第20話
僕は息を吸い込み、呼吸を整えるとアインスを睨みつける。
アインスは仲間がやられたと言うのに平然としていた。
「あら二人とも殺られちゃったわね。お母様に言ってまた産んでもらわなくちゃいけないわね」
お母様?
怪人を生み出せるという、第一世代の怪人の事だろうか。
「あなたは見た目と違って強いのね。肉弾戦ならこの間のヒーローよりもずっと強いわよ。この間のヒーローは遠くから銃で二、三発私のことを撃って効かないと見るや、殴りかかってきたけれど、てんで弱かったわ」
銃が効かない?
そんな馬鹿な。タコハーフは銃で粉々になった。それだけの威力がある武器だ。僕はあの銃は切り札だと思っていた。それが効かない怪人がいるなんて……。
「あら銃で死なないのが不思議って感じね。あなたも試してみたら? まあ銃を出す前に私が食い殺しちゃうけどね。さあ狩の時間よ」
アインスは舌なめずりをすると、舌先から唾液を垂らした。ボタボタと。
ぞわぞわと悪寒が走った。仲間が殺されてなお余裕を見せ、ただただ僕を喰らう事を考えている化け物に恐怖を感じた。
ダメだ。僕は一度頭を振り、弱気な考えを頭から振り払った。
気持で負けていたらこの怪人には勝てない。
落ち着けと自分に言い聞かせ、無意識に早くなる呼吸を整え、相手の出方を見極めるためにアインスを凝視する。
アインスは動かずじっと僕を見ていた。
「……」
「……」
互いに無言の時が過ぎた。
やはりアインスは動こうとはしなかった。あっちも僕の出方を見極めようとしているのだろうか?
それなら僕が先に仕掛けよう。そう思い右足を半歩引き、つま先に力を込めると、突然アインスが口を開いた。
「ちょっとお待ち。サングラスの坊や、あなたはキメ台詞とか言わないの?」
「……キメ台詞?」
僕が分からないといった感じで小首をかしげ言うと、アインスは驚いたかのように、白目のほとんどない犬のような眼を丸く見開いた。
「えっ? いや、でも……この間のヒーローは、粛清の時間だとか何とか言っていたし、てっきりあなた達ヒーローも言うのかと思っていたわ」
アインスが動かなかったのは台詞待ちだったのか。
確かにブルーもキメ台詞っぽいものを言っていたが、ヒーローみんなが言うとは思ってもみなかった。
僕はキメ台詞なんか考えてないし、そんな恥ずかしい事などしたくはない。
けれど怪人もキメ顔で、「狩の時間だ」と言っていたし、これは言う空気なんじゃないのか?
その証拠に初めは不意打ちしてきたアインスも、キメ台詞だけは言うまでしっかり待っていた。なんだろう少しワクワクしているように見える。
ワクワクしないで……ハードルが上がるから……。
僕は決め台詞を色々考えてみるが、浮かんでくる言葉がどれもこれもアニメや漫画の中ならばカッコいいんだろうが、いざ自分が言うとなると恥ずかしくて口に出すことすら憚られた。
何か恥ずかしくないキメ台詞はないのだろうか? 高校生の僕でも言えそうな、なるべく恥ずかしくない言葉は?
頭の中の引き出しの中を探し回り、そして一つ思いつき、僕は意を決し口に出した。
「………涎たらして………気持ち悪い。死ねよ」
自分の顔が真っ赤になってくるのが分かった。恥ずかしすぎる。
怪人はポカンとしていた。
これじゃダメだったんだろうか? やっぱり鎮魂歌とか、狩の時間だとか恥ずかしい単語を入れないといけないのか?
