第17話
バスルームから出るとそこには、見つめ合っているMさんと音ちゃんの姿があった。Mさんの表情は険しく、険悪そうな雰囲気だった。
「……あの着替え終わりました………」
声を掛けると、Mと音ちゃんが同時に僕を見る。
「わ~英雄っち~似合ってるじゃ~ん」
音ちゃんはテーブルに飛び乗り、顎に手を当てしげしげと僕を眺めた。
「ええ、似合っているわ。馬子にも衣装とはこの事ね」
Mは僕を褒めた。いやこれはけなしたのか?
「ありがとうございます……。ところで今二人が険悪そうに見えたんですけど……何かあったんですか?」
Mと音ちゃんは見つめ合うと、Mが口を開いた。
「今、音ちゃんとその格好のとき履く靴は何がいいかって言う話をしていたのよ。私は黒のスーツなんだし、革靴が良いって言ったんだけど、音ちゃんはスニーカーが似合うって言っているのよね」
正直どっちでも良かった。そんなことで睨み合っていたのか………。女性の考えることは僕には理解できないな。いや音ちゃんは女性と言うか雌と言うべきなんだろうか? 考えてみれば、僕は音ちゃんの性別を勝手に女性と判断していたが、本人の口からはまだ何も聞いていなかった。
「え~。スニーカーのほうがカジュアルだし~、動きやすくていいよ~。英雄っちはどっちがいい~?」
正直どっちでも良かった。とりあえず僕は曖昧な返事をするという選択肢を選んだ。
「どっちもこの服には合いそうですね。でも今は革靴を持っていないんで、今日のところは履いてきたスニーカーで行きますね」
「そうね。今はないから判断が出来ないわね。音ちゃん、どっちがいいかは、革靴を用意してからまた話しましょうね」
「うん、そうしよ~」
どうやらこの不毛な会話を終らすことができたようだ。
「とりあえず英雄君、今日はその薄汚れたスニーカーを履いていきましょうか」
僕のキャンパス生地のスニーカーがバカにされた。新品とはいえないが、靴用のブラシで定期的に洗っているので、綺麗に履いているほうだと思うが。
「ところで、ネクタイはどうしてつけていないの?」
Mは僕の胸元と握ったネクタイを交互に見ると小首を傾げ聞いてきた。
「いや、ちょっと巻き方が分からなくてそれで……」
「そういえば英雄君の制服は、今は珍しい時代錯誤の学ランですもんね、分からなくても仕方はないわね」
「学ランは断じて時代錯誤なんかじゃありません。全国の学ランの高校生に謝ってください! そもそも僕の学ランが時代錯誤ならMさんのセーラー服はどうなんですか? セーラー服の方が今は珍しいんじゃないんですか?」
そんな僕の疑問にMはクスッと笑う。
「全然珍しくもないわ」
僕の市にはもうセーラー服の高校はないが、他の市にはあるということなんだろうか?
「英雄君セーラー服なんかドンキでも買えるし、ネットならいくらでも高値で売っているのよ!」
声高々に言った。
それは声高々に言うことか?
「ドンキで売っているのはコスプレ用のやつですし、ネットで売っているのは発言を控えさせてもらいます!」
まだ高校生の僕には発言できない領域だから、発言を控えることをご了承ください。
「発言しないなんて面白くないわね」
あなたが面白くなくても、僕はピュアで純情な少年キャラでいたいんだ。発言などするものか!
「……まあ冗談はこのくらいにして、さっさとネクタイを締めましょうか。今日は私が結んであげるから、明日からは自分で結べるようにしてね」
Mは僕の手からネクタイを奪い取ると、目の前に立ち、ワイシャツの第一ボタンと第二ボタンを外し、襟を立てた。
「……ッ!」
かっ、顔が近い!
