第19話

 死ね。

 そう口に出した瞬間パチッと弾けるような音が聞えた。音と共にスーツが一瞬だけ青白く輝いていた。


 スーツが輝くとなるとブルーの光学式化が思い起こされたが、僕のスーツには光学式化用の電流を補充されていないので出来ないはずだ。


 何か他の機能か?


 そう思いながら僕は目線をスーツから怪人に戻す。


 怪人はもう四足歩行の体勢になっていた。屈めた後ろ足の筋肉が膨らんでいるのが見えた。その強靭な後ろ足によって、弾丸のように高速で飛び掛る事が可能なのだろう。


 怪人はニヤッと笑うと、後ろ足で勢い良く地面を蹴り僕に飛び掛ってきた。

 先程はガードするのが精一杯だったが、今度は何故か体が自然と動いた。怪人はまた首筋を狙って飛び掛ってきたので、僕はタイミングを合わせ、軽く飛び上がり、怪人の顎に右の膝蹴りを当てる。


 首筋に噛み付こうとしていた口は強制的に閉められ、衝撃で牙が折れ、口から血飛沫と共に飛び散った。


 怪人の上体が起きると僕は顎を目掛け、拳を突き上げる。空中に飛んだ状態だったので、力を込める事はできなかったが、それでも怪人の顎からはめきゃめきゃと言う骨の砕ける音がした。


 怪人は口から滝のような血を吐き出しながら、仰向けに倒れこむと、時折痙攣したように体をビクンと震わせていた。


 それは一瞬の出来事だった。


 これがスーツの力なんだろうか。普段の僕ならこんな動きを取る事は出来なかっただろう。

 けれど、今は、どう動けばいいのかが自然と分かり、体が勝手に動き出してくれた。今の僕なら怪人を全て滅ぼす事が可能なんじゃないかとすら思えた。


 スーツをまじまじと見てみたが、今はもう、青白く輝く事もなく、普通の黒のスーツにしか見なかった。


 目線をスーツから怪人に戻すと口の端から流れ出た血が水溜りのように広がっていた。


 もしかしたらもう死んでいるのではないかと思うと、怪人はまた体をビクンと痙攣させた。体が痙攣していると言う事は死んではないのだろうが、拳には顎を打ち抜いた感触がまだ残っている。

 脳が揺れて動くことも話す事も出来ないと言う感じだろう。


 僕は倒れた怪人の前まで歩いて行くと、腹部を力任せに踏みつけた。衝撃で怪人の体がくの字に曲がると、苦しかったのか、内臓が傷ついたのか、「ごふっ」と、口から血を噴出した。


 怪人は目を見開くと、「がはっ。はぁはぁはぁ」と、荒い呼吸をした。


「気がついたか?」


「てめぇ、脚をどけろ……」


「脚をどけるかどうかはお前しだいだよ。チャンスをやるよ。お前の食べた人たちに、何か言うことないか?」


 楽に殺すこともできたけれど、僕はそれを許す事が出来なかった。何とか謝らせ、自分がやったことを悔やんで……死んで行って貰いたかった。


「言う事だと………ああ、あるよ」


 怪人は呻きながらもにやりと笑った。


 挑発的な行為に対し僕は踏みつける脚に力をこめる。怪人の口からはまた血が噴出す。


「あるなら言ってみな。ただし、犠牲者を馬鹿にするような事だったら、もっと苦しみをあたえてやる」


「がはっ。ああ、ちゃんと詫びるよ。その前にお前にいい事教えてやる」


「いい事? 僕が聞きたいのは詫びの言葉だけだ。他の事なんか聞く気はないね」


「そう言うなよ。死ぬ前に話しておきたい事なんだよ。哀れな怪人の最後の頼みだと思って聞いてくれよ」


 最後の頼みと言う言葉に心が揺れた。

「わかったよ。言ってみろよ」


「ああ……一度名乗ったが、もう一度言う。俺の名前はドライだよ。洗濯のドライじゃないぞ、ドイツ語で三って意味だよ。そして俺はハイエナの怪人だ。ハイエナの狩の仕方は知っているか?」


