第3話
「ほらこっちにおいで」
怪人が蛸足で手招きをした。
応じる訳ない。頭ではそう思っていたというのに、恐怖に支配された僕の足はゆっくりとだが一歩一歩怪人に向って歩を進めた。
ダメだ……止まれない。
もう助かるためにはヒーローが怪人を倒すしかなかった。
ヒーロー……助けて。すがる思いで僕はヒーローに視線を送った。
すると、ヒーローは膝を曲げる、伸ばすを繰り返していた。要するにストレッチをしていた。
「なにしてんの!」
怪人に捕まってから初めて僕は声を発した。
「あら可愛い良い声。私キュンキュンしちゃう」
「うるさい黙れ!」
僕は今日初の怒声を発した。
「あら、エスっ子ちゃんだったのね。ますます吸盤がキュンキュンしちゃうわね」
怪人は、体をくねらせながら舌なめずりした。
「黙れ変態」
怪人に向かい一喝し、ヒーローに向き直る。
「ちょっと、ねえ、あんた何をしてんだよ」
僕はヒーローを指差しながら歩み寄った。
理解不能の行動が僕の恐怖を振り払ってくれらしく、震えていたはずの足は、今ではどすどすと足音を立てながら歩くことが出来た。
「急に動いたら足を攣ったり、肉離れになったりしてしまうから、ストレッチは欠かせないのだよ」
ヒーローはストレッチを続けながら言った。
「お前はどこのアスリートだよ! 戦う前にストレッチをするヒーローなんて聞いたことないよ! おい人が話をしているんだから、ストレッチを止めて話を聞けよ」
「はっ、はい!」
僕が怒鳴り散らすと、上官を前にした軍人のように直立不動の体勢を取った。
「あんた本当にあの怪人倒せるの? あんたが負けたら、僕殺されちゃうんだよ。まだ十五歳なんだよ。やりたいことも、したいこともいっぱいあるんだよ。頼むよ、助けてくれよ。うちは父子家庭だから僕がいなくなったら父さんが一人になっちゃうんだよ。今年は旅行に行こうかって話もしてたし……旅行どころか遠出だって今までしたことなかったから凄い楽しみにしていたんだよ……頼むよ……死にたくないよ…………助けてください」
後半は嗚咽交じりの声になった。
「少年任せてくれ。必ずやあの怪人を倒してみせる」
そう言うと、僕の肩に手を置いた。その手はとても大きく、力強く、そして何より頼もしかった。
「待たせたなタコハーフ。お前の悪事もここで終わりだ。耳を澄ましてごらん、鎮魂歌レクイエムが聞えるだろう」
ヒーローは手を空に向け掲げるキメポーズを取ると、怪人に向い駆け出した。その動きは僕の全速力の走りがジョギングに思えるほど早かった。
怪人も虚を衝かれたのか、顔に驚きの色を出した。あっという間に二人――怪人だから、一人と一体か――の距離が縮まるとヒーローは前蹴りを繰り出した。
怪人が蛸足で防御しようとしたがそれよりも早くヒーローの足が腹部へめり込んだ。
「うぐっ」
怪人が息を漏らすと、体がくの字に折れ曲がったのでヒーローは足を引き抜き、その足で体勢の下がった怪人の頭部目掛け、ハイキックを繰り出した。
しかし強烈なハイキックは当たると思った瞬間、左の蛸足二本でガードされた。
「くっ!」
ヒーローの口から驚きの声が漏れる。
怪人は蛸足を鞭のようにしならせ、ヒーローの足を振り払うと、体勢が崩れたヒーローに蛸足の先端を拳のように丸め、ボディブローを繰り出した。ヒーローはその攻撃を両腕でガードするが、威力が尋常じゃないのか、威力を殺しきれなかったのか、ガードした体勢のままブロック塀に突っ込んでいった。
衝突の衝撃を物語るようにブロック塀がガラガラと崩れた。ヒーローは無事なのか?
焦りながらも目を凝らすと、ヒーローは平然と立ち上がり、腕についた土埃を払った。
凄い戦いだった。刹那の事だったが僕はその戦いに目を奪われた。怪人とヒーローの戦いはどんな格闘技の試合よりもスリリングで、特撮のヒーローよりも手に汗を握らされるものだった。
「あらヒーローちゃん思ったよりも、強いのね。私強い男大好きよ。惚れちゃいそう」
「それはどうも。けれど私は結婚しているんで、惚れられちゃ困る」
ヒーローは右手右足をやや後ろに引く構えを取ると、左手を小刻みに上下に揺らしリズムを取った。
怪人が構わずに一歩踏み出すと、ヒーローの左拳が伸び、顔を跳ね上げ前進を止めた。
ヒーローはその場で、左拳の連打を繰り出す。ジャブなのだろうが、拳のスピードが速すぎて、僕には何発繰り出したのかは分からなかった。
けれど、パンパンパンと言う顔を捉えた音が、手数の多さを教えてくれた。
連打に圧倒された怪人はよろめく様に一歩後退した。それに合わせる様にヒーローは一歩ステップインすると、右ストレートを顔目掛け打ち込んだ。
拳は命中した。
改心の一撃が入った。僕はそう確信したが、ヒーローの一撃は怪人を二歩後退させるに終った。
「……渾身の一撃だったのだが、やはり倒れないか」
「あらヒーローの力ってこんなものなの? 前言撤回よ、あなたは弱いわね」
弱い?
