第24話 十文字優己の告白

満は両手に一杯の土産袋を提げて、鼻歌交じりに闊歩していた。数分前に綺吏紗から連絡を受け、指定の場所ーー楠の大樹へ向かう最中である。

それにしても、と手荷物を持ち直しながら満は思う。

隠人は現世に赴く際、公私問わず上司へ許可を申請しなければならない。私事であれば理由如何によっては却下される。だが、“優己の警護”を理由とした今回の場合は公的と判断されるため、申請が通ったのだ。そこまでは良かったのだが……。

『えっ、何お前、現世行くの!? ……あー、優己んとこね。じゃあさじゃあさ、この間テレビでタイ焼き屋の特集やっててよー、めっちゃ美味そうだったんだよなー。つーわけで買ってきてちょ』

これは満が申請先に選んだ、エンマ大王の言である。彼は申請理由がいかなる些細な私事でも、あっさりと許可してしまうのだ。

例えば、“彼女とデートだから”、“スーパーの特売日だから”、“ゲームの発売日に並びたいから”(ちなみにこのときはエンマも一緒に並ぼうとしていた)等々。霊界にも生活用品や食事を提供する店はあるのだが、そこは個々人の嗜好か、現世の物資を好む者も多い。ところがそれらは現世から直接調達しなければならない決まりのため、申請が絶えることはないのだ。

特にエンマの元へは多くの申請がやってくるのだが、許可する代わりに土産を要求するというしたたかさを発揮する。もしそれを無視すると、露骨に機嫌を損ねる上、次回の申請許可を渋るタチの悪さである。そのため隠人は辟易しつつも、本来の目的と合わせて土産物を求めて奔走しなければならないのだ。

赴く道すがら、友人たちからもいくつか土産物を頼まれていたため、今回の荷物は相当な量である。特別苦とは感じないものの、自身のお人好しもそろそろ改めるべきだろうかと思案が浮かぶ。

そうこう考えているうちに、楠が見えてきた。その木陰に並ぶ二人の姿を認め、歩を速める。

「ごめんごめん、待たせちゃって」

「あっ、満君……って、すごい荷物っ! そんなにどうしたの?」

「お菓子ばっかりだね」

「うん、友達からいくつか頼まれててさ。そうそう、駅前のドーナツ屋さんの混みようったらすごかったよ。あと、タイ焼き屋さんにも寄ったんだけど、意外といろんな種類あるんだね。クリームとか白あんとか……」

「あー、知ってる。“むぎわら屋”のタイ焼きでしょ? ウチもめっちゃ好きだよ、そこ」

「で、には何を買ってあげたの?」

「うん、あいつ洋菓子好きだから、ドーナツでも……って、まだ彼女とかそんな関係じゃないしっ!」

「まだ?」

「まだ?」

優己たちの意地悪な視線が一挙に突き刺さる。これ以上の追及を恐れた満はたまらず、話題を変えることにした。

「あ、あぁー……そうだ。ところで話は済んだの? 更衣室で若い男女が二人っきり……いったい何をしてらっしゃったんでしょうねー?」

どうだとばかりに口角を上げ、二人を見返す。対する優己たちは顔を見合わせ、答えた。

「……うん」

「まぁ、いろいろとね。それじゃあ立ち話もなんだし、行こっか」

涼しい顔で歩き出す二人に肩透かしを食らいつつも、満はそれに続く。

元来た道を戻る中、彼は二人の後ろ姿を眺める。会話こそないものの、互いの肩は擦れ合うほどに距離が近い。

当初、二人の間に流れていた緊張感はどこへやら、心的距離も縮まったようにも思える。あの更衣室では、いったいどのような会話が行われたのだろうか。そして、それをどう詮索してやろうかという気持ちに駆られたとき。