僕とMの身長はほとんど変らない。そのため、ネクタイを結ぼうとするMとの顔の高さが同じで緊張してしまう。顔が赤くなりそうだ。
うわ~、Mの睫ってこんな長いんだ……など邪念が頭に浮かんでしまう……。
「英雄君……こんな風にネクタイを結んであげていると……」
なんだろう? 夫婦みたいねかな? Mも可愛いこと考えるんだな。
「まるで絞殺しているみたいね。ドキドキしちゃう」
そう言ったMの恍惚の表情を見て、僕はビクッと身震いしてしまった。全然可愛くない! て言うか、恐ろしすぎるよMさん……。
「あっ、英雄君動いたらダメよ。頚動脈が絞まる直前なんだから!」
「ネクタイを締めているんですよね! ネクタイを締めて頚動脈絞まるっておかしいでしょ!」
僕は怪人と戦いに行けるんだろうか……戦いに行く前に別の世界に逝ってしまいそうだよ……。
「冗談よ。はいっ終わったわよ」
「えっ? もう終わったんですか?」
胸元を見て見るとしっかりネクタイが結ばれていた。
「こんなのすぐに出来るわよ。ネクタイなんて猿でも簡単に結べるわよ……あっごめんなさい、英雄君は結べなかったから、猿以下の脳みそだってことが露見しちゃったわね」
ピキピキッと血管が音を立てて浮き出てくるのが分かったが、僕は気持と血圧を必死に抑える。
「ネクタイを結んでくれて、ありがとうございます」
頭を下げた。
「脳みその入っていない軽い頭だからって、そんな大した事していないんだから、深々とお辞儀しなくていいわよ」
ピキピキッ。僕は頭を下げたままその言葉を受け入れた。今はまだ顔を上げるわけには行かなかった。
この怒りにまみれた表情は人に見せるものじゃない。
「英雄君、いつまで軽い頭を下げているの? 着替えも済んだことだし、早速怪人の討伐に行こうと思うんだけど」
僕ははっとし顔を上げた。そうだ僕はこれから怪人と戦いに行くんだ……こんな所でふざけている場合じゃなかった。
「やっぱりもう行くんですね……?」
「ええそうよ。英雄君は先に降りて待っていてちょうだい。私と音ちゃんも支度をしてすぐ降りていくから」
「Mさん達も一緒に行くんですか? 僕はてっきり無線で連絡を取り合うのかと思っていましたよ」
ブルーの時は無線での連絡だったので、僕もそうなのだろうと思っていたが、どうやら違うようだ。
「普通は遠隔から指示するだけなんだけど、英雄君はまだヒーロー見習いみたいなものだから、慣れるまでは近くで直接指示をだすわ」
「音ちゃんも一緒に行くよ~。怪人が人型に化けていても音ちゃんなら正確に分かるもんね~」
Mと音ちゃんが一緒に居てくれるのは心強かった。
的確な指示をくれるだろうことも、怪人を見つけてくれることもありがたかったが、なにより二人がいてくれれば、背中を押してくれれば、僕は逃げずに戦うことができるような気がした。
「わかりました、先に降りて待っていますね」
僕はMさんが馬鹿にしたお気に入りのスニーカーを履き部屋を出ると、エレベーターに乗り一階を目指した。
なぜかエレベーターの速度はいつも以上に遅く感じた。一階一階下っていくごとに心拍数が上がっていき、握りこんでいた拳の中が手汗で湿っていった。
手汗をズボンの裾で拭いたかったからが、頂いたばかりのスーツを汚したくなかったので、僕は耐えることにした。
エレベーターから降り、外に出ると、強い日差しが照りつけてきた。
「……眩しい」
今は何時くらいなんだろう。時間を知りたかったが、時計は付けていないし、携帯は制服のポケットの中に入れていたので、確認する事は出来なかった。
が、太陽を見てみると高い位置にあるので、ちょうど正午くらいだろうか。そう考えるとMと三時間近く話していたことになる。
そんなに長く話していたのか……エレベーターの中とは打って変わって、時間の流れを速く感じた。
会話の内容は怪人、武器、『チャーチ』の話だったけれど、自分はその話をどのくらい理解したのだろうか。多分半分も理解していないし、納得もしていないと思う。
話を聞けば聞くほど、僕は怪人が悪だとは思えず、ただの被害者としか思えなかった。戦争のために作られたけれども、失敗作とみなされ処分される事になった。
そんなのただの犠牲者だ。もし、僕が彼らの立場だったなら、自信を怪人に作り上げた者達を許すことはできるだろうか……。
きっと出来ないだろう。僕も復讐する道を選んでいたと思う。
武器にだって納得はしていなかった。怪人を倒すために、怪人の皮膚、そして怪人の能力を使い戦うというのは、同属殺しをさせているようで気が引けた。
けれど、僕には戦うという選択肢しか残されていないことも分かっていた。僕はブルーの運命を捻じ曲げてしまった……一人だけのうのうと生きていくことなど許されない。
