第9話

 Mの足元には野良猫だろうか、白い猫が座っていて、僕の姿を見つけると走り去っていった。


「Mさん」と、呼び掛けようとしたが、Mの様子を見て言葉を飲み込んだ。


 彼女はサングラスを外し、流れ落ちる涙をセーラー服の袖で拭っていた。

 サングラスを外した彼女は、幼い顔をしていて、どう見ても僕と同年代にしか見えなかった。そんな彼女が相方であろうヒーローに、別れを告げるという重圧に耐えられるはずがない。


 僕はゆっくりと彼女の前まで歩み寄ると、気づいた彼女はいそいそとサングラスをかけ直す。


「何よ。近寄らないでくれる」


 サングラスでその目は見えなくなったが、きっと睨みつけているのだろう。


「ごめん。でも……どうしても聞きたいことが一つ、いや二つあるんだ。質問しても良いかな?」


 彼女は立ち上がると腕を組む。


「何?」

 相変わらず偉そうな態度だったけれど、泣いている姿を見た後では、それが強がりだと言うことがはっきりと分かった。


「さっき三百万の損失が出たって言ったけれど、それはブルーが払わなければならないの?」


「二百九十九万五千よ」

 数字に細かいのか、金額を訂正する。

「損失が出た分は自分で払わなくてはならないわ。損失が出たら普段なら別な怪人を倒して補填するのだけれど、青はもう戦えないでしょうし、別の回収法を検討するしかないわね」


「別の回収法って?」


「それも質問かしら?」

 彼女が聞いてきた。


「いや、答えなくていいよ」

 僕は最初に二つの質問をすることの許可を得たが、ここでもう一つ質問をすれば、本当に聞きたい二つ目の質問の答えが返っては来ないような気がした。

「二つ目の質問は、僕がヒーローになってブルーの損失分の支払いと、入院費の支払いをすることはできますか? だね」


「………」

 彼女は沈黙した。


「………」

 僕も合わせるように黙りこくった。彼女が口を開くまでは待とう。


 互いに沈黙が続く。


「本気で言っているの?」

 そう言うと、サングラスを外し射抜くような目つきで僕を見た。


「ああ本気だよ。ブルーには恩がある。鶴でも猫でも恩返しをするくらいなのに、人間の僕が恩返しをしないわけにはいかないだろ」

 僕はMから目を逸らさず言った。


「死ぬかもしれないわよ」

 声に怒気がこもる。


「……死なないよ。君たちの法律じゃ怪人に捕まった時点で僕は死んでいるんだろう? 死んだ人がいたとしても、二度死んだ人間なんか、僕は聞いた事はないね」


「………」


「………」


 また沈黙が訪れた。その間もMは、僕を射抜くような目で見続けていた。


 恐い。同年代の少女がどんな経験をすればここまで眼光鋭い目をすることが出来るのだろうか。


 僕の本能が目を逸らせと言ってくるが、心に活を入れ見つめ返す。ここでもし目をそらせば心の弱さが露見し、ヒーローになるという道は絶たれると思ったからだ。


「あなたはキリストも知らないようね。こんな馬鹿の面倒を見なくちゃいけないなんて先が思いやられるわ」


 Mは肩を竦めると、呆れたかのような笑みを僕に向けてきた。


「えっそれってどういうこと?」


「あなたはそんな事も知らないのね。キリストはゴルゴダの丘で磔刑になり一度死んだけれど甦り、その後二度目の死を迎えたのよ」


「それは知っているよ! 僕が聞きたいのはその後の方で……つまり僕はブルーの替わりに戦えるの?」


「ええ、そうよ。あなたがヒーローになる事を認めてあげてもいいわ。けれどそれには三つ条件がある。それを呑めるって言うんだったら、あなたを私の新しいパートナーにしてあげるわ」


 条件付ではあるがMは僕がヒーローになる事を認めてくれた。


「その条件ってなに?」


 彼女は指を一本立て話した。

「条件その一。あなたは二度とブルーには会わない。ブルーにも自分の治療費の支払い、負債の返済をあなたがしているとは伝えない事」


 僕は迷った。ブルーにはもう一度会ってお礼を言いたかったからだ。


 答えることが出来ずにいると、Mはその条件の補足をした。


「まず、ブルーはあなたみたいな子供が、ヒーローのように危険な仕事に着く事を認めないでしょうし、危険を侵して得たお金を頂こうとはしないはずよ。その代わり私が毎月、協会から保険と生活費が下りるようになったと偽って、お金を渡すわ。あなたが会ってはいけない理由は、ブルーがどんなに人が善かったとしても、いずれあなたを恨むようになるかもしれない。歩けなくなれば、いくら非がなかったとしても、気楽に歩いているあなたを恨むようになるかもしれないからよ。彼に恨まれるのは私一人で十分」