「………ッ!」


 怪人がそう言った瞬間、背後に気配を感じ、僕はその場を飛びのくと、僕のいた場所を、茶色い毛の塊が猛スピードで通り過ぎた。


 ハイエナの狩り? そんな事くらい知っている。ハイエナは群れで狩をするという事を。


「ははは、ツヴァイ遅かったな」


 ツヴァイと呼ばれた怪人はドライと名乗った怪人と瓜二つの容姿をしていた。違うのは、体毛が茶色で、背中に黒い鬣が生えている事くらいだろう。


 ツヴァイはドライに手を貸し立ち上がらせた。


「ドライ、今日の狩は、このチビなのか?」


「ああ、だがこの間のヒーローよりもずっと強いから気をつけろよ」


 僕が甘かった。端から敵は一人だと思ってい油断していた。怪人は全部で二百体以上いるんだ、手を組んでいる怪人がいたとしても何もおかしくはない。


「そうだ、喰ったやつらに何か言うことはないのかだったな? 言ってやるよ。美味しかったです。ご馳走さまぁ」

 口から血を零しながらも、にたついた笑みでドライは言った。


「ふざけるな!」


「おいおい、飯を喰ったらご馳走様って言うのが礼儀だろ」

 ツヴァイはそう言うと、腕をゆっくりと下げ、地面につけた。

「さあヒーロー、今から狩の時間だ!」


 茶色の怪人ツヴァイが四足歩行で走りかかってくる。スピードはドライとほとんど変らなかった。これなら対応できる。僕はツヴァイの頭目掛け、肘鉄をくらわそうと腕を振りかぶった。


 しかしその腕を振り落とす事は出来なかった。背後から衝撃が走ったからだ。なんで背後から!ドライとツヴァイは二体とも前にいるのに!


「んがぁっ!」

 衝撃に気づくと次の瞬間には前方に吹き飛んでいた。


 受身のために手を突こうとしたが、眼前にはツヴァイの牙が迫って来ていた。


 ヤバイ。


 僕はとっさに片手を地面に突き刺し力をこめ方向転換を図った。全体重を支えた腕に負担が掛かり、肘に鈍痛が走るが僕は構わず更に手に力をこめた。腕の力で半身を捻ると目の前をツヴァイの牙が通り過ぎる。


 なんとか避けられた。


 僕は転がりながら体勢を立て直す。背中と腕にはまだ痛みが走っていたが戦えないほどではなさそうだ。


 僕は背後のドライとツヴァイに警戒しつつも、前を見つめた。そこにはツヴァイと呼ばれた怪人よりも、はるかに体の大きな、ハイエナの怪人がいた。その怪人の特徴は大きさ以外に、頭部から生やした灰色の長い髪があった。


「ツヴァイ、ちゃんと仕留めなさい。ドライも突っ立てるだけじゃなくて、飛び掛りなさい!」


「申し訳ありませんアインス様!」

「申し訳ありませんアインス様!」

 ツヴァイとドライは声を揃えて言った。


 二人の話し振りからすると、どうやらこの一際大きな怪人アインスが、この中ではボスのようだ。

 アインスの一言にドライはまた瞳を爛々と輝かせ、口から溢れた血を腕でぐいっと拭った。


 僕は甘いどころかただの馬鹿だ。敵が一体から二体に増えた時点で、他に増援がいないか確認すべきだった。


 あらためて周囲をキョロキョロと見回すと、この三体の他に怪人らしき影は見られない。


「あら、サングラスの坊や、安心していいわよ。私たちは三人組の怪人、これ以上増える事はないわ。一のアインス、二のツヴァイ、三のドライの三人組よ。四人目なんか、いやしないわ。だって、これ以上仲間を増やしたら………坊やを食べる量が減っちゃうでしょう!」


 アインスが勢い良く僕を指差すと、それを合図にツヴァイが地を蹴り、四足歩行で僕に襲い掛かる。


 僕は迎え撃とうと身構えた。ドライ一体なら圧倒することができた。一体一体倒していけば勝てない敵じゃないはずだ。

 けれどその考えも甘かった。三対一で戦っているのに、敵が数的有利な状況を利用しないはずがなかったのだ。


 僕が身構えた瞬間、背後からも地面を蹴るザッと言う音が聞えた。

 牙を叩き折られたドライは僕に爪を向け駆け出してきた。


 その走りは、ダメージが残っているらしく、速度はさっきよりもやや遅かったが、このまま立ち止まっていたら殺られる。そう思った僕は意を決して、ツヴァイに駆け寄った。駆け寄るのはどちらでも良かったが、より接近していたツヴァイを選んだ。


 ツヴァイが驚いたような表情を一瞬だけ見せる。けれどその表情は、僕を丸呑みにでもしようかと言うほど大きく開かれた口によってすぐに隠された。

 あと数歩も駆ければ接触するだろうと言う距離で、ツヴァイが飛び掛る。


 どうする。蹴ろうが殴ろうが、体が止まった瞬間には、後ろから迫ってこるドライの攻撃を受けるだろう。


 僕はツヴァイの下を潜るようにスライディングをした。頭上をツヴァイが通り過ぎていくと勢いの付いた体は止まらずに、そのままドライにぶつかり、互いに、「ギャン」という喚き声を上げた。


 巨体同士がぶつかり合ったんだその衝撃は凄まじいのだろう。ツヴァイとドライは互いに仰向けに倒れ、動物の弱点の一つともいえる腹を無防備にさらした。


 チャンスだ。追撃をしようとすぐに体勢を整えたその時、僕はアインスと目が合い、背筋から冷たい汗が噴出し、追撃の一歩を踏み出す事が出来なくなった。


 爛々と輝いた瞳からは恐怖を感じた。


 蛇に睨まれた蛙のように射すくめられた。


 怪人と言う上位の捕食者の瞳に、ヒーローになったはずの僕は、獲物と言う身分の人間だという事を思い出させられた。他の二体とは比べ物にならないくらいの威圧感と根源的な恐怖を呼び覚まさせる殺気を含んだ目。

