第18話

 スーツにサングラス姿の高校生と、サングラスをかけたセーラー服の二十歳過ぎの女性の組み合わせは目立つんじゃないかと思いビクビクしながら歩いていたが、すれ違う人は振り向くこともせずに通り過ぎていった。目立つと思っていたのは僕の思い過ごしだったのだろうか?


 周りの目を気にしなくて言いと分かると、僕にも少し余裕が出てきたのでMに怪人の事を聞いてみることにした。


「あの、Mさん。公園に怪人がいるんですよね? それはどんな怪人なんですか?」


「今向かっている公園にいるのは、多分ハイエナの怪人よ。音ちゃんが感じたのは、鋭い牙と、鋭い爪、それに不恰好な広がった鼻を持った怪人みたい。この前のタコハーフよりもより怪人に近い姿をしているみたいね。チャーチのデータベースで検索してみたら、その条件にあった怪人の被害例、目撃例共に見つかったわ。ちなみに報奨金額は十五万よ」


 Mは振り返ることせずに一息で言った。


 十五万………それが高いのか安いのかはMの口調では判断する事はできなかったが、タコハーフよりも五万も高いという事は分かった。

 つまり、タコハーフよりも強いのだろう……。勝てるのか不安になり、ぶるぶると身震いがした。


 彼女はちらりと僕を振り返るとくすりと笑った。


「あら、怖気づいたかしら? 十五万程度の敵で怯えていちゃ先が思いやられるわよ。第二世代の敵でも、中には百万の報奨金を設けられているやつもいるのよ」


 百万のやつもいるのか。けれど、それがどれほどの強敵なのかは想像する事も出来なかった。今の僕にとっては、全ての怪人が強敵に思える。


「いえ、これは武者震いってやつですよ。大丈夫……戦えますよ」

 僕は虚勢を張った。さすがにそう何度も弱音を吐く訳にはいかなかった。


「それは心強いわね。音ちゃん、怪人は、公園で何しているか分かるかしら?」

 キャリーケースを目線の高さまで上げると、音ちゃんに話し掛けた。


「う~んと、怪人は今ご飯食べてるよ~」


 ご飯を食べている? 呑気な怪人もいるもんだな。

 僕は食事中の怪人になんと言って戦いを挑めばいいのだろうか? まさか戦い方を考える前に、戦いの挑み方を考える羽目になるとは思ってもみなかった。


 けれど、僕はMの一言で自分の考えの甘さを痛感した。


「あらお食事中なの? 音ちゃん怪人の食べているのは大人? 子供?」


「………ッ!」

 そうだ怪人は人を食べるんだ。優雅にランチを取っているなんて考えていた自分は、本当に馬鹿だ。


「うんと~、そこまでは分からないけど~。まだ食べているところをみると、大人だと思うな~」


 音ちゃんは食事のメニューを話すかのように気軽に言った。


「あらそう、まだ食べているなら、英雄君が不意打ちをするチャンスはあるわね。英雄君、作戦を授ける――」


「そんな場合じゃないでしょ!」

 僕の怒声がMの言葉を遮った。

「人が襲われているんですよ。早く行かないと!」


「英雄っち~急いでも無駄だよ~。だってもうその人死んでいるはずだもん」


「……ッ!」


 考えれば分かる事だった。怪人に襲われ喰われて、そんな長い時間生きていられる人がいるはずない。


「なんで……なんであなたたちは平気でいられるんですか! 例え死んでいたとしても、そのまま食べ終わるのを待つなんて、僕には出来ません」

 僕は拳を硬く握り締めMを見つめた。


「平気か。……私たちはもう慣れちゃったのよ。怪人の死にも人の死にもね。けれど、英雄君の言うことも分かるわ。この道をまっすぐ行って、信号を右折して進めば、左手側に公園があるわよ」