僕にはヒーローが圧倒しているようにしか見えなかったけれど、怪人の表情を見るに、余裕がありそうだった。一瞬の手合わせでお互いの力量が分かり合ったんだろうか。
それなら僕の運命は……。
「少年安心してくれ、ヒーローは……負けない。さあタコハーフ、ウォーミングアップは終わり……だ!」
ヒーローはまたジャブを繰り出した。ジャブはまた怪人の顔にヒットしたが、避けられなかったわけではなく、威力がないと分かった怪人はあえて受ける事を選んだようだ。
ジャブが当たり拳を引き寄せるのに合わせ、怪人は右の蛸足をノーガードの頭部目掛け繰り出した。それも右の四本の腕全てを使った一撃だ。
「貰ったわッ!」
勝利を確信した雄たけびが上がった……が、怪人の拳は頭部に当たることなく、空を切った。
「なっ!」
怪人の驚きの声が上がる。
それもそのはずだ。怪人からしたら急にヒーローが消えたかのように見えただろう。けれどその様子は、離れて見ていた僕からは丸見えだった。
ヒーローは拳を引くと同時に、上体を後ろにそらしそのままブリッジの体勢になっていた。ヒーローは頭上を四本の蛸足が通過すると、倒立し脚をぱっと開いた。
開いた脚は怪人の首に直撃する。カポエラの技のような攻撃は確実に怪人にダメージを与えたようで、怪人の口からは、「ぐうっ」と呻き声が洩れた。
ヒーローは倒立の体勢から立ち上がると、横回転しながらの後ろ回し蹴りを怪人の複部に披露する。
怪人は衝撃で吹き飛び、アスファルトの上をごろごろと転がると、腹部を押さえ、よたよたと立ち上がった。
「さあタコハーフ訂正してもらおう。私が弱いと言った事を」
「ぐッ……ちょっとダメージを与えられたぐらいで、調子に乗るんじゃねえよ!」
歯を食い縛り、射殺すような目でヒーローを睨みつける。
「調子になど乗ってない。事実を言ったまでだ。力も体の強度もお前の方が上だろうが、それでも私とお前には決定的な差があるのだよ。実戦経験の差と言うものがな」
「実戦経験だと……そんなもので私が倒せると思ってるのかぁぁぁぁぁぁぁあ!」
絶叫と共に怪人が地面を蹴り飛び掛った。空中で右の四本の腕を振りかぶり、ヒーローを殴りつけてくる。
けれどヒーローは動じる事もなく右に半歩動くと、軽く飛び上がり、側頭部にハイキックを決めた。
「がぁっ!」
怪人は横に吹き飛んだ。
「タコハーフ、お前の攻撃は大振りのテレフォンパンチで、私になら容易に避けることが出来る。いくら力が強かろうが、当たらないのならば意味がない」
僕はその時初めてヒーローのことをカッコいいと思った。
無線の連絡やストレッチなど、不安を覚えるような行動をしてきたヒーローだったが、そんな行動をご破算にさせるくらいの強さを見せてくれた。
今僕は、命の危機に瀕しているはずなのに、ヒーローの戦いに魅了され、まるで格闘技の観戦に来ているかのように、手に汗握りながら、戦いの行方を見守っていた。
「ヒーロー頑張れ!」
気持の高鳴りが抑えきれずに、ヒーローに声援を送った。
ヒーローは僕に腕を伸ばし、親指を突き出したポーズをとった。
うん……前言撤回だ。カッコいいと言ったが、そのポーズはダサく、かっこ悪いな。僕が怪訝な目をヒーローに向けていると、「はははははぁ」っと、高笑いが聞えてきた。
声の元に視線を移すと、怪人が腹を抱え笑っていた。何がそんなに面白いんだろうか……。
ヒーローのポーズがそんなに面白かったのか?
「ははははははははぁ」
怪人は気が狂ったかの用に笑い続けた。頭を蹴られすぎて可笑しくなったんだろうか?
「タコハーフ、何が可笑しい?」
「ははははははははぁぁぁぁ……あらごめんなさい。あなたがあまりにも可笑しなことを言うから、思わず笑っちゃったわ」
「可笑しなこと? 私が何か言ったか」
「あら、分からないの? どんな強くても当たらなければ意味が無いって言ったわよね。じゃあ当てればいいだけの話じゃない」
然も当たり前のように言った。攻撃をかわされ続けた者が言うような台詞ではなかった。
何か策があるのだろうか?
「当てられるものなら……当ててみろ」
「あら、じゃあ当てさせてもらうわっ!」
怪人は次の瞬間駆け出してきた……それも僕に向って。
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