 間違いなくこのアインスは強い。

 直感的に……いや、人間の本能がそう僕に警鐘を鳴らしていた。


「坊や、避けるのが上手いのね。ツヴァイ、ドライ、動物じゃないんだから、馬鹿みたいに噛み付こうとするばかりじゃなくて、殴り殺して、蹴り殺して、切り裂き殺して喰い殺しておやり」


「はいアインス様!」

「はいアインス様!」

 双子のように声は揃った。


 今度は二体同時に駆け出してくる事はしなかった。ゆっくりと間合いを詰めるように僕に近づいてくる。

 格闘技経験のない僕には、自分の間合いと言うものは分からなかったが、ドライが更に一歩踏み込んだ瞬間、背筋にぞわりと悪寒が走った。


 来る。


 次の瞬間ドライの右蹴りが僕のわき腹目掛け飛んでくる。


 その一発は左腕でガードしたが、腕に鉛が当たったような衝撃が走る。

 経験のした事の無い衝撃に顔をしかめていると、ツヴァイの追撃が迫った。顔目掛けての左のフックのような攻撃だったが、拳は握っておらず、鋭い爪で切り裂こうという攻撃だ。


 蹴りをガードした状態じゃ、避ける事はできそうになかった。

 ガードするか? 

 いや、この攻撃をガードすれば爪が突き刺さるかもしれない。噛み付かれた時スーツには傷一つ付かなかったが、僕はこのスーツの耐久力の事など何も知らないから、迫り来るこの爪から僕を守ってくれる確証などどこにもなかった。


 躱すことも受け止めることも選択出来なかった僕は、第三の選択。


 反撃に打って出た。


 とっさにツヴァイに前蹴りを繰り出す。力をこめる事はできなかったがツヴァイの体勢を崩させる事は出来た。


 攻撃は空振りに終わり、爪が眼前を通り過ぎると、次にガードした腕を払いドライの足を上に弾く。

 重心が上に跳ね上げられ、片足でよろめくドライの腹目掛け、腰の捻りをくわえた拳を突き入れる。一見鉄板のように硬そうな怪人の腹だが、まるでマシュマロを指先で押したかのように、拳が深くめり込み、ドライの口からは、「うげっ」と、呻き声が洩れた。

 

 致命傷ではないだろうが、拳がここまで深く突き刺さったんだ、ダメージ無しと言うことはないだろう。

 口からはまた血の泡がだらだらと垂れている。


 けれど解せないことがあった。

 痛みで呻くドライだというのに、その目は……笑みで歪んでいた。


 どうして笑えるんだ? 


 白目のほとんどない犬のような、怪人のガラス球のような黒目が僕の死を確信したかのように爛々と輝いている。その瞳には何が映りだされているのだ? 


 動物には人には見えない霊魂が見えるとテレビか何かで聞いた事があるが、まさか僕をあの世に連れて行く死神でも見えるというのか? 


 僕はドライの目を見つめ返すと、その黒目に反射され……僕と、怪人の姿が映し出された。

 背筋にゾワゾワと殺気を感じた。

 

 瞳の中の怪人は爪で僕の首を突き刺そうと手を引いていた。そこからはコマ送りのようにゆっくりと瞳の中の映像が流れた。

 

 ストレートの軌道での突き刺す攻撃が、僕に近づいてくる。


 振り返って反撃することも考えたが、僕はその攻撃をしゃがみ込んで避けることにした。


 急に的が消えたツヴァイの爪は止まることもできずに、僕の頭上を通りすぎ、勝利を確信した目をしたドライの首筋に付き刺さる。


 ドライの口からはまた血が飛び散ると、舌がだらしなく垂れ下がった。


「ドライッ!」

 ツヴァイの口からは悲痛な叫びが上がる。


 彼の視線は僕から完全に離れ、ドライに釘付けになっていた。


 僕はサイドステップでツヴァイの懐から抜け出し、軽く飛び上がり二メートルを超える高さにある即頭部目掛け、飛び蹴りを繰り出した。


 不意な攻撃にツヴァイの反応は遅れ、足は即頭部をきれいに捕らえた。

 ゴギャンと言う頭蓋骨が砕ける音と感触が耳と膝に同時に届いたが、僕は構わずに振り切ると、ツヴァイの首はゴキンゴキンという音と共に、ぐるんと半周ほど回り……ピタリと動きを止めた。


 口からはドライ同様に舌がだらしなく飛び出し、唾液の入り混じった白い泡を吹き出していた。


 ツヴァイはドライ諸共、その場に抱き合うように倒れると、もう動くことはなかった。


 残りは後一体となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る