第5話
歪んだ顔の歪んだ口が開かれると、涎が溢れ出てきた。
人間と変わらないような顔をしながらも、人間では考えられないほど口を広げ怪人は迫って来る。
後一歩で僕に触れる距離までやってくると、ゆっくりとタコハーフの蛸足が僕に向かって伸びてくきた。
ゆっくりとゆっくりと。
僕を捕まえるまでの時間が悠久のように感じた。
おぞましい手が伸びてくる。
僕の人生を終らせるであろうその手が。
あざ笑うかの様な嫌らしい笑みを浮かべ近づいてくる。
僕の人生を終らせるであろうその者が。
近づくにつれ心は恐怖に支配されていく。
僕の人生に死という終焉をもたらすその恐怖が。
近づいてくる。
その手が。
近づいてくる。
その者が。
近づいてくる。
その恐怖が。
ズズッ。
近づいてくる。
その死が。
近づいてくる。
死が。
近づいてくる。
僕は硬く目を瞑り、死が訪れるのを待った。
近づいてくる。
近づいてくる。
近づいてくる。
ズズズッ。
近づいてくる。
近づいてくる。
近づいて……………………………………………………………………来ない。
待てど死は訪れなかった。
恐る恐る目を開けると、眼前には怪人の蛸足があった。
その後ろには怪人の横顔が見えるが、怪人は僕を見ていなかった。
僕はその目線を追ってみると、先程まで倒れて動かなかったはずのヒーローが立ち上がっていた。
ヒーローは……生きていた。
「少年よ待たせたな……昨日徹夜だったせいか……少し寝てしまったよ」
ヒーローは強がるように語った。いや、ようにじゃなく実際に強がっているんだろう。
その声は震え、言葉として発すのがやっとと言った感じだった。
つまり……普通の声を発することもできないほどのダメージを受けたという事。これから戦うどころか、動くのもやっとなのだろう。
「あらヒーローちゃん生きていたの? 息もしていなかったから、死んだのかと思っていたわ」
「少年の声が、私を死の淵から呼び戻してくれたよ……。さあタコハーフ……鎮魂歌レクイエムの最終楽章を共に奏でようか」
そう言うとよたよたと足を引きずりながら、怪人に近づいてくいく。その様子は痛々しく、今にも倒れそうだった。
「無理だよヒーロー。僕のことはいいから逃げてよ」
頼む逃げてくれ。僕のせいで傷つく事は……僕のせいで死んでしまう事は……もう耐えられなかった。
「少年、私には逃げられない訳があるのだよ。……ヒーローは逃げてはいけないのだよ」
「そんなの理由にならないよ! 僕の事はもういいから逃げてよ!」
「少年! ヒーローが逃げたら人々を誰が守るんだ。君達の笑顔を守るために私達ヒーローがいるんだ。そのためにならこの身がどんなに傷つこうと構わない。本当に苦しいのは心の傷だ。君達を守れなかった時の心の傷に比べれば、体の傷など――苦でもなんでもない!」
「……ッ!」
言葉が胸に響いた。青の全身タイツ姿だというのに、傷付きながらも戦おうとするブルーはかっこよく見えた。
「さあ少年、君が言う言葉は逃げてではないだろう? 君の本当に言いたい言葉を言ってごらん?」
「……助けて…………助けてよヒーロー!」
「もちろんだ。君はこの『止らぬ正義ジャスティスブルー』が助ける!」
そうヒーローが……『止らぬ正義』が言った。
「ヒーローちゃんカッコいいー。でもあなた……死にかけの体で私を倒せるなんて思ってるの? 甘いわ甘い。マカロンに生クリームとハチミツをどっさリかけるよりも……考えが甘いわよ」
「それはどうかな」
ヒーローはゆっくりと歩きだし、マスクに手をあてる。
「Mすまない。敵が予想以上の強さだ……ああ、内臓を少しやられた……スーツの光学式化と念のためライフルの使用許可をくれ。……わかっている使うときは……一発でしとめる……」
マスクから手を放し僕を向く。