「えっ?」

 僕は間抜けな返事をした。

 彼女は僕を振り返ると腰に手を当て、「は~」っと、ため息を吐いた。


「分からない? 先に行きなさいって言っているのよ」


「……ッ! Mさん、ありがとうございます」


 そう言うと僕はMの横を走り抜けた。着慣れないスーツ姿だったけれど、体が羽のように軽かった。

 もしかしたらこれがスーツの力なのかもしれない。


 信号を右折すると、走って逃げる人達が見えた。僕はぶつかりそうになりながらも、その人達の間をすり抜けながら、最短コースを走り抜ける。


 公園が見えてきた。


 ドクンドクンッと、鼓動が高鳴り、心拍数が上がっていくのがわかった。それは走っているからだけではいだろう。


 走りながら入り口を探すが、ここからは公園のフェンスが見えるだけで、出入り口は見当たらなかった。

 入り口を探す時間も惜しかった僕は、地面を強く蹴りそのままフェンスを飛び越えた。それはまるで羽が生えたかのように、高い跳躍だった。


 僕は公園の中に降り立つと辺りを見回した。


 園内にはブランコや滑り台、シーソー、ベンチと、どこの公園にもあるような遊具に、人の腕、千切れた腸、どこの部位かも判らないような肉片、血溜まりがあった。

 鼻腔を突くような鉄臭い臭いが届き、喉の奥が熱くなり、胃液がこみ上げてくるのが分かった。

 今すぐにも吐き出して楽になりたかったが、それよりもやらなくてはならない事があると思い、ぐっと吐き気を抑え園内を見回す。


 怪人も生存者らしき人の姿は見えなかったが、滑り台の陰から、「ぐちゃっボリッぐちゃっ」っと、肉を揉みこむような音が聞えてきた。


 足音を立てないよう、恐る恐る回り込むように近づいていくと、そこには毛むくじゃらの怪人がいた。


 音ちゃんの言ったとおり鋭い牙と、鋭い爪、それに不恰好な広がった鼻を持ち、上半身は裸で、犬のよな黒い体毛で覆われていた。下半身はジーンズを履いていたが、丸太のようにパンパンに膨れ上がっていた。