「あ」

優己が立ち止まる。視線の先を追うと、二十メートルほど向こうから剛我たちが歩いてくるのが見えた。談笑に夢中で、こちらにはまだ気づいていない。

「綺吏紗ちゃん……どうする?」

優己と同じく足を止めた綺吏紗は、強張りを隠せないでいた。彼女の抱える事情を知る由もない満が、その様子を怪訝に窺っている。

「ううん。今日はまだ、やめとく」

「そっか……」

「優己君、今日は本当にありがとう。満君も。それじゃあ……またね」

綺吏紗は踵を返し、足早に去っていった。その背中を、優己は名残惜しそうに見つめる。あまりにあっさりとした別れに、満は若干拍子抜けしてしまった。

「良かったの? もっとこう……熱い抱擁を交わすとかさぁ」

「何言ってんの? また会えるんだから、そんな大げさな」

「もう次のデートの約束したの? さっすがぁっ!」

「あのさぁ……」

「あっ、優己君だーっ! 満君もっ!」

そこへ割り込むように、ふみかが駆け出してきた。

「ねぇねぇ、聞いて聞いてっ。あたしと竜真君とでね、三人もやっつけたんだよっ! すごいでしょ? ほらぁ、竜真君早くっ!」

興奮するふみかに対し、遅れてやってきた竜真の顔色は心なしか優れない。

注視すると、シャツの下から包帯が覗いた。

「あぁ、ごめん……竜真君ね、あたしを庇ってケガしちゃったんだ」

「えっ! 大丈夫なんですか?」

「うん……大したことはないよ。一週間ほどで完治するらしいから」

「そーそー、ヘーキヘーキ。アタシがちゃんと応急ソチ? ショチ? ってのしてあげたからさ」

竜真の背後からひょっこり顔を出した七海に対し、満が反応する。

「な、七海さん!?」

「あー、ミッツじゃん。どしたの、こんなとこで……って、ナニその袋の数っ!? ヤッバ、あたしに? いいの? ヤッターッ!」

七海は一人はしゃぎながら、勝手に荷物の中身を探り始める。

困惑する満の耳元で、優己が囁く。

「ねぇ、もしかしてこの人が満君の本命……」

「いやいや、七海さんは先輩の彼女だから。それにこういうゴリゴリのギャルは苦手で……」

「あ、タイ焼きあるじゃん! ちょうだい! ありがと!」

「えっ、いやダメですって。それはエンマさんに頼まれて……ちょ、待って、待ってーっ!」

タイ焼きの袋を強奪し、逃走する七海。それを追いかける満。二人の背中は瞬く間に遠くなっていった。

「満君も大変だな……」

「人の心配もいいけどよ、優己。お前、もう用事は済んだのかよ?」

訝しげに剛我が尋ねる。

「ああ、剛に……剛兄? 何でここにいるの?」

優己は思わず二度見した。彼の記憶では、剛我は部屋に居残っているはずなのだ。

「はぁ? オレが大人しく家で留守番してると思ったのか? 舐められたもんだぜ」

むしろ一人で満足に留守番もできないのかと言いかけたが、すんでのところで飲み込んだ。

「結局、最後の一人はオレが倒したんだろうが。やっぱ、オレがいねぇとダメだってことだな」

胸を張る剛我。その横で、竜真が沈痛な面持ちで頷いた。

「まったく、その通りです。チームの一人として戦力を示したいなんて息巻いて、このざま。肝心なところはふみかさんや剛我さんに頼ってしまって……」

「何言ってんのさ。竜真君がいなかったら、あたしどうなってたか分かんなかったんだよ。ほんと頼りになったんだから」

「竜真さんの力は本物です。まぁ、今日の戦いの様子は見てないですけど……竜真さんの凄さは僕が知ってますからっ!」

励ます二人を横目に、剛我は小さく息を吐いた。

「ま、ちゃんとやることはやってくれたんだ、充分だろ。部屋で言った、お前の言葉を借りるなら……」

三人の視線が、剛我に集まる。

「今は英気を養い、万全の態勢で、今後の戦いに臨め。いいな?」

「は、はいっ!」

竜真は威勢よく返事をする。その顔には、活気が戻っていた。

その後の談笑もほどほどに、それぞれが帰路へと着いていった。

「……」

「……」

剛我と二人きりになった優己は、どこかむず痒さを覚えていた。兄の死の真相を知った今、彼に対する印象は以前とは大きく異なっている。

綺吏紗を命がけで救おうとしたことへの誇らしさか。自分が未だ知らない兄の一面を、彼女だけが知り得ていたことへの嫉妬じみた感情か。そんな気恥ずかしい気持ちがむず痒さに繋がっているのだろう。

