第19話 奪われた純白
「よう、お二人さん。お熱いことで」
ふみかとの楽しい語らいも、彼らとの邂逅を以って中断された。
角を曲がった矢先、待ち構えるように並び立つ二人組。一人は、恰幅の良い体躯にレプリカユニフォームを羽織った中年――猿川謙太郎。その脇に立つはサングラスをかけ、臙脂色の洒落たスーツを着こなす伊達男――庄條規史である。
先刻話していた状況が奇しくも再現されたことで、竜真たちは身構える。
「話してたそばから来たね、竜真君」
「ええ……相手は二人ですか」
竜真の呟きを耳にしたのか、庄條が笑んだ。
「残念、三人だ」
彼が指し示す先――自身らの背後に目を向けると、一人の青年が佇んでいた。ニット帽の上にヘッドフォンを装着し、モスグリーンのモッズコートに身を包んでいる。三人目の男――申谷聆だ。
「あー……ども」
顔を背けたまま、無愛想な会釈をする。
竜真は視線を戻す。庄條が変わらず薄い笑みを浮かべていた。
「そう身構えないでくれ。今すぐ戦いが始まるわけじゃないんだ。そうだな……お互い自己紹介でもして、親睦を深めるのも悪くない」
友好の抱擁でも求めるように、庄條は両腕を広げた。
「親睦ですか……随分と聞こえがいいですね」
「そう言うな。君たち、見たところ高校生だろう? 今の若者の実情を知りたいと思うのは大人として当然だ。もっとも、その後ろにいる申谷というやつは君たちと歳こそ近いだろうが、サブカルだのダウナーだの訳のわからない話ばかりで要領を得ないがな」
「おっさんには理解できないよ、ほっとけ」
申谷は唇を曲げてそっぽを向いた。
「ああ、そうだ。良ければ君たちの馴れ初めでも聞かせてもらいたいものだな」
庄條の発言に、竜真たちは鼻を突き合わせる。
「いや、何か勘違いしてるみたいだけど……あたしたちカップルじゃないよ?」
「そうですよ。剛我先輩が聞いたら何と言うか」
「ちょっとやだ……何で剛我が出てくるのさ」
口ぶりは不満を装うものの、ふみかの表情は緩んでいた。
二人の返答に、庄條は首を傾げる。
「それは意外だな。美男美女でお似合いだと思」
「んなことよりよぉ、そこの兄ちゃん。お前、もしかして秦野竜真か?」
突然猿川が横入りし、メガホンで竜真を指し示す。
「……そうですが、何か?」
名指しされたことに、竜真は警戒を強めた。一方で猿川はにんまりと笑み、肩をメガホンで叩きながら間延びした声を上げる。
「おお、やっぱそうか。おれなぁ、プロアマ問わず野球観戦が趣味でよぉ、中高の坊主どもの試合なんかよく見に行ってんだ。特にお前、秦野竜真といやぁ、おれみたいな連中の間じゃよく話題に上がってたぞ」
レプリカユニフォームにメガホンという風体。加えてその弁舌から、彼の野球愛好者ぶりが窺える。隣で耳を傾けていた庄條も興趣をそそられたらしく、視線を竜真に送る。
「ほう、そんなに有名なのか?」
「そらもう、バッティングテクに関しちゃ、並ぶもんはいなかった。将来のドラフト候補なんて噂もあったけなぁ。いよいよこの町からプロ選手が誕生するかもなんて、いろいろ盛り上がったんだぜ――まぁ、死んじまうまではよ」
一瞥。何の気なしに向けた視線。竜真が険相を深める瞬間を、ふみかは意図せず目にしてしまう。
「しっかし兄ちゃんがいなくなっちまってから、あそこの野球部はすっかり落ちぶれちまったね。今年の甲子園も期待できねぇや、はっはっは」
