第22話 遠山綺吏紗の告白1


「優己君って、好きな子いるの?」

「えっ? あ、えっ?」

 ふみかたちと別れて間もなく、満が唐突に切り出した。思いがけぬ質問に優己は狼狽える。

「ちょ、どうしたのさいきなり」

「いやぁ、何となく。で、どうなの?」

「そりゃあ……クラスに一人や二人、可愛いなぁって思う人はいるけど」

「おっ、この浮気者っ」

「ちょ、ちょっとっ!」

 人懐っこい笑顔を向けてからかう満に、優己は辟易する。 

「そういう満君はどうなのさ。僕と違って人見知りしなさそうだし、結構モテるんじゃない?」

「ん、そう見える? まぁ、女友達は多いかな」

「おっ、この浮気者っ」

「ははっ、こりゃやられたなぁ」

 後ろ髪を掻き、満は肩を竦める。

「ま、どんなに女友達が多かろうが仲良くしようが、本命とお近づきになれなきゃ意味ないよ」

「本命? ってことは、好きな人いるんだ」

「うん、でも……手ごわい相手でね」

 満は目を細め、遠くを見つめる

「へぇ、ちょっと詳しく聞かせてよ」

「あー、もういいから。それで、まだ着かないの?」

 催促を受け、優己は携帯画面に目をやる。

 昨夜届いたメールには『明日、話したいことがある』の本文と指定時刻、待ち合わせの場所が記されていた。

「――ここだ」

 二人が足を止めたのは、自身が通う高校の裏手。連なる田畑を左に望む、未舗装の脇道だ。正面には一際目を引く、楠の大樹。その木陰に少女が佇んでいた。二人に気づき、小さく手を振る。

「久しぶり、優己君」

 有名な私立中学の制服。腰まで伸びた豊かな黒髪。右手に握る煌びやかな携帯電話。彼女――遠山綺吏紗はそこにいた。

「久し、ぶり……」

「うん……そうだね」

「……」

「……」

 コンビニ以来となる二度目の邂逅は、両者緊張した様子だった。その間へ満が割り込む。

「えーと、お取込み中申し訳ないけど、僕もいること忘れないで」

「ああ、ごめん。あの……」

 満から移した視線が、綺吏紗と鉢合わせる。印象的な睫毛に縁どられた三白眼が、自身を見つめていた。途切れた言葉の先を待っているのだ。なお、優己が硬直した理由を彼女は知らない。

「き、綺吏紗ちゃんに送ったメールに、満君のこと……ああ、そうだ。彼が母里満君。僕の、ここまで、あの、昨日、一緒に」

「返信メールにあった、同行してくれる隠人がそこにいる満君だってことでしょ?」

「そ、そう! そうなんだよ」

 支離滅裂な優己の説明をすんなりと理解した彼女は、満をまじまじと見つめる。

「へぇ、隠人って、こんな若い子もいるんだ。ちょっと意外」

「僕は今年で十六だから、優己君と同い年になるね」

「そうなんだ。ちなみにウチは去年、中三で死んだんだけどさ。今生きてたら、実際ウチらタメってことだ」

 さりげなく重々しい発言をしつつも、当人の彼女はあっけらかんとしている。

「まぁ、タメっていっても、綺吏紗ちゃんは結構大人っぽいよね」

「あー、マジ? 何か老けてるとは言われるね。ははっ」

「逆に僕は子どもっぽいってバカにされるなぁ」

 生者。死者。隠人。三者三様の立場もやはり同世代のためか、話にギャップは感じられない。

「それで、メールにあった話っていうのは」

「待って。ここじゃなんだから……ついてきて」

 綺吏紗が踵を返し、歩き始める。二人は後に続いた。

 後ろ髪が揺れるたび、揺蕩う芳香。くぐれば、ふっと力が抜け、微睡みに似た心地を覚える。魅かれるのは匂いだけではない。短いスカートのすぐ下からは、肉付きの良い太腿が伸びている。柔肌の白と靴下の黒との対比が眩しい。