「少年もう安心したまえ。今助けに行くよ」
その言葉を合図にするかのように、ヒーローの体は青白く発光した。
なんだあの輝きは。目が眩みそうで僕は手で顔を覆おうとしたその時、ヒーローは駆け出した。
その動きはさっきまでの弱っていた動きではなかった。力強く、そして圧倒的に速かった。初めに怪人に駆け出したときよりもずっと速い。
「速っ――」
速いと怪人が言うよりも早く顔を蹴り飛ばしていた。怪人は口から血飛沫を飛ばしながら吹き飛び、僕の視界から消えた。今までの蹴りとは段違いの威力だった。
僕は突然強くなったヒーローに驚きながらも怪人を振り返ると、怪人が顔を抑えながら立ち上がる瞬間だった。一撃必勝とは行かなかったようだが、先程の一撃は相当なダメージを与えたらしく、怪人の足はがくがくと震えていた。もう立っているのがやっとと言う様子だ。
「はぁはぁは……なんなのよその光は……いきなり強くなるなんてズルイじゃない!」
「これが私の全力だよ」
そう言うとヒーローは大地を蹴り高く飛びあがり、宙で一回転し怪人へ飛び蹴りを繰り出した。光る足が怪人の複部にめり込むと、屈強そうな腹筋を突き破り鮮血が上がった。
「んがぁぁ」
絶叫をあげ怪人は吹き飛び、地面を何度も転がった。アスファルトを剥がしながらも何度も何度も地面に叩きつけられ、電柱にぶつかるまで止まらなかった。
倒れた怪人は腹から血を噴出し、白目をむき出しにしピクリとも動かなかった。
死んだのか?
ヒーローは怪人が立ち上がらないのを確認すると、「終った」と呟いた。すると体を包んでいた光が視界を奪うほどに発光し、線香花火が消えていく時のように光がしぼみ、そして消えた。
元の青い色のスーツ姿に戻るとヒーローは崩れ落ちるように、その場に倒れこんだ。
「ブルー!」
僕はヒーローをブルーと呼び全速力で駆け寄った。
「少年もう安心だよ。怖い思いをさせてしまい申し訳なかった」
彼は震える声で言った。
「そんなことないよ。ブルーのおかげで僕は助かったんだよ」
「そう言って貰えると嬉しいよ」
そう言うと彼は起き上がろうとしたが、「うっ」っと、言う呻き声をあげ、また倒れこんだ。
「ブルー大丈夫?」
「ああどうやら起き上がるのは無理そうだが、今Mを呼ぶから大丈夫だ。少年すまないが、水か何か持ってないかな? 喉が乾いてしょうがないんだ」
飲み物と言われても、今の僕は手ぶらだったので、与えられるようなものは何もなかった。通学用の鞄にはペットボトルのお茶が入っていたと思うが、怪人に襲われたときに落としていて今はどこにあるのか検討も付かなかった。
まあ中にはお弁当箱とペットボトルくらいしか入っていないし、携帯や財布と言った貴重品はポケットに入れて持ち歩いているから、最悪見つからなくても大丈夫ではあるかな。
そう思ったときに怪人の言った言葉を思い出した。そこの自販機でカフェオレでも買って待っていてという言葉を。
そうだ近くに自動販売機があるはず。僕は辺りをキョロキョロ見回すと、ブルーの捨てた銃と刀のそばに自動販売機がある事に気づいた。僕とブルー、怪人、自動販売機と言う位置関係で、怪人の前を通らなければ辿り着けない場所にあるが、怪人は事切れたのか、身じろぎ一つしなかった。
「今、水を買ってくるよ」
ブルーに伝え、恐る恐るではあるが自動販売機を目指し歩みだす。
恐怖を感じながらも怪人の前を通る。
その時チラリと怪人に視線を送る。八本の蛸足は力なく地面に横たわり、スキンヘッドの強面の顔の大きな口からは五十センチは優にありそうな長い舌が垂れ下がっていた。
死んでいる。
僕はそう確信し、警戒しつつも歩を進め自動販売機に向った。
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