 その怪人は僕のことに全く気づいていない様で、目の前の肉の塊に夢中でむさぼりついていた。四肢を失い頭部がかろうじてくっついている人の肉を。


 押さえ込んでいた吐き気がまた襲い掛かってきて、口の中には胃液の酸味が広がって行った。

 僕は深く息を吸い、吐き気を無理やり押さえ込む。


「やめろ!」

 喉が張り裂けそうなほどの大声で叫んだ。


 その声に怪人はゆっくりと顔を上げ、僕を見つめ立ち上がった。

立ち上がった怪人は、二メートルはあろうかというほどの巨体で、目は獰猛な肉食動物のように爛々と輝いていた。


「なんだお前?」

 怪人は口の中に残っていた肉を、喉の奥に流し込むと言った。


 怪人からはタコハーフにはない威圧感を感じた。


 震えるな。震えるんじゃないと自分に言い聞かせ、僕は怪人に近づいていった。


「ヒーローだよ」


「ぐごっ、お前みたいなチビがヒーロー? そんな格好で? お前、面白いこと言うな」


 怪人は不恰好な鼻を鳴らし笑った。


「面白いことかどうかは、今分かるよ」


 あと一歩で互いに触れられる距離までくると、ハイエナの怪人が先に動いた。鋭い両手の爪で僕に掴み掛かってきた。

 犠牲者の四肢を八つ裂きにしたのもこの爪でなんだろう。その爪には人の血と肉の塊がびっしりとこびり付いていた。


 僕はその手が届く前に、怪人の両手首を掴み返した。人の首ほども太い手首だったが、少し力を入れると容易に掴み止める事が出来た。


 怪人の顔には驚きの表情が表れる。


 軽く掴んでいるつもりでも、僕の細腕からは信じられないほどの力が発されていた。


 怪人は必死に腕を振りほどこうとしても、僕の手は離れる事はなかった。手首を掴む手に力を入れるとメキメキと骨の軋む音が聞えてくる。


 怪人の口からは、「うぐぉっ」と、悲鳴が上がった。


 振りほどこうとする怪人の腕の力が増したが、僕の手を振り解くほどの力はなかった。僕と怪人の力の差は歴然だった。凄い。このスーツの力は予想以上だ。


 業を煮やした怪人は、腕を振り解くのを諦め、鋭い牙で首筋に噛み付こうとしてきた。


 僕は掴んだ手首を離し、がら空きの腹部目掛け前蹴りを披露する。


 足がめり込み、怪人が吹き飛ぶが、足には段ボール箱を蹴り飛ばしたような軽い感触のみ返ってきた。


 怪人は地面に倒れ込むと、その場で呻き声を洩らし蹲っていた。


 この怪人、もしかして弱いのか? タコハーフから感じたような恐怖もこの怪人からはもう感じなくなった。けれど報酬が十五万だと考えると、タコハーフ以上の実力があるのは明白だった。

 と言う事は……怪人が弱いのではなく、僕が強いということか?  恐怖が薄れ僕は安堵の笑みを口元に浮かべる。


 怪人はよたよたと立ち上がり、口から食べた人間の血なのか、怪人自身の血なのか分からないが、赤く染まった泡を吐きだす。


「くっ、この餓鬼が。このドライ様馬鹿にしやがって! ぶっ殺してやる! うがぁぁぁぁぁぁっ!」


 怪人が吠え叫んだ。


 ドライと名乗ったハイエナの怪人は両手を地面につけ、四つん這いの体勢になると、そのまま一気に駆け出してきた。その速度はあまりにも速く目で追うのがやっとだった。

 僕が迎撃態勢を取るために、半歩身を引いた時には目の前にいて、次の瞬間には首筋目掛け飛び掛ってきた。


 避けるのは無理そうだ。僕はとっさに両手をクロスさせ、首をガードした。


 怪人の牙が腕にめり込み、鈍い痛みが走る。

 僕はがむしゃらに腕を振り回し、怪人を払いのけた。噛み付かれた所を見るがスーツに穴は開いてなく、血も出ていないようだった。

 良かった……怪人の牙の力よりも僕のスーツの耐久力のほうが上のようだ。


 けれどそれはスーツの話であって、むき出しの腕や首はあの牙に噛まれれば一溜まりもないだろう。

 それにスーツの耐久力がいくら上だといっても痛みはある。何発も咬まれ続ければ痛みで身動きが取れなくなるかも知れない。

 

 なんとかあの動きを見切り、避けるか反撃を返さなければ勝つどころか、生き残るのも厳しそうだった。


 怪人はスーツがよっぽど硬かったのだろうか顎を押さえながら、話し掛けて来た。


「お前のスーツ硬いな。この間喰ったヒーローのより硬いぞ」


 ヒーローを喰った? こいつが?


「ヒーローを喰ったって………本当か?」


「ああ、喰ったよ。あいつは美味かったぞ。肉は筋張って喰えたもんじゃなかったが、内臓がとても美味かったよ。あんなに美味い内臓はなかなかお目にかかれないぞ。この公園でも何人も喰ったが、あいつに勝るやつはいなかったな」


 怪人はぐごっと嬉しそうに鼻を鳴らし笑った。


 怪人の発言を聞いていると、自分の心がどんどん冷めていくことが分かった。


「お前は肉も美味そうだな。殺して、その硬い服を脱がしたら、全身くまなく喰ってやるよ」


 そう言った怪人の口からは涎が垂れていた。


 怪人が被害者と考えていた自分が馬鹿みたいだ、こいつらはただの加害者でしかなかった。


「……黙れ……」


「あん? 何か言ったか?」


「黙れ。もう喋るなって言ったんだよ」


「喋るな? じゃあ黙ってやるよ。お前の肉を喰らっている時にはきっと静かになるだろうからな」


 その言葉を聞いた瞬間心は冷め切り、高鳴っていた心臓も、ゆっくりとした拍動を示していた。


「もういい。お前は人を喰った……。その時点でお前に生きる権利はないよ。死ねよ」


 これ以上の言葉は聞く気にならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る