これじゃ、言い損だ。
アインスの体がプルプル震えている。笑われているんだろうか。僕は泣きたい気分になった。
けれどどうやら笑っていた訳ではないようだった。その震えは歓喜の震えだったらしい。証拠にアインスの表情は嬉しそうな笑みに包まれていた。
「……それがあなたのキメ台詞かしら? いいわね。いいわね。毒々しくてっ!」
そう言うとアインスが駆け出した。互いにキメ台詞を発したんだ。もう戦いを止めるものは何もない。
アインスの速度はその巨体からは想像もできない速さだった。二足歩行の大股で駆けて来ているというのに間違いなく僕が倒した二体の四足歩行よりも速い。
二メートル優に越える巨体の突撃だ。受け止めようが衝突しようが僕の……小柄な体躯じゃ吹き飛ばされるのが目に見えていたので、僕は転がるように横に飛び躱した。
すると風を切り裂くような轟音と共に、立っていた場所をアインスが通り過ぎる。間一髪だった。
けれどあれだけの速度だ、急に止まる事はできないだろう。体勢を立て直す時間は十分にある。もしまた飛び掛ってきた時はどう対処しようかと考えながら受身を取っていると、アインスは足を前に突き出し、地面を削りながら急停止しすると、膝を曲げ、片足の筋力だけで僕に飛び掛ってきた。
「………ッ! 止まれるのかよ!」
次の対処を考える時間などなかった。急いで起き上がるが、それよりもアインスが突っ込んでくる方が速かった。
ドンッと大型の車に衝突されたような衝撃が体中に走り、視界に映る映像がただただ青い空だけになった。
なぜ空が見える?
ああそうか僕の体が宙に舞っているのか。
どれ程吹き飛ばされたのか分からないが、長いようで短い重力と切り離された心地よい空中浮遊を体感していると、また衝撃が体中を駆け巡った。
僕の体は受け身も取れず地面に叩きつけられた。
「がはっ!」
肺から空気が漏れると背中に激痛が走る。とくに腰のあたりに鋭い痛みが走った。Mに渡された刀を挿していた場所だ。
危なかった。この痛みがなければ、意識を失っていても可笑しくはない。
背中の突き刺すような痛みと、全身の痺れを感じながらも僕は立ち上がる。両足で立っているはずなのに、地面が揺れているかのようにバランスを取る事が出来ない。
いや、揺れているのは頭の中か。
これが脳震盪と言うやつなんだろうか?
視界が波打ち平衡感覚が来るって……気持ち悪い。
「あらサングラスの坊や、これぐらいで寝ていちゃダメよ。まだまだこれからなんだからッ!」
アインスがまた駆け出した。どうする躱か?
いや無理だ。いくらスーツのお陰で人間離れした速度を出せるようになっても、相手は人間ではない怪人だ。
もって生まれた筋肉の質も量も桁違いに怪人の方が上で、速度で勝る事は不可能だ。だったら僕が出来る事は……迎撃だ!
目を見開きアインスの動きを捉え、息を一息で吸い込めるだけ吸い込み、体内の血液を循環させ腹筋と踏ん張りの利かない足に力を籠めタイミングを合わせ、列車のように一直線に駆けてくるアインスの顔の、生き物の急所の一つである、神経の集中した鼻っ面に右のストレートを放つ!
当たる!
グローブを嵌めた拳がハイエナのような顔の鼻っ面に迫っていく。拳の先にぶつかった衝撃が走り、決ったと心が歓喜の声をあげる。
そして、拳は弾き飛ばされた。
「えっ?」
と、思わず声をあげてしまう。
スーツの力で強化された一撃ではあるが、体重五十キロ弱の僕が放った拳は、身長二メートルを優に越す巨体の生み出す力の前に、弾き返された。考えてみれば簡単な事だろう。軽自動車とワゴン車が正面からぶつかったらどうなるのか。より大きく重いワゴン車が勝つに決っている。
しかも僕と怪人の体格差は原付とワゴン車といっても良いほど差があった。勝敗ははなから分かりきっている事だった。
弾かれた拳に痛みが走ると、コンマ数秒送れて全身に衝撃が走り、僕の体は宙を舞った。
空は相変わらずに青くとても広かった。