「僕は戦うしかないんだ………」
僕の独り言に背後から返事が返ってきた。
「そうよ英雄君。あなたも私たちも、戦うしかないのよ」
いつの間にか後ろには猫用のキャリーバックを持ったMが立っていた。キャリーバックの中には音ちゃんが入っている。
Mは着替えて来ると言っていたが、服装は先程同様、黒いセーラー服のままで、唯一違うのはサングラスをかけているという一点のみだった。
Mが後ろに来たことも気づかないくらい、僕は長々と考え込んでいたようだ。
「英雄君おまたせ。それじゃ早速行こうと思うんだけれど、その前にこれをかけてちょうだい」
Mはスカートのポケットから薄い茶色のサングラスを取り出し僕に手渡した。
「僕もサングラスをかけるんですか?」
「素顔で怪人と戦うつもり? すぐにネットに載せられて、顔バレしちゃうわよ」
確かにニュースやネットではヒーローの映像がちらりと映ることはあった。家族や友達にヒーローをやっているとバレるのは勘弁だったので、Mの言葉に従いサングラスをかけた。
「あら英雄君、似合うわよ。馬子にも衣装って――これはさっき使ったわね。掃き溜めに鶴って感じよ」
誰の顔が掃き溜めだ。確かに僕はイケメンとは言われる部類の顔ではないが、クラスの女子からは可愛いと、結構言われているのに………と、Mの毒舌に挫けぬよう自分で自分をフォローした。
「でも、このサングラスじゃ、そこまで顔を隠す効果はないんじゃ?」
サングラスを付けたはいいが、レンズの透明度が高く、そこまで隠しているようには思えなかった。
「大丈夫よ。それに真っ黒のサングラスは、英雄君みたいな小さい子には似合わないわ! あれは小さい子ではなく、大人のワイルドな男性がかけて初めて意味を成すものよ。英雄君みたいな小さい子が付けても仮装にしか見えないわね」
ピキッとまたもや血管が音を立てる。
「何回小さい言うんですか! 僕はこれから背が伸びるんだよ! そのうちあんたを追い越して、見下ろしてや――」
僕が言い終わる前に、彼女は背中に手を入れ、小ぶりな抜き身の刀を取り出し、僕の喉元に突きつけた。一連の動作はとても素早く、瞬きも許さないほどだった。
「英雄君、タメ口はダメだって言ったでしょ。次に言ったら血抜きするわよ」
首筋に当てられた刀は、唾も付いていない無骨なつくりの刀で、長さから見て脇差に分類されるものだろう。
首筋に当てられた刀からは、冷たさが伝わってくる。
真剣を持つ彼女の口元には、笑み一つない真剣そのもので、謝らなければ斬るという意思を物語っていた。
「……すいませんでした……もうタメ口なんて利きません」
「じゃあ許してあげる」
そう言うと、首筋から刀を離し、また背中に手を入れると鞘を取り出し、刀を納めた。
「あ~あ。英雄君のせいで、せっかく背中に刀を仕込んだのにダメになっちゃったよ」
彼女は唇を尖らせ愚痴った。その様子はとても可愛らしく、ついさっき、人に刀を向けていたとは思えないほどだった。
「なんで刀を仕込んでいたんですか?」
「これはあなたの刀よ。当たり前だけれど、こんな物持ち歩いていたら、すぐに警察に呼び止められて、職務質問されちゃうわ。だからわざわざ私が持ち歩いてあげようと思ったのよ」
「でもブルーはそのまま持っていたように思うんですけど………。それにその刀、ブルーの刀よりも短いような気がするんですが……」
ブルーの刀も唾は付いていない日本刀だったが、僕の刀よりはるかに長かった気がする。
「ブルーは見るからにヒーローって感じじゃない。そんなブルーに職務質問をかける勇気のある警察官なんていないからよ。それに長さについては小学生並みの英雄君の身長を考えて、わざわざ脇差を選んだのよ」
血管がピキッピキッと浮かび上がってくる。「そこまで、ちっちゃくない」そう言ってやりたいが、刀を突きつけられたばかりなので、僕は無言でいるしかなかった。
「でも、この刀をまたしまうのは面倒だから、英雄君の腰にでも刺して持っててもらってもいいかな? 背中側に刺して上着で隠せば見えないでしょう?」
彼女から刀を手渡された。初めて持つ刀は予想以上に重かった。これが命を刈り取る重さなんだろう。
腰に挿して上着で隠してみたところ、少し動きにくくはなったが、目立ったりすることはなく、問題はなさそうだった。
「問題はなさそうね。それじゃ英雄君、さっそく怪人の元に行きましょうか。音ちゃん案内よろしくね」
「うん任せて~。Mちゃん、まずは近くの公園に行こうか~」
キャリーバックの中から音ちゃんが答えた。
「ええ、分かったわ」
返事を返すとMは歩き出した。
僕もその後ろをついて歩いた。
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