「……剛兄」

「何だよ」

相変わらずの険相に竦みそうになりながらも、優己は続けた。

「……剛兄って、優しいね」

綺吏紗の件といい、先ほどの竜真とのやり取りといい、彼は彼なりに他者を気遣っていることが窺える。今日はそれを再認識できたことが、大きな収穫である。

「は……っ、おま、バカ野郎っ! 急に訳分かんねぇこと抜かしてんじゃねぇぞっ!」

「あっ、待ってよっ」

剛我が早足で家路を急ぐ。その横顔が紅潮した瞬間を優己は捉えたが、もはや指摘する必要はなかった。

玄関の扉を開けると、母の背中が見えた。電話越しに誰かと話しているらしかった。

「はい。はい……分かりました。はい、こちらこそよろしくお願いします。では……」

受話器を静かに置くと、息を吐きながら大きく伸びをする。

「はー、忙しくなるわねぇ……あら、優己おかえり。あんた今度の土日、予定空けといてね」

「えっ、何で?」

母は一言、答えた。

「合宿」

剛我が得心したように頷く一方で、優己の顔色は見る間に青ざめていく。それは、先ほどの剛我とは対照的と言える様相だった。






綺吏紗は一人、歩道を往く。右手の携帯端末にイヤホンをつなぎ、お気に入りの洋楽を聴きながら。

しかし、今の彼女の耳には届いていない。

「……」

その脳裏に想起するは、更衣室での優己との対話だった。






「ーー綺吏紗ちゃん。まず、その……話してくれて、ありがとう」

綺吏紗の謝罪に対し、優己は背中を丸めて頭を下げた。返答が感謝から始まったことに、彼女は戸惑う。

「どういう、意味?」

「剛兄が死ぬ直前に何が起こったか……君が話してくれなかったら、この先ずっと分からなかったと思うんだ。剛兄は自分から話そうとはしないだろうし。だから」

「いいよ、優己君。ウチに気ぃ遣ってるんでしょ? 本当のこと言って」

「本当さ」

「嘘っ! 憎くないの? だってウチが原因なんだよ? 剛我さんを殺したのは……っ!」

「君は殺してない」

「同じじゃないっ! ウチが万引きの上に自殺だなんてバカなことしようとしたから……っ」

綺吏紗はベンチから奮然と立ち上がり、優己に詰め寄る。優己は一瞬たじろぎを見せるも、表情を引き締め、彼女の両肩を掴んだ。竦む彼女だったが、その腕が震えていることに気づく。

「正直、剛兄が死んでから、しばらく気が塞がって何もかも嫌になった。それから虐められるようになって、苦しくて、辛くて……もしそのときに、さっきの話を聞かされたら、きっと違う言葉をぶつけちゃったかもしれない」

優己と視線が合致する。その瞳には、怒りも憎しみも濁りも見受けられない。煌々とした光が二つ、綺吏紗はただ射抜かれるままだった。

「でも、もういいんだ。剛兄が死んだっていう結果に対して、君が謝っているなら、その必要はない。そうやって自分を追い詰めることこそ、剛兄は望まないよ。だって」

優己は小さく首を横に振る。

「剛兄の人生は……まだ終わってないんだから」

「……!」

「剛兄は今、厳しい戦いを勝ち抜いていって、もう一度、僕や母さんと一緒に生きようと頑張ってる。ううん、剛兄だけじゃない。ふみかさん、竜真さん、そして綺吏紗ちゃんだってそうだ。プレイヤーみんな、誰一人諦めてない。夢や目的、大事な人のためにがむしゃらになって……。そこに生者も死者も関係ない。人生の優劣も良し悪しも、生死で決まらない。このD-フェスの中で、僕はそう思うようになったんだ」

肩を掴む力が、一層強まる。しかし、綺吏紗が痛がる様子はなかった。茫然と立ち尽くし、優己を見つめている。

「君たちの人生は、まだ続いてるんだ。だから、謝らないでよ。諦めないでよ。君がずっと後悔して苦しんでるって知ったら、剛兄もいい顔しないと思うから……」

剛我は命を賭して、彼女に一日分の命を与えた。その結果として彼女は贖罪し、両親とのわだかまりを解くことができた。亡くなるまでの短い間ではあったものの、彼女の人生は好転に向かったのだ。剛我がそれを知ることはなかったが、彼の本懐は遂げられたといっていい。

謝るということは、彼の思いを無下にしてしまうのではないか。優己はそう感じたのだ。

「……あ、ごめん。痛かった!?」

吐露する間、ずっと彼女の肩を押さえていたことに気づき、優己は慌てて手を離す。

綺吏紗は俯き、押し黙ったままだ。

「き、綺吏紗ちゃん?」

「……ぅ」

「?」

「うわぁああぁぁーっ!」

直後、綺吏紗は優己の胸に飛び込んだ。

「!!??」

「ひぐ、うぅ、あぁ、ぁ……っ!」

タガが外れたように泣き叫ぶ彼女。優己は突然の事態に困惑するも、ひとまず彼女の肩に手を添え、何も言わずにそばにいることを決めた。

その後、彼女の慟哭は数分、治まることはなかった。途中、消え入りそうな声で一言、呟く。

「あ、ぁ……ぁ、りが、とぅ……」

綺吏紗は理解したのだ。自身が剛我に送るべきは謝罪ではなく、感謝の言葉なのだと。

綺吏紗の思いを受け取った優己は、柔らかに微笑む。それから、おもむろに肩を撫でた。彼女のこれまでを労わるように。これからを励ますように。優しく、優しく。





我ながら恥ずかしい姿を見せてしまったと、綺吏紗は当時を思い出し、顔を赤らめる。

しかし、ようやく真実を打ち明けたことで肩の荷が下り、晴れやかな心地になれたのは事実だ。

「……ふー」

いつかーー再び剛我の前に姿を現し、感謝の思いを伝える勇気が出せるだろうか。いや、優己かれを前に成し遂げられたのだ。剛我に対しても、きっと叶うはず。そう、言い聞かせるほかない。

何よりこれからは、剛我のため、そして優己のために自身を顧みる必要がある。自分の気持ちに向き合わなければならないのだ。

「優己君……」

何気なしに呟いた、もう一人の恩人の名前。次第に彼女の頬はさらに紅潮し始め、胸が熱くなる感覚に囚われた。それが何を意味しているか彼女自身が気づくのに、そう時間はかからなかった。

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