第21話
喜びを感じる僕の耳に、ズズッと言う地面を這うような音が聞こえた。
その音で僕の喜びは霧散した。
そうだった。僕は戦いに勝ったかもしれないが、致命傷を与えたかもしれないが……アインスを殺してはいない。
その息の根を止めてはいない。
止めを刺すまで喜んではいけないんだ。
殺さないと。
虫の息の怪人の命を刈り取る覚悟をし、一歩一歩近づき、僕はアインスを見下ろす。
「何か言い残す事はないか?」
怪人でも死ぬ前には何か思うことがあるんだろうか?
ただの好奇心なのか、止めを刺すのを戸惑った僕の口から自然と出た言葉かは分からないが、唯一言えるのは、その言葉により僕はアインスに時間を与える結果になった。
「……ドライとツヴァイを連れて来て貰える……死ぬときは一緒だって誓った仲間なんだよ」
アインスは四肢を投げ出したまま力なく擦れるような声で言うと、「お願い」と、空ろな瞳を僕に向けた。
「……ッ!」
胸が締め付けられそうだった。
怪人にも仲間意識があった。大切な者がいたんだ。
その点では僕ら人間と何も変わらないじゃないか。死が迫ったあの時に父さんに会いたいと思った僕と同じだ。
けれど。
けれど、その大切なものは僕が全て壊した。その大切なものは僕が全て殺した。
でも、仕方なかったんだ。
だって僕が生き残るためには、奪うしかなかった。怪人の仲間を、友を、家族を殺すしかなかったんだ。
そんな揺れる僕の心を見透かすかのように、アインスは空ろな瞳を僕に向けて来た。
そんな目で僕を見ないでくれ。思わず目を逸らすと、そこには折り重なるように死んだツヴァイとドライの姿があった。
僕が殺したその姿が。
首に爪が突き刺さった死体と、首を捻られた死体が。
「……ッ!」
そうだ。奪ったのは、殺したのは……僕だ。
僕には怪人の願いを叶える義務があった。
「わかったよ。今連れて来る」
僕はドライとツヴァイの元に向う。
さて、どうしたものか。
連れてくると言ったものの、死体を引きずるのは悪い気がするな。そうなると抱えていくしかないが、怪人一体、百キロはありそうだな……。
取り合えず引き離さないといけないなと思い、僕は喉に刺さった爪に手を伸ばすが、血液の循環が止まり時間がたったせいか、筋肉が閉まり引き抜くのは困難だった。
どうしようか迷った僕は、スーツの力を信じ、思い切って二人まとめて抱かかえる事にした。体の下に手をいれ、お姫様抱っこをするように、二体を一緒に持ち上げてみる。
スーツの力は絶大で、二百キロを優に越えるその物体をよろめきながらではあるが、何とか抱えて進むことが出来た。
歩を進めるたびに腕と腰に押しつぶされそうな重量を感じ、何度かよろけそうになったが、落とす事はせずに、アインスの元に運び、空ろな瞳で空を見上げるアインスの傍らにそっと置いた。
「……あぁぁ、ドライ、ツヴァイ、私が悪事を働かなかったら、こんな目に合わずに済んだのにね。ごめんね、ごめんね、ごめんね……ごめんね……」
アインスは首を傾け、返事をすることのない二体の死体に謝り続けた。
僕はいたたまれなくなり、顔を伏せる。
怪人達を殺したのは紛れもなく僕だ。
僕のやった事は本当に正義なんだろうか。
怪人であろうと、悲しむ者を作るような正義が合っていいのだろうか。
僕には何が正義なのかが分からなくなった。
目頭が熱くなる。
最後は三体だけにしてあげようとその場を離れ、決して広くない公園を歩き、座れる場所を探し、見つけた寂れたブランコに腰を下ろした。
寂れたブランコは錆付いたブランコでもあり、僕の重量がかかると、ギーッと、耳ざわりな音色を奏でた。
僕はブルーに助けてもらった恩を返すために怪人と戦う道を選んだ。つまり怪人を殺す決意をした。
けれど、怪人はどうなんだろうか?
人を喰らうのは生きるため。
つまり生まれついての本能なんだろう。僕達が鳥や豚や牛を食うのと一緒なんだろう。
これでもし、怪人が特撮ヒーローの世界の怪人のように世界征服や、人間を虐殺するのが目的だったら、こんなに殺すのを躊躇う事などなかったのだろう。
僕は最後の別れをするアインスを殺せるのだろうか?