頭髪を掻きながら、豪快に笑い飛ばす。猿川にとっては、悪気のない発言だったのだろう。しかし竜真にとっては、現野球部、まさしく優己や真大たちに対する侮蔑に他ならなかった。
擦過音を耳にし、ふみかは音のした方向――竜真の手元に目をやる。バットを握る右手が震えていた。強まる握力に、グリップテープが軋みを上げる音だった。
「竜真君、大丈夫?」
「……はい、僕は何とも思いませんよ。真大や優己君たちは本当によく頑張っています。僕はそのことをよく知っている。それで充分です」
不安げに顔を覗き込むふみかに気づくと、竜真は快活な笑顔を向けた。直前の表情が、険悪な異相と化していたことを彼は自覚していたのだろうか。
「ああ……ところでふみかさん。数的優位性は彼らにあります。このまま彼らと戦いますか? 今からでも強引に逃走、という手もありますが」
「ううん。そんな逃げ腰じゃ、どっかの誰かの剛我さんに笑われちゃうし。隠人の誰かが来るまで、ちょっと待とっか。ところで……スーテキユーイセーって何?」
「人数が多い側が有利だという意味です」
「なんだ、それならそう言ってよ、あはは」
肘で小突かれ、竜真は苦笑した。
プレイヤーの多くは同盟を組み、戦力を増強していることだろう。できれば同数以下の同盟と
ただ、竜真の抱く懸念はこれだけではない。肩に提げたスポーツバッグを抱き寄せる。
十一球。剛我との戦闘で持ち球を打ち尽くしてしまったため、昨夜の解散後から今朝にかけてかき集めた球数である。
少ない手数に加え、ふみかとの共闘を要求される今回、剛我戦とはまた異種の波乱が巻き起こると踏んだそのとき。
「はーい、お待たせっと。
軽薄な調子で登場したのは、小麦色の肌をまとった麗らかな少女の隠人だった。隠人特有の和装束の代わりに肩まで露出させた水色トップス、ショートデニムという現代的な装いである。
「はいはーい、重大発表しまーすっ。実はアタシさ、審判とかお初なんだよねー。めっちゃ緊張するんだけど。あははっ!」
腰まで伸ばした長髪を掻き上げて笑う姿からは、およそ緊張している様子が見受けられない。
「そんじゃさ、どこでやろっか。あ、こっちで調べなきゃいけないんだっけ。何かメンドいね」
「ああ、それなんだが」
見計らったように、庄條が挙手する。
「オススメの場所があるが、どうかな。七海ちゃん?」
「うっそ、マジ? おじさん、やるじゃーん。んじゃそこ、早く行こ行こ」
七海は軽く飛び跳ねながら手招きする。そんな彼女の愛嬌に、庄條が思わず本音を漏らす。
「可愛いな……」
「あ、ごめん。アタシ彼氏いるから」
無情なる七海の告白。固まる庄條の背を、猿川が笑い飛ばしながら平手打ちした。
庄條が案内した先は、四階建てのデザイナーズマンションだった。もっとも、企業の倒産により建築途中で放棄されたいわくつきの廃墟である。外観だけが完成しているらしく、凸凹とした複数の出窓の起伏が特徴的だ。肝心の内装は手つかずになっており、出入り口や窓の奥には、暗く虚ろな空間が広がっている。
その正面、おそらく駐車場となっていたであろうスペースに、両同盟が対峙する。
「先手を打たれましたね」
「えっ?」
竜真の呟きに、ふみかが反応する。
「この場所へ導いたということは、彼らのテリトリーだと判断するべきでしょうね」
「地の利っていうんだっけ、そういうの。気ぃ引き締めなきゃだね」
戦地が決まり、あとは隠人側の準備を待つばかり。七海に目をやると、据えられたドラム缶に腰を下ろし、
「うぅん……」