「……はっ!」

 優己はふと我に返る。情欲に傾いていた思考を、頭を激しく振って追い出した。彼女を意識すると、なぜここまで気が高ぶってしまうのか、彼自身も把握していなかった。

 深呼吸し、落ち着きをとり戻そうと努める彼に、満が距離を詰める。

「綺吏紗ちゃんってさ」

「うん」

「めっちゃ可愛くない?」

「ちょ、聞こえるって」

「いや、いいんだって。あの子は自分が可愛いって自覚してるタイプの女子だから。あの感じ、間違いない」

「そ、そんなこと」

「えっ、でも実際可愛くない?」

「……そりゃ、かわぃ」

「着いたよ」

 連れてこられた先は高校敷地内の最西端にある、屋外プールの男子更衣室前だった。

高校ここの水泳部さ、去年卒業した三年生が最後の部員だったんだよね。優己君も知ってるでしょ?」

「うん。それで今年の部員も集まらなくて、結局廃部になったんだよね。だから更衣室ここやプールも、今は使われてないんでしょ?」

「そう思うでしょ? ちょっと試してみて」

 促され、ドアノブに手をかける。

「あれっ?」

 あっけなくドアノブは回り、扉が開いた。驚いて綺吏紗に目をやると、彼女はしたり顔で笑っていた。

「実はさ、こっそり使われちゃってるんだよね。さて、それはどんな目的でしょう?」

 彼女は思案の間も与えず急接近し、優己に耳打ちした。

「逢引き」

「いっ」

 思わず変な声が漏れてしまい、首を竦める。

 綺吏紗の言葉の意味をきちんと理解していたわけではない。ただ、耳を撫でた彼女の吐息が無性にくすぐったく感じたのだ。

 たちまち赤面し、逸らした視線の先にいた満を見る。すまし顔を取り繕っているものの視線が定まっておらず、動揺を隠せない様子だった。

「逢引きっていうのは、カップルが人目を忍んでイチャイチャすることね」

 訊いてもいないのに、綺吏紗が説明する。

「し、知ってるさ、それくらい」

「へぇ、知ってるんだぁ……ふぅん」

 強がりなどお見通しだとばかりに、蠱惑的な笑みを深める。

「は、早く本題に移ろうよ」

「はは、そうだね。それじゃあ、中へ……あ、でも」

 満に向き直る。

「満君には悪いんだけどさ、優己君と二人っきりで話がしたいんだ。大丈夫?」

「ああ、それは構わないけど……」

 満は辺りを見渡す。ここは高校の敷地内。そして自分は珍妙な和装束を着た部外者。このまま更衣室の前で待機していては、いずれ人目に触れて騒ぎになる。

「だったらさ、話が終わったらウチから連絡するよ。それまで自由にしてていいから。帰り道も、一緒にいてもらわないと心細いしね」

「んじゃ、お言葉に甘えて、この辺でも散歩してこっかな。そうそう、ちょっと訊きたいんだけど」

 満の指先が、中空を右往左往する。

「この辺りに、美味しいお菓子屋さんってあったりする?」

「お菓子屋さん? だったら」

「ああ、それなら」

 二人の脳裏に、一つの店が思い浮かぶ。

「駅前のドーナツ屋が……」

「駅前のドーナツ屋が……」

 まるで示し合わせたかのように返答が揃う。互いに見やった瞬間の顔が妙におかしく、同時に吹き出す。

「ははっ、おいしいよね、あそこ」

「う、うん」

 不意にこぼれた、綺吏紗の笑み。先の意図的なものと違う、自然でありのままな彼女の様相。

 優己は平静を装い、満に目を向ける。

「もしかして、本命の子にプレゼント?」

「ああ、いやぁ、まぁ、そんな感じ?」

「なになに? 恋バナだったら、またあとで聴かせてよ」

「うーん、参ったなぁ」

 教えた店へと赴く満の背中を見送り、二人は入室した。扉を閉め、ベンチに腰かける。投げ出した足を内股に捻り、腿の間に指を挟む。肌同士が擦れ合う微細な音。何気ない所作に覗く色気に、優己は息を飲んだ。

