第19話 子供の屋根の下

その家族にも、屋根はない。

青森県は下北半島の尻屋崎、そこに寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる野良馬が居る。


一夫多妻制の馬たちは、5月ごろに出産する。

6月ごろまでの、しっぽがまだ固まっているような小さな仔馬も可愛いが、まだ母馬の警戒心が強く、仔馬も親にくっついているから、あまり近寄れない。

10月ごろになると、やんちゃな仔馬たちは好奇心がわけば近寄ってきてくれるし、母馬もピリピリはしていない。


私は一時期、毎年のように彼らに会いに行っていた。

その中に、印象深い親子が居る。


そのときは9月下旬か10月上旬で、元気な仔馬たちとのんびりとした親馬たちが居た。

私は1か所にとどまり、3時間くらいかけて、仔馬と母馬の警戒心を解き、好奇心を勝ち取った。

仔馬は興味津々にこちらを見て、少し近づいてくる。

私は待った。

私が動かないでいると、仔馬はさらに距離を詰めてきた。

最終的には、手が届く範囲に。


私は怖がらせないよう、ゆっくりと手を伸ばした。

仔馬は触らせてくれた。

母馬は、彼と私を優しい目で見守っていた。


暫く仔馬を撫でていると、眠くなったのか、仔馬は私の隣で横になった。

少し強引かなと思ったが、折角のチャンスを逃したくなくて、私は仔馬に少し近寄り、頭を持ち上げ自分の膝に乗せた。

仔馬は抵抗しなかった。


初めての膝枕が馬ってどーよ?とも思わないでもなかったが、最高に至福の時だった。

仔馬は1時間くらい、そうしていただろうか。

そろそろ起きるよ、と合図をくれた。

私は抵抗しなかった。

仔馬はゆっくり起き上り、母馬の元に駆けていき、それを待っていたかのように、母馬は歩きだし、仔馬は私に目もくれず、母馬にちょこちょことついて行った。


尻屋崎の閉門は、確か16時だったかと記憶している。

時間ぎりぎりになるまで、岬を堪能した私は、出口に向かった。


そこで出会ったのは、先ほどの仔馬と母馬だった。

明らかに、興奮している。否、威嚇している。

一眼レフを持った男性が、距離を詰め過ぎたのだろう。

だが、男性にはそれが威嚇だと判らなかったようで、「躍動感のある写真が撮れましたよ」と満足そうに私に声をかけてきた。


私はかなり憮然としていたと思う。

時間をかけて、警戒心を解いてもらって、自ら触れせてくれた仔馬に、なんてことをするのだと。

おそらく、あの子はもう2度と、膝枕はされてくれないだろう。


馬の寿命は20年ときく。

おそらく、もう亡くなっているだろう仔馬の、人間を威嚇しているときの目つきが、私は忘れられないのだ。

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