何を勘違いしたか外装の引きはがしを試みたり、上下を持ち替え砲身を覗き込むなど、六稜忌暈を扱うことに不慣れな様子だった。
色づいた生足を組み変えては首をひねる度、長髪が綿布のように柔らかな動きを見せる。そんな彼女の姿態を、庄條が未だ未練がましく眺めていた。
「えっとぉ、これどうやって使うんだっけ……うわぁっ!?」
無意識にスイッチを押したか知れず、傘の骨組みを模した器具が射出された。その際本体を真横に向けており、不幸にも砲身の対面上には庄條が立っていた。
「……あっぶねぇっ!?」
突然の奇襲に、庄條は身を縮める。しかし自律機能が搭載されていたらしく、六稜忌暈は直角に曲がり、上空へと推進していった。どうにか結界を展開するに至り、一同は胸を撫で下ろす。
「いやぁ、ごめんね。慣れてなくてさぁ」
「頼むぜ、七海ちゃん……」
庄條は冷や汗を拭い、サングラスをかけ直す。審判を務めるのは初めてだと話していた通り、七海の手際は危ういものだった。
続いて彼女は幻燈玉を点火し、通信をとり始める。
「……あ、
『――』
「うん、リクリョーキウンは出したよ? えっ、設定って何? ああ……そのままでいんじゃない? あははっ」
通信先の声は聞き取れない。が、親しげに話す彼女の様子を見て、猿川が庄條に囁く。
「なぁ、もしかしてよぅ、さっき言ってた彼氏かもしれんぞ」
「わ、分からんだろう。そんな……」
「あー、彼氏だねありゃ。向こうの話しぶり聴いてりゃお察しって感じっすよぅ」
申谷が意地悪そうな笑みを浮かべ、口を挟む。
「テメェらいい加減にしろよっ!」
庄條たちのやり取りを、傍目から眺める竜真。その鋭い眼差しと面持ちは、すでに戦場へ身を置く者が持つ気概に溢れていた。
目下、七海の通信は続いている。
「あー、ルールの説明ねぇ。皆もう知ってるだろうからいいじゃん、メンドいし。……それじゃ、もう始めていいんだね。プレイヤーの名前? うん……オッケ、分かった。ありがとね、綾介。愛してる」
最後の一言に庄條が肩を落としたことを、彼女は知らない。
「はーい、皆注目―。ちょっと悪いんだけどさぁ、名前教えてくんなぁい?」
「えっ、名前ってどういうこと?」
ふみかが訊ねる。
「何かぁ、始める前にぃ、プレイヤーの名前を発表しなきゃいけない決まりごとがあってぇ。でも、読み方分かんなくてさぁ。手元の資料見ても、フリガナ載ってないしぃ。マジ不親切じゃん?」
七海の愚痴を聞き入れ、プレイヤー陣はそれぞれ名乗りを上げることとなった。
「飛鳥井ふみかっ!」
「秦野竜真です」
「庄條規史だ。よろしく七海ちゃん」
「猿川謙太郎」
「申谷聆……」
「オッケ、じゃ始めて」
「「「「「軽いなっ!」」」」」
かくして開戦の合図が挙げられる。
互いのチームは所定の位置から動かない。
庄條たちは肩を寄せ合い、何やら談を交わしている様子だった。
それを眺め、竜真は思考する――彼らの懐に打球を放つとどうなるか? 蜘蛛の子を散らすように逃げる? それとも一網打尽で決着? 後者が理想だが、そのような甘い話がまかり通るならば苦労はしない。しかも先攻は、こちらの手の内を先んじて晒してしまう危険性もある。相手の能力が不明な状況下、ここは少ない持ち球を最大限活かせる場面が回ってくるまで、温存すべきか。
竜真が沈思黙考する中、ふみかが前に進み出た。
「どうする、竜真君。何なら景気づけにあたしが突っ込んでみようか?」
心意気は買うが、勝手に行動されるのは慎んでもらいたい。そもそも景気づけとは何なのか?