「えーと、まずはさ……ありがとう」

 彼女は目を丸くした。

「何が?」

「コンビニのときだよ。君が止めてくれなきゃ、あのまま万引きしてた」

 すると彼女は首を激しく横に振った。

「ちょっと待って。それは違う。ウチが歩いてたら、柄の悪い連中に引っ張られる優己君をたまたま見つけたの。明らかに友達同士って感じじゃなかったからさ。気になって後を追ってみたんだけど」

 かつての自身の様子を、優己は回顧する。心身共に追いつめられたその形相は、傍目からすれば、よほど憔悴していたことだろう。

「そしたらコンビニの前での話聞いてさ、もう心配なわけじゃん? 優己君、思いつめた顔で入ってっちゃったから、ウチもこっそりついていったんだ」

「全然気づかなかった……」

 もっとも、当時の心境を思えば、それも無理もない話だった。

「止めようと思っても、どうせウチの姿は見えないし、声も届かないからどうしようもないと思ってさ。何の気なしに呟いたら、それが聞こえてたってわけでしょ? もうびっくりしちゃって」

「そうだったんだ。でもやっぱり、君のおかげだよ。感謝してもしきれない」

 ことの顛末を聞いても、優己の気持ちは変わらなかった。綺吏紗は照れくさそうに緩んだ顔を、とっさにケータイで隠した。

「はい、この話はもうおしまい。いいでしょ?」

「うん……そういえば、どうして僕の連絡先知ってるの? 僕たちが会ったのって、コンビニのときが最初だよね?」

「ああ、それはね、ウチのケータイの能力〈幻視通信ファントム・ライン〉のおかげ。見知った相手にメールや通話が出来るの。相手がケータイ持ってなくても連絡がつくんだよ。しかもアプリや曲も取り放題。通信速度も無制限で、パケット代無料。最高じゃない?」

「そりゃ、ケータイよく使う人には夢みたいな能力だけど……ほんとに戦闘向けじゃないんだね」

「でしょー? 確か霊具の能力考えてるのって、エンマとかいう人なんだよね? マジ恨んだし」

 綺吏紗はからからと笑う。

「まぁ、攻撃用の能力もあるっちゃあるんだけどさ。あんま使いたくないんだ。とにかく逃げるのに精一杯。今は五人のチーム組んで落ち着いてきたから、やっと昨日、優己君に連絡できたんだ」

「そっか。今日のことは、チームの人たちに伝えてあるの?」

「もちろん。皆いい人なんだ。ウチ、戦闘じゃ何の役にも立たないけど、それ以外の時間で頑張ってるの。一緒にゲームアプリで遊んだり、他にも動画見たり音楽聴いたりして、けっこう楽しんでるんだよ」

 チャンネルを変えられないテレビ番組。ページがめくれない漫画。リピートできない音楽。生前触れてきた娯楽の数々も、プレイヤーとなった今では有象無象の類でしかない。

 そこにおいて現代文明の利器、携帯端末の機能そのままを利用できる〈幻視通信〉は、異端の能力と呼べるかもしれない。戦闘では無力だが、仲間との交流を目的として考えれば、まったく無益なわけではないようだ。

 しかし新たな疑問が浮かぶ。

「ん? 僕のことを初めて知ったのが、コンビニのときなんだよね? 公園で剛兄が戦っているのを教えてくれたときに、僕と剛兄が兄弟だって知ってたのはどうして?」

「……実はね、剛我さんとはもっと前から知り合ってたんだ」

「えっ?」

「それが今回の話にもつながってるんだけどさ」

 綺吏紗は胸の中心に手を置き、深呼吸する。一拍の間の後、唇が揺れた。

「――なの」

「今……何て?」

 優己は呆然と綺吏紗を見つめる。

「うーん、あまり何度も言いたくないんだけどね」

 彼女は長髪をかき上げると、先ほど優己に発した言葉を繰り返した。

「剛我さんが死んだのは――ウチが原因なの」

 綺吏紗の口から予想外の言葉が紡がれた。それらは今まで胸の奥で燻りつつ、あえて目を背けてきた事柄だった。突如として一斉に熾き上がったことで、体が熱を帯びたような感覚にとらわれる。