「それこそ会わなくちゃいけないよ。Mさんだけが恨まれるなんておかしいよ!」


 声を張り上げ言うと、「黙りなさい」と、一喝された。


「私とブルーが何年チームを組んできたと思っているの。そして、これまで私がブルーにどれだけの事をしてきたと思う? 恨まれるのが当たり前の事をし続けてきたのよ。あなたを撃てと言ったのもその一例にしか過ぎないわ。恨まれるのは私一人で十分。そして、この役は誰にも譲る気はないわ」


 Mの迫力の前に僕はただ肯く事しか出来なかった。そしてMの言葉から、二人がどれだけの信頼関係を築いてきたのかも分かった。Mはもう二度と会う事はないと言ったが、それでも繋がりだけは捨てたくないんだろう。たとえ恨みだとしても。


「条件一は了承してもらえたようね。じゃあ次ね。条件二」

 そう言うと人差し指と中指の二本の指を立てた。

「私の指示には絶対に従ってもらう。私は任務達成率が高く、且つコストパフォーマンスのいい作戦を立て指示を出すわ。あなたにはそれを実行してもらう。それが何故かは分かるわよね? 今回のような事が起きないためよ」


「その条件も呑むよ。けれど一つだけ僕からも条件を出しても良いかな?」

 僕も指を一本立てる。


「条件はなに?」


「僕が戦う作戦の最優先事項に、人命を救う事を第一にしてもらいたいんだ」

 それは僕が絶対に引けない事だった。


「人命を一番に考えていたら、あなた近いうちに確実に死ぬわよ。それでもあなたは人命を救うを事を最優先にすると言える?」


「もしそれで自分が死ぬとしても、僕は人を殺したりなんかしない」

 僕はMを睨みつける。


「………」

 Mも無言で僕を睨み返す。


「……あなたは自分の命よりも人の命のほうが大事なの?」


「僕は……自分の命のほうが大事です」


「そう……それならこの条件は――」


「でも」

 僕はMの台詞を遮った。

「自分の命を守るために誰かを犠牲にする事なんて僕には出来ません。僕は弱い人間なんですよ。命が助かっても、人を犠牲に生き残った……その重みに負け心が死んでしまいます。僕は心が死んで生きていく事は出来ないと思います。だから……それで死ぬことになっても、僕は誰も犠牲になんかしません」


 ブルーが怪我を負った事を知り僕の心は痛んだ。今までどんな怪我を負っても痛みに耐えることが出来た僕だけれど、この痛みは耐え切れないほどズキズキと胸を傷つけた。もし、誰かを自分のせいで殺してしまったら、きっと耐えられない。


「だから約束してください。人命優先の作戦を立てるって」


「………引かないみたいね。いいわ。優先事項に、誰も死なないと言うことを入れておいてあげる」


「本当ですか!」


「ええ。本当よ。私は、約束は守る女よ」

 そう言うと彼女は中指も立てた。

「最後に条件その三……の前にあなたに聞きたい事があるの。今いくつかな?」


 今までシリアスな質問が続いた後なので、僕はその質問の意図が読み取れなかった。


 なんだろう、ヒーローに年齢制限でもあるのか。これはサバを読んだほうがいいのだろうか。でも偽ったところで後々ばれたら面倒だ。ここは正直に言ったほうがいいのかな? 


 まるで水商売の仕事を始めようとする、家出少女のような考えをし、僕は年齢を正直に答えた。


「十五歳です」

 十二月生まれなのでまだ十五歳だ。


「じゃあ中学三年生? それとも高校一年生かしら?」


 高校の制服を着ているが、僕の学校は学ランなので判別が付かなかったようだ。

「高校一年です」


「高校生なのね。私たちの協会は義務教育が終了していれば雇用することが出来るから、大丈夫そうね」

 そう言うとMは僕をまたじろじろと見た。

「雇用条件に身長が百六十cm以上と言うのもあるけれど……あなたはギリギリ大丈夫そうね」


 Mは僕の気にしている事を言った。


 身長の事は言うなよ……。気にしているんだから。


「あれ? もしかしてギリギリアウトかしら?」


「余裕でセーフだよ!」


 確実に、僕が身長を気にしているこ事を分かって言っているのだろう。顔が明らかに笑っていた。身長のことをこんなにバカにされたのは久しぶりのことだ。それも自分とほとんど目線が変らないような子に言われるなんて……。