疑問は深まるばかりだがなるほど、剛我が危惧していたことはこれか、と竜真は得心した。個人で戦術を練るのではなく、まずは仲間同士の意思疎通こそが最優先であると、考えを改める。
「いや、ふみか先輩。まずは相手の動向を探ってからでも遅くはありません」
「でもさ、もしここに剛我がいたら真っ先に突っ込んでいくと思うんだよね。だから代わりにあたしが……」
「そうですね。まずその“突っ込む”という固定観念を除きましょうか」
剛我とふみか。二人の思考展開は非常に似通っていることに、竜真は気づいた。このチームに自身が加入した意義が、いまこそ問われるときと確信する。
「ふみかさん。逸るお気持ちは察しますが、ここは……」
「飛鳥井ふみかの“パンツ”、こっちにこいっ!」
彼女を嗜めるべく発した言葉は、声高な叫びにかき消された。視線を投げると、猿川がメガホンを口に当てている。その姿はさながら贔屓の球団を応援しているようだった。
対して肩を跳ね上げ、過剰な反応を見せたのはふみかだ。彼の言葉を咀嚼し、その不埒な文言に眉を顰める。
「はあっ!? あ、あのおっさん何言って……ぇ?」
声を荒げた途端、ふみかは腰を突き出した。そのままたたらを踏むように前進し、立ち止まる。しばし硬直するも、再び不安定な足取りを見せ、しまいには中腰の姿勢のまま動かなくなった。
「ちょっと、やだ……何これっ!?」
「ど、どうしたんですかふみかさん?」
「パ、パパ」
「えっ?」
竜真に向けた表情は当惑に満ちていた。震える唇からは、予想だにしない涙声の返答が漏れた。
「パ……パンツが、勝手に前、にぃ……っ!?」
「えぇっ!?」
竜真は耳を疑うも、両足で踏ん張りを利かせるふみかの賢明な後ろ姿を目にしては、疑義も生じない。
「な、なに? なんなのこれぇ……っ!?」
反旗を翻した下着を抑え込もうと、狭めた内股の間に腕を差し込み、奮闘する。しかし、なおも肉体とのかい離を企てる下着は、さらなる行動を起こす。
「キャアァア~、ヤバいヤバいヤバいっ!」
「ふみかさん、いったい何が……っ」
彼女を追い、回り込もうと踏み出しかけた足を引き下げ、竜真はさっと目を逸らした。清廉潔白なる騎士道を背負う彼の視界に留めておくに憚る景色が、一瞬垣間見えたからだ。
スカートのウエスト部分から、白の布地が顔を出していた。まるで見えない手で摘み上げられているかのように伸び、三角の形状をとっている。
「すご、い、力……やだぁ……っ!?」
ふみかの体が少しずつ前進し始めている。足元を見ると、かかとの後ろから轍ができていた。不可視の力が、もはや彼女一人の抵抗では足らぬほどに働いているらしい。
「竜真君ちょっと手伝って、いや、だめ。触んないで、ああ、でもぉ……っ!」
「ふ、ふみかさん、その、どうすれば……っ」
状況が状況なため気恥ずかしさが勝ったのか、ふみかは口ごもる。一方で何とか手を差し伸べたいものの、女体に触れることに耐性のない竜真は慌てふためく。
及び腰のふみか。その斜め後ろから一歩進み、下がるを繰り返す竜真。傍目から見て、滑稽なものであった。
「見ろよ、あの姿。たまらねぇなぁ、ついにこの〈
猿川は自身の能力に嵌まるふみかの痴態を遠目から眺め、今にも踊り出しそうな心地だった。そんな彼を見つめ、庄條が口を開いた。
「……猿川」
「何だ」
「グッジョブだ」
「おうともよ」
「あんたたちがずっと言ってた、やりたかったことってこれかよ」
申谷はうなだれ、呆れたように首を振った。
「そら、この能力を持っちまった以上、相手がスカート履いた女なら一度は試してみたいってもんだろ? さぁ、飛鳥井ふみかのパンツ、コイコイコイィイッ!」
飼い主の呼びかけに応じる忠犬のごとく、下着はさらに躍動を続ける。露出する布面積に比例し、ふみかの焦燥も限界が近づく。
「ど、どうしよぅ……っ」
その悲痛な横顔を見るに見かねた竜真は、一心不乱に思案を巡らせる。巡らせる。めぐらせる。メグラセル――。
「……そうだっ!」
戦術外、さらに性差の絡んだ事態が故の混乱か――その思考が導き出した行動は、ウエスト部分からはみ出した布地に、さっとバットを近づけることだった。
「いたぁっ!?」
弾かれるように、ふみかは豪快なしりもちをついた。
「もぅ~、何なのいった……ぃい?」