また長いようで短い空中浮遊を体験すると、受け身も取れず、地面に叩きつけられた。二度目の衝突を体験した体の痛みはさっきまでの非ではなく、殴りつけた右手も、立とうとする両足も痺れたかのように力が入らず、腹筋で強引に起き上がろうともしたが、腰に激痛が走りそれも叶わなかった。
ざっざっざっっと足音が聞こえた。
その音は一音一音大きくなり、近づいてくるのが分かった。
ざっざっざっ。音はますます大きくなるとピタッと止み、今度ハァハァハァッと、荒い息遣いが聴こえ、ぼやける視界に灰色の毛むくじゃらのハイエナの体が映し出された。
「さようならサングラスの坊や。そして……いただきます」
アインスはそう言うと、鋭い爪を生やした毛むくじゃらの腕を振りかぶり、突き刺すように振り下ろした。
爪が太陽の光を受け、きらっと光った。
ああ、Mの指示も受けずに先走った結果がこれなのだろうか。
青を助ける、借金を返すと心に誓ったけれど、どうやらそれは叶える事が出来そうになかった。
僕はこの爪で死ぬのだろう。避けようにも体には力が入らないし、もうどうしようもないな。
十五歳で人生も終わりか。もっと遊びたかったし、もっと勉強もしたかったな。
高校を卒業したら大学にだって行きたかったし、一人くらい彼女を作りたかったな。それで、家に連れてきて父さんに紹介もしたいな。
父さんはどんな顔するのかな? 喜ぶかな? それとも慌てるかな? 父さんは少し過保護な所もあるから慌てそうだな。
爪が近づいてくる。
母さんの仏前に泣きながら、僕が彼女を連れてきた事を報告しそうだな。
ああ、そうだ。僕がこの間のテストで、クラスで一位を取った時も成績表を仏前に飾って喜んだっけ。それで得意でもないのに手料理を振舞ったよな。
お赤飯なんか炊いたけれど、水が少なくて二人で堅いねって言いながら食べたな。
あーあ、死にたくないな。
もう一度父さんとご飯が食べたいな。
死にたくないな。死にたくない。死にたくない。
一緒にご飯を食べるんだ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
父さんと一緒に。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない……じゃあ……。
「お前が死ね」
意識が急に覚醒すると、ぼやけた視界が青い光で覆いつくされ、ピントがあったかのように視界がクリアになった。
数秒前までは指先一つ動かせなかった体も、痛みが引き、骨も内臓も全て、羽になったんじゃないのかと言うほど体が軽く感じた。
アインスの爪がスローモーションで僕の喉に風穴を開けようと迫ってくる。
刺されたらお父さんとご飯が食べられなくなるじゃないか。
刺さる直前、僕は寝そべった体勢から足を蹴り上げ、怪人の手首をつま先で蹴りつけ軌道を変える。すると爪の軌道が僕の顔から外れ、地面に深く突き刺さった。
蹴りつけた足を戻す反動を利用し、僕は起き上がると、地面を這うかのように水面蹴りを爪が刺さった状態のアインスの手首に放つ。キンッと言う音と共にアインスの爪が人差し指から薬指までの三本が折れた。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
絶叫が園内に響くと、爪の折れた指先からは、血が滴り落ちた。膝をガクッと落とし、痛む指先をアインスは必死に押さえるが、指の隙間からはポタポタと血が毀れる。
痛々しかったが僕は迎撃の手を止めなかった。
僕は手を伸ばし、泣き叫ぶアインスの髪を掴むと、力任せに投げ飛ばした。
すると、髪がブチブチと引き抜け、手には抜けた髪が指先に絡み付き気持ち悪かった。
アインスは数メートル飛ぶと、顔面から地面に落ちた。
不恰好な鼻からは血が垂れていたがダメージはそんなに与えられなかったのだろう、アインスはすぐに起き上がった。
アインスの表情は怒りに溢れていて、鼻息が荒く、その度に鼻血がどばどばと出てきた。
怪人と言うものにもアドレナリンがあるのだろうか、指先と鼻からの出血量とは裏腹に今はもう痛がる様子はなかった。
「ガキがぁぁ、ぶっ殺す!」