「で、条件三ってなんなの?」


 これ以上身長トークはしたくなかったので、僕は話題を変えた。言葉遣い、口調共に溢れ出んばかりの怒りを抑えることが出来ず、荒い物言いにはなってしまったが。


「そうだったわね。条件三は、私にタメ口を利かないこと。次にさっきみたいなタメ口を利いたらぶっ飛ばすわよ」


 そう言ったMの表情は一見笑顔に見えたが、目だけは全く笑ってなかった。


 その表情が、発言が嘘偽りのないものだと物語っていた。Mの睨みつけるような目や、怒った顔も見てきたが、この表情が一番恐ろしかった。ああいう表情を冷笑と言うのだろうか……。


 とにかく口の利き方には気をつけようと心に誓い、「わかりました」と、答えた。


「じゃあ条件は全て呑んでくれるのね。いいわ。あなたがヒーローになることを認めてあげる。改めまして、私の名前は織江夢おりえゆめ。ヒーローのマネージャー、通称Mよ。よろしくねヒーロー君」


 Mは僕に右手を伸ばした。さっきとは違い僕は銃を持っていない。今度こそ握手で間違いないだろう。


「僕は駒野英雄。今日からヒーローです。よろしく」


 自分でヒーローと言うのは少し照れくさいなと思いつつも、僕は彼女の手をとった。


 次の瞬間僕の体に電気が走った。女の子と手を繋いだからだとか、運命を感じたからだとかの比喩表現ではなく、電気が体中を駆け巡ったのだ。


「うぎゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃっ」


 公園に悲鳴がこだまする。まるでスタンガンを押し付けられているかのような衝撃を感じていたが、スタンガンによる電撃なら、手を握っているMにも届いているはずだ。けれど彼女は全く動じていなかった。


「さっきタメ口は利かないって言ったよね。私五つも年下の子にタメ口を利かれて許せるほど大人じゃないのよ。よろしくじゃなくて、よろしくお願いしますってちゃんと言ってくれない?」


 彼女の顔にはまだ冷笑が浮かんでいた。


 電撃はまだ止まらない。


「よっ、よろひくお願いします」


 電撃の中、ろれつの回らない舌を懸命に動かし言うと電撃は止まった。


「はあはあ」と、荒い息が止まらないし、指先の痺れも全く治まらなかった。


 ブルーがあんなに従順だった理由が分かった気がした。笑顔で電撃を加えるなんて狂気の沙汰だ。


 何が、「Mと呼んで」だ。彼女はただの「S」だ。

 けれどそんな思いを口に出す事は出来なかった。言いたい事、聞きたい事はまだまだあったが、今日は追及するのはよそう……次に電撃を喰らえば命の保障はないだろうから。


 怪人とはなんなのか、会話に出てきた協会とはなんなのか、格闘経験のない僕でも怪人とは戦っていけるのか、そして僕より五つ年上なのになぜセーラー服を着ているのか、なぜ二十歳の女性がセーラー服を着ているのか。


 聞きたい事はまだまだあったがゆっくり聞いていくとしよう。僕とMの戦いはこれから始まるのだから。


「英雄君、あらためてよろしくね」


 Mは握りしめていた手を放すと、財布から名刺を取り出し僕に差し出した。


 名刺は簡素なもので名前と住所のみ書かれていた。


「明日の九時にこの住所の所まで来てちょうだい。詳しい話はその時にするわ」


「今日はもういいんですか?」


「ええ。英雄君も怪人に襲われて疲れているだろうし、私もやらなければならない事が山積みだから、明日にしましょう。それじゃあね」


 僕の返事も待たず会話を切り上げると、Mは僕に背を向け歩き出した。


「よろしくお願いします」

 小さくなっていく背に僕は頭を下げた。


 僕を殺す指示を出した女性に。


 僕に恩を返すチャンスくれた少女に。


 僕のこれからのパートナーであるMに。深々と頭を下げた。


 こうして僕の平穏無事な生活は終わりを告げた。


 これが僕の一日目の話。

 ただの高校一年生が怪人に襲われて、ヒーローを目指すお話。


 まだ、僕に何の変化もおきてはいないよ。


 肩書きが変わっただけ。ヒーローに。


 さあ、後二日。僕はどう変るのか? はたまた変わらないのか? 

 考えるのは二日目の話を聞いてからでもいいかもしれないね。


 それでは二日目の話しよう。


 初めてヒーローとして怪人を殺した日の話を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る