俯きながらブランコで心と体を揺らしていると、二十メートルほど離れたアインスの方向から、バリッボリッっと、何かを砕くような音が聞えた。
「……うん?」
僕は聞き覚えのあるような音に、嫌な予感を脳裏に過ぎらせながら顔を上げる。
すると、アインスが死んだ二体の怪人の体を貪る様に喰らっている様子が目に映りこんだ。
「なっ………」
予想外の出来事に僕の口からは続く言葉が出てこなかった。
その間にもアインスは喰らい続ける。怪人の頭部に大口を開け噛み付き、ゴリッゴリッとまるでリンゴでもかじるように噛み砕き喰らった。顎からは脳みそだろうか、ピンク色をした物体が零れ落ちる。鬣も頭蓋骨も目も脳も関係なしに一口で噛み砕き、一心不乱に喰い続ける。
何で?
何で食べているんだ?
僕には理解不能だった。
「うぐっ!」
何秒そのおぞましい光景を見続けたんだろうか。命の削りあいをした怪人が体を削り喰われるという事態に、僕の体は頭のてっぺんから指先まで痺れるように麻痺し動かなくなったが、敏感な鼻が怪人の血と脳漿が発する鉄臭いような生臭いような香りを嗅ぎ取り、吐き気と言う拒否反応を起こす事により動けるようになった。
口を押さえ必死に嘔吐しそうな胃と喉を律し、僕は久々に声を発した。
「何してるんだよ!」
「ぐちゅぐちゅ……ごくんっ……」
喉を鳴らし骨ごと肉を飲み込む。
「何って食事よ。お腹すいていたんだもん」
当たり前のように言った。
食事? 食事ってなんだよ?
だって、お前が食べているのは……。
「仲間じゃなかったのかよ!」
「仲間? 笑わせないでよ。こいつらは私の下僕よ。怪人に仲間なんかいるはずないじゃない。あんな三文芝居に引っかかるなんて、坊やは馬鹿みたいにお人よしなのね。それにしても、坊やが辛そうな顔をしてこいつらを運んでくる姿を見たときは笑いを堪えるのに必死だったわ」
怪人には仲間意識なんか無かった。
じゃあ、僕のあの葛藤はなんだったんだ。
こいつらを可哀想だと思っていた僕は馬鹿だった。
同情した気持ちはなんだったんだ。こいつらには仲間意識なんかない。ただあるのは歪んだ食欲だけだ。
僕の中でふつふつと怒りが湧いてきた。
「あら坊や怒ったのかしら? でも安心して、この子達が死んで悲しいのは本当よ。だって下僕がいないと狩が面倒だからね。お母様にまた二体産んでもらわなきゃ。あぁあ、お母様の家は遠いから面倒で面倒で……悲しくなっちゃうわ」
なにが悲しいだ。仲間が死んで持った感想が面倒くさい?
「……ッ! ふざけるな!」
拳を握り締め、怒鳴り散らす。そんな僕の様子をアインスは面白いものを見るように、歪んだ笑みで見つめると、口を開いた。
「ところでサングラスの坊や、ペレットって知っている?」
ペレット?
聞いた事のない言葉だった。横文字だから英単語か何かだろうか? 怒りで熱くなる頭ではあるが、僕は学校で学んできた知識を総動員し思い起こして見るが、頭の中の辞書にはペレットは載っていはいなかった。
ペレットってなんだろうか?