 “剛我”の“死”の“原因”。その鍵を握る人物が今、目の前にいる。

「どういう、こと?」

「……ほんとに良かったよ。優己君、万引きしなくてさ」

 唐突に始まったのは、先ほど彼女自身が切り上げた万引きの話題だった。

 一向に真意が読めない彼女の態度に焦ったさを覚えつつも、余計な口を挟まないことを決めた。

「そうだね、もう少しで道を踏み外すところだったし」

「ほんと。ウチみたいにならなくて良かった」

 綺吏紗は、左の手櫛で髪をとかしていた。髪に沈む指先が淀みなく下へ流れる。手慣れた仕草故に、先の発言の不自然さが際立つ。

 優己が何事か問う前に、彼女は続けた。

「んー、ぶっちゃけちゃうとさ、ウチも万引きしたことあるんだ」

 二度目となる衝撃的な告白に、優己は半ば思考を放棄した。

「理由は何ていうか、単純にどうかしてたんだよね。塾通って勉強して、面接じゃ良い子ちゃんぶって……何とか私立中学に受かったまでは良かったんだけど。そこから気が休まらなくってさぁ」

 落とされた視線は、右手の携帯電話を捉えてはいない。電子の世界では計り知れない、記録ではなく記憶の深遠に思いを馳せている様子だった。

「ウチ、地毛がもともと茶髪なんだよね。でも校則のせいで黒く染めてるの。学校のイメージが悪くなる、だってさ。ウチの身体的特徴を否定するってどうなの?」

 指でいじくりながら、毛先を持ち上げる。よく見ると茶色の毛が残っていた。

「バイト禁止。恋愛禁止。化粧禁止。アクセ禁止。スカートは膝上禁止。靴下、下着の色は指定以外禁止。禁止禁止禁止禁止……もう、バツだらけ。大したことないって思うでしょ? 一つ一つ挙げてみればどれも些細なことだけどさ。当時は、親と大喧嘩してたのと重なって……限界だったんだよね。あ、今のウチ見ればわかるけど、結構校則無視しちゃってたり。まぁ、反動ってやつ?」

 立ち上がり、その場で一回転する。

「スーパーで、板チョコ一枚。外に出るまで緊張したなぁ。で、すぐに捕まっちゃったんだ。そのままバックヤードに連れてかれて、そこの店長と二人っきりにされた。だっさい眼鏡かけたハゲ頭。いろいろ言われた。『バカはすぐに手が出る。ろくな人間にならない。親の教育が不出来』……ま、だいたい当たってるけどね。なかなか傷ついたよ」

 彼女は笑顔を向けるも、声は震えて上擦っていた。

「しまいには警察に突き出すって言って、電話をとったの。『それだけは止めて』って、思わずその腕を掴んだ。そしたら、ニタッて笑ってきてさ。そいつはどんどん迫ってきて……」

「綺吏紗……ちゃん?」

「ああ、そんな切ない顔しないでよ。服の上からちょっと触られただけ。ウチも黙ってらんないわけじゃん? そいつの焼け野原鷲掴んで、おもっきり更地にしてやったっつうの」

 自身の頭髪を掴み、引っ張り上げるジェスチャーを行う。

「そんで鞄持って、そのまま逃げちゃったんだ。もうほんとに無我夢中って感じ?」

 耐えがたい苦痛から。直視しがたい現実から。逃れるために。離れるために。物理的に距離を置けば、自身の所業が薄まり、ほどけ、和らぎ、やがて雲散霧消していくのではないか。そんな儚い幻想を抱き、ひた走る。優己も似たような心境で、間田たちから逃走した過去を想起する。 

「あのハゲはきっと、親や学校に連絡する。暴力沙汰だから、警察にも。捕まって、ニュースに取り上げられて、SNSで叩かれて、個人情報を隅々まで特定されて……。そしたら完全に終わり。気づいたらビルの屋上にいた。生き地獄を味わうくらいなら、自分でケリつけちゃおうって思ったんだろうね。ほんっとバカ」

 ? 優己はその言葉に引っかかりを感じた。

「ケータイのメモに遺書っぽいの書いてたときに、後ろから誰かの声がしたの。振り向いたら、誰がいたと思う?」

「……まさかっ!?」

 目を見開く優己。綺吏紗は頷いた。

「あのときが、剛我さんとの出会いだった。最初で最後の、ね」

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