突如、膠着状態が解かれたことに戸惑いつつ体を起こすと、下着の変質が収まっていることに気づく。表情に安堵の色が浮かんだのも束の間、足元に転がる白球に目が留まる。
竜真が放ったのか? 何のために? いや、そんなことはもうどうでもいい。問題は無事に解決した。下着も今は落ち着いている。大人しすぎる。開放的な心地すら感じるほどに。
「……」
下腹部に意識を集中させる。精神衛生を保つべく、懸念は早急に排除しなければならない。
「……?」
臀部の冷感。地表の砂利一粒一粒が、痛点に食い込む。懸念は危惧へと変貌する。
「……!」
危惧が確信へと変わった刹那、ふみかの顔から感情が消失した。さっと横を見上げると、竜真の満足げな笑顔があった。
「ふみかさん、何とか急場はしのぎ」
「きれてないっつうのっ!」
「ぶべぼぁあーっ!?」
地面に腰を下ろした状態から放つ拳打は、通常ならば重みも速度も伴わない軽薄なものにしかなり得ない。しかし当人の心の働き――今回ならば憤怒が相応だろう――によって、尋常ならざる力が生まれることも少なくない。しかも互いの位置関係上、直撃した箇所が股間であったことが災いし、竜真は仰ぎ叫び、崩れ落ちた。それは昨夜、剛我から受けた、どの打撃よりも重かった。
「どっちにしろ脱げちゃったじゃんか、どうすんのさこれぇえっ!」
「ぐぅ、おお……っ!?」
各々の事情で急所を押さえる二人の様子を眺めながら、猿川はたじろぐ。
「おいおいおい、どうなってんだ。〈呼応今来〉が解かれちまったのかっ!?」
「ああ、どうやらあの男が何かしたらしい」
猿川のメガホンに宿る能力、発言に該当する物体を引き寄せる〈呼応今来〉によって、ふみかの下着を強奪する――これこそが庄條たちの作戦であった。そうすることで、ふみかの行動を著しく制限させ、相手の戦力を削ぐ狙いだ。
彼女の『脱げた』という発言。そして直後に足元へ出現したボール。庄條は聞き逃すことも、見落とすこともなかった。
「猿川。あれをよく見ろ」
「うん?」
猿川は、庄條が指さした先を注視する。
「ボール……?」
「俺の言いたいことが分かるな?」
「……おう。おうおうおう、そういうことかっ!」
猿川は再びメガホンを構える。
「飛鳥井ふみかの足元にあるボール、こっちにこいっ!」
号令に反応し、ボールが始動する。意志を持ったように数度地面を飛び跳ね、猿川のいる方角へと疾駆する。
「あぁあああ~~~っっっ!?」
ふみかが気づいた頃には、すでにボールは猿川の手に収まっていた。
「ゲットッ! ゲットッ! イエスイエスイエスッ!」
ボールを握りしめ、ガッツポーズする猿川に、庄條は言った。
「猿川」
「何だ」
「グッジョブだ」
「おうともよ」
「あんたらやる気あんのかよ……ノーパンか」
冷めた調子の申谷だが、内心は穏やかではなかった。
一方、不測の一撃に玉の汗を浮かばせながらも、竜真は起き上がる。迷走していた思考を振り払い、まずは意識を平常に働かせることに努めた。
「(落ち着け、冷静になるんだ。あのメガホンで呼んだものを引き寄せる能力か……ボール化することで、無効にできた。これは幸いと受け取っていい。この痛みと引き換えだと考えれば、十分な対価……だと信じるっ!)」
竜真はスポーツバッグから一球を取り出し、湧く一団の懐目がけて打ち放つ。
「アウトッ!」
打球は消石灰による白煙へと立ち返り、猿川たちの視界を封じる。
「な、何だぁっ!?」
白煙の奥で、たじろぐ猿川の声が聞こえる。間髪入れず、次の打球で追撃する。
今度は彼の十八番、廃車へと姿を変えた。
消石灰によって前方を認識できない猿川たちには、致命の一撃となる。竜真はそう確信していたが。
「“車”だ、屈めっ!」
「なにっ!?」
「マジかよ……っ!」
庄條の一声により、体勢を低くする面々。白煙の壁を突き破り、車は後方の地面に激突する。かくして重量級の猛襲は回避されてしまった。
「……ふみかさん。行きましょうっ!」
「きゃっ、ちょっとっ!?」
未だ動揺するふみかの手をとり、竜真は強引に廃墟へと足を速めた。
「――おい、中へ入って行ったぞ」
「問題ないよ。しっかし、今のは何だ。庄條さんが教えてくれなきゃやばかったな」
「任せろ。俺の〈
庄條は唇を指で撫で、微笑む。その双眸は、愉悦に歪んでいた。
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