そう思った途端、背後のフェンスがガシャンと音を立てた。
振り向くとMがフェンスを乗り越えていた。距離はあったが、その顔には焦りの色が見えた。
どうしたんだろう? そう思うとMは口を開いた。
「英雄君! まだ終ってない! 早く止めを刺し――」
Mの台詞はそこで途切れた。いや正しくは、僕が聞けない状態になったと言ったほうが正しい。
Mの言葉に耳を貸していると、背中に衝撃が走り僕は前方に吹き飛ばされた。その痛みはアインスにタックルされた時とは別種の痛みだった。
タックルを車に撥ね飛ばされた痛みとするならば、今僕を襲っている痛みは、野球の硬球が猛スピードで背中にあたったような痛みだ。
いや、骨を砕くような痛みが襲ってきている事を考えると、硬球と言うよりは、砲丸投げの玉といっても過言ではないかもしれない。
何が起きたんだ? 背中の痛みに耐え、振り返ると、アインスは口をすぼませ何かを吹き出した。
次の瞬間には腹部に衝撃が走り、「ガハッ」という声と共に、僕の足が地面から離れ、ごろごろと後方を転げる。
上も下も分からない視界の中、肩や頭を打ちつけながら転がっていると、背中に柔らかな感触が伝わり、体の動きがぴたっと止まった。
「うっ……ぐぅ」
唸りながら、僕の動きを止めた存在を知りたく、首を後ろに向けると、Mが僕の体を抱きとめていた。
「M……さん?」
「大丈夫?」
Mが心配したかのように僕の顔を覗き込んできた。質問に答えようと体に異変がないか、集中し確認してみる。
何かがぶつかった背中と腹はズキズキと鈍痛がするが、動けないほどでは無さそうだ。
「はい……ッ! 痛みはしますが、動けないことはないです」
僕は呻きながらも答えた。
「あら今度はサングラスのお嬢ちゃんの登場ね。良いわね。良いわね。美味しそうでいいわねぇ」
アインスはツヴァイなのかドライなのかもはや識別できない怪人の死体の頭を掴むと、大口を開け、首に齧り付く。めきゃめきゃと言う音を立てながら、首を噛み千切った。
死体の頭と胴体が二つに分かれると、アインスは頭を拾い、まるでもぎたての果実を手にしたかのように舌なめずりを一度し、ガブリと頭蓋骨に貪りついた。
「英雄君、詰めが甘いわね。怪人は心臓を潰すか、首を斬り落としたり、捻じ切らない限り死なないのよ。お腹を突き刺したくらいじゃ、ダメージを与えられても、殺せはしないわ」
「そうだったんですか」
「ええ。内臓の配置は人間に良く似ているようだけれど、相手は怪人。耐久力が桁違いなのよ」
動物も人間も内臓は弱点ではあるが、耐久力と言う点は考慮していなかった。そうか。突き刺して終わりじゃないのか。それなら今度は、あのいかれた脳ミソごと斬り落としてやる。
怒りを目に宿し、手放してしまった、アインスの腹に深々と突き刺さった脇差を見つめる。
「じゃあ今止めを刺してきますね。Mさんは安全な所に隠れていてください」
そう言うと僕は起き上がり、Mの肩を押しのけ一歩前に出る。
「あら、それは無理よ」
アインスは言うと、プッと又何かを吐き出した。
高速で何かが飛んできたと思うと、次の瞬間僕の脛に激痛が走り右足が弾かれた。アインスが吐き出したものが脛に直撃したのだ。
「んがぁぁぁぁぁぁ」
僕は絶叫を上げた。脛に体を弾き飛ばすほどの速度で硬い何かが当たったんだ。その衝撃は、ダメージと言う点ではなんとも言えないが、駆け巡った痛みと言う点では人生で断トツの一位だった。
手で脛を掴み僕は涙をぽろぽろと零しながらも、必死に痛みに耐えた。階段で脛を打ち付ける痛みの何十倍? いや、何百倍も痛い。
これ、折れたんじゃないのか? 今すぐズボンの裾を捲くり、折れていないか確認したい気持ちに駆られたが、僕の目は別なものに釘付けになった。
ころころと地面を転がる白くゴツゴツした物に。
何だこれは?
そのゴツゴツしたものは止まると、所々に赤黒いしみのようなものがついているのが分かった。大きさで言えばピンポン球くらいだ。
それは骨のように見えた。
「骨?」
それが何か確認するために拾おうと足を動かそうとしたら、脛の痛みが全身を駆け巡った。立ち上がろうとしても、痛みに邪魔され動く事もままならなかった。
やっぱり骨が折れているかもしれない。
「私が回復して動けるようになるまで、坊やはそのまま座っていてね、こんな刀まで刺しちゃったんだから、生きたまま隅々まで喰らってあげるから……ねっ!」
そう言うと、アインスは腹部に刺さった刀の柄を握り無理やり引き抜いた。今まで刀と言う栓を刺し込んでいた傷口からは血が噴出すが、腹筋をギュッと収縮させて無理やり血を止めた。
その様子から刀で刺したくらいじゃ死なないといったMの台詞は間違いなく真実なのだと分かった。
僕の脇差は巨大なアインスが持つとまるで子供向けのおもちゃの刀のように小さく見えた。そんな刀をじろじろと眺める。
「こんなちっちゃな刀なのに、ずいぶんと切れ味が良いのね。私のお腹を貫くなんて驚きよ。あああ、こんなに血がこびり付いちゃって」
と、付着した自身の血を舐め取り、「不味っ」と、背後に投げ捨てた。
「やっぱり怪人の血は不味いったらありゃしないわね。食べるも飲むも人間が一番だわ」
アインスはそう言うと、僕とMを交互に見て、にたりと笑った。
その笑みは僕らを敵としてではなく、単なる食料として見ている事が分かった。
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