった。
「それじゃ、私たちも行きましょうか」
Mの肩を借り僕達も歩き出した。
Mの足取りはさっきよりも速く、痛めた足には少し辛かった。
早く部屋に帰りたい……いや、早くこの公園から離れたい。そんな思いをMの歩く速度から感じた。
どうして早く離れたいのだろうか?
確かに死体が大量にある場所からは離れたいが、Mの気持ちは違うような気がした。
その時僕は音ちゃんの言葉が頭によぎった。『片づけをしていく』と言う言葉が。
片付けって何をするんだろうか……嫌な予感がする。
聞いては、知ってはいけない事のような気がし、僕は質問もせずに黙ってMに歩幅を合わせ歩いた。
行きの時の倍以上の時間をかけ、僕とMは部屋に辿り着いた。
足を庇って歩いた僕も、肩を貸して歩いたMもくたくただった。
部屋に入るなりお互い絨毯の上に座り込む。
「英雄君、次からは腕を折られようが、内臓を潰されようが、足だけは怪我しないようにしてくれる? 面倒くさいから」
十数分ぶりにMは口を開くと、早速毒づいてきた。
「無茶言わないでくださいよ。そもそも内臓を潰されたら死んじゃいますよ」
「例えあなたが死んでも、私がこんなに汗だくになることはないわ。むしろ死ねばよかったのよ」
さっき、『あなたが死ねば私も死ぬわ』と言ってくれた人が、死ねばいいと言った。
「さっき、僕が死んだら一緒に死んであげるって言わなかったですか?」
まさか、僕が聞いた言葉が幻聴だったなんて事はないだろと思い聞いてみる。
「ああ、あれは、マニュアルに書いてあったから言ってみただけよ」
Mは返答を考える事無くさらりと語った。幻聴ではないようだったが、まだ幻聴だった方がマシと言った答えが返ってきた。
「どんなマニュアルなんですか!」
「A4用紙五十枚分ほどの、『パターン別ヒーローにかけたい言葉100』が載っているやつよ」
えっ本当にそんなマニュアルあるの?
何その自己啓発本みたいなタイトルは!
「マニュアルの言葉にときめいた僕は馬鹿ですか!」
「あら英雄君私にときめいていたの? じゃあ肩を貸したときに息が荒かったのは興奮していたから?」
「傷が痛んでいたからに決まってるでしょ!」
興奮してはぁはぁ言っていたら変態だ。まあ多少ドキドキしていたのは認めるけれど……。
「痛くてはぁはぁ言っていたとなると、英雄君は……マゾなの?」
「僕に痛みで喜ぶ趣味はねえよ!」
「タメ口ッ!」
Mはテーブルから身を乗り出し僕の眉間をグーで殴る。
女性がグーで殴った!
普通はパーのビンタじゃないのか!
心の中で突っ込みをいれると、僕の脳は揺れた。あれっ? これって脳震盪ってやつ? 人体の急所の一つに眉間は上げられるが、的確に打ち抜くとこんなに視界がどろどろするものなのか?
やはりMに刃向かうのは危険だ。
「すいませんでした」
僕は揺れる視界の中、Mに謝罪の言葉を上げた。
「許してあげるわ。ホント英雄君は、学習能力のない……犬みたいな子ね」
犬扱いされた。
「まあ、そんなところが可愛いんだけどね」
可愛い? 僕が? これは喜んでいいんだろうか……。
「ところで英雄君、ありもしないマニュアルの話は置いといて、今日戦った怪人の話をしましょうか」
僕が半信半疑ではあるが、信じつつあったマニュアルの存在をあっさり否定すると、Mはどこから取り出したのかテーブルの上に電卓を置いた。
やっぱりマニュアルはないのか……あれっ? と言うことはあの言葉はMさんの本心で言った言葉ということにならないか?
本気で僕と一緒に死のうとしてくれたことになる。そう考えると胸が高鳴り、頬が熱くなってくる。
「頬が真っ赤だけどどうしたの? リンゴ病にかかったのかしら? 私にうつすといけないから、換気をして壁際まで下がってくれる?」
僕の高鳴った胸は一瞬で静まり返った。
この人には病人に対する優しさはないのか。まずは病院に連れて行くや、看病をするという選択肢が出るもんじゃないのか?
ダメだ。Mのキャラクターが掴めない。優しいのか、厳しいのか、冷たいのか、非道なのかが掴めない。とりあえず最後に述べた三つの可能性は高そうだな……。
「リンゴ病じゃないですよ。なんでもないんで話を続けてください」
とりあえず壁際に行くのが嫌だった僕は、リンゴ病を否定し話を進めることにした。
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