激昂と共にアインスは四足歩行の体勢になり、後ろ足に力を込め飛び出した。人間の競輪選手も顔負けの太い足は更に膨張し、今では僕のウエスト以上に太そうだった。
その太いカタパルトが発した効力は絶大だった。飛び出した勢いで地面がえぐれ、小さなクレーターができていた。
そのスピードも先程とは比べられないほどで、飛び出したと思った次の瞬間には眼前にハイエナの顔が迫っていた。今度は体当たりではなく僕を噛み殺そうとしているのだろうか、口を大きく開け牙を剥き出しにしていた。
軽く僕の首を噛み砕けそうなほどの長い犬歯を剥き出しに、アインスは瞬き一つも許されないほどの速度で飛び掛って来る。
けれど、僕の体はその動きに自然と反応していた。
左にスッとよけ、アインスの牙を躱す。するとアインスは地面を抉りながら方向転換しようと前足でブレーキをかけた。
一度目の攻防の時のように。
僕はこの動きを予想していた。きっとこの怪人はブレーキをかけ方向転換をすると。だから僕は最小の動きで避けたんだ。
追撃がしやすいように。
僕はアインスの体が止まると同時に、一歩飛び出し腹に横蹴りを入れる。皮膚は強靭な筋肉に覆われ、ゴムを叩いたような感触が足に伝わる。
アインスは腹部を押さえ呻きながら後退した。フラフラと下がりながらも、口角を持ち上げ怒りを露にした顔をし叫んだ。
「ぶっ殺す!」
僕は右足をやや後ろに下げた構えを取ると、アインスはまだ爪の残っている右手で切り掛かって来た。
「お前が死ね」
怒り任せの一撃は大振りだったので、僕はアインスの左手側に潜り込むことで容易に一撃を躱し、膝のバネと背筋を捻る力を利用し、剥き出しのわき腹にボディブローを叩き込む。
ゴムのような皮膚と筋肉の鎧を突き破り、柔らかな肉に到達する感触が拳に伝わると、ぐちゃぐちゃと筋肉の潰れる音がし、口からは、血と泡が交じった気泡が落ちる。
アインスは痛みを堪え、「うぐぐぐぅぅぅ」と呻いた。
渾身の一撃だったが、まだ致命傷には達していないようだった。
「頑丈だね」
僕はバックステップで距離をとった。
「ガキの拳なんか……ぐぅぅ……効くわけがないだろぅ」
アインスは呻きながらも強がる。
僕は拳を見る。アインスの硬いタイヤのような体を殴ったせいで、微かに痺れ、震えていた。素手で倒すのは文字通り骨が折れそうだな。
拳がダメなら……。
「じゃあこれなら効くだろ?」
僕は腰から脇差を取り出し、鞘から抜いて切っ先を向けると、アインスは目を見開いた。その目は殺せると物語っていた。
「死ねよ」
鞘を投げ捨てアインスに向い突っ込むと、わずかに刀身が青白く発光した。
「くっ!」
アインスが腕をクロスにガードするが、僕は構わずに突っ込んだ。
切っ先が丸太のように太い腕のガードをすり抜け腹部に突き刺さる。
あんなに硬かった腹だけれど、豆腐を箸で刺すかのように抵抗もなく刃は柄が腹にぶつかるまで突き進んでいった。
決った。
僕が致命傷を与えた核心を持つとごふっとむせ返ったような声が聞こえ、頭上から大量の血が降りかかってきた。
髪に生暖かい液体が降りかかり、僕は慌てて刀から手を離し飛びのき、アインスの状態を確認した。
今度は致命傷なのだろう。口からおびただしい血液を吐き出すアインスは、「ハッ、ハッ」と浅く速い呼吸をし、その場に倒れこみ、口と腹から溢れ出たどす黒い血液を地面に広げていった。
勝った。
いくら人間と動物が合わさったような怪人であろうと、その肉体は人間であり動物である。
つまりは生物でしかないんだ。
生物であれば、心臓や内臓を貫かれれば死に至る。
初めての戦いは、辛く厳しいものになったが、無事に勝つ事が出来た。
体中が傷み、口の中には血の味が広がってはいるが、それでも僕は生きている。
僕は小さく拳を握りガッツポーズをとった。
勝てた事が嬉しかった。
死ななかった事が嬉しかった。
生きている事が